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串カツ子の旅日記

美しい国、日本。まだまだ見たい所がいっぱい。
温泉、宿屋、食べ物、紅葉、桜、街並み・・・興味の対象は尽きません。

加藤文太郎記念図書館

2010年12月18日 | 旅-関西

浜坂へ来たなら、是非、寄ってみたい所があった。

浜坂は、孤高の登山家「加藤文太郎」さんの生れ故郷。

その加藤文太郎さんを顕彰して建てられた「加藤文太郎記念図書館」。

図書館の2階が、加藤文太郎記念図書館となっている。

開館の10:00を待って中に入る。

前にたんぼが広がり、近辺に立派な家が立ち並ぶ一角にある。

1階は、一般の図書館で、司書さんに声を掛けて2階へ上がる。

右の部屋が遺品などの展示室、左の部屋は、山岳関係の書籍を集めたコーナー。

加藤文太郎さんが愛用した品々が展示されている。

新田次郎著「孤高の人」は、この加藤文太郎さんがモデル。

作中、スキーのシーンでシールがはずれる場面などがあるが、このスキーだったのか・・・とか、
これでは、はずれても仕方ないなぁ・・・などと、小説
の一こまを思い浮かべて興味深く展示物を眺めた。

 28.5センチの登山靴。

 竹製のストック。

スキーは、美津濃製とある。
随分昔からミズノはあったのだ・・・と、驚く。

遭難死に関する当時の新聞記事。

そのうちの1枚に、遺骨を出迎える写真があり、そこには赤ん坊を抱いた婦人の姿が写っていた。

それは、きっと奥様と生後半年ほどの赤ん坊だろう。

結婚してわずか1年で、夫に逝かれた奥様の心境を思うと、大事にしなきゃ・・・と、思う。
何を大事に・・・?

単独行だった加藤文太郎、ほんとに登ったかどうか疑われる事もあり、その証拠に登った山の写真を撮っていた。

それらの写真も飾られている。

展示内容の詳しい説明は、こちらの方のサイト参照。

驚いたのは、左側にある記念図書室

山に関する書籍がずらり。

貴重な古い書籍の棚は施錠されていて、貸し出しは無理かもしれないが、閲覧は出来るようだ。

その他多くの書籍は貸し出し可能。

全国から貴重な山岳関係の書籍が寄贈されてくるらしい。

つくづく、浜坂の登山愛好家は幸せだなぁ・・・と、思った。

 「孤高の人」を読んだ後のやるせない思いをひきずりながらこの記念館にやって来た。

しかし、こんな立派な施設に、加藤文太郎さんの足跡が残されている事が凄く嬉しく、浜坂は、単にカニだけの街でないと認識。


七釜温泉へ

2010年12月15日 | 旅-関西

丹後半島から県道11号線を通り、山陰を走る国道178号線に出る。

ジオパークに選定された海岸線、きれいだ。

今子浦にある「かえる島」に寄ってみた。

「かえる島」は、祈願岩。

かつて、北前船で航海に出た男達が無事帰る事を、この島に祈願したという。

今は「何かがかえる」という願掛け島になっているらしい。

波打ち際に三脚を立て写真を撮る人影。

余部の鉄橋を過ぎて、少し走ると国道沿いに湧き水「妙見水」を見つける。

飲んでみると、なんだかドブ臭い。

コップも用意されているのだが、ちょっとこの水を汲む気にはならず
行く前からチェックしておいた「不老の水」を探す事にした。

よく整備されている「香住青年会議所」の皆さん、ごめんなさい。

その場所を見つけるのには、少々、苦労した。

地元の人に聞くと、「不老の・・・、そんな、いい名前が付いているのかい。」と、
笑いながら親切に教えていただいた。

少し進むと、測量中の人達に遇い、渋々通してもらいながら到着。

落ち葉に覆われた岩肌から水がしみ出している。

下の看板の「だつくり」は、何の意味だろう?

お地蔵様が祭られ、古くから地元の人に愛されている水なんだろう。

でも、民家があった場所からはかなり離れていて、歩いて汲みに来るには
かなり、時間がかかるのではないだろうか?

少し汲みにくいが、車に積んであったペットボトル30本に有難く頂戴した。

ほんとに狭い林道だと思っていたが、この道は、近畿自然歩道。
日本海を眺めながら歩く道なんだ。

いつも旅の目的の一つでもある「湧水持ち帰り」。
目的を果たせて、宿へと向かう。



今宵の宿、七釜温泉「あかね荘」に到着。

 


高取城の駐車場

2010年11月24日 | 旅-関西

11月23日、高取城まつり見物を兼ねて、高取城の紅葉を見に行って来ました。

近鉄壺阪山駅からバスで壺阪寺まで行き、そこから高取山に登る予定でした。

しかし、駅前で多くの人がバスを待っている様子なので、
奮発してタクシーで行く事に。

タクシーの運ちゃん、壷阪寺を通り過ぎ、上の写真の駐車場まで
行くつもりだったようです。

しかし、この駐車場まで行くと、高取城は、すぐそばなので、山登りをする予定の私は、
もっと手前の五百羅漢の所で降ろしてもらい、そこから歩く事にしました。

前置きが長くなりましたが、車で簡単に高取城まで行くには、
壺阪寺を通り過ごして行くと上の写真のような駐車場があります。

壺阪寺から車で5分程走ったあたりだと思うのですが、これは定かではありません。

ここ、方向転換が難しいようなので注意必要らしいです。

私は、登山道からこの写真を撮りました。

 


兵主大社(その2)

2010年05月15日 | 旅-関西

花もいいけれど、苔も好き。

写真に撮るには花の方が映えますが、ひっそり生えている苔を見ると清清しく、
そして、小さい花(朔)が伸びているのを見ると、いとおしくなります。

京都の苔寺(西芳寺)へは6月に行く予定ですが、その前に近江の苔寺と
よばれる兵主大社の平安の庭を見に行きました。

林の中を歩いているような感じから、「庭園」に変わりました。

石の道案内がいい雰囲気です。

ひとっこ一人居ません。

時折聞こえる鳥の声に驚き、足元にヘビがいないだろうか?
びくびくしながら歩き、シャッターをきります。

手入れは、あまりされてないような雰囲気です。

この神社を知ったのは、旅行会社からの日帰りバスツアーの案内でした。
そのツアー、もう1箇所、手入れされたサツキの庭園も拝観します。

バスツアーの人達、この庭を見てどう言うだろう?
一緒に参加して、その人達の反応を見てみたい。

先に、この庭園を見た方がいいでしょう。

 「心」に形どられた園池がある池泉(ちせん)回遊式庭園。

鎌倉時代の様式を残す庭園として、昭和28年に国の名勝に指定された。

島の上に赤い祠が祭られている。

最近の発掘調査で、平安時代の護岸が発見され、平安時代後期以前に
さかのぼる庭園のようです。

現在の庭園は、作庭当時の南半分を残すのみ。

園池に水を引く導水路のようだが、流れる水は汚い。

石は、平良山地から産する「守山石」が使われている。

平安時代は、水の流れを利用して祭祀が行われていたようで、
こういう神社庭園は、全国でも数少ないらしい。

もっとゆっくり見たかったが、ダンナを待たせているし、
私の他、誰一人庭を見に来る人はいない。
そろそろ潮時かな・・・と、庭園を後にする。

初めに渡った橋の下は、舟入水路だった。

1642年、現在の本殿改築の際、建築資材の運搬用に掘られた人口水路で、
用水路を通り、野田沼内湖や琵琶湖に通じていた。

祭祀が行われていた、人っ子一人居ない・・・それらから神秘的な印象を受け、
実に興味深い庭園だった。

普段見ている銀閣寺や天龍寺の庭園など、よく手入れされた京都の名庭園とは違い、
ここの自然に任せたような庭園に、最初は戸惑いを覚えたが、さすが、国の名勝、
じつに見ごたえのある庭だった。

ダンナが言うには、私が庭園に入った後も何組か拝観に来ていたが、
誰も庭園に行こうとはしなかった・・・らしい。

もったいない話だ。

紅葉の名所でもあるらしい。
その頃、又、比叡山とセットで訪れてみたいと思った。
今度は、ダンナも一緒に見てもらわなきゃ。

帰りは、瀬田東JCから京滋バイパスに入り、最近全開通した「第二京阪道路」で
近畿道へ抜けて帰る事にした。
この経路では、名神を利用するより300円ほど高くつくが、我が家には早く帰れる。

今後も、名神で東へ向かう時には、この第二京阪を利用するだろう。

琵琶湖への日帰り旅行は、これで終わりです。

 

 


兵主大社-近江の苔寺

2010年05月12日 | 旅-関西

 

湖西と湖東を結ぶ琵琶湖大橋を渡り、守山方面へ。

この橋、普通車は200円と有料です。

横には歩道があり、歩く人や自転車も。
人もお金が要るのかしら?

ヨットの頭飾り。

目的は野洲市にある兵主(ひょうず)大社。

松林の参道が300mも続く。
えらい立派な神社だなぁ・・・と、驚いてしまう。

「大社」というだけあって、格式高い神社なんだろう。

石橋の太鼓橋を渡って鳥居をくぐります。

鳥居は新しいもののようですが、奥の楼門の創建は1550年。
足利尊氏が寄進したとも言われ、室町末期の建築様式をよく伝えているものらしい。

創建以来たびたび修理されているが、一間一戸の全国でも数少ない楼門とか。

カエデの大木が両側にそびえる歩きにくい玉砂利の参道を進む。

えらく玉砂利の量が多いなぁ・・・と、思っていたら5/5は大祭だったとか。
それで、玉砂利入れたのかな?

奈良時代に鎮座という由緒ある神社で、「兵主」を「つわものぬし」と読み、
中世には武将の信仰が厚く、源頼朝も建物を寄進し、相当隆盛だったようだ。

これが本殿かと思っていたら、拝殿翼楼なんです。

 

ここに見てみたい庭園がある。
社務所で拝観料500円を支払い、かんぬきのかかった庭園入り口の戸を開けてもらう。

獣道ならぬ人が歩いた跡を歩いて下さい、と言われ進んで行くが、
よその家の庭を勝手に歩いているようで、なんとなく落ち着かない。

だぁれもいません。

橋を渡り奥に進んで行くが、少々怖くなってきた。

これなら、ダンナを無理やり引っ張ってくればよかった。

「見たくない、眠たい。」からと、車に戻って行ったダンナ。

落ち葉の下からスミレがたくさん咲いています。

 そして、ここから風景が変わります。

近江の苔寺と呼ばれる「平安の庭」の入り口です。


奈良にて-2

2008年09月23日 | 旅-関西

奈良発5:25の王寺行き列車に乗ります。

2両編成の列車はガラガラ。 
ワンマンカーなので、無人駅では2両目のドアが開きません。
娘は、初めて乗るようで、驚いていました。

三輪さん(大神神社)に到着。
まだ、夜が明けきらないので、灯篭に燈が灯って幻想的。
この燈、夜通し灯っているのでしょうか?
まさか・・・ねぇ。
きっと、明け方に、スイッチ一つで全ての灯篭に燈が
灯るようになっているのでしょう。

燈展が開かれていました。

三輪さんは、パワースポットとか。
娘は、一度来てみたかったらしいですが、
パワースポットなんて信じない私は眠いです。

お参り&写真撮影終了し、駅へ向かいますが、
アチコチに、にゃんこが人待ち顔。
エサをくれる人を待っているのでしょうか?

ううぅ~、りりしくて可愛い。

この子は三毛?
ホクロがありますねぇ。



ごろにゃん、ごろにゃん・・・。

この子は、ちょっと暗いけど・・・。

あぁ、エサを持って来るべきだったなぁ。
こんなに、にゃんこが居るとは・・・。

こちらの様子を窺うにゃんこ。

どうしたの?その顔!
顔に墨でも塗られたん?

いい顔だよ~。
おっと、その足元の釘、危ないよ~。

それにしても、三毛猫の多い事。

前に紹介しました、親子連れは、ここに居ました。

そろそろ、子離れ時期かなぁ・・・?

さぁ、ホテルに帰り、朝食を頂きましょう。


 

 

 


燈花会-翌日

2008年08月20日 | 旅-関西

朝から暑い奈良でした。

朝食前の散歩に出かけます。

興福寺境内に入り、これが光明皇后ゆかりの湯屋。
茶がゆを食べさせる「柳茶屋」と「塔の茶屋」。
五重塔、そして南円堂・・・と、一応ガイドする私。

奈良八景の一つ「左近の藤」には、実がいっぱい。

藤の実なんて見るのは初めて。

食べられるようです。

一度、ホテルに戻り朝食をとります。

そして、もう一度、奈良公園へ。

今回は、レディスプランで宿泊しました。
このプランBVLGARIのバスアメニティやケーキセットが付き、
チェックアウトは、13:00というプランです。

13:00のチェックアウトというのは
ゆっくり出来ていいですねぇ。

鹿も暑いのでしょう。
湿った日影でかたまっていました。

随分立派なオス鹿ですが、角は片一方だけ。
若い鹿の角には、なんと産毛のような細かい、
柔らかい毛が生えているんですよ。

鹿も歳とれば、首回りの毛が長くなるんですねぇ。
まるで、トナカイ。

昨夜の火の鳥は、すっかり片付けられていました。

若草山と新公会堂の屋根が見えます。

大仏さんを見るのは、久しぶりという娘。

最近、何度も来ている私ですが、大仏殿への
アプローチは大好きです。

大仏殿は、二度、戦火に合い三度目に建てられたものだと
いう事は、知っていましたが、中に坐す大仏さんも
その度に火で熔け、継ぎはぎだらけのお体らしいです。

部屋に戻り、シャワーを浴びて帰り支度をします。

チェックアウトしてから、喫茶室でケーキセットを頂きました。

時刻は13:00。
暑いさなかですが、大阪へ帰る事にしましょう。

初めての娘(成人後)との旅。
結構、お互いに気を遣っていたようです。
私は、お金も使いましたが・・・。

 

 


奈良燈花会当日

2008年08月19日 | 旅-関西

今年10年目を迎える奈良の燈花会(とうかえ)。
最終日の14日に見に行ってきました。

この日は、春日大社の中元万燈篭が催される日でもあり両方、楽しもうという魂胆でした。

春日大社の燈篭には、和紙が貼られ、スタンバイOK。
苔むした燈篭もいいのですが、夜が楽しみです。

鹿の救急車が疾走して行きます。

この老オス鹿、翌日見かけたのですが、右前足を痛めているのか、随分歩きにくそう。
角も片一方は、短いのです。
かなりお爺さん。

お腹がすいているのか、時々、地面に落ちているモノの臭いをかぎながら歩いている姿を見てるいのは辛いです。
救急車、こっちへ来てぇ~。

又、奈良ホテルに泊まりました。
今度は、娘と・・・。

隣接する元大乗寺庭園に鹿がいます。
どこにいるか分かりますか?


翌日、チェックアウトされた本館の部屋を掃除中にちょっとお願いして・・・。

高い天井にアンティークな照明。

外からちらっと見ただけなので詳細は不明ですが、特に凝った造りでもなさそうな・・・。

私は、今回も新館。
しかも、喫煙室。

部屋は広いし、
これなら新館で充分。

 

 

 

 



夕食は、あまり好きではないフレンチ。
娘となら、「私だけ和食・・・。」と、いう訳にはいかない。



お腹もいっぱいになり、さぁ、燈花会へ。
まずは、浮見堂。

デジイチ&三脚持参するが、三脚は使用禁止。
広い場所で三脚広げ1枚だけ撮影。

それが、この写真です。

群青色の空にピンク色の輪をかけた月。
実際には、この写真よりずっと素晴らしい眺めでした。

デジイチで撮った写真で使えるのは、これだけです。

春日大社への参道は、こんなに長かったのか・・・と、人ごみをぞろぞろ歩くのに疲れてしまう。

おまけに、ゆるんでいたのだろう、三脚のネジを落としてしまう。

釣燈篭に火が入り、幻想的な雰囲気です。
釣燈篭は全部で1000。
そのすべてに火が灯されます。

しかし、これを見るには拝観料500円が必要。

パスしました。
この写真は、外からコンデジで撮ったものです。
500円が惜しくてパスした訳ではありません。

フルコースの夕食に時間がかかり過ぎて燈花会が終了する21:00までに見なくてはいけない所がいっぱいあるのです。

こちらは、春日野園地に羽ばたく「火の鳥」。
左中央に東大寺南大門が見えます。



これは、見ごたえがありました。
平面的に見るのでは、鳥とは分かりにくいのですが、どの場所から見ても幻想的で、見飽きる事はありません。

この後、東大寺に向かいますが、すでに21:00を過ぎ大仏殿の扉は閉まってしまい、大仏様の顔は、見えません。

ぞろぞろ歩きで3時間程、はぁ、疲れました。


奈良(あれこれ)

2008年08月01日 | 旅-関西

奈良公園の中にある「江戸三」という旅館です。

奈良ホテルにしようか、江戸三で泊まろうか迷いましたが、
泊まりは奈良ホテル、夕食は江戸三で・・・という事になりました。

江戸三は、各部屋が離れの形式で、↑は、さしずめ
フロントでしょうか?

 

 

奈良公園の雰囲気を壊さないような趣のある建物が点在します。
これらが、「江戸三」の部屋です。

国立公園に指定される前に建てられたので、
宿としての営業も可能なようです。

こんな部屋で食事できるのか・・・
楽しみにしていたのですが・・・。

案内されたのは、厨房に隣接するこの建物でした。

 

部屋は、こんな感じです。

 

 

奈良ホテル本館での写真です。




自衛隊基地祭り-1

2008年05月24日 | 旅-関西

F1支援戦闘機 です。
飛んでいるのを見たかった。

F1は、昭和52年に三菱重工業で製造され、第二次大戦後、日本が初めて開発した戦闘機という事です。

2006年、後継のF2に後を譲り退役。

ここは、航空自衛隊奈良基地。

平城宮跡の近くにあり、右にウワナベ古墳。
左は、コナベ古墳。
古墳の奥に基地が広がっています。

この写真は、展示されているのを写しました。

地対空誘導弾「ナイキJ」 なんですって。

平成7年、後継の「ぺトリオット」が、配備されるまで日本の空を守った・・・らしいです。

今日は、自衛隊基地祭りで基地内が一般解放されました。

この日のプログラムの一番目は、「観閲式の訓練展示」。
開始を待つ幹部候補生学校の生徒さんです。

「やすめ」の体勢は、これなんですね。

重心を片一方にかけず真っ直ぐ立つといつまでも立ってられるんです。



式次第は、アナウンスで説明がありましたが、写真に夢中の私、ほとんど聞いていません。

来賓者の国会議員の中に、民主党の馬渕さんの姿がありました。

地元の女性議員高市早苗さんは、代理の秘書が出席。

観閲式が終了し、行進をして退場となります。



揃ってますねぇ。

振る手は、後ろへ45度、前へは15度。
写真見ると反対ですねぇ。
前へ45度、後ろへ15度・・・が正解かな?

足並み揃えての行進は、難しいようです。

整然とした光景を眺めるのは実に気持ちよいものです。

しかし、ふっと、神宮外苑での学徒出陣の模様がだぶりました。


急に奈良

2008年05月22日 | 旅-関西

テレビで奈良の仏像を見て、「あぁ、奈良へ行きたい。」。

始発電車に乗り、早朝の大仏殿へ向かっていると鹿が道路へ出て来ました。



危ない!と、ひやひやしていたら、車も慣れたもので、停まって待ってくれました。

信号が赤で、車が停まったのではありません。

鹿は、ゆうゆうと・・・ではないですね。

びびりながら渡りきりました。
やれやれ。

広々とした芝生の向こうにそびえる大仏殿。

この眺めが大好きです。

2度、兵火に焼かれ、今のは1709年に建ったものです。



8時前だというのに、早くも修学旅行生の一団が・・・。

大仏殿の内部は、三脚を使用しなければ、自由に写真が撮れます。

寺院では、珍しいですね。

誰もが一度はくぐった事のある柱。

くぐった所で、「いぇー!」と、みんなポーズをとっています。

これじゃ、なかなか順番が回ってきません。
久しぶりに、くぐってみたかったのですが、あきらめました。

この柱下部の鉄の輪ですが、大仏殿の全ての柱に4~5本取り付けられています。

これは、明治の大補修の際、イギリス人技師の発案で、柱の補強の為に取り付けられたそうです。

上部を支えるだけの強度がなかったのと、1本の木の柱ではなく、何枚かはぎ合わせた柱だからでしょう。

このワッカ、なんでも、そのイギリス人は、ウィスキーの樽から発想したらしいです。

これだけでなく、屋根にも鉄骨のトラスが架けられているとか・・・。

久しぶりに、法華堂(三月堂)の不空絹索観音を拝観し、お水取りが行われる二月堂へ登ろうかなぁ・・・と、
思いましたが、修学旅行生で大賑わい。

見学はやめました。

下でカメラを構える先生に「先生、もう1枚お願いしますぅ。」と、舞台の上から生徒が叫んでいます。

はぁ、今時の先生も大変ですねぇ。

二月堂から大好きな裏道を通って正倉院へ向かいます。 


続500歳

2005年11月26日 | 旅-関西

天皇陵から撮った当時の茶店です。水面に写ってるほうがよく分かるかも。
こうして見ると結構立派だわ。
もっと粗末な小屋だと思ってた。


500歳

2005年11月24日 | 旅-関西

奈良「唐招提寺」近くにある11代垂仁天皇陵。
40年前の思い出探しに出かけてきました。

 

 

 

 

 この御陵の側に、小屋かけの茶店があり、亭主は高齢のおじいさん。メニューは日本茶。
添えられた菓子は最中。
使われていた器は奈良の赤膚焼き。きっと風流人だったのだろう。
中学生だったけど、おいしい日本茶は好きだった私は、薬師寺~唐招提寺の帰り道、ここに寄るのが楽しみだった。

5年程間をおいて訪問したら、小屋は取り壊され、何も残っていなかった。
寂しかった。

もしかして誰か跡を継いでいるかもしれないと淡い期待を抱き訪れたが、そこは畑になっていた。

                近くにおられたお年寄りに、そんな事がありましたねぇと聞いてみたら、
                「あのおじいさんが生きていたら500歳になってるわ、わはは・・・」。
                そうです、古い、遠い昔の話です。