オリンピック考(1)―開会式をめぐる皇室と官邸の確執―
「私は、ここに、第32回近代オリンピアードを記念する、東京大会の開会を宣言します」。
天皇陛下によるこの宣言によって、「2020東京オリンピック」が2021年7月23日、正式に
開幕しました。
新型コロナウイルスの感染拡大で初めて延期された上、8割以上の競技会場が無観客となりました。
開会式も950人ほどの関係者だけが入場しました。
異例づくしの大会は205カ国・地域と難民選手団の約1万1000人の選手が参加し、8月8日まで史上最
多33競技339種目が行われます。
この開会式は、700発の花火が打ち上げられましたが、「無観客の東京五輪開会式 にぎわいや熱
気なく」という日本経済新聞の表現がぴったりでした(注1)。
ところで、開会式に関連して今回のオリンピックが通常ではないことを象徴する、二つの場面があり
ました。
一つは、2020東京オリンピックの名誉総裁である天皇陛下が開催宣言を、約束事の慣例を変更し
て行ったことです。
オリンピック憲章は、開催国の元首が開会宣言を行うことを定め、その儀礼上の約束事として、宣言
文の定形型を例示しています。
たとえば1964年の東京オリンピックの際には天皇陛下が「第18回近代オリンピアードを祝いこ
こにオリンピック東京大会の開催を宣言します」と述べたことがその典型です。
ちなみに、「祝い」に対応する定形分の原文(英語)は “celebrating” という言葉が使われています。
「記念する」でも「祝い」でも大した違いがない、小さな事のように見えますが、この背景には、陛
下の強い「ある思い」がありました。
この変更については、開催が決定的になった時から、今回のオリンピックが新型コロナウイスのパデミ
ックの最中、それも他ならぬ東京で拡大していることから、陛下はどうしても、素直に「祝い」という
言葉を使いたくなかったようです。
実は、開会式に先立って「祝い」という表現をめぐって、官邸と宮内庁との間で、天皇陛下の宣言文を
どのようにするかの話し合いが行われました。
そして、今回は世界的なコロナ禍で多くの人命が失われ、今も多数の人々が苦しんでいること」から、
和訳のみの変更ということで「祝い」ではなく「記念し」に落ち着きました。
しかし、考えてみれば、邦訳だけとはいえ、五輪憲章の約束事である定形型を変えるよう宮内庁側(陛
下側)が政府に要求し、実際に変更されたことは異例です。それだけ、天皇陛下の側に、開催に対する
拒否的な気持ちが強かったのだろうと思われます。
なお、通常はこのような場合、天皇と皇后が揃って出席するのが通例ですが、今回は陛下一人での出席
でした。ここにも何かの思いがあったのでしょうか?
もう一つの場面は、天皇陛下が立ち上がって、宣言を始めたときにことです。左隣に菅首相が、その先
には小池東京都知事が座っていました。
ところが、菅首相は天皇陛下の開会宣言が始まっても着席したままでした。その後、気が付いた小池都
知事が菅首相に目配せすると、二人はやおら立ち上がりました。
私自身もこの光景に何とも言えない違和感を抱きました。もし、座ったままで陛下の宣言を聞く、とい
うことが予め決まっていたならそれは問題ありませんが、映像を見ればわかるように、菅首相は、途中
からのろのろと立ち上がったのです。
このことにネットで厳しい批判の声が上がっています。たとえば、“天皇陛下の開会宣言に着席したまま…
菅首相に「不敬にも程がある」”“陛下が話し始めてから起立する小池氏と菅総理不敬にも程がある”、“天
皇陛下が席をお立ちになったらすぐ立つべき。恥ずべき映像を世界に流してしまった“ ”陛下の開会宣言
のVTRが流れるたびに、菅が座ってたところも映るのか……あまりに不敬“ などの非難がネット上に寄
せられました(注2)。
“不敬”とはいかにも大げさな表現ですが、少なくとも一国を代表する元首が立って開会宣言をする時は、
通常の常識を持っている人なら、一緒に立つのが礼儀ではないでしょうか?
これに関して、菅首相の方から特に釈明らしきコメントは発せられませんでしたが、可能性としては、何
か他のことを考えていて、陛下と一緒に立ち上がることをうっかりしてしまったことは考えられます。
あるいは、菅首相は、陛下が今回のオリンピック開催にたいして「祝う」という言葉を使わず「記念し」
という言葉に換えたことに、菅首相は内心不満だったのかもしれません。
このことも含めて、この開会式に至るまでの経緯の中で、天皇陛下と官邸との間には、明らかな確執とい
うか対立があったからです。
そして、天皇陛下の心の奥底には、このパンデミックのまん延の下でのオリパラの開催に対する「抵抗」、
そしてコロナウイルスのまん延拡大にたいする心配があったと思われます。
これを考えるために、開会式に至るまでの陛下側と官邸との経緯を追ってみましょう。
第一は、6月24日、宮内庁の西村泰彦長官は24日の定例記者会見で、「拝察」という形で、パンデミ
ック下のオリンピック・パラリンピックの開催が新型コロナウイルスを拡大されるのではないかと懸念し
ていると発言したことです。
この背景には、数日前に菅首相は陛下へ「内奏」を行い、おそらくそこで、新型コロナのまん延状況、オ
リパラの開催についての話をしたと思われます。
これは推測の域を出ませんが、おそらく陛下は、菅首相がコロナウイルスのまん延状況にも関わらずオリ
パラを強行することを感じ、そこに強い危機感を抱いたと思われます。
これにたいして、加藤官房長官、丸川五輪相、菅首相は直ちに、これは西村氏の個人的な気持ちにすぎな
い、との談話を発表しました。
このこと自体が、政府幹部の慌てぶりを、はからずも露呈してしまいました。
しかし、このブログの6月27日の記事でも書いたように、西村長官が、陛下が言わなかったことを公に
言うことは考えられません。
たとえ「拝察」という建前であったとしても、 オフレコではなく「オン」(公にする)であることを明言
していることから、これは陛下のオリパラの開催に対する危惧と、一種の「抵抗」であったと考えることが
自然です。
第二に、宮内庁の側から、開催宣言には「祝い」という言葉は使わないことが官邸側に伝えられたことです。
そして、上に述べたような交渉の結果、「記念し」に変更されました。これも、五輪の開催が政権浮揚に有
に働くことを期待していた菅首相にとっては面白くない一件だったに違いありません。
このことが、開会宣言の際に、菅首相が、あとからのっそりと立ち上がったことと関係しているのかどうか
は分かりませんが、外見的にはそのように、見えてしまいます。
第三は、宮内庁は、今回のオリパラには皇室からは観客として参加することはない、と発表したことです。
もちろん、建前はコロナの感染の拡大防止のため、東京語は緊急事態宣言の下にあり、片方で外出自粛を呼び
掛けているのに皇室関係者が観戦にでかけることはできない、という理屈はあります。しかし、それと同時に、
オリパラへの観戦そのものへの心理的抵抗があったことも十分考えられます。
第四は、7月17日に菅首相が主催する、バッハ会長らIOC役員の歓迎会が迎賓館赤坂理由で行われ、40
名ほどが参加しましたが、天皇陛下は参加しませんでした。
このような式典には天皇陛下あるいはその名代としてしかるべき人物が出るのが通例ですが、それもありませ
んでした。ある記者は、こうした場面に、元首である天皇陛下が出ないことは異例であると語っていました。
ここにも、菅首相のオリパラ強行にたいする陛下の「抵抗」が感じられます。
第五は、上に書いた開催宣言文の変更です。これも、陛下のオリパラにたいする強い「抵抗」の一つとして考
えられます。
一つ一つの出来事をみると、それぞれそれなりの説明はつくのですが、それらこのようにまとめて見てみると、
そこに一貫したものが感じられます。つまり、天皇陛下がさまざまな方法で、オリパラの強行開催に対して精
一杯「抵抗」し、あるいは「抗議」の気持ちを表してきたのではないかと、考えることができます。
以上は私の個人的な推測の域をでませんが、正直な印象です。
(注1)『日本経済新聞』(デジタル 2021/7/24 12:20)https://www.nikkei.com/video/6264917500001/?playlist=4654649186001
(注2)7/24(土) FLASH (2021.07.24 06:54 配信)
https://smart-flash.jp/sociopolitics/151498
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夏の日の出は、早くも力強い光を放ちます。 そのころ、森では斜め横から差し込む太陽の光が美しい模様を描きます。
「私は、ここに、第32回近代オリンピアードを記念する、東京大会の開会を宣言します」。
天皇陛下によるこの宣言によって、「2020東京オリンピック」が2021年7月23日、正式に
開幕しました。
新型コロナウイルスの感染拡大で初めて延期された上、8割以上の競技会場が無観客となりました。
開会式も950人ほどの関係者だけが入場しました。
異例づくしの大会は205カ国・地域と難民選手団の約1万1000人の選手が参加し、8月8日まで史上最
多33競技339種目が行われます。
この開会式は、700発の花火が打ち上げられましたが、「無観客の東京五輪開会式 にぎわいや熱
気なく」という日本経済新聞の表現がぴったりでした(注1)。
ところで、開会式に関連して今回のオリンピックが通常ではないことを象徴する、二つの場面があり
ました。
一つは、2020東京オリンピックの名誉総裁である天皇陛下が開催宣言を、約束事の慣例を変更し
て行ったことです。
オリンピック憲章は、開催国の元首が開会宣言を行うことを定め、その儀礼上の約束事として、宣言
文の定形型を例示しています。
たとえば1964年の東京オリンピックの際には天皇陛下が「第18回近代オリンピアードを祝いこ
こにオリンピック東京大会の開催を宣言します」と述べたことがその典型です。
ちなみに、「祝い」に対応する定形分の原文(英語)は “celebrating” という言葉が使われています。
「記念する」でも「祝い」でも大した違いがない、小さな事のように見えますが、この背景には、陛
下の強い「ある思い」がありました。
この変更については、開催が決定的になった時から、今回のオリンピックが新型コロナウイスのパデミ
ックの最中、それも他ならぬ東京で拡大していることから、陛下はどうしても、素直に「祝い」という
言葉を使いたくなかったようです。
実は、開会式に先立って「祝い」という表現をめぐって、官邸と宮内庁との間で、天皇陛下の宣言文を
どのようにするかの話し合いが行われました。
そして、今回は世界的なコロナ禍で多くの人命が失われ、今も多数の人々が苦しんでいること」から、
和訳のみの変更ということで「祝い」ではなく「記念し」に落ち着きました。
しかし、考えてみれば、邦訳だけとはいえ、五輪憲章の約束事である定形型を変えるよう宮内庁側(陛
下側)が政府に要求し、実際に変更されたことは異例です。それだけ、天皇陛下の側に、開催に対する
拒否的な気持ちが強かったのだろうと思われます。
なお、通常はこのような場合、天皇と皇后が揃って出席するのが通例ですが、今回は陛下一人での出席
でした。ここにも何かの思いがあったのでしょうか?
もう一つの場面は、天皇陛下が立ち上がって、宣言を始めたときにことです。左隣に菅首相が、その先
には小池東京都知事が座っていました。
ところが、菅首相は天皇陛下の開会宣言が始まっても着席したままでした。その後、気が付いた小池都
知事が菅首相に目配せすると、二人はやおら立ち上がりました。
私自身もこの光景に何とも言えない違和感を抱きました。もし、座ったままで陛下の宣言を聞く、とい
うことが予め決まっていたならそれは問題ありませんが、映像を見ればわかるように、菅首相は、途中
からのろのろと立ち上がったのです。
このことにネットで厳しい批判の声が上がっています。たとえば、“天皇陛下の開会宣言に着席したまま…
菅首相に「不敬にも程がある」”“陛下が話し始めてから起立する小池氏と菅総理不敬にも程がある”、“天
皇陛下が席をお立ちになったらすぐ立つべき。恥ずべき映像を世界に流してしまった“ ”陛下の開会宣言
のVTRが流れるたびに、菅が座ってたところも映るのか……あまりに不敬“ などの非難がネット上に寄
せられました(注2)。
“不敬”とはいかにも大げさな表現ですが、少なくとも一国を代表する元首が立って開会宣言をする時は、
通常の常識を持っている人なら、一緒に立つのが礼儀ではないでしょうか?
これに関して、菅首相の方から特に釈明らしきコメントは発せられませんでしたが、可能性としては、何
か他のことを考えていて、陛下と一緒に立ち上がることをうっかりしてしまったことは考えられます。
あるいは、菅首相は、陛下が今回のオリンピック開催にたいして「祝う」という言葉を使わず「記念し」
という言葉に換えたことに、菅首相は内心不満だったのかもしれません。
このことも含めて、この開会式に至るまでの経緯の中で、天皇陛下と官邸との間には、明らかな確執とい
うか対立があったからです。
そして、天皇陛下の心の奥底には、このパンデミックのまん延の下でのオリパラの開催に対する「抵抗」、
そしてコロナウイルスのまん延拡大にたいする心配があったと思われます。
これを考えるために、開会式に至るまでの陛下側と官邸との経緯を追ってみましょう。
第一は、6月24日、宮内庁の西村泰彦長官は24日の定例記者会見で、「拝察」という形で、パンデミ
ック下のオリンピック・パラリンピックの開催が新型コロナウイルスを拡大されるのではないかと懸念し
ていると発言したことです。
この背景には、数日前に菅首相は陛下へ「内奏」を行い、おそらくそこで、新型コロナのまん延状況、オ
リパラの開催についての話をしたと思われます。
これは推測の域を出ませんが、おそらく陛下は、菅首相がコロナウイルスのまん延状況にも関わらずオリ
パラを強行することを感じ、そこに強い危機感を抱いたと思われます。
これにたいして、加藤官房長官、丸川五輪相、菅首相は直ちに、これは西村氏の個人的な気持ちにすぎな
い、との談話を発表しました。
このこと自体が、政府幹部の慌てぶりを、はからずも露呈してしまいました。
しかし、このブログの6月27日の記事でも書いたように、西村長官が、陛下が言わなかったことを公に
言うことは考えられません。
たとえ「拝察」という建前であったとしても、 オフレコではなく「オン」(公にする)であることを明言
していることから、これは陛下のオリパラの開催に対する危惧と、一種の「抵抗」であったと考えることが
自然です。
第二に、宮内庁の側から、開催宣言には「祝い」という言葉は使わないことが官邸側に伝えられたことです。
そして、上に述べたような交渉の結果、「記念し」に変更されました。これも、五輪の開催が政権浮揚に有
に働くことを期待していた菅首相にとっては面白くない一件だったに違いありません。
このことが、開会宣言の際に、菅首相が、あとからのっそりと立ち上がったことと関係しているのかどうか
は分かりませんが、外見的にはそのように、見えてしまいます。
第三は、宮内庁は、今回のオリパラには皇室からは観客として参加することはない、と発表したことです。
もちろん、建前はコロナの感染の拡大防止のため、東京語は緊急事態宣言の下にあり、片方で外出自粛を呼び
掛けているのに皇室関係者が観戦にでかけることはできない、という理屈はあります。しかし、それと同時に、
オリパラへの観戦そのものへの心理的抵抗があったことも十分考えられます。
第四は、7月17日に菅首相が主催する、バッハ会長らIOC役員の歓迎会が迎賓館赤坂理由で行われ、40
名ほどが参加しましたが、天皇陛下は参加しませんでした。
このような式典には天皇陛下あるいはその名代としてしかるべき人物が出るのが通例ですが、それもありませ
んでした。ある記者は、こうした場面に、元首である天皇陛下が出ないことは異例であると語っていました。
ここにも、菅首相のオリパラ強行にたいする陛下の「抵抗」が感じられます。
第五は、上に書いた開催宣言文の変更です。これも、陛下のオリパラにたいする強い「抵抗」の一つとして考
えられます。
一つ一つの出来事をみると、それぞれそれなりの説明はつくのですが、それらこのようにまとめて見てみると、
そこに一貫したものが感じられます。つまり、天皇陛下がさまざまな方法で、オリパラの強行開催に対して精
一杯「抵抗」し、あるいは「抗議」の気持ちを表してきたのではないかと、考えることができます。
以上は私の個人的な推測の域をでませんが、正直な印象です。
(注1)『日本経済新聞』(デジタル 2021/7/24 12:20)https://www.nikkei.com/video/6264917500001/?playlist=4654649186001
(注2)7/24(土) FLASH (2021.07.24 06:54 配信)
https://smart-flash.jp/sociopolitics/151498
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夏の日の出は、早くも力強い光を放ちます。 そのころ、森では斜め横から差し込む太陽の光が美しい模様を描きます。