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百貨店

2012-07-11 21:22:34 | 日記
デパートメントストアを百貨店と訳したのは誰なのか知らぬが、上手いと思う。 スーパーやコンビニを日本語(漢字)にするとどうなるのかと考えてみると、百貨は見事な言語感覚だ。   デパートの初期、エスカレーターは昇り用しかなかった。階段を昇るのがシンドイからという考え方だったのだろう。 それを「買ってくださったお客様に、下り階段を歩かせてはならない」と、エスカレーターを昇降両方にしたのが阪急の社長だった小林一三。親子4人連れで食堂に来て、カレーライスを2人前だけ注文する客を見て、福神漬けを増量せよと命じたのも小林さんである。  昭和38年だったか、渋谷東横で8千円のトレンチコートを買ったとき、特選売場に8万円のジャンマレーコートと称する外国産のトレンチがあった。この(10倍の)品を買える日が来るだろうかと思った。 そして、ジャンマレーコートはウットリするような逸品だった。 デパートは夢を売る場所…とは正しい言葉だと頷いた。  昭和30年代の初め頃、フランク永井さんが唄った『有楽町で逢いましょう』が大ヒットした。その第2章に「心にしみる雨の歌、駅のホームも濡れたろう ああ小雨に煙るデパートよ」とあって、このデパートとは、東京進出を果たした「そごう」のことである。デートという言葉が(逢引きに代わって)定着してきた頃だった。   その百貨店で娘が働いている。広報というポストのこともあるが、昔よく使われたデパートガールの印象は全くない。制服を着ることもないそうで、時間のことも含めて、勤めながらの自由業の感じだ。