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うち

2018-08-30 09:40:10 | 日記
ボクちゃんがこの4月に小学校の1年生になった。それを機会に自分のことをボクと言うのをやめて、うちと言うようになった。女の子であることを自覚したのかもしれない。彼女の本名は葉月である。だから、名前を言うようにすればいいと思うのだが、なぜか、うち になった。近くに、関西から引っ越して来た子がいて、それを真似たのかと思ったが、そうではないらしい。つまり、「うち」は最近の流行であるようだ。それが、鎌倉の中だけのことなのか、湘南周辺のことなのか、私にはわからない。

8月の初め頃に、長女が葉月の家へ行った。何かの雑談をしているうちに、葉月が椅子に腰かけて脚をぶらつかせながら、「もうすぐ、うちの誕生日だなぁ」と言った。葉月は、家人の姪の子供であって、私の長女とは5親等の間柄である。しかし、幼い頃から自分をかわいがってくれ、わがままを聞いてもらえそうなのが誰であるかは充分にわかっている。最もラクにおねだりができるのは、5親等のお姉さんであることを知っている。

何がプレゼントされたのかは私にはわからない。私が思うのは、「うまいなぁ」である。「もうすぐ、うちの誕生日だなぁ」というセリフの味である。上手さと言ってもいい。脚をぶらつかせながら、というのも好い。これなら、誰だって、「プレゼントは何がいい?」となるだろう。

「うち」は、関西の方(といっても私が西の方にいたのは3歳から9歳までの6年間であって、それも兵庫県の1つの都市だけであるが)では、女の子はみんな使う。大人も使う。たとえば自分の家、自分の学校、自分の会社にも使う。「ウチかて商売やさかい、ナンボかは儲けさせてもらいまっせ」と、会社の社長が言うこともある。とにかく、ボクちゃんは一皮むけて「うち」になった。

入浴

2018-08-30 09:34:20 | 日記
家の風呂は広い。浴槽が広い。私の身長はかなり縮んだが、それでも175センチはあるだろうが、ゆっくりと寝そべって湯に浸かれる。それがありがたい。前の家の湯船は深くて狭かった。現在の私の腰の状態で入ったり立ち上がったりできたかを考えると、なおさらありがたい。

1人では入浴できない。フタを取って片側に寄せる作業が無理だ。家人か娘に手伝ってもらう。助けてもらう。家人は普通だが、娘の介助は強力である。パワーがある。背中や首筋を洗ってもらうと痛いほどだが、それが快い。洗髪も上手い。手慣れている。家人の妹が体の具合を悪くしたときに、入浴を手伝ったことがあって、そのときに体得した技術なのだろう。

私がいま一番力を必要とするのは、車の乗り降りと、湯船から立ち上がるときだ。湯船にはそこに滑り止めのシートを敷いている。まず右方向に備え付けられたパイプを両手で握り、勢いをつけて半分立ち上がる。下敷きシートに足を踏ん張る。次に、左方向にあるタテのパイプを左手でつかんで、なんとか両足で立つ。そうやって湯船を出る。すべてが全力作動である。もちろん、イザというときは家人か娘の助けを借りるが、それは滅多にない。

風呂から立ち上がって食堂の椅子に腰かける。家人が酒とツマミの器を並べてくれる。酒は旨い。若い頃と同じ旨さである。量は少なくなったが、味は変わらない。思わず、うーんと唸る。「うまいなぁ」と、猫のヴィヴィの顔を見ながら言う。猫は応えない。シカトである。

デイケアサロンのスタッフ

2018-08-27 19:28:32 | 日記
毎週金曜日の午後に通っているデイケアサロンには、7,8人のスタッフがいる。最初はずいぶんと人数が多いと思った。通って来るメンバー(老人たち)はだいたい12,3人しかいないのである。しかし、サロンは日曜日だけが休日であって、あとの6日間は午前(昼食を作る必要がある)、午後(おやつを作らねばならぬ)と、なかなかに忙しいようなのだ。

スタッフはすべて女性で、白髪の血圧測定係を別にして、30代、40代が多い。メガネも多い。みんな感じが似ているので、制服の胸に書いてある名前や顔で区別して覚えるのが難しい。私は昨年の12月から行くようになったが、名前と顔が一致しているのは2人しかいない。家人によると、時々人が替わっているみたいだそうだ。それではわからないのが当然だろう。このサロンは、かなり大きな組織が運営しているらしいから、スタッフ交替も多いのだろう。

金曜日の午後に限ると、メンバーの中でいちばん多くスタッフの世話になるのは私である。まず玄関に着く。ゆっくりと椅子に腰かける。スタッフのひとりが背中を支えてくれる。次に靴を脱ぐ。これはなんとか自分でできる。スリッパは厚い地で袋状になっていて、私の足はおさまりきらないから、つま先をつっかける形になる。スタッフの若い女性が手をさしのべてくれる。他のメンバーは全員玄関で座ったりしない。自分で靴を脱ぎ、スリッパを履く。身体不自由は私ひとりであるような気がしてくるが、そんなはずはない。そんなはずはないのだが、その辺はよくわからない。「どちらが悪いのですか?」と訊くことはできない。たしかなのは、スタッフに最も多く世話になり、最も多く「ありがとうございます」と言っているのが私だということである。

8月26日

2018-08-27 10:06:21 | 日記
NHK杯将棋は、羽生善治棋王と 高野智史四段の対戦。中盤で解説の野月浩貴八段が「一手ごとに攻防が変わる」と言っていたが、その通りであって、攻め切る、受け切る形は二人ともにならなかった。結果は羽生さんが押し切った。97手だった。

昼食はカレーライス。家人が作るカレーは黒い。仕上げ(というのかな)にコーヒーの粉を使うからである。米飯を食べるのは1週間ぶりなので旨い。歯肉炎も治ったようだ。

競馬は新潟2歳ステークス。外枠11番のジョディーから3連複の4点買いしたが、1・2・4着。昨日、やはり4点買いで30.1倍を的中させているので、土・日連勝といきたかったのだが。

おとといは、デイケアサロンで麻雀を打った。相手がほぼ決まっているので、顔ぶれ馴れができているから、負けることはほとんどない。おとといは、大きくはないが楽勝だった。

先週までは甲子園の高校野球があったので、録画のドラマが溜まった。テレビの前に座るのは、やはり甲子園の季節がいちばん多くなる。2時間もののミステリードラマは2回に分けて観たりする。テレビは認知症予防のための麻雀ゲーム、コンピュータ将棋にも使うから忙しい。今朝の血圧は131-69。

餃子

2018-08-24 20:23:30 | 日記
A君の家で麻雀を打った。彼の父親は北海道のN町長であって、その家は父親が上京したときに使う場所だった。下高井戸の住宅街の中でも、ちょっと目立つ大きさだった。留守居役の中年夫婦が酒や食事の世話をしてくれた。A君は学校のある日吉にアパートを借りていた。要するにA家はブルジョアだった。徹夜麻雀を終えて、私たち4人は外へ出た。「ビールでも呑むか」と誰かが言い出して、小さな中華料理店に入った。餃子とビールを頼んだ。その餃子が旨かった。普通の味ではなかった。中に包まれた具が特別だった。主役は焼豚とシナチクを細かく刻んだもので、ツナギが何であるかはわからなかった。その餃子は、私の生涯№1の味である。食べ終えて、私は玉電で帰り、他の3人は別の方向へ行った。翌々日また4人で会ったとき、「あのとき、誰が勘定を払ったのか」という話になった。C君と私は麻雀で大勝したB君が払ったと思っていたが、B君はA君の招待なのだから彼が払うのだろうと思っていたと言う。そして結局、我々は、食い逃げをしたことに気づいた。それとも、A家の留守居役が払ったのだろうか。

娘は、「ウチの餃子がいちばんおいしい」と言う。娘が何軒の餃子の店を知っているのかはわからないが、たしかに家人の作る餃子は旨い。ニラと豚ひき肉という平凡な具だが、伝統の味付けがある。ニンニクを醤油に浸して40年というタレがある。もちろん、干したニンニクの切片と醤油は随時に注ぎ足している。家人の餃子を食べながら、私は、時々、下高井戸の食い逃げを思い出す。