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地名

2013-04-25 22:00:44 | 日記
市内の「笛田」というところから「梶原」に引っ越して来た。前の家は昭和50年代頃までは西南の方角に田圃があって、季節になると蛙が合唱していたから、その声を笛と洒落ていたのかもしれない。  梶原は、鎌倉時代の武将 梶原景時(の住居があったあたりなのか)からとったものであるだろう。  昭和14年に、東京・目黒から、兵庫県武庫郡精道村に転居したが、その翌年、精道村は芦屋市となり、我が家の町名は打出仲野となった。いま、ここは打出小槌町となっている。打出の小槌は、一寸法師の話に出て来るが、こういう、物語に基づく地名というのは、全国にはいくつもあるのではないだろうか。何年か前、浦和・大宮・与野が合併して「さいたま市」となったが、なぜ「埼玉市」と漢字にしなかったのか。埼は犬吠崎でわかるように岬という意味であり、玉は珠だから、すなわち、埼玉は珠の埋まった(眠っている)岬となり、きれいな地名なのだ。 それを、ひらがなにしてしまっては、なにがなんだかわからない。 南アルプス市は、一見してカッコよく見えるが、どこかツクリモノの印象がある。 同じカタカナの沖縄のゴザ市は、どっしりとした感じで、歴史のある雰囲気がある。  我が家の本家は、茨城県稲敷市にあって、まさに、右を向いても左を向いても田圃だらけだから、ピッタリの地名だ。刈り取った稲はオダ掛けという稲架に干すことが多いが、町名通り、稲をそのまま地面に敷いて干すことをカッポシと言っていたが、今でも同じだろうか。   戦前は、現在の皇居のことを宮城(きゅうじょう)と呼んでいたが、いま、宮城と書けば みやぎである。 芦屋の小学校時代に、仙台から転居してきた級友がいて、「オレの県は、天皇陛下のところと同じだ」と威張っていたのを思い出す。

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