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夏休み

2012-07-31 22:44:07 | 日記
昭和20年8月。 6日は広島に、9日は長崎に、新型爆弾(そのときの報道用語)が投下され、15日に戦争は終わった。私が通っていた兵庫県芦屋市の小学校は7月の中旬から9月の中旬までが夏休みだった。通学しても警戒警報のサイレンが鳴れば、午前中であっても授業は打ち切りとなり、つまりは学校に行く意味がほとんどなかったのである。黒板にたくさんの計算式が並べられ、それをノートに写しとり、それが宿題になった。ガリ版刷り用の紙もインクもなかったから、それ以外の方法はなかった。 戦争が終わったから学校は9月1日から始まるのか、それとも9月15日まで休みなのかを、近所の同級生と話し合ったりした。  翌21年の夏。私は茨城の龍ヶ崎という町にいた。家で祖父と将棋を指すこともあったが、多くの時間は外での遊びだった。近くに幅が5メートルもない小川(正しくは農業用水路)があって、そこが(茨城弁で言う)水遊びの場所だった。水遊びと言っても、水深は1メートルそこそこだったから、水泳技術は伸びなかった(私の水泳最長記録は50メートルである)。 楽しみは、午後になると自転車で売りに来る、1本5円のアイスキャンディーだった。戦争は終わっても空腹は続いていた。 むこう3軒両隣で共用する井戸にスイカが浮かんでいると、「どこの家のかな?左隣のAさん家のだったら、1切れもらえるかも」と考えるほどに、スイカですら御馳走だった。学校の宿題のことは記憶にない。

既製食品

2012-07-31 00:26:14 | 日記
既製の惣菜を買うことが多くなった。小所帯ということ、家人の労力ということもあるが、最大の理由は、既製品もおいしいということであり、値段のことはわからないが、決して高くはないようだ。 たとえば、ニュークイック(肉の専門店)のトンカツの味は(肉を選んで揚げてもらうらしいが)レストランのものに劣らないし、それに添えるポテトサラダも(家人が多少野菜を足したりするが)旨い。午後の買い物の時に、「メンチカツ1枚頼むよ」と言えば家で作る手間も省けるし、ふと思いついた食べ物が簡単に夕食のテーブルにのることになる。  「王将の餃子は安くて旨い」と評判で、家人に「一度買ってみよう」と何度か言ったが、まだお目にかかったことがない。訊いてみたことはないが、家人は、自分の餃子に自信とプライドを持っているのかもしれぬ。 女房自慢をするのではなく、たしかに家人の作る餃子は、売り物になる味で、外食の多い娘もウチのが一番だとほめている。   最近(1年ぐらい前からか)我が家は焼きそばは、必ず塩味モノだ。 初めてそれを作ったときは、添付の塩味粉末を指定通りに作ったら濃すぎて食べられなかった。また、先日、娘が四国の出張土産に買ってきた讃岐うどんのタレも定量の2倍に(みりんで)薄めてやっとだったし、既製食品の味は難しいこともある。しかし、その辺は、ちょっとした工夫でなんとでもなるし、とにかく、出来合いの総菜も出来合いの主食(赤飯まである)も、重宝な時代になった。