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串カツ子の旅日記

美しい国、日本。まだまだ見たい所がいっぱい。
温泉、宿屋、食べ物、紅葉、桜、街並み・・・興味の対象は尽きません。

勝浦温泉の帰り道-1

2014年05月29日 | 旅-関西

今回急に勝浦へ向かったのは、西さんのヒジキを買いに行こうと思ったから。

実に久しぶりの勝浦行きで道中、車窓からの光景も新鮮に感じた。

9年前、那智駅にある那智交流センターで買ったヒジキがとてもおいしくて、この生産者である西さん宅へ直接買いに行ったものだった。

残念ながら西さんはもうヒジキは採っておられなくて、ご近所の方が採られたものを分けていただいた。

 

当時は那智交流センターの1階に直売所があったのだが、今は同じ敷地内に別棟で農産物や海産物などが直売されている。

地元民にも人気があり、当日は10:00の開店前から行列ができていて、ちょっと驚いた。

豊富な農産物に加えて、マグロの刺身などの海産物、かんきつ類の絞り汁を酢代わりに使ったばら寿司などが並んでいた。

那智の滝へ向かうが、2011年9月に襲った台風12号のすさまじい傷跡が未だに生々しく、アチコチで復旧作業が行われていた。

那智川沿いの被害は甚大だったようで、あの怪しげな秘湯「那智天然温泉」は跡形もなく、かろうじてここにあったと分かる土地が残っているだけだった。

35年ぶりに那智の滝を見に。 

杉の大木がそそり立ち、コケもびっしり。 

 

紅い欄干は滝が近くで見られる「御滝拝所」で、拝観料金300円が必要。

上がってみた。

滝の水しぶきがかかり、有難いマイナスイオンもたっぷりと。

しかし、料金を支払わなくても「滝見台」から見るので充分だ。

一人では座っていられないだろうが、二人なら。

こうすれば料金を支払った値打ちはあるだろう。 

もう一つ買って帰りたいものがあった。 

新宮の香梅堂。

創業が明治元年。

通販では買えるがこの店舗以外では買えない「鈴焼き」。

野菜カステラとかベビーカステラという名前で売られているあれ。

卵黄たっぷりという感じでさすがにおいしい。

 


勝浦温泉へ

2014年05月20日 | 旅-関西

久しぶりに勝浦温泉へ。

 勝浦まで足を延ばすのは何年ぶりだろうか?

まずは腹ごしらえ。

田辺にある「銀ちろ」本店で「さざなみ弁当」1800円也をいただく。

二段重ねの下段のお重には、しらすたっぷりのしらすご飯。

上のお重に煮物や刺身のおかずが盛られてる。

刺身も活きていておいしい。イカは松笠にしてあり手が込んでいる。

これこれ!これが食べたかったんです。

単なるお吸い物ですが、わかめのように見えるのは「ひろめ」

わかめより身は分厚くて弾力がありとてもおいしい。

どこかで買える所はないか?聞いてみた。

残念ながらひろめの旬は2~3月で、その頃なら魚屋で買えるが今はもう売っていないらしい。

冷凍しておき必要な量だけもどして湯通しして食べるとの事。

2~3月といえば梅の頃、梅見を兼ねて買いに行かなくちゃ・・・と、思った。

相変わらずくねくね、アップダウンの多い国道42号線。

南海、東南海地震が来れば、津波で42号線はズタズタになってしまうのではないか?そんな事を考えながらも快適な海沿いをドライブ。

橋杭岩辺りちょうど干潮のようでした。

 

橋杭岩のそばにあった「弘法の湯」は今でもあるのだろうか?

ちゃんとありました。しかも建物がきれいになっている。

勝浦に到着。

桟橋から浦島、中の島、越の湯などの宿に向かう連絡船や「紀の松島めぐり」の遊覧船がひっきりなしに乗客を運ぶ。

 

今宵の宿は桟橋の前、浦島チェーンの「万清楼」

浮き球をアクセントにした塀の奥に7台ほど停められる駐車場がある。

万清楼、玄関は和風の構えだが横に6階建てのビルを備えた全30室程の中規模旅館。

宿の紹介は後で・・・。

魚市場近くに2軒の足湯がある。

上は手湯も備えた「海の湯」で、貼られている成分分析表を見て

なんと成分総計8055mg/Kg のナトリウム・カルシウム-塩化物泉。温度が38.6度と低目だが成分総計の多さに驚いた。

こちらは「鮪の湯」。分析表は掲示されているが見にくい場所だったので確認していないが、ふわ~っと硫黄が香る湯だった。

足湯にしておくのがもったいないぐらいの湯量。

月曜日の朝、どちらの足湯もお掃除中でした。

真ん中の建物をはさみ、右手は「鮪の湯」の貯湯槽、左手は「海の湯」の貯湯槽。

「海の湯」の方はわからないが、「鮪の湯」は、以前ここに旅館があり、そこで使われていた源泉らしい。

泊まった「万清楼」も独自源泉、恐るべし勝浦温泉。


雪の竹田城-2

2013年03月01日 | 旅-関西

 三の丸辺りから眺めた天守に多くの人影を見て、有名になっているなぁと、驚く。

 

 

 

南二の丸を俯瞰。

今は白いが、一面緑に覆われる頃も美しい。

この眺めが最高かな?

天守へ上るのに以前はハシゴだったが、立派な階段が取り付けられている。

 

天守からは360度の展望が開ける。

 

 

天守の下の「平殿」からの眺め。

向かいの山が手にとるように見える。

安土城、姫路城と同じ穴太積みの見事な石垣の間を下りて行くが、石段は蹴上が高く、
ところどころ雪もあって滑りやすい。

行かれる方は、しっかり歩ける靴で。

 

 

南二の丸から正門を通って退城。

入場料金など要らない。駐車場料金も・・・。

これから温暖になり、桜が咲けば多くの人で賑わうだろう。

少しはお金を徴収すればよいのに・・・と、思う。

次に行くような事があれば、入場料金が必要になっているかもしれないなぁ。

 


雪の竹田城-1

2013年02月27日 | 旅-関西

 2013.02.17  舞鶴自動車道の春日JCTから北近畿豊岡自動車道に乗って七釜温泉へ。

この北近畿豊岡自動車道、途中の逢坂トンネル以外は無料開放」されているし、最近、
八鹿氷ノ山インターまで延伸して、大阪から城崎や浜坂方面へ行くのに通行料金が
安くあがり、とても便利。

トンネルは多いが・・・。 

高速道路からでも入れる「道の駅 但馬のまほろば」、農産物コーナーも広くて
必ず立ち寄る道の駅で昼食。

↑、ねぎラー油ラーメン。

私好みの細い麺に、そう辛くもないラー油、あったまるなぁ。

 朝来(あさご)の特産品「岩津ねぎ」をたっぷり使ったあんかけうどん。

たいそうおいしかったらしい。

この岩津ネギ、日本三大ネギの一つ。

当然、下仁田ネギもその一つだろうが、他は・・・?

今が旬、農産物コーナーでもたくさん売られていて、私も2束買う。

緑の部分も柔らかくて、中からトロリと・・・。

雪の竹田城、全体像が見渡せる撮影スポットの藤和峠へ。

はるかかなた標高353.7mの古城山の山頂に、南北400mの城跡。

手持ちで、しかも望遠レンズも125mmとしょぼいカメラでは、きれいに写せない。

もう一方の撮影スポットである立雲峡は、但馬の吉野といわれる程の桜の名所らしい。

桜の頃は、この立雲峡から見てみたいものだ。

雪のない季節ならこの横の中腹駐車場まで車で来れるが、今は歩けば20分ほどかかる
下の「山城の郷」へ車を停め、そこから歩かなければいけない。

舗装された道路を歩く亀さんコースなら大手門まで徒歩15分。

現在地から直線に伸びたピンクの線は、急な登りのうさぎさんコースなのだが、
何故か看板から文字が消えている。

2011年5月に来た時は、書かれていたのに・・・。

「急勾配で危険なため通行止」になっていた。

これは積雪の時だけだろうか?

ひょっとしたら、1年中この道から登城できないのかも。

大手門コースで登城開始。

行く人、帰って来る人・・・。

日曜日だからだろうか?人が多いのに驚く。

有名になったものだ。

以前はここから登ったのだが、今日は出口になっている。

この道も城まではかなり急勾配だった。

下界を見れば播但線を列車が走って行く。

すぐそこに大手門という所で、JR竹田駅からの道と合流する。

JR竹田駅までわずか700mだが、近道の駅裏登山道は所要30分と結構辛い登りが続くようだ。

 

大手門に到着。

 


木津温泉へ

2012年12月12日 | 旅-関西

 2012.12.09 丹後半島の木津温泉へ向かいます。

観光無し、温泉でゆったり、おいしいものを食べる旅です。

丹南篠山口インターで下り、正月用に川北産の黒豆を買い、近くの黒豆の館で昼食を。

我が家からは1時間半ほどなので10:30には到着。

この日は日曜日、黒豆の館のバイキングは相変わらず人気があるようで、開始1時間前からオープンを待つ人が・・・。

11:30に予約をしていたのですが、私も1時間近く待たなければいけない。

 館内にある土産物売り場を見たり、農産物を買ってどうにか時間をつぶす。

11:10にオープンし、席の関係からか?人数を多いグループを先に誘導。

一番先に案内されたのは16人のグループ。

予約はしていたものの随分待たされたが11:30までには席に着く。

地場産の野菜と黒豆料理がメインで、肉類は鶏の唐揚げと鶏フライぐらいしかない。

鶏の唐揚げは大人気。

鶏フライはささ身を使ったもので、固くていただけない。

おふくろの味的な料理はどれも上手に味付けされていておいしい。

デザート類はイマイチかな。

お腹いっぱい、さぁ次の目的の水汲みへ。

雪の予報が出ている近畿北部だが、ほんとに雪かしら?と、
思ってしまうほど晴天の舞鶴自動車道。

ところが綾部JCから綾部・宮津道路に入り、由良川PAを過ぎた辺りで雪になる。

雪はだんだん激しくなり、辺り一面暗い。

終点の与謝野天橋立インターで下りて、国道176号線から312号線へ入るとそこはもう雪国。

北近畿タンゴ鉄道の踏み切りも真っ白。

県道20号線に入り「切畑の名水」を汲みに向かうが、雪かきをしている人が「他府県ナンバーの車がどこへ行くんだろう?」と、
いうような顔をされる。

そう、道はだんだん狭くなり積雪で路肩も見えず、とうとう離合困難な山道へと。

切畑の名水までやって来たが、積雪が多くて車は水汲み場へ近寄れない。

様子を見て来ようと歩き出したものの30センチほど積もった新雪に足がずぼり。

近寄る事も、もちろん汲む事も出来ずすごすごと国道へ引き返す。

後で旅館でこの話をすると、よくあんな狭い道の所へ行かれた・・・と、驚かれた。

しかし、この切畑の名水はとてもおいしいと言われる。

残念だなぁ、いつか雪のない時にリベンジしなくちゃ。

国道178号線の少し山道にさしかかり、対向車線で雪にのめりこんだ車が。

この時期、多くの関西人は松葉カニを求めて北へ北へとなびくが、冬タイヤまで装着している車は少ないだろう。

私の前方を行く車列も慎重にノロノロ運転。

我が家の冬タイヤもとうに交換時期は過ぎているので信用できない。

しばらく進むと又しても動けない車が・・・。

除雪車、早く来てぇ~。

除雪されていたら問題なかったかもしれない。

除雪車も例年にない早い雪で大慌てだろう。

お陰で後ろは渋滞。

今宵の宿、木津温泉「木津館」に到着。 

降りしきる雪の中、車から降りると女将さんが傘を持って出迎えて下さった。


湯浅の喫茶店「キセイ」

2012年04月14日 | 旅-関西

山中渓から湯浅へ向かいます。

11日から始まった「行灯アート」展を見ようと再び湯浅へ。


町の中を通る熊野古道を歩くが、寂れた家も多くあり、
代々家を守っていくのは難しい事なんだ。

洒落たデザインの卯建(うだつ)があがっているが、
黒漆喰の壁が灰色に変わってしまっている。

ちょっと疲れたのでお茶でも・・・と、入った喫茶店で目がテンに。

広い店内に鯉が泳いでいる。

店内のあちらこちらにステンドグラスが。

聞けば、こちらのママさんの手作りだと言われ、驚いてしまう。

10年ほどかけて作りためられたものらしい。

 

 

 

 

 

 

熊野古道に面した喫茶店「キセイ」さん。

2階の窓にもステンドグラスが・・・。

大きくて立派な建物に一瞬引いてしまい入りにくかったが、
いいものを見せて頂いた。

 


山中渓

2012年04月13日 | 旅-関西

大阪と和歌山の県境、大阪よりにある山中渓(やまなかだに)。

大雨になるとこの付近でJRが運転を見合わせる・・・それぐらいの知識した持ち合わせていなかった山中渓だが、
熊野古道が通り王子が4箇所もあり、後世になってからは紀州街道の宿場町として多いに賑わったという。
知らなかった・・・。

JR阪和線の線路や、山中川を挟むように桜並木が続く。

地図の下側、番号が付いている道が熊野古道、後の紀州街道。

歴史のみち(紀州街道)入り口に立つ枝垂桜はまさに満開。

約250年前の江戸時代中期に建てられた庄屋屋敷で、泉州路屈指の屋敷らしい。

美しく手入れされ、街道中ひときわ目を引く。

今も住んでおられるのだろう、一般公開などはしてない。

維持が大変だろうなぁ・・・。

山中神社への石段。

祠が一つあるだけの山中神社、その横に熊野古道九十九の王子の一つ馬目王子が移設されていた。

山中神社への通りにある民家。

壁といい窓枠といい、遊び心いっぱい。

こちらの軒も楽しい。

機関車だった。

 

街道筋の家々は寂れた様子はなく、よく手入れされた植栽が訪れる人々の目を楽しませてくれる。

一帯の桜も住民によって植えられ、手入れされているという。

平安の頃から江戸時代までの宿場町として栄え、多い時は20数件の宿屋があった所、客をもてなす心が今も受け継がれているのだろうと思った。

街道の駅よりに置かれた道祖神。

歴史のみちとされている紀州街道は200m程だろうか?

桜見物が目的で行った山中渓だが、こじんまりした美しい街並みが見れて嬉しい発見。

 


湯浅にて-2(甚風呂)

2012年04月07日 | 旅-関西

湯浅の街並みを拝見して一番印象に残ったのは、銭湯「甚風呂」。

幕末から昭和60年まで4代にわたった銭湯の「戎湯(通称甚風呂)」。

4代目の方が凝り性で、粋な外壁、湯船は御影石・・・。

道後温泉本館といいお金をかけたものは後世に残りますね。

嬉しい事に入場無料。

 

屋根の上にはトンガリが・・・。 

単なる装飾だけだったのか?トンガリ。

番台に座ってみたい。 

懐かしい空間、時間・・・。

湯を掛ける音、話し声・・・聞こえてきそう。

懐かしいアンマ機。

壁には往年のスターが登場。

当時の浴室にはなかっただろうが・・・。

そう大きくはない湯船。

手前の湯船は小豆島より運んだ御影石製。

 

浴室の裏など見た事なかった。

「時間ですよ~」で、見たかな?

並べられた桶に驚く。

錫とアルミの合金らしいが、手に取るとずっしり重い。

これで湯を汲むには力がいっただろうなぁ。

由緒正しき温泉マーク。

底もしっかりした滑り止めが付いている。

 銭湯育ちの私だが、プラスチックの桶しか記憶にない。

 いいなぁ、これ!

古い街並みや建物を案外見ているが、銭湯を見るのは初めてだったかもしれない。

珍しいものを見せていただいた。 

特に風呂桶。

湯浅には家に風呂がある所は少なく、街中には銭湯が何軒かあったらしい。

昭和60年に営業終了し、主のいなくなった甚風呂は平成13年に町の財産となったが、
しばらくは放置され、平成19年から2年間かけた修理を終え一般公開されるようになった。

こいいう古い街並みを見ていつも思うのは、跡継ぎのいない住居は朽ち果てて行く
のを待つだけなんだろうか?

跡継ぎは東京や大阪に住み、故郷へは戻ってこない。
廃墟と化す建築物をどうするか?
市町村も頭の痛い事だろう。 

  • 開館時間:10:00~16:00(12:00~13:00は昼休み)
  • 休刊日は水曜日(水曜日が祝日の場合翌日)12月29日~1月3日

湯浅にて-1

2012年04月07日 | 旅-関西

湯浅に到着し、まずは腹ごしらえ。

駅前の「かどや」さんで、湯浅名物「しらす丼」を。

↑の写真は「刺身定食」。

+250円でご飯をしらす丼に変えられるので、もちろんしらす丼に。

ちょっとピンボケですが、ご飯が見えないほどしらすがたっぷり。
青ジソに刻み海苔がトッピング。

醤油をかけて食べるのかな?
いえ、しらすの下のご飯にだし醤油がかかっていました。

刺身はマグロとカンパチ。

カンパチも脂っこくないし、マグロ好きじゃない私でもこのマグロはおいしいと思った。

駅前多目的ホールでレンタサイクル(無料)し、熊野古道が走る街中へ。

お寺あまり興味がないが、屋根のしゃちほこに惹かれて入ってみる。

「深専寺」大きくはないが、庭もよく手入れされたお寺だった。

 

門前に「津波の心得」が書かれた石碑が建っている。

1854年6月に起こった地震が、11月4日又も大きな地震「南海大地震」に襲われる。
翌日になってからさらに強烈な地震が起こり、大津波を伴って湯浅にも未曾有の被害を与えた。

この碑には当時の津波の概要を記して後人の戒めにしたもので、地震が起これば
津波が押し寄せて来ると考え、この深専寺門前を通り、天神山の方へ逃げるよう記されている。

高さ1.8m幅62cm全文528文字。
1856年当時の住職によって建てられたもので、和歌山県指定文化財。

最近、南海トラフが動いた時の被害想定が大きく変えられた。
この辺りの人達、その数字に驚いておられるだろう。

この1854年(安政の地震)の前の地震は1707年の宝永の地震。
両者の間隔は147年。

安政の地震から157年経った今、いつ起こってもおかしくはないだろう。

我が家も相当な被害に見舞われるだろう。

 

湯浅は醤油発祥の地。

1800年頃には92軒もの醤油屋があり、紀州藩の手厚い保護を受け、湯浅の代表的産業だった。

今は「角長(かどちょう)」さんの1軒だけ。

 

看板は名乗りコテ絵だろうか?「麹屋」。 

 明治11年建築の主屋だが、今は「麹」を商っておられない。

 器用なご主人が作られた「行灯」が並び、建物内部はご主人の説明を聞きながら
見学できる「手作り行灯麹資料館」。

「麹屋」の文字を見て「塩麹ありますか?」と、観光客が訪れる。
ブームなんだなぁ。

 タイル製のかまど。

魚屋の店先でくるくる回るもの有り。 

 鯛とアジの焼いたものが並び、ハエよけだろう。

 

 木瓜(もっこう)意匠の虫籠窓(むしこまど)がある大正10年建築の加納家の前で、私が借りた自転車。

保証金1000円は自転車返還後戻ってくる。

自転車、必要なかった・・・かも。

小さな街に見所いっぱい。

少し乗っては停め・・・の繰り返しだった。

かどっこの家は隅切り建築だ。

トタンのように見えるが木を多用した壁が美しい。


七釜温泉へ

2011年05月16日 | 旅-関西

 

自宅を出たのは夜明け前の5:00。

まずは竹田城。

朝の7:00過ぎだというのに、駐車場には10台ほどの車が停まっていました。

凄いです、天空の城。

山陰一の藤公園、和田山にある「大町藤公園」へ。

満開の日曜日、凄い人出でした。

かねてより行きたかった「但馬高原植物園」で森林浴を楽しみました。

七釜温泉「こう屋旅館」の夕食のアワビです。

翌日、チェックアウト後、近くにある「田君川バイカモ公園」へ。

バイカモの花には少し早かったようで、花はチラホラ。

村岡にある「耀子(かかご)の清水」で水汲みです。

近くにある「猿尾の滝」へ。

二段に落ちる豪快な滝に驚きました。

篠山城へ行くが、今日は定休日とあって城スタンプはゲット出来ず。

同じ篠山にある蕎麦処「一会庵」で遅い目の昼食。

「そば切り」の他に「そばがきぜんざい」を頂き、予定は全て終了。

本日15:30帰宅。

詳しくは後日・・・。

 

 

 

 

 

 


長浜にて-1

2011年02月15日 | 旅-関西

今回もジパングの割引を使って切符を買うつもりでしたが、緑の窓口で薦められた
「冬の関西1ディパス」を使う事に。

長浜でお勧めしたい所を先にアップします。

大通寺の「蘭亭の間」の床脇の文様に驚きました。

黒壁美術館に展示されていたエミール・ガレの「取手付き花器」。

取手にも花が・・・。

大通寺も黒壁美術館も撮影禁止の貼り紙はなく、撮っていいのかなぁ・・・?と、
思いながらも、あまりの見事さに、フラッシュ・三脚使わずに撮りました。

お腹がすいたので昼食を、御坊表参道にある「MASAO」さんで。

左奥に見えるのは、大通寺の山門。
この山門も凄いものでしたが、これは後日に。

近江牛の文字に惹かれました。

近江牛ピラフ丼ランチを注文。

ピラフは雑穀米で、味付けは何だろう?おいしいのです。

薄切り肉が3枚ほどのっています。

サラダとスープ付き。

コーヒーは別注文。

ケーキとコーヒーのセットもありますが、カロリー考えここはコーヒーだけ。

可愛いミルクピッチャー。

店内もお料理もお洒落で味もよくて、大変気に入りました。

 


雪の彦根城-何故国宝?

2011年02月05日 | 旅-関西

天守閣の内部です。

小さな天守閣。
どうして国宝・・・?って思ってしまいます。

階段が凄い!

2階への階段の斜度は62度。

段数は13段ほどで、蹴上は凄く高い。

敵が登ってきにくいようにしたとか。
ここまで敵が攻めてこれたら、もう落城ですが・・・。

琵琶湖が望めます。

こちらは西ノ丸から見た天守閣。

このあたり一帯、桜の木が多い。
4月に見に来なきゃ・・・。

黒門山道を降りて「玄宮園」という庭園に向かいます。

 近江八景を模して作られた「玄宮園」。

彦根城を後にしますが、この時観光バスが入ってきました。

良かった、静かに観れて・・・。

 

 彦根キャッスルホテル横にある「つる亀庵」という蕎麦屋で遅い目の昼食。

伊吹蕎麦と伊吹大根のおろし蕎麦をいただく。

この季節限定という伊吹大根がおいしい。

ただ辛いだけでなく、こくのあるしっかりした大根おろし。
どこかで買えないだろうか、この大根。

好物の天麩羅を楽しみ、ご馳走様でした。

つゆ、ちょっと物足りなかったけど、蕎麦はおいしかったです。

彦根城、これで終わりです。

今晩から信州へ出かけてきます。

松本城へも行くつもり。


雪の彦根城-天守へ

2011年02月05日 | 旅-関西

博物館は、江戸時代この場所にあった表御殿に建てられている。

博物館から木造棟へと続き、その木造棟に藩主の居間や茶室が、江戸時代の
古絵図や発掘調査の成果を元に復元されている。

 







少しの間、空の一角に青空が広がった。

博物館でおもいがけなく時間をとってしまった。

さすが、徳川四天王の一人、一度の転封もなく、石高も譜代大名の中では最高で
幕末まで16代続いた井伊家。

いいモノ持っておられます。

博物館を後にして天守へ。

登る階段は、雪で滑りやすい。

表門参道を上がって行くと、天秤櫓が見えて来た。

右端にひこにゃんの雪像があったが、その前で中国系とおぼしき観光客が記念撮影中。

多くはない観光客の中で中国語を何度か聞きました。

ここまで・・・と、少々驚き。

 

右端の入り口から天守へ上ります。


雪の彦根城-博物館

2011年02月02日 | 旅-関西

天守閣へ行く前に「彦根城博物館」へ。

井伊家に伝わる美術工芸品が4万5千点も保管されているとか・・・。

 

いろんな鳥の羽根で作られている。

井伊家では、藩主以下家臣にいたるまで甲冑や旗指物を
朱色で統一していて、これを井伊の赤備(あかぞなえ)

具足とは、このすね当てをさすのかと思っていたが、全体をさして具足という。

初めて知った。
そして、数える単位は、「領」。

誰かこの具足を身に付けたのだろうか?
これをつけて戦ったとは思えない美しさと、細工の細かさに驚く。

平和な時代には、実用性より装飾性が加わり、重さも軽量化された
というが、それでも13キロ以上あるとか。

桃山時代に作られた旗印で大きい。

朱の練絹に金箔の井桁の紋。

これは、大阪夏の陣で使われたという。

肥前国忠吉という銘がある脇差で1628年の製作。

能面は多種飾られていた。

これは、江戸時代に作られた「山田女」という愛称を持つ若い女性の面。

童子の面だが、子供という意味ではなく、神性を持つ美少年。

能装束も多く展示されていた。

 野外の能舞台がある。

1800年に建てられ、その後、あちらこちらと変遷を重ね、昭和62年、博物館の
建設を機に、元のこの場所に戻ってきたらしい。

立派な観覧席もあり、年に数回、能・狂言が開催される。

 ちょっと休憩で、お抹茶をいただく。

 

 

 ほとんど人が居ない、静かな所で、能舞台を眺めながら一服。

嬉しい事に、展示物の詳しい説明書が、コピーされ持って帰れるように置いてある。

そして、館内はフラッシュと三脚を使わなかったら、自由に撮影できる。

展示物はいずれも豪華なもので楽しめたが、好きな焼き物は少ない。

↑は、江戸時代中期に焼かれた伊万里焼きの蓋物。

湖東焼きの赤絵徳利。

湖東焼き・・・初めて聞く焼き物。

こちらも湖東焼きの花生で瑠璃釉の色が素晴らしい。

彦根城下で始まった湖東焼きは、その後藩窯となり、井伊直弼の時代に
全盛を迎えるが、桜田門外の変で直弼が亡くなった後衰退し、
明治28年に窯を閉じた幻の焼き物・・・と、いう。

展示品は、どれも素晴らしい工芸品ぞろいだった。

ほんとは、写真など撮るのに熱中せず、じっくりながめていたかったが、
撮っても良いという理解あるお言葉に感謝して・・・。


雪の彦根城-1

2011年02月01日 | 旅-関西

JR彦根駅から真っ直ぐに延びた道を歩いて10分程、彦根城に到着。

寒々とした光景ですが、これが見たかった・・・んだ。 

中堀の石垣の端に何かいます。

寒いんだろう、肩をすぼめているなぁ・・・。

47本あったので名付けられた「いろは松」。
今は33本残っている。

この堀に黒鳥がいました。

 

つがいだったんですが、2羽一緒には撮れず。

重要文化財の佐和口多聞櫓で、内部も見学できました。

初代の建物は火事で焼失し、現存するのは昭和6~8年にかけて再建されたもの。

佐和口多聞櫓の中から見る天守閣方面。

左手が天秤櫓、真ん中の小さい屋根が天守閣。

狭間は板でふさがれていました。