「あっ!大変!」、家人の妹が大声ではないが強い調子で言った。JR常磐線の車内であって、私と家人と義妹が一緒だった。何かの連休の時で、3人で家人の実家へ行く途中だった。義妹のコンタクトレンズが目から落ちたのだった。「動かないで!」と私が言った。レンズを探せるのは私だけだった。私は床の上から視線を動かしていった。車内はさほど混んではいなかった。義妹はボックス席から動いていないから、必ずみつかると思った。それでも簡単ではなかった。発見するまでに10分以上かかったのではなかったか。小さなレンズは義妹が着ていたオーバーコートの下の方に引っかかっていた。「よかった!」よかった!、家人と義妹の声が揃った。それほどに、コンタクトレンズは貴重品だった。
コンタクトレンズが世に出て来たのは昭和30年代の初め頃だった。それは近視の人間にとって(特に女性にとって)は、救いの神と言えるものだった。今と違って恰好のよい眼鏡は売っていなかった。どんなメガネをかけても、容姿は落ちる。老けてしまう。田舎の村役場の受付係のオバサンの顔になってしまう。それを救ったのが、魚の鱗に似たレンズだった。但し、高価だった。サラリーマンの平均月収が1蔓延そこそこの時代に、1枚数千円の値段だったのだ。
現在では高価なものと使い捨てのものと、いろいろあるらしいが、家人は、「人の弱みにつけこむ商売」と言っている。「これ1枚の材料費って、いくらかしら?」」いくらかしら?」と言う。なるほど、それもそうだ。材料代を考えると、家人の言うこともホンマにそうやなぁと思えて来る。
コンタクトレンズが世に出て来たのは昭和30年代の初め頃だった。それは近視の人間にとって(特に女性にとって)は、救いの神と言えるものだった。今と違って恰好のよい眼鏡は売っていなかった。どんなメガネをかけても、容姿は落ちる。老けてしまう。田舎の村役場の受付係のオバサンの顔になってしまう。それを救ったのが、魚の鱗に似たレンズだった。但し、高価だった。サラリーマンの平均月収が1蔓延そこそこの時代に、1枚数千円の値段だったのだ。
現在では高価なものと使い捨てのものと、いろいろあるらしいが、家人は、「人の弱みにつけこむ商売」と言っている。「これ1枚の材料費って、いくらかしら?」」いくらかしら?」と言う。なるほど、それもそうだ。材料代を考えると、家人の言うこともホンマにそうやなぁと思えて来る。