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高校野球

2012-07-26 23:15:38 | 日記
きのう、神奈川大会準々決勝で、慶應も横浜も敗退した。慶應は、投打ともに全国レベルではないので仕方がないが、横浜は甲子園へ行っても優勝候補に挙げられただろうし、特にエースの柳裕也君には期待していた。今朝、食卓でその話をしたら、娘が「サイウチ君?」と訊いた。「いや、ヤナギっていうんだ」と答えながら、楽しくなった。サイウチとは、去年の福島の聖光学院の歳内宏明投手のことで、私が応援していたのを娘が憶えていて、彼が今年3年生になったと勘違いしていたようだが、この辺が高校野球のうれしいところだ。  私の友人には、いわゆる強豪校のOBはいない。もう何年も前になるが、茨城の友人の母校である岩倉が、センバツで優勝したことがあるが、決して甲子園の常連校ではない。 しかし、そういうこととは別に、高校野球は、友人達の顔を思い浮かべる因(もと)となる。 今年も高知代表は明徳義塾か。最近は高知商業も土佐高校も甲子園は遠くなっている。 いま福島にいる友人のAさんは、追手前の出身だ。この学校の前身は、城東中学で、OBには、のちに慶應義塾大学野球部の監督となる前田祐吉さんがいる~といった連想が、認知症予防に役立つかもしれぬ。 昨春のセンバツには、佐渡高校が出場したが、サラリーマン時代の同僚OL2人が、この学校のOGだ。 高校野球が友人への「いま、どうしてる?」につながるとき、ふと、年賀状を書くときの感覚に似ているかなと思ったりする。

アイスクリーム

2012-07-26 23:08:36 | 日記
戦争による食糧難が始まる前でもアイスクリームはちょっとした贅沢品であって、街の駄菓子屋さんで簡単に買えるものではなかった。祖母が神戸のデパートへ行った帰りに、円筒型の箱を抱えてきて、ドライアイスが溶けていないかと心配しながら、あの独特の形の容器を家族に配っていたのを思い出す。 アイスクリームの味は、氷塊を使った冷蔵庫の中の飲み物(コーヒーシロップなんかがった)と違った高級感があった。  アパートの近所の銭湯へ二人で行って、帰りにアイスバーという名の、アイスクリームを平たい木片に貼りつけたものを食べるのが、私達の新婚時代の夏の愉しみだった。風呂代は15円、アイスバーは10円の時代だった。かき氷を作る器具を持っていて、それ用のシロップを買ったりしていたが、やはり、湯上りのアイスクリームは格別だった。アパートは多摩川に近く、夏の夜風も快適だったが、風呂のある家に住みたいというのが、私達の願望だった。 18年前のちょうど今頃は、脳梗塞の治療のために入院していた。娘がハーゲンダッツのアイスクリームを持ってきてくれた。旨い!ひとくち食べて、思わずそう言ったのを憶えている。  7月下旬の暑い日であはるが、病室はクーラーが効いているから、汗をかくということもないし、特に喉の渇きがあったわけでもないが、あのハーゲンダッツ・アイスクリームは絶品だった。その話をすると、家人は「冷たいビールを懐かしく思ったのでは?」と言うが、それとは違う。別の言い方をすれば、あれは、生涯でいちばんのアイスクリームの味だった。脳梗塞を忘れさせる味だった。

〇〇仲間

2012-07-26 23:02:18 | 日記
仲間という言葉に接すると、まず酒と麻雀が思い浮かぶ。以前にも書いたが、現在でも付き合いが続いている顔ぶれのほとんど(女性は別)は、かつての酒友であり、雀友であり、たとえば仕事仲間であっても呑み仲間を兼ねている。 草野球やゴルフも、目的の半分は、ゲームのあとの酒だった。 37歳のときに随筆同人誌の会に入った。それ以前に、自分の文章が他人に読まれたのは(学生時代のものは別として)勤務先の社内報の笑談コラム的なものと、団地新聞の読者文藝(創作モノ)への投稿ぐらいだったが、後者の方は採用されると1万円だったか5千円だったかの賞金がもらえたので面白く、採用率も、イチロー選手の打率ぐらいはあったので、同人誌会への参加は1ツの試みでもあった。 そして、もう1ツが、未知の社会であることで、つまりはどんな仲間と出会えるかの興味だった。同人会(複数)の内容(文作を趣味とする老若男女の美醜について)は以前にも紹介したが、現在まで年賀状の往復が続いているのは4人しかいない(先輩が多かったので、旅立たれた方が少なくない)。 もう新しい〇〇仲間ができることはないだろう。まさか、日本腰痛同病会が結成されることもあるまい。