大木昌の雑記帳

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オリンピック考(2)―感染爆発前夜の歓声と感動なき開会式―

2021-08-01 11:51:05 | スポーツ
オリンピック考(2)―感染爆発前夜の歓声と感動なき開会式―

2021年7月31日、ついに東京都だけで新型コロナウイルスの新規感染者が4000人
を超え、日本全体では1万人を超えました。

この惨状を前にして、改めてオリンピック開会式を考えると、そこに、絶望的なギャップ
と違和感を感じます。

一方で、IOC、日本政府、組織委員会はあの手この手でお祭りムードを盛り上げようと
必死でした。その陰で、ウイルスは着々と広がり、ついに7月31日の驚愕すべき数字と
なって、その正体を現したのです。

こんなことを考えながら、オリンピック開会式を振り返ってみたいと思います。

ところで、開会式が無観客であることは予め分かっていたので、歓声がないことは当然で
す。それにしても、本来、オリンピックの開会式というのは、全日程の中でも、ひときわ
感動を呼ぶはずのイベントです。

思えば、コロナ禍のため開催都市東京は緊急事態宣言下にあり、開会式を無観客で行わな
ければならないということ自体、本来この状況下でオリンピックを開催すべきではない、
ということの何よりの証拠で。

それでは、テレビの前で観ていた多くの人は、今回の開会式に感動したのでしょうか?私は
録画で観ましたが、残念ながら、全く感動しませんでした。その理由は後に述べるとして、
まず、吉見俊哉・東大大学院教授の開会式に関するコメントと紹介しておきます。
    2021年東京五輪開会式は、この五輪が経てきた失敗の連鎖を象徴する出来だった。
    借り物だらけの焦点の定まらないパッチワークで、衝撃力も心を衝(つ)くメッセ
    ージも欠けていた。状況がまるで違うのは百も承知だが、9年前のロンドン五輪開
    会式の華麗な演出と比較すれば、その落差は目を覆いたくなるほどだ(注1)。

総合的な評価はこのコメントに尽きますが、少し補足しておきたい点があります。まず、当
初は振付師のMIKIKO(3人組テクノポップユニット)がネオ東京とパンデミック下の東京の
今を重ねるものであったらしい。それが実現していれば、五輪開催の賛否はさておき、政治
や経済は劣化していても、文化だけはまだ日本に未来への力があると世界に認めさせること
ができたであろう、吉見氏は述べっています(注1と同じ)。

しかも、当時は野村萬斎と椎名林檎という才気に満ちた面々が演出チームに加わっていまし
た。ところが、理由もなくのチームは3月には解散させられました。

代わって、電通出身の佐々木宏氏が責任者となるのですが、佐々木氏のプランがあるタレン
トを侮辱しているとの批判から辞任に追い込まれました。その後の演出担当者のゴタゴタに
ついては書きませんが、実際の開会式は本当に、借り物のつぎはぎでした。

上空に浮かぶドローンによる「地球」は中国での流行の後追いだし、世界のスターたちが歌
うジョン・レノンの「イマジン」に至っては、昨年3月、世界を励まそうと著名な歌手や俳優
がこの歌を動画でリレーした試みの二番煎じでしかないのです。

ついでに言うと、ドローンの「地球」はもともとMIKIKOのプランで、そのために何度もドイ
ツに何度も足を運んで研究したという。そのプランを佐々木氏たちが要領良く”いただいた”、
俗な言い方をすれば“パクった”のです。

この開会式関して、あるテレビの情報番組でデヴィ夫人が、160億円も使ってあの地味な開
会式しかできなかったことに失望した、また聖火台への点火に大坂なおみを使い、日本選手団
の旗手に八村塁を起用したのも、「多様性」を演出したかったのかも知れないが、あまりに薄
っぺらだ、と酷評していました。同感です。

ここには「混血=多様性」という、とても安直な発想が伺えます。

24日に放送されたTBS系情報番組『新・情報7daysニュースキャスター』にビートたけしが出演
し、番組冒頭から、「昨日の開会式、いや〜面白かったね」と振り返るかと思いきや「ずいぶん
寝ちゃいましたよ」と酷評。「金返してほしいですね。困ったねぇ」と言いつつ、「外国に恥ず
かしくて行けないよ」と、皮肉たっぷりに開会式を批判しました。

おそらく、新たな演出チームのメンバーは、なぜ「外国に恥ずかしくて行けない」のか分からな
いのではないでしょうか。

個人的な感想を言えば、日本が開発した人間ピクトグラムだけは十分に楽しめましたが、そのほ
かのオープニングのさまざまな演技や趣向にはほとんど感動しませんでした。

大会組織委員会の橋本聖子会長はあいさつで「今こそ、アスリートとスポーツの力を見せるとき。
その力こそが、人々に再び希望を取り戻し、世界を一つにすることができると信じている」と述
べました。

言ってみれば、こんな時の決まり文句で、どこにも心からの訴えとは感じませんでした。

また、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長は「今日という日は希望の瞬間。この一体
感こそがパンデミックの暗いトンネルの先の光だ」と話しました。

橋本氏の「世界を一つに」とか、バッハ氏の「この一体感こそがパンデミックの暗いトンネルの
先の光だ」という言葉がとても嘘っぽく響きました。

こうした巨額の費用をかけた、無観客の開会式が行われている背後では、日々コロナの新規感染
者の増加、それも激増が続いていて、「トンネルの先の光」どころか、冒頭で書いたように、こ
の一週間後には開催地東京で4000人を超す感染爆発が起きているのです。

いつまでトンネルが続くのかと、多くの国民は不安を抱き、医療現場での医療従事者が危機感を
もって激務に耐えています。

そして、私が気になったのは、開会式のコンセプトで、日本語では「共感を通じた連帯」、英語
で「United by Emotion」となっていますが、最も大事なコンセプトがほとんど伝わってこなかっ
たことです。(ちなみに「共感」の表現としてemotion が適切かどうか英語の専門家に聞いて
いみたいです)

もっと深刻なのは、開会式の脈絡のなさでした。なぜ、唐突に「火消しと木遣り」が現れてパフ
ォーマンスをしたり、市川海老蔵さんがごく短時間現れて歌舞伎の所作を披露したのか、全く意
味が分かりません。

開会式当日の『東京新聞』(朝刊)を読むと、開会式を実行する組織の職員が、開会式のプログ
ラムを固めた後、「組織委や都の有力な関係者やJOCサイドから、唐突に有名人などの出演依
頼が下りてくる。部内では有力者ごとに「〇〇案件」とささやかれた、という内情を暴露してい
ました。

具体的には、『週刊文春』が早くも4月8日号で『 森・菅・小池の五輪開会式“口利きリスト” 』と
して既にすっぱ抜いていまいた。たとえば小池百合子都知事が「火消しと木遣りを演出に入れて。
絶対よ」と組織委側に要望を伝えていたという。

火消し団体の総元締めである『江戸消防記念会』はもともと自民系の団体だったが、2016年の都
知事選で江戸消防会の一支部が小池を支援しました。小池氏からすればこのときの「恩返し」で
あると。これが約4カ月前の記事なのです。

そして、実際の開会式でも「火消しと木遣り」の演技がありましたから『文春』の記事は正しか
ったことになります。

他に、森喜朗案件として市川海老蔵の名があり、『文春』はこちらも的中し、海老蔵氏が登場し
ました。海老蔵のファンである私には、こんな使い方をされたことが気の毒でたまりません。

こうした内情を知れば、開会式が、そのコンセプトで統一されていたのではなく、さまざまな横
やりで、ごちゃごちゃになって一貫性を書いていたことの理由がわかります(注2)。

それでは、今回の開会式を海外ではどう見たのでしょうか。

米主要メディアは始まる前から東京五輪は「完全な失敗に向かっている。『おもてなし』の心は
偏狭で内向きな外国人への警戒に変化した」(ワシントン・ポスト)、と酷評していた。

アメリカのインテリ若年層に圧倒的人気のあるニュースサイト「ザ・デイリー・ビースト」が東
京に派遣したエンターテインメント担当記者、ケビン・ファーロン氏の現地報告を紹介しよう。
とても的を射ています。
    人っ子一人いない観客に向かって言い放たれた(開会式の)メッセージは内向きで、は
    にかむような大言壮語だった。オリンピックは、嫌われ者のウイルスをまき散らすスー
    パースプレッダー(超感染拡散者)だ。オリンピックが、観客席は空っぽの国立競技場
    でこの夜デビューした。
    度肝を抜く華やかな花火が打ち上げられた。だが、その後に何が起こるのか。控えめな
    言い方をすれば、誰も五輪はやりたくなかったはずだ(つまり、一部の人間を除き、み
    な反対だった)。・・・
    だがこの夜の開会式を見ていて気づくのは、なぜこんなに慇懃な(Respectful)なのか、
    もっと言えば、なぜこんなにくだらない(Stupid)のか、ということだった(中略)。
    世論調査では日本国民の多くが東京五輪の中止か、再延長を望んでいた。観客がいない
    のになぜ世界中から集まった選手たちを歓迎し、祝福することができるのだろうか。
    家から出られないのに日本国民はどうやってグローバルなイベントを楽しめる特権を享
    受できるというのだろう。この競技場の記者席から見ていると東京五輪の開会式は気が
    滅入る(Depressing)だけだった(注3)。

また、イタリア紙ラ・スタンパは9日付で関係者を除き無観客で行われる開会式について「人気
(ひとけ)の無い通りを仮装した人たちが行進する、紙吹雪のないカーニバルのよう」と評して
います。これも事態を端的に表しています(注4)。

本当に、メッセージ性も一貫性もない、空しい開会式、というのが私の偽らざる印象でした。そ
して、その会場の外では、深く静かにウイルスがまん延しキバをむく準備をしていたのです。

これは、もうほとんどホラー映画の一場面です。


(注1)『毎日新聞』デジタル(2021年7月30日)https://mainichi.jp/articles/20210729/k00/00m/040/341000c?cx_fm=mailhiru&cx_ml=article&cx_mdate=20210730
(注2)『文春オンライン』(7/27(火) 6:12) https://bunshun.jp/articles/-/47374)
(注3)JBpress 2021/07/25 06:00 https://www.msn.com/ja-jp/sports/tokyogorin- 2020 。
(注4)『朝日新聞』デジタル 7/24(土) 6:00 https://www.asahi.com/articles/ASP7R6HZZP7RUHBI018.html?_requesturl=articles%2FASP7R6HZZP7RUHBI018.html&pn=12
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