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男の理屈

2013-04-25 22:36:14 | 日記
仕事関係の親善ゴルフに行く。 青空の下で商談をすると、話がまとまりやすいというわけだ。 ゴルフ帰りに酒場に寄る。 酒を酌み交わすと、相手の人柄がよくわかり、それが今後の仕事に役立つという理屈だ。 私も同様の経験を数多くしているが、この論理は正しいと思う。 逆を言えば、ゴルフも酒も断れば、コチコチな人間・付き合いにくい男と見られて、損をすることもあり得る。 私はゴルフは下手だったから、麻雀で稼いだ金で、その分を埋め合わせていた。 これが昭和40~50年代のサラリーマンの生き方だったし、特に私は購買畑にいた期間が長いから、外交も忙しかったし、その頃は酒にも強かったから、夜は楽しかった。 家人はあまり文句も言わなかったが、義妹(家人の下の方の妹)に、「男の人って、勝手な理屈をつけて外で遊びたがるのよね」と言われたりしていた。  私は、娘達が幼い頃から入浴の世話をしたことがない。石鹸を使って髪を洗ったり、背中を流したりする自信がなかった。 もし失敗すれば(というより、たぶん失敗するだろう)シャンプーが目に入って大騒ぎになることが充分に予測できたからだ。そのことも、義妹に、「不思議ね、男親って、小さな我が娘とお風呂に入るのを楽しみにするものよ」と言われたが、自信のないことをわざわざ試みることはないと思っていた。 これまた逆を言えば、我が娘をかわいがる方法は、風呂のみならず、他にナンボでもあるではないかと思っていた。 上記の例に限らず(また義妹に限らず)、とかく、男は勝手な理屈で、自分を正当化したがると、多くの女性が考えていることは、よくわかる。 しかし、理屈というものは、男とか女とかではなく、自分勝手であることで成立するのではないだろうか。 その点で言うと、家人は(前述のように)若い頃から、男の理屈を理解するというか、諦めていたというか、無視するというか、私よりは、はるかにオトナだったような気がするし、余計なことかもしれぬが、これ、どこのお宅でも同じではありませんか?

地名

2013-04-25 22:00:44 | 日記
市内の「笛田」というところから「梶原」に引っ越して来た。前の家は昭和50年代頃までは西南の方角に田圃があって、季節になると蛙が合唱していたから、その声を笛と洒落ていたのかもしれない。  梶原は、鎌倉時代の武将 梶原景時(の住居があったあたりなのか)からとったものであるだろう。  昭和14年に、東京・目黒から、兵庫県武庫郡精道村に転居したが、その翌年、精道村は芦屋市となり、我が家の町名は打出仲野となった。いま、ここは打出小槌町となっている。打出の小槌は、一寸法師の話に出て来るが、こういう、物語に基づく地名というのは、全国にはいくつもあるのではないだろうか。何年か前、浦和・大宮・与野が合併して「さいたま市」となったが、なぜ「埼玉市」と漢字にしなかったのか。埼は犬吠崎でわかるように岬という意味であり、玉は珠だから、すなわち、埼玉は珠の埋まった(眠っている)岬となり、きれいな地名なのだ。 それを、ひらがなにしてしまっては、なにがなんだかわからない。 南アルプス市は、一見してカッコよく見えるが、どこかツクリモノの印象がある。 同じカタカナの沖縄のゴザ市は、どっしりとした感じで、歴史のある雰囲気がある。  我が家の本家は、茨城県稲敷市にあって、まさに、右を向いても左を向いても田圃だらけだから、ピッタリの地名だ。刈り取った稲はオダ掛けという稲架に干すことが多いが、町名通り、稲をそのまま地面に敷いて干すことをカッポシと言っていたが、今でも同じだろうか。   戦前は、現在の皇居のことを宮城(きゅうじょう)と呼んでいたが、いま、宮城と書けば みやぎである。 芦屋の小学校時代に、仙台から転居してきた級友がいて、「オレの県は、天皇陛下のところと同じだ」と威張っていたのを思い出す。

園芸

2013-04-25 21:32:51 | 日記
現在はガーデニングという洒落た言葉があるが、昔は、さまざまな語があって、父方の祖母は「庭いじり」なんて言っていた。祖母が誰かに「主人は、庭いじりが趣味でして」なんて言ったりするのを、祖母は嫌っていて、「私がやっているのは園芸だ」と強調していた。いずれにせよ、祖父の花づくりの腕はなかなかのもので、戦争で花づくりが芋づくりに変わるまでは、我が家の庭はオオゲサに言えば花園だった。 祖父は園芸だけは家族の手を借りなかった。 私より8ツ上の叔母が面白がって如雨露(シャワー状の水を作る、この水やり機に“雨露の如し”という漢字をあてた人のセンスに感心するが、今でもジョウロという言葉は存在するのだろうか?)で花に水をかけようとすると、「多すぎてもいかんぞ」と注意したり、時期の終わったチューリップの球根を緑の下の倉庫に収納するのも、人手を借りなかった。 娘がマンションのテラスにいくつかのプランターを並べて楽しそうにしているのを見ると、祖父の血かなと思ったりする。娘にとっては曽祖父にあたるが、数字で言えば3親等だから、花の遺伝があっても不思議はない。 もしかすると、娘も、やがては種苗や球根を買って来て、花を育てるところから始めるかもしれない。私の母はクンシランを見事に咲かせていた。私に「花には興味がないのか」と初めから諦めたような口調で言っていて、私が「スカートを穿いた花には興味ありますが」と応えると、「何を言ってるの」と笑った。 決して茶化しているのではなく、正直に答えただけなのだが。  今朝、娘に、「誰かに花を触られるのはイヤか?」と訊いてみたら、「そんなことはないよ」と言っていたが、やはり家人も、娘の花に水を与えたりはしていない。