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大木昌の雑記帳

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ウクライナ侵攻(1)―大義も勝ち目もない戦争―

2022-03-11 08:46:17 | 国際問題
ウクライナ侵攻(1)―大義も勝ち目もない戦争―

ロシアによるウクライナ侵攻は、ますます混迷と市民に対する残虐な攻撃をむき出しに
しつつあります。

私は、この侵攻が始まった当初から、この戦争でロシア、というよりプーチンは勝てな
い、長期的には負ける、と感じました。

というのも、これまでの歴史を振り返ってみればわかるように、大義のない戦争は、短
期的には軍事力に勝る方が勝ったように見えますが、長期的には大敗してゆきます。

たとえば、ベトナム戦争(1955-1975)です。この場合、ベトナムは一発の銃弾もアメ
リカに対して打ち込んだことはないのに、アメリカの共産主義の拡大に対する恐怖心か
ら、一方的にベトナムに侵攻し、攻撃しました。

しかし、アメリカ軍は大きな犠牲を払った上、追い詰められて、最後はベトナムからみ
じめに逃げ出してしまいました。

今回のロシアによるウクライナ侵攻はどうでしょうか?

ウクライナはロシアに対して攻撃したことはありません。ロシアによるウクライナ侵攻
は、ロシア(というより)プーチンの一方的な野望によって引き起こされたのです。

そこには、プーチン独自の歴史認識や世界観はあるものの、攻撃された側には到底受け
入れられない勝手な考えにすぎません。

つまり、客観的には、何のために、どんな正当性があって攻撃するのか、という大義が
ありません。

大義のない戦争は、やがて闘う兵士の心に戸惑いや疑問を起こさせ、著しく士気を弱め
ます。これは、ベトナムに派遣されたアメリカ兵についても言えます。

その反対に、理不尽な攻撃を受ける側には、それに抵抗する高い士気をもたらします。
なぜなら、そこには、自らを守る正当性と大義があるからです。

ロシアはウクライナの首都キエフを2日で陥落させることができると考えていたようで
すが、2週間以上も経った今でも、陥落していません。

それはひとえに、ウクライナ側の頑強な抵抗に遭っているからです。そして、その頑強
な抵抗は、ウクライナ軍の高い士気と、その根拠となる、“正義は我にある”と言う強い
信念です。

他国に侵入して、その国を軍事的に支配するというのは、侵入する側に多大なリスクを
課すことになります。

ウクライナ軍からすれば、自ら身を隠したままロシア軍を待ち構えて攻撃できるわけで
すから、たとえ戦力が10対1でも、実践的にはその逆もあり得ます。

最近の映像で、ロシア軍の戦車の車列を待ち構えていたウクライナ軍が物陰から攻撃し、
破壊したり、あるいは乗っ取ったりしていましたが、こうした状況は、当然起こります。

まして、ウクライナは日本の1・5倍もの面積があります。その国土を占領し続ける、
というのは、現実的には不可能です。

したがって、今回のロシアの侵攻は、長期的には失敗に終わります。

もし、ロシアに何が何でも勝利(軍事的な)を得たいとするなら、全土が灰となるまで、
徹底的に破壊してしまうことですが、それは、現在の世界状況から不可能です。

ロシアは日本に対するアメリカの占領政策をヒントにしている、との説もあります。

つまり、アメリカは第二次大戦で、文字通り灰燼に帰すまで日本を徹底的に破壊し、原
爆まで投下した後に、占領しました。

そして、かなり長期的に(ある意味では現在まで)アメリカ陣営の一員となるよう政治
体制を変えさせたことを、ロシアはウクライナに対して行おうとしている、というもの
です。

しかし、現代世界で、とりわけ情報が世界規模で行き交う状況で、ロシアがウクライナ
を長期的に占領し、体制変革を行うことは、考えられません。

では、客観的にみれば、ロシアは最終的にこの戦争で手痛い敗北を負うことが明らかな
のに、なぜ、侵攻を強行したのかを、いろいろな観点から考えてゆきたいと思います。

というのも、これだけの戦争の背景を、プーチンンの狂気だけで説明することには無理
があるからです。

実際、この問題の根本的な解決を見出すには、私たちは、政治・軍事だけではなく、歴
史的、民族的、国際社会の枠組みも含めて、相当幅広い認識が必要だと思います。




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アフガン退避作戦の失敗―日本の「退避敗戦」と国際的信用の失墜―

2021-09-07 16:02:35 | 国際問題
アフガン退避作戦の失敗―日本の「退避敗戦」と国際的信用の失墜―

2021年8月15日 アフガニスタンの首都カブールがタリバンによって陥落しました。

実はトランプ政権時代の2020年2月に、アメリカはアフガニスタンから段階的に撤退
することをタリバン側に伝え両者の間で合意していました。

大義のない戦争を続ける意味はないので、トランプの合意は妥当だとしても、問題は、
この時タリバン側に何の条件も付けなかったことです。

とりわけ、外国の軍隊、大使館員、JICAのような国際協力機関、派遣元スタッフと
現地人スタッフとその家族、広い意味での外国勢力の協力者とその家族、外国企業の自
国民と現地人スタッフなど、広範な人々の安全な退避をどうするのか、といった問題に
ついては明確なロードマップは作られませんでした。

その結果、アフガニスタンに軍隊や政府関係者や国際機関のスタッフを滞在している国
は、それぞれ別々に対処することになりました。

日本の場合、報道では500人前後といっていましたが、これに帰国した留学生や、日
本企業の勤務者などを含めると700人ほどになるという。

アメリカが空港をコントロールして退避が可能な期限として設定したのは8月30でし
た。それでは、それまでに諸外国は何人の自国民と現地アフガン人の協力者を安全に退
避させることができたでしょうか? 以下に、国ごとの人数を多い順に示しておきます。

1 アメリカ(12.3万人) 2 カタール(4万人)   3 イギリス(1.5万人)
4 ドイツ(5347人)    5 オーストラリア(4100人) 6 フランス(3000人)
7 スペイン(1898人)   8 トルコ(1400人)     9 ポーランド(900人)
10 インド(565人)     11 韓国(390人)      12 オーストラリア(109人)
13 アイスランド(36人)  14 日本(1人)

人数は国によって異なりますが、重要なことは、日本を除いて他の国は退避すべき人、現
地のアフガン人の協力者も含めて、退避したい人をほぼ全員8月30日までに退避を完了
していたことです(注1)。

そんな中で、日本はなんと、たった一人です。日本の「独り負け」です。これは、「ワク
チン敗戦」に続く、不名誉な「退避敗戦」です。

この退避作戦(国際的には「オペレーション」と言われる)は政府(官邸)と外務省が直
接の責任者ですが、両社とも信じられないくらい認識が甘く、全てにおいて後手に回って
います。

まず、退避に関わる経過をみてみましょう。

外国人とその現地人スタッフの退避の問題が現実味を帯びたのは今年に入ってからです。

アメリカとNATO(北大西洋条約機構)は5月2日に正式に退避を開始しました。フラン
スは早くも5月10日に、まず大使館のコックや警備員とその家族など、フランスに協力し
た現地人の退避を開始しました。そして、残りのフランス人の退避を7月から始めました。

このころ、タリバンの支配地域が急速に拡大していたからです。

ただし、英国やフランスはカブール空港に臨時大使館を設置し両国大使はビザの発給などの
陣頭指揮を最後までしていました(注1)。

8月にはいると、タリバンの支配地域がひたひと首都カブールに迫っている中、アメリカと
イギリス、EU諸国は14日に大規模な退避作戦を開始し、大量の軍用機を動員して30日
までにすべての軍人と現地人スタフを退避させました。

それでは、この間に、日本はどのように事態を把握し、退避の準備をしていたのでしょうか?
時系列を追ってみてみましょう。

8月13日、アフガニスタン第二の都市、カンダハルがタリバンにより陥落しました。そのこ
ろ外務省内では「カンダハルから(首都)カブールはすぐ着く距離ではない。2、3日で事態が
急転することはない」との認知でした。

外務省中東アフリカ局の幹部は、テレビ局の記者にの質問に答えて、カブールがすぐに陥落す
ることはないので「中期的にいろいろなことを考えている」、と答えています(注2)。

この時点ではもう、ほとんどの国は退避を完了していたか、完了しつつあった、お尻に火が付
いた段階でも、まだ「中期的にいろいろ考えている」、という程度の認識しかなかったのです。

当時、日本のメディアも含め、外務省内の関心は翌日の8月14日から始まる茂木外務大臣の
イスラエル・イランなど中東各国訪問の準備の方に集まっていました。

ちなみに、カンダハルからカブールは500キロ弱の距離ですが、かつて私もここを車で移動し
たことがありますが、1日で行けました。

そしていよいよ運命の15日。首都カブールが陥落しました。この日、アメリカ当局から大使館
に、緊急にカブールから退避するように連絡を受けました。当時、岡田隆駐アフガニスタン大使
は欧米各国との調整のため、トルコ・イスタンブールに滞在中でした。

日本政府はイギリスに協力を依頼し、残っていた大使館職員12人がイギリス軍の軍用機に乗り
込み、アラブ首長国連邦(=UAE)のドバイへと退避しました。

英国やフランスはカブール空港に臨時大使館を設置し両国大使はビザの発給などの陣頭指揮を最
後までしていたことを考えれば外務省ののろまな判断、大使の腰抜けぶりが世界に恥をさらすほ
どのお粗末ぶりです。

元防衛相・中谷元氏によれば「『在外邦人等輸送』(自衛隊法第84条の4)と『在外邦人等保護措
置』(自衛隊法第84条の3)で、外務大臣から防衛大臣に対する依頼があれば、自衛隊が日本人と
外国人を国外に退避させることができる」という。しかし依頼はありませんでした。

日本政府がアフガニスタン入りを決めたのは23日でした。そして、自衛隊機3機がパキスタンの首
都イスラマバードを経由してカブールに到着したのは25日でした。

そして、26日にはバスを数台チャーターして500人近い現地のフタッフを空港までは移動しで
いる途中、空港近くで爆発が発生しました。そのため、この地区からの交通が遮断されてしまい、結
局空港には到達できませんでした。

こうして、日本政府は、JICAのスタッフや日本に協力してくれた現地のスタッフ500人を見捨
てた、という結果になりました。

ただ一人、共同通信の現地記者、安井浩美氏は、カタールがチャーターしたジャーナリスト用のバス
になんとか乗って空港内にたどり着くことができました。

ところで、今回の避難作戦はなぜ失敗したのでしょうか?

まず、外務省は全く事態の緊急性を認識していなかったことが問題です。カンダハルが陥落した14日
で、タリバンはカブールへは2~3日は到達しないだろう、という根拠のない楽観論です。

あるいは、もし、もう一日早く自衛隊機がカブールについて入れば、500人を避難させることができ
た、というものです。

確かに、そうすればテロにも遭わず、空港にたどり着いて脱出できたかもしれませんが、1日早く到着
できなかったのは、やはり官邸と外務省の判断が甘かったということです。

駐アフガニスタン大使をはじめ、大使館員がいち早く逃げ出してしまったことに対する批判に対しては、
外務省は何ら説得力のある説明をしていません。

確かに大使はトルコにいたかも知れませんが、他の大使館員も、最も緊迫した時にはドバイにいたまま、
なんら有効な手を打っていませんでした。

一部には、韓国の大使館員も直ちに、カブールから退避していた、という声もあります。しかし韓国の場
合、すぐにカブールに戻り、アメリカと交渉して韓国が手配したバスにアメリカの兵士に乗ってもらい、
タリバンの護衛の中で、退避すべき全ての現地人スタッフ390人を26日までに無事ソウルに退避させ
ています。

それでは、政府、とりわけ官邸はどのように動いたのでしょうか。

現地の状況に関して報告があっても、菅首相はほとんど関心がなかったようです(『東京新聞』2021日8
月29日)。

これがもっとも端的に表れたのは、アフガニスタンから自衛隊機が1人の日本人を乗せて帰国したことに関
して記者に感想を尋ねられて、菅首相は「良かったと思う」と一言言っただけでした。私は正直、テレビの
ニュースでこの反応を見た時、愕然としました。

菅首相の国際問題に関する無知と無関心が、図らずも現れてしまった瞬間です。

少なくとも日本のために働いてくれた現地のフタッフ500人を、事実上見殺し状態にして、日本人が一人
帰国したからといって、「良かった」という発言はあまりにも無神経です。

あるいは、8月に入ってからはオリンピック・パラリンピックと、8月末には総裁選や自分の権力保持の問
題で頭がいっぱいになっていたのかもしれません。

いずれにしても、今回の日本の避難作戦失敗は、国際社会の中で日本に対する信用を大きく損ねたことは間
違ありません。
                    注

(注1)(2021年8月31日 BS TBS『1930』より)。
(注2)日本の対応に関しては、さまざまなメディアがつたえていますが、さしあたり以下を参照されたい。
『日テレNEWS24』 8/31(火) 21:03配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/069275c628b810d8e63e7aaed884a47a6a7f3779
   『東洋経済』デジタル版 2021/08/31 7:00 https://toyokeizai.net/articles/-/451919 
『日刊スポーツ』2021/9/3:9:44 https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/202109030000163.html
『日テレNEWS24』 8/31(火) 21:03配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/069275c628b810d8e63e7aaed884a47a6a7f3779
『朝日新聞』電子版 2021年9月1日 6時00分) https://www.asahi.com/articles/ASP806V9GP8ZUTFK00T.html


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バイデン大統領の就任演説(2)―アメリカの「偉大な国の物語」―

2021-02-02 22:10:41 | 国際問題
バイデン大統領の就任演説(2)
―アメリカの「偉大な国の物語」―

バイデン新大統領が、就任に際して訴えたかったことは、大きく4つあったと思います。

一つは、 新型コロナウイルス禍をいかに封じ込めるのかという課題です。これに対しては、
新型コロナウイルスの最も過酷で致命的な期間に入ろうとしている。政争を脇に置き、
  最終的には一つの国として、この大流行に立ち向かわなければならない、一つの国とし
  て。
と語りかけ、団結をもってコロナと闘うことを呼びかけています。

二つは、大統領選挙で噴出したトランプ支持者とバイデン支持者との間に生じた国内の分断を、
いかにして埋めて団結を取り戻すのかという課題です。

これは国内政治的には最も深刻で緊急の課題です。前回書いたように、彼は、トランプ支持者
に向かっても繰り返し「団結」(unity)という言葉を発します。

もっとも、分断はトランプ支持者とバイデン支持者という面だけではなく、その背後には人種
の壁(とくに白人至上主義と黒人差別)、絶望的にまで拡大してしまった貧富の格差、宗教な
どさまざまなグループ間の癒しがたい分断がアメリカ社会を深く、鋭く切り裂いています。

三つは、国際社会への復帰です。よく知られているように、トランプ前大統領は「アメリカ・
ファースト」(アメリカ第一)を掲げて、国際社会から撤退しました。重要なものだけでも、
気候変動枠組条約締約国会議(通称「パリ協定」)、WHO(世界保健機関)、ユネスコ、イ
ラン核合意、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)などがあります。

他方、トランプ前大統領は、中国との対立をことさら強調し、新型コロナウイルスを「中国ウ
イルス(China virus)と命名し、他方で中国に貿易戦争を仕掛けました。

これは、明らかに選挙戦において票を獲得するためのパフォーマンスでした。

また、イランに対しては、ヨーロッパの主要国とアメリカのオバマ政権が推進してきたイラン
核合意から抜けて対イラン攻撃をほのめかしつつ経済制裁を続けています。

バイデン氏は当選確定前から、トランプ大統領によって脱会していた国際的な枠組みに復帰す
ることを宣言していました。就任のスピーチでも、国際関係の修復を訴えています。

事実、就任の数日のうち、パリ協定とWHO復帰への大統領令に署名しています、そしてイラ
ン核合意への対話に再び加わることによって中東に緊張と不安定を取り除こうとしています。

四つ目は、「偉大な国の物語」を示すことです。私は、一国のリーダーの重要な役割の一つ
は、「国の物語」を国民に示すことだと思っています。

この点は意外と見落とされがちですが、私は、この就任演説の中で、最も重要なテーマだと思
っています。

「国の物語」とは、自分たちはどんな国を目指すのかという、理想的な姿です。国民が「国の
物語」を共有することで、初めて国としてのまとまりを確立することができます。

バイデン新大統領はどのように語りかけたでしょうか。少し長くなりますが、引用します。ま
ず、アメリカの現状を次のように語ります。

    皆さん、今は試練の時だ。民主主義と真実への攻撃に直面している。猛威を振るうウ
    イルス、拡大する不平等、構造的な人種差別、危機に陥る気候、世界における米国の
    役割。この一つでも我々には深刻な挑戦だ。

    この状況に立ち向かうかどうかが問題だ。まれにみる困難な時代に打ち勝てるのか。
    義務を果たし、より良き新たな世界を子供たちに引き継げるのか。‥(中略)われわ
    れはできるはずだ。合衆国の歴史に次の偉大な章を書くのだ。

    この偉大な国の物語に、われわれの努力と祈りを加えよう。そうすれば、人生が終わ
    る時、最善を尽くし、義務を果たし、破壊された国土に癒しをもたらしたと子孫が言
    ってくれるだろう。

アメリカは内部に深刻な問題を抱え試練の時を迎えているが、各人が最善をつくせば子孫に賞
賛されるだろう。そして、子孫に賞賛されるような遺産を築いてゆこう、と呼びかけています。

では、具体的にバイデン大統領はどのような「物語」を提示したのでしょうか。彼は次のよう
に語ります。

    恐れや分断、暗闇ではなく、希望や団結、光の物語を書こう。良識、尊厳、愛、癒し、
    偉大さ、そして美徳の物語だ。私たちを導く物語でありますように。私たちを鼓舞し、
    来るべき世代に歴史の求めに応じたと伝える物語だ。
    民主主義と希望、真実と正義が死なず、力を増した瞬間に立ち会った米国が自由を守
    り、世界を導く光として再び立ち上がった瞬間だ。それは祖先や同時代の人々、そし
    て次世代への義務でもある。

そのために、バイデン大統領は、
    約束しよう。本音を言おう。私は憲法を守る。米国を守る。民主主義を守る。米国を
    守る。全国民に私の全てをささげる。権力でも個人的利益でもなく可能性や公共の利
    益を考える。
との決意を述べます。

確かに、大統領の語る「偉大な物語」として「良識、尊厳、愛、癒し、偉大さ、そして美徳の
物語だ」「希望や団結、光の物語を書こう」、「民主主義と希望、真実と正義」という言葉は、
抽象的で、はたして「国の偉大な物語」と言えるかどうか疑問がないわけではありません。

しかし、最近のアメリカの状況を考えると、「物語」を構成するこれら一つ一つの言葉の背後
には具体的な問題があったことをアメリカの国民は読み取っていたと思います。

トランプ政権時代、真実と正義が損なわれ、良識や尊厳、そして愛と癒しが失われたと感じて
いた国民は多かったはずです。

国のリーダーが新たに就任する時には、どのような国を目指すのかという「国家像」と「物語」
を国民に示す必要があります。

その際、今回のバイデン大統領が「物語」という言葉で表現したのは素晴らしいアイディアだ
ったと思います。この「物語」は「哲学」とも言えます。


私たちが将来に希望を持つためには、目指すべき「物語」が不可欠だからですし、国のリーダ
ーは哲学が必要です。

個人の場合も、個人としての「物語」がなければその場限りの「明日なき人生」となってしま
うと同様、国民が希望を託する「物語」をもたなければ、それは希望のない国です。

極端に言えば、個人であれ国家であれ、「物語」こそが、行く先を指し示してくれる羅針盤で
あり、個人と国家の本体そのものなのです。

今回、バイデン大統領の就任演説を観ていて、羨ましさを感じました。

しかし私は、アメリカという大国の大統領の言葉だから評価しているわけではありません。た
とえば、中米の小国、ウルグアイのムヒカ大統領は「世界で一番貧しい大統領」として知られ
ています。

2012年にリオで開催された「地球サミット」で行ったスピーチは多くの言語に訳され本も出版
されています。

そのスピーチで彼は「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、
いくらあっても満足しない人のことだ」(注1)、というようなことを静かに語ります。

彼の言葉に世界が耳を傾けるのは、そこに普遍性と「哲学」があり、人びとの心を動かすから
です。

バイデン大統領の就任式の映像を見終わって私が思ったのは、やはり日本のことでした。

さて、日本にはどんな「物語」があるのでしょうか、そして新なリーダーとして菅義偉氏が首
相に就任した時、彼はどんな哲学でどんな「物語」を語ったのでしょうか、そしてどんな国家
像を語ったのでしょうか?

私の記憶にあるのは、「自助・共助・公助」に基づく国家、という言葉くらいです。

これまでのコロナ禍への政府の対応にみられるように、問題が発生すると、長期的な展望がな
く、その場その場であたふたと対応することに終始しています。

そして、日本が羅針盤なき船のように「漂流船」にならないことを祈るばかりです。


(注1)https://logmi.jp/business/articles/9911

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バイデン大統領の就任演説(1)―アメリカは分断を乗り越え団結を取り戻せるか―

2021-01-26 14:57:51 | 国際問題
バイデン大統領の就任演説(1)
―アメリカは分断を乗り越え団結を取り戻せるか―

2021年1月20日(日本時間21日深夜)、ジョー・バイデン氏が正式に第46第大統領
に就任しました。

就任式のオープニングにレディー・ガガは腰から下はたっぷりとした深紅のドレス、上半身
は黒という姿で登場し、国歌を熱唱しました。この時の様子はYou Tube で観ることができま
すので、是非アクセスしてみてください(注1)。

選挙運動中からバイデン支持を表明し集会で応援演説をしていた彼女にとって、この日はひ
ときわ感動的な1日となったことでしょう。彼女は歌いながら心の中で、喜びと感動で泣い
ていたのではないかと思います。それらの万感の思いを爆発させたその歌声に、確かなオー
ラを感じました。

今回の就任式は、6日のトランプ支持者による議事堂乱入という事態を受けて、ワシントン
の会場周辺を州兵が取り囲むなど、異常な状況で行われました。

熱狂的なトランプ支持者は今でも、選挙は不正で「盗まれた」と信じているし、アメリカは
邪悪な秘密結社によって乗っ取られる危機にあり、トランプはそれに立ち向かう救世主であ
る、という陰謀論を信じています。

私は、ありえないような陰謀論にすがるしか気持の持って行き場のない多くの人びとの不安
と絶望がいかに広く根深いものかをつくづく感じました。

国民の半分近くがトランプ支持者であるという現状、アメリカ社会に厳然として存在する深
い分断の闇をどのように克服してゆくのか、バイデン政権が担った課題はこれまでになく重
いと言えます。

その課題に挑もうとするバイデン氏の姿勢は就任演説で示されていますので、見てみましょ
う。なお、この演説は新聞各社で掲載されていますが、ここでは『東京新聞』(2021年1月
22日 朝刊)の全文・英和対訳を参考にします。

上記の新聞では、演説の順序に従って大きく6つのテーマに分けているので、ここでもそれ
に従ってみてゆきます。

6つのテーマとは、1 民主主義の勝利、2 団結に全霊注ぐ、3 全国民の大統領、
4 闘いに終止符を、5 国際関係を修復 6 偉大な国の物語 です。それぞれのテーマ
についての言葉には歴史的背景と重みがあり、これらすべてについて書くことはできません。
そこで今回は、「民主主義の勝利」と、「団結に全霊注ぐ」を取り上げます。

1 民主主義の勝利
演説は「今日は民主主義の日、歴史と希望、再生、決意の日だ」という言葉から始まりまし
た。そして、「われわれは民主主義は尊くもろいものだと改めて学んだ。諸君、民主主義は
今、勝利したのだ」と続きます。

この言葉の背景には、「何日か前、この神聖な場所で暴力が連邦議会議事堂の土台をゆるが
そうとした」事件があります。

正当に行われた選挙結果を覆そうと、トランプは腹心の副大統領のペンス氏に、議会で選挙
結果を認めないよう圧力をかけましたが、ペンス氏はこれを拒否しました。

共和党の、そしてアメリカの良心がかろうじて保たれた一瞬でした。そこでトランプ氏の支
持者たちは選挙結果を確定する議会に乗り込んで暴力的に阻止しようとしたのです。

民主主義は黙っていても保たれるわけではなく、常に努力して維持して、時には果敢に闘っ
てゆかなければ、たとえば暴力や陰謀論によって壊されてしまう「もろさ」をもっているこ
とをバイデン新大統領は訴えました。

就任式前に異常な暴力的事件があったとはいえ、就任演説で、まず民主主義の大切さを訴え
るというのは、アメリカの価値というのはやはり民主主義の体現者であることなのだと思い
ました。

もちろん、これまでアメリカがアジア・アフリカ・イスラム諸国、中南米で行ってきた、数
々の蛮行、武力行使や、国内に見られる人種差別を考えれば、個人的にはどちらかと言えば
批判的だし、単純に賞賛ばかりではありません。

しかし、それでも、就任の第一声で「われわれは候補者の勝利(つまり自分が大統領選に勝
利したこと)ではなく、大儀、民主主義の大義(the cause of democracy)をたたえる。人
々の意志が届き、聞き入れられたのだ」と宣言したのは、とても格調高く響きました。

日本の政治において、権力の座に就いた首相や与党の党首が、「民主主義の大義」を口にし
たことがあるでしょうか?

菅首相の就任演説においても、初めての所信表明においても、一度も「民主主義」という言
葉は発せられませんでした。

失礼ながら、バイデン新大統領が見ている世界と、携帯電話の通話料値下げとGo To キャン
ペーンにこだわる菅首相との落差に愕然とする思いです。

バイデンは、現在、アメリカには修復すべきものや回復すべきものもの、癒し、構築し、そ
して獲得すべきものが多くある、と説きます。

というのも、100年に1度のウイルスが1年で第二次大戦でのアメリカ人犠牲者と同じく
らいの命を奪い去ったこと、数百万もの雇用が失われたこと、多くの企業が倒産したことな
ど、米国史上これほど多くの難題に直面したことはないからです。

そして、次の一節で、彼の政治姿勢と決意を述べます。
    地球自身が生き残りを求めて叫びをあげている。これ以上に必死で明確な叫びはな
い。そして今、台頭する政治的過激主義や白人至上主義、国内テロに正面から立ち
向かい、打ち負かす。
これは、バイデンのトランプおよび暴力を肯定する過激な支持者への挑戦状でもあります。

しかも、議事堂への乱入者たちの中に、絞首刑のための装置を議事堂近くに用意し、「ペン
スの首を吊るせ」と叫んでいた極右過激派の存在を考えれば、バイデン氏は本当に殺される
かもしれない、命をかけての闘いを宣言したことになります。78才という高齢ではありま
すが、バイデン氏の精神的な強さは並外れています。

次に、2「団結に全霊注ぐ」についてみてみましょう。

アメリカが抱える困難を克服し、「米国の魂を回復し、将来を守るためには、・・民主主義
の中で最も得がたい(注2)ものを必要とする。団結・団結だ(Unity. Unity)。

バイデンが「団結」を強調するのは、今回の大統領選挙を通じて、バイデンとトランプ前大
統領の支持がほぼ真っ二つに分かれ、今まであまり目立たなかったアメリカ社会の分断が表
に噴出し、多くのメディアがアメリカ社会の分断を盛んに取り上げてきたからです。

しかしバイデンは、このような意味での分断だけを修復するために団結を呼びかけているわ
けではありません。

直面している敵と闘うために団結が必要だからです。それでは、バイデン氏は何を「敵」と
みなしているのでしょうか?

彼は、闘うべき「敵」は怒り、憤慨、憎悪、過激主義、無法状態、暴力、疾病、失業を挙げ
ています。

彼は、これらの分断をもたらす「敵」を団結によって克服し、引き裂かれたアメリカ社会に
おいて、「仕事に報酬を与え、中間層を再建し、人種間の平等をもたら」すことによって
「再び米国を世界のけん引役(leading force)にすることができる」と信じています。

人種間の平等は、この前の部分で、「400年求めてきた人種間の平等への渇望がわれわ
れを突き動かす」と述べており、「黒人の命も大切だ」(Black Lives Matter)という昨年の黒
人を白人警官が殺したことから沸き上がった反人種差別の動きを念頭に置いていると思われ
ます。

ところが、唐突に「中間層を再建する」という部分は、やや分かりにくいかもしれません。
しかし、ここはアメリカ社会を過去十数年にわたって蝕んできた深刻な病の克服を訴えてい
るのです。

一部のITや金融に携わる人たちが法外な利益を得ている反面、大部分のアメリカ国民、とり
わけ、歴史的にアメリカの民主主義を支えてきた最も重要な中間層は没落して貧困層に転落
してしまったからです。つまりアメリカ社会における貧富の格差が、あまりも大きく埋めが
たくなってしまったのです。

言い換えると、中間層こそがアメリカの民主主義を体現する人々で、彼らこそが国民の分断
をつなぎ、過激主義を抑え、社会の安定をもたらす「おもり」の役割を果たしてきたのです。
もし、中間層を再建できなければ、天秤はどちらか一方に傾いて、アメリカ社会はとてつも
ない混乱と不安定に陥ってしまうでしょう。

バイデンは分断の深刻さを熟知しています。「分断の力は深刻で、現実のものだ」、これま
でも多くの分断を経験してきたが、「われわれの良心が常に勝ち抜いてきた。そして今、わ
れわれにはそれができる。歴史、信念、そして理性は道を示す。団結への道だ」と訴えます。

「団結を口にすると、一部の人々には愚かな空想に聞こえる」かもしれないが、われわれに
はそれができる。なぜならわれわれは「互いに敵ではなく隣人としてみることができ、尊厳
と敬意をもって互いに接することができるからだ」。

バイデンは易しい言葉で語りかけます。この点、「アメリカを再び偉大に」とは「アメリカ
第一」という単語を激情的に発するトランプとは対照的です。

しかし静かな語り口の中に、バイデンが分断を克服し団結を取り戻すことに全霊を注ぐ覚悟
と強い決意が伝わってきます。

こんな政治家が日本にも欲しいな、とつくづく感じました。

(注1)いくつものサイトでレディ・ガガさんの国家を聞くことができますが、たとえば
 https://www.youtube.com/watch?v=lnSVSLvltpcにアクセスしてみてください。

(注2)「得がたい」の言語はelusive で、これwatchは、“つかまえどころがない、つかまえても、するりと抜けてしまう”
というほどの意味で使われます。それを訳者は「得がたい」と訳しています。“しっかりとつかまえておくことが難しい”と
も訳せます。


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トランプ大統領の断末魔―カルト集団化したトランプ支持者―

2021-01-11 11:44:45 | 国際問題
トランプ大統領の断末魔―カルト集団化したトランプ支持者―

2020年1月6日(日本時間7日)、トランプ支持者が大挙して連邦議会議事堂に乱入して暴れました。

この日は、米大統領選挙で各州に割り当てられた選挙人の投票結果が上下院の合同会議で確認され、次期
大統領を確定することになっていました。暴徒と化した群衆は、この確認、確定作業を妨害しようとした
のです。

この作業は通常、形式的な儀式で、今回は大差でバイデン候補の勝利が決まっていました。

この合同会議に先立って、ジョージア州の上院2議席を争っていた選挙で、トランプ支持の候補者二人が
民主党候補に敗れ、共和党はまさかの2議席を失うことが決まっていました。それは同時に、バイデン率
いる民主党が、上院・下院ともに多数を制したことを意味しました。

ジョージア州はこれまで共和党の地盤でしたから、この選挙はトランプ氏にとって、自分への支持が今で
も健在であることをアピールする最後の機会でした。

さらに、民主的な手続きによる選挙と、トランプ氏が起こしていた選挙の無効を訴えた60ほどの裁判で、
ほとんど敗北しました。共和党派が多数を占める最高裁においてもトランプ氏は敗れ、選挙結果を覆す合
法的な手段は全て封じられてしまいました。

トランプ氏が、最後に自分の力を誇示する方法が、議事堂での直接行動を支持者に促す(事実上、煽動す
る)ことでした。

この“議事堂乱入”という暴動が起こる前、トランプ氏は、首都ワシントンに集まって抵抗の意志を示すよ
う呼びかけていました。

トランプ氏はこの時まで、選挙ではトランプが圧倒的に勝っているのに、選挙に不正があり、「選挙は盗
まれた」、と語り敗北を認めませんでした。そして、6日にはホワイトハウス南側の広場で、「もっと強
硬に戦わなければならない」「弱腰ではこの国を取り戻すことはできない」、さらに合同会議の長を務め
るペンス副大統領の名を挙げて「彼は正しいことをしてくれる」と語り、彼に結果を覆すよう公然と要求
しました。

最後にトランプ氏は群衆に向かって、「ここにいる全員が連邦議会議事堂に行き、あなたたちの声を聞か
せるために行進することを知っている」と語った後、「皆で連邦議会まで行こう」と呼びかけました(
『朝日新聞』2021年1月8日)。

この呼びかけがきっかけとなって、集会に集まったトランプ支持者の群衆の一部は暴徒と化し、ガラスを
割って議事堂内と本会議場に乱入したのです。

その時の映像は、何度もテレビで映し出されましたが、私も、とても現実のこととは信じられませんでし
た。そして5人の死者と、議事堂内部の議会内の破壊を行った後、州兵により排除されました。

私は、なぜ、このような事態が発生したのか、乱入した群衆はどんな人たちなのか、そもそもこうした熱
狂的なトランプ支持者とはどんな人たちなのか、といった疑問を抱きました。

今回の議事度乱入に関しては、トランプ大統領が煽ったとして共和党内部からも批判が出ています。トラ
ンプ氏の側近中の側近であるペンス副大統領も再開された合同会議の冒頭で、
    アメリカ議会の歴史において暗黒の日になった。ここで起きた暴力を可能な限 り強い言葉で非
    難する。ここで大きな混乱を引き起こした人たち、あなたたちは勝利しなかった。暴力が勝利す
    ることはない。自由こそが勝つ。世界の国々は、我々の民主主義の回復力と強靭さを目の当たり
    にするだろう。
と話しました(注1)。ペンス氏は、トランプ氏の断末魔の絶叫の中で、かろうじて共和党の良心を示し
たといえるでしょう。

議事堂への乱入に対して、海外からも非難が寄せられました。欧州連合(EU)のミシェル大統領も早速
これを批判し、ドイツのメルケル首相は7日、議会乱入は「私を怒らせ、また悲しませた」とコメントし
たうえで「責任はトランプ氏にある」彼は「暴力的な出来事が起こりうる雰囲気を作り出した」と非難し
ました。つまり、この暴動はトランプ氏の煽動によるもので、その責任はトランプ氏にあるとしました。

そのほかフランスンのマクロン大統領、スペインのサンチェス首相、北大西洋条約機構(NATO)の事務
総長も「衝撃的な光景。民主的な選挙の結果は尊重されるべきだ」と投稿しました。

トランプ氏の盟友、イギリスのジョンソン首相も「米議会の恥ずべき光景だ。米国は世界の中の民主主義
を表象しており、平和的で秩序ある政権移行が重要だ」とコメントしました。

コロナ対策で成功したニュージーランドのアーダーン首相は「人々が投票し、その意見が公になり、決断
が平和的に支持されるという民主主義は、暴徒によって滅ぼされるべきでは決してない」と強調したうえ
で、「民主主義が打ち勝つことを信じて疑わない」と述べました。

アジアの国ではインドのモディ首相は長年トランプ政権と親密な関係を築いてきましたが、「民主主義の
手続きが不法な抗議で覆されることは許されない」と非難しました(『日本経済新聞』2021年1月8日:
『東京新聞』2021年1月8日)

さて、トランプ政権との蜜月関係を世界にアピールしてきた安倍元首相、及びそこで官房長官として仕え
てきた菅現首相は、今回の暴動対して世界に向けて何のメッセージも発していません。日米同盟が日本外
交の基軸というなら、何らかのメッセージを出すべきでしょう。

ところで、トランプ大統領の岩盤支持層とはどのような人たちなのだろうか?伝統的に、トランプ氏が属
する共和党の岩盤支持層は白人の富裕層と保守的キリスト教プロテスタント(福音派)の人びとでした。

もう一つ大きな支持層の塊は、グローバル化と自由貿易の進展で痛手をこうむってきた白人のブルーカラ
ー労働者です。つまり、輸入の増加により国内での製造業の労働者は仕事を失ってきました。さらに、企
業が海外に出てゆくことでも国内の失業と賃金の低下をもたらしてきました。加えて、1100万人とも
いわれる移民(特にヒスパニック系移民)によってこうした労働者は職を奪われていると感じてきました。

アメリカ第一主義、「アメリカ・ファースト」「アメリカを再び偉大な国に」というスローガンはとりわ
けこうしたブルーカラー層に強くアピールしたものと思われます。

共和党の執行部は新自由主義政策を推進し税制面で富裕層と大企業を優遇している反面、ブルーカラー層
は、熱烈な共和党支持者でありながら切り捨てられるという皮肉な立場に置かれています。

アメリカで高卒以下の白人労働者のトランプ支持は57%、大卒以上では40%です。トランプ支持層の
中には一部の富裕層と、膨大な数の白人貧困層という構成です。これらのうち、トランプ氏の集会に出た
熱狂的な支持者、今回議事堂に乱入した人たちは白人の貧困層のようです(注2)。

熱狂的なトランプ支持者にはさまざまなグループがあります。たとえば、プライド・ボーイーズ(極右の
過激派集団)、オースキーパーズ(極右武装集団)、ミリシア(市民武装集団)、白人至上主義のクーク
ラックス・クラウン(KKK)、ネオナチ集団、Qアノン(陰謀説を信じる人びと)などです。

これらの団体は、方法性に多少の差はありますが、白人至上主義(人種差別主義を含む)、反左翼(社会
主義・共産主義)、事実に基づかない陰謀論、熱烈な愛国主義(同時に、移民を排除しようとする排外主
義)などの傾向があり、しばしば武装し戦闘的な行動に出ます。

陰謀論でいえば、たとえば、ヒラリー・クリントン氏やバラク・オバマ前大統領、ジョン・ポデスタ氏、
(そしてなぜか)トム・ハンクスなど、民主党を代表する面々が実は児童売春組織の一味で、トランプ大
統領を狙った「ディープステート」なる大規模な陰謀計画を企てている、というような数々の陰謀論を信
じている、というような類のものです(注3)。

客観的には到底信じられない「作り話」を信じる人たちは、いまだにトランプ氏の勝利を信じ、敗北を認
めていません。

リーダーの言葉やメッセージをそのまま信じ、行動に出るという状況を、かつて日本のオウム真理教問題
に関わった江川紹子氏は、トランプ支持者が、危険なカルト集団化している、と指摘しています。(注4)

カルトにとらわれた人々は、リーダーの言うことを全面的に信じてしまうという意味で、とても危険です。
昨年の大統領選の際の集会で、トランプ氏の言葉に支持者が熱狂する光景をテレビで見て私は、まるでナ
チス台頭期にヒットラーやゲッペルスの演説に熱狂したかつてのドイツ国民の姿を思い出しました。この
時は共産主義とユダヤ人が標的になりました。

ところで、見逃せなのは、トランプ氏に忠誠を示して、選挙結果に異議を唱えた共和党議員が多かったこ
とです。彼らの言動もトランプ氏の暴走を許してきた重要な要因です。

今回の大統領選および議事堂への乱入を見てトランプ大統領の断末魔とアメリカ社会の病理を見た感じがし
します。後者の病理として、要約すれば社会内に生まれた埋めようの分断ということになりますが、二つだ
け挙げておきます。

一つは、よく言われる貧富の格差の拡大です。かつてのアメリカでは中産階級が社会中核を成し、アメリカ
的な自由と民主主義を体現していたと考えられます。しかし、グローバリズムは国内産業の衰退をもたらし、
ブルーカラー労働者が大量の失業と低賃金を生み出しました。現に平均的は労働者の30%が十分な貯蓄も持
っていません(注5)。彼らの将来に対する不安は限界まで高まりつつあります。そうした中で、共和党執
行部から疎外され、リベラルな民主党を受け入れることができない保守的なブルーカラー層がトランプ支持
者となっているのです。

この過程で、多くの中産階級の人々が貧困層へ転落していったことも見逃せません。これらの人びとは自尊
心と誇りを失い、何かに救いを見出そうとしています。

他方で、GAFAに象徴されるIT企業やその社員たち、あるいは金融取引によって途方もない富を手に入れて
いる人たちがいます。この埋めがたい貧富の格差に耐えられない人々にとって、トランプ氏の「アメリカを
再び偉大な国に」というメッセージは、希望を与えてくれる“魔法の言葉”として響いたと思われます。

二つは、ヒパニック系、アフリカ系アメリカ人、その他の有色人種の人口が将来的に白人を追い越してしま
うかもしれないことに対する恐怖です。これは一方で、人種差別や排外主義を生み、他方で白人の優越を擁
護するトランプ氏への共感を生みだいしていると考えられます。

こうした状況を、『東京新聞』(2021年1月9日)の社説は、次のように総括しています。
    分断が深まる米社会で幅を利かせるのは「トライバリズム(部族主義)」だ。人種、
    民族、政治信条などの違いに応じてできた集団に閉じこもり、異なる集団を許容しない。

議事堂に乱入した群衆や、熱狂的なトランプ支持者の多くは、この「トライバリズム」に閉じこもった人た
ちのようです。得票数をみると、バイデン氏8100万票に対してトランプ氏7400万票あったというこ
とは、アメリカ社会がほぼ二分されていることを示しています。これはアメリカ社会が抱えた深刻な分断で、
いつ暴発するかも知れない危険をはらんでいます。


                注
(注1) Yahoo ニュース/ HUFFPOST 1/7(木) 13:32 https://news.yahoo.co.jp/articles/e2389ff10668f942c67d441328ebd7d074ca5018
(注2)中岡望「トランプを支持しているのは誰か?アメリカ『極右化』の真実」https://ironna.jp/article/3874?; 
WEDGE Infinity 2020年11月5日 https://wedge.ismedia.jp/articles/- /21270
(注3)Yahoo News 2021年1月7日、19:07 ewshttps://news.yahoo.co.jp/articles/f566df033b95ea0ac0d6c6ee389d9fe42f48cbce
(注4)Yahoo ニュース 2021年1月8日、15:47
https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20210108-00216678/
(注5)(注2)の中岡望の論考参照。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
議事堂に突入するトランプ支持者                            議事堂内に乱入したトランプ支持者。牛の角の被り物を付けた、典型的なQアノンのメンバー
 
                         2021年1月7日  BBC NEWS Japan
                         https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/08/post-94270.php より転載


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アメリカ大統領選挙(1)―勝利宣言にみる指導者の品格・格調・スケール―

2020-11-12 16:39:06 | 国際問題
アメリカ大統領選挙(1)
―勝利宣言にみる指導者の品格・格調・スケール―

2020年11月7日(現地時間)、ジョー・バイデン大統領候補のジョー・バイデン氏と副大統領候補
のカマラ・ハリス氏は、トランプ氏との選挙戦で勝利したしたことを宣言する、いわゆる勝利宣言を
行いました。

私はこの両者の演説を複雑な思いでテレビ中継を観ていました。

「複雑な思い」とは、大きく二つです。一つは、本来なら選挙で負けた方が「敗北宣言」をし、それに
対して勝者が「勝利宣言」を行うのが慣習なのに、今回はトランプ大統領が「敗北宣言」をしていない
ため、勝利宣言だけが行われたことに対する違和感です。

もう一つは、バイデン氏とハリス氏のスピーチが非常に感動的だったので、私は、ふと、菅氏が首相に
就任した後の国会での所信表明演説とを比較してしまい、その差に、何とも言えない淋しさを感じたこ
とです。

まず、内容に立ち入るまえに、バイデン、ハリス両氏は、原稿を読むことなく、聴衆を見据え、自分の
言葉で20分以上も話しかけます。

それにたいして菅首相は、常に官僚が書いた原稿を、下を向いたままひたすら読み続けます。

もちろん、勝利宣言と、所信表明では状況が異なりますから、同列に扱うことはできません。

それでも、国会における菅首相の答弁では、やはり官僚の書いた作文を、下を見ながら読んでいます。
あるいは、答弁中に、頻繁に官僚の耳打ちやカンニングメーパー(メモ)が渡され、それを首相が読み
上げる姿がテレビ中継で見受けられます。

私が心配したのは、これから日本を代表して国際会議などで、官僚の耳打ちもカンニングペーパーもな
く、自分の言葉で各国のリーダーと議論や協議を十分にしてゆくことができるだろうか、と言う点です。

私は、ふと、リーダーとしての品格とスケールの違い、そしてそれらに裏打ちされたスピーチの格調の
高さの違いに愕然としました。

大国アメリカのリーダーと日本の首相を比べることには無理があり、と言う人が要るかも知れませんが、
それは必ずしも正しいとは思いません。

というのは、日本は世界第三位のGDPをもつ「大国」である、という意識が従来の日本政府には一貫
してあったからです。

したがって、その「大国」日本の新たなリーダーとなった菅首相は、その就任スピーチ(所信表明演説)
でも、それなりの品格、スケールの大きさ、格調の高さを示して欲しかった、と私は思いました。

ところで、バイデン氏の勝利宣言の中で、私が特に注目した言葉は幾つもありました。

冒頭に近い部分で「信頼と信任を与えられ、厳粛な思いだ。分断ではなく、融和を目指す大統領になる」
と語ったのは、トランプ大統領が、意図的に分断(注1)を煽って人気を博してきたが、それによってア
メリカ社会が癒し難い分断の亀裂を深めてしまったことに対する、痛烈な批判でした。

それに続く、以下の部分が、このスピーチの核心部分です。

    米国を米国足らしめるものは何か。それは国民だ。私たちの政権にとっても国民が全てだ。私は
    米国の魂を取り戻すため、大統領を目指した。屋台骨である中間層を立て直し、米国が世界で再
    び尊敬されるようにし、この国をまとめるためだ。

そのためには、「互いの主張に耳を傾け時だ。前進するために、意見の異なる相手を敵のように扱うのは
やめよう。彼らは敵ではなく、米国民だ」という気持ちを持とう、と呼びかけます。

ここでバイデン氏は、「聖書は、全ての物事には、作り、収穫し、種をまく、そして癒す季節(時)があ
る」と聖書を引用します。

これは、トランプ支持者の大きな位置を占める福音派のキリスト教徒への呼びかけです。そして、バイデ
ン氏は「癒す季節」という点を強調します。聖書からの引用に続いて、

    今は米国を癒す時だ。選挙は終わり、国民は何を望むのか。私たちの使命は何か。良識、公正、
    科学、希望の力を結集して闘いに挑むよう国民から託された

と、ここでも「癒す」(heal)という言葉を使います。

これは、今のアメリカが分断によって、いかに社会も個人も傷ついてしまったのか、という実情を示して
います。

こうした分断をて、傷ついたアメリカを「癒す」必要がある、と言っているのです。

もう一つ、上に引用した言葉の中で、「良識」と「科学」の力を結集し、という部分にトランプ氏に対す
るバイデン氏の批判が込められています。

つまり、トランプ氏は、新型コロナは風邪のようなもので、大したことはない、マスクなどする必要がな
い、と言い続けてきました。このため、支持者にとって、マスクをしないことでトランプ氏への忠誠心を
示す「踏み絵」となっています。

これに対してバイデン氏は、トランプ氏の言動は科学に基づいておらず、マスクをしないで大規模集会を
行うことは、良識を欠いている、と指摘しているのです。

当初、バイデン氏について、年齢的なこともあって、どことなく弱よわしい印象をもっていましたが、こ
の宣言を聞いてい、非常に説得力がある力強い印象を持ちました。

次に、ハリス氏のスピーチをみてみよう。奇しくも、ことしはアメリカで女性参政権が憲法で認められた
100年目に当ります。

ハリス氏はインド系移民の母とジャマイカ出身の父を持つ移民2世です。彼女は、2017年からカリフォル
ニア州選出の上院議員で、民主党議員としてアフリカ系アメリカ人女性としては2人目、南アジア系アメ
リカ人としては初めての上院議員です。

そして、アメリカ史上最初の女性服大統領候補です。

勝利宣言の際、バイデン氏に先立って、ハリス氏がスピーチを行いました。ハリス氏もバイデン氏と同様、
アメリカ社会の分断をなくすべきだと主張しますが、とりわけ女性が分断を乗り越えるために努力してき
たことを訴えます。

    女性たちは多くのことを犠牲にしました。平等の権利のために戦いました。全ての人たちのため
    に正義をもたらそうとしました。黒人女性たちはこれまでも見過ごされてきました。しかし、民
    主主義の根底にある大切な存在だということは分かっていました。

そして、多くの人に感銘を与えた言葉が、以下の部分です。

    私が初の女性副大統領になるかもしれませんが、最後ではありません。すべての幼い女の子たち、
    今夜この場面を見て、分かったはずです。この国は可能性に満ちた国であること。私たちの国の
    子どもたちへ、私たちの国ははっきりとしたメッセージを送りました。
    ジェンダーなどは関係ありません。野心的な夢を抱き、信念をもって指導者となるのです。そし
    て他の人とは違った見方をするのです。

ハリス氏は民主党のバイデン大統領政権の下で、もし正式に決まれば、副大統領として全力で大統領を補
佐することを表明しています。

それと同時に、このスピーチでは将来、社会に登場する若い女性たちに、信念をもって指導者になって欲
しいと強く訴えています。ここには、将来を見据えた社会像がが示されています。

以上、勝利宣言でのバイデン氏とハリス氏のスピーチの要点を紹介しましたが、私が強く印象付けられた
のは、両者とも、アメリカをどのような国と社会にして行きたいのかを、明確な国家像と理念を示したう
えで、語っていたいことです。

両者のスピーチは、品格があり、格調高く、そしてスケールの大きさを感じさせました。

これに対してトランプ氏は、アメリカをどのような国にしたいのかという国家像を示すことはなく、ただ
「アメリカ・ファースト」を叫び続けたこと以外、ほとんど思い出すことはありません。

ひるがえって、日本の歴代の首相はどうでしょうか?

残念ながら、私は、この日本は一体、どうなってしまうのか、という不安を抱くばかりです。

携帯電話の料金値下げも、IT化の促進も、不妊治療の保険適用も意味があるとは思いますが、それは担
当の大臣なり役所の仕事です。

しかし、私たちが首相に期待するのは、この日本をどのような社会にして行くべきかの国家像と展望を示
すことです。

これらを考えると、どうしても首相の品格・格調・スケールの点で、彼我の違いが、あまりにも違い過ぎ
る気がします。

以上が、大統領勝利宣言を聞いて私が思った個人的な印象です。次回は、今回の大統領選挙を通じて、ア
メリカ社会について何が明らかになったのかを検討したいと思います。

(注1)この分断とは、民主党と共和党、進歩派と保守派、などの政治的立場、人種、宗教、人種(白人、
黒人、アジア系、中南米系、先住民)、同性愛者、都市、郊外、地方、などさまざまな違いに基づく溝と
なってアメリカ社会の至るところに存在します。




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追悼 中村哲氏の死を悼む―銃弾ではなくクワで平和を―

2019-12-07 10:49:16 | 国際問題
追悼 中村哲氏の死を悼む―銃弾ではなくクワで平和を―

12月4日、何気なくインターネット・ニュースを見ていたら、突然、中村哲氏がアフガニスタン
で銃撃され、死亡した(73才)というニュースが飛び込んできました。

私は、中村氏の活動はずっと注目していたし、ささやかではありますが応援もしてきましたので、
本当に衝撃を受け、「信じられない。うそだ!」と反射的に叫びました。

現地の仲間が同日に追悼集会を催しましたが、その背景に掲げられた横断幕には、
    You lived as an #Afghan and died as one too. (あなたはアフガン人として生き、
    アフガン人として死んだ)と書かれています。

現地の人は、中村さんを「神のような人」と呼んでいます。そして、鶴見俊輔氏はかつて、「日
本の希望は中村哲だけだ」と彼を高く評価しました(『毎日新聞』2019年12月5日)。

中村さんのこれまでの活動や功績については、すでに多くのメディアで取り上げられていますが、
念のため、今一度振り返っておきます(『東京新聞』2019年12月5日)。

医師である中村さんは、1984年にパキスタンのペシャワルでハンセン病患者の医療活動に従
事しました。そして、このことが、その後30年近くもアフガニスタン支援に携わる始まりとな
りました。

当時、アフガン内戦の影響で多数の難民がペシャワルに流入してきたため、中村さんの関心は次
第にアフガンに向き、91年にはアフガン東部のナンガルハル州に診療所を開いて、名実ともに
この地に根を下ろすことになりました。

しかし当時この地域では内戦が続き、「若者が武装勢力に加わるのは貧困が背景にある。アフガ
ン和平には戦争ではなく、貧困解決が不可欠」との信念を抱くようになりました。

2001年、米国での同時多発テロを受けて「テロとの戦い」の舞台として、アメリカは当時の
タリバン政権に攻撃を開始しました。これ以後アフガニスタンはさまざまな組織を含めたテロ攻
撃や交戦が全土で相次ぎました。

2001年10月、自衛隊が米国によるアフガンでの対テロ戦争を後方支援するための「テロ対
策特別措置法」を審議する衆院特別委員会に参考人として出席し「自衛隊派遣は有害無益。日本
に対する信頼感が、軍事プレゼンスによって一気に崩れ去ることはあり得る」と、海外での活動
拡大に強い懸念を示しました。

これに対して自民党議員からは発言の撤回を求められましたが、中村さんは「無限の正義の米国
対悪の権化タリバンという前提がおかしい」と反論しました(『東京新聞』2019年12月5日)。

つまり、現地の状況を全く知らず、ただただアメリカの要請に応えることを金科玉条のように考
える自民党議員(おそらく自民党政権全体)に対して、中村さんははっきりと「ノー」を突きつ
けたのです。

中村さんは2007年に『東洋経済』のインタビューで、「非軍事援助こそ日本の安全保障」と
明確に語っています(注1)

こうして、中村さんの支援の内容が医療から干ばつや貧困対策へ徐々に移っていきました。その
大きな転機になったのは、2000年の大干ばつで、その時日本人の若者ボランティアを募り井
戸掘りや用水路の建設を始めました。

若者はイスラム教を尊重した生活習慣を貫き、地域に溶け込む努力を続けました。この際、近く
の米軍が援助を申し出ても断り、これによって住民の信用を得てきました。

しかし、2008年にもう一つの転機が訪れます。この年、一緒に仕事をしていた伊藤和也さん
(当時31歳)が武装勢力の凶弾に倒れたのです。これ以後、若者らの派遣を厳しく制限する一
方、自分だけは陣頭指揮を続けてきました。

中村さんの偉大な功績にたいして、2003年には「アジアのノーベル賞」といわれる「マグサ
イサイ賞」を、16年には「旭日双光章」を、18年2月にアフガニスタン政府から、日本の民
間人としては異例の勲章を授けられました。

この間に中村さんの陣頭指揮の下、1600本の井戸を掘り、そこから畑に水を送る灌漑水路を
建設し、1万6500ヘクタールもの乾いて貧しい土地を緑の農地に変えました(『朝日新聞』
2019年12月5日;『東京新聞』2019年12月5日)。

中村さんは、「誰もが行くところには誰かが行く、誰も行かないところにこそわれわれに対する
ニーズがある」との信念からペシャワールからアフガニスタンへという、危険地帯に身を投じた
のでした。

現地でボランティアを希望する看護師の問に、
    ペシャワールについて語ることは、人間と世界について総てを語ることであると言って
    も過言ではない。貧困、富の格差、政治の不安定、宗教対立、麻薬、戦争、難民、近代
    化による伝統社会の破壊、およそあらゆる発展途上国が抱える悩みが集中しているから
    である。
    悩みばかりではない。我々が忘れ去った人情と、むきだしの人間と神に触れることがで
    きる。我々日本人が当然と考えやすい国家や民族の殻を突き破る、露骨な人間の生き様
    にも直面する

と答えています(著著『ペシャワールにて』から。(『毎日新聞』2019年12月5日 夕刊から
の再引用)。

私もずっと昔、学生時代に、アフガニスタンを放浪していたことがあるので、乾ききって、山も
平地も白茶けた、みるからに不毛な大地のイメージが残像として残っています。

しかし最近の映像を見ると、灌漑された土地には緑の絨毯のように小麦が青々と育っています。
長いあいだ乾燥状態のままの土地には草木も生えず、栄養となる有機分の補給もなかったことを
考えると、多少、農業に手を染めている私からみると、信じられないほど凄いことです。

それでも、住民を貧困から救うために、この不毛の大地と30年間も格闘して、豊な実りをもた
らす土地に造り変えた情熱と献身は、本当に尊いと思います。

中村さんは、この地域の日本の評価と信頼を一身に引き受けていた、といっても過言ではありま
せん。この意味で、中村さんは、難民救済に貢献し最近亡くなった緒方貞子さんとともに日本の
宝です。

中村さんは、これまでいくつもの言葉を残しています。それら全てをここで紹介することはでき
ませんが、中村さんの気持を表現した素晴らしい言葉を幾つか引用します。

「武器を取る者は取れ。私たちはクワで平和を実現しよう。きざな言い方をすればそんな思いで
続けています」(『毎日新聞』2019年12月5日)

この言葉は、中村さんの思いを言い尽くしています。「武器ではなくクワで」が究極の理念です。

また、「100万発の銃弾より1本の用水路の方がはるかに治安回復に役立つ。(日本政府は)
米欧の軍事行動と一体とみなされない独自の民生支援を長期的に進めるべきだ」とも言っていま
す(2009年2月、オバマ米大統領=当時=がアフガニスタンへの増派を決めたことを受けての取
材で)(『毎日新聞』2019年12月5日 夕刊)。

各地の講演などでは、砂漠だった土地で稲作や果実栽培が可能になった経験を紹介すし、「戦争
のことが伝えられることが多いが、食べ物がなくて命を落とす人が大勢いる。目の前の一人を救
っていくことの積み重ねが、平和につながる」と語ります(『東京新聞』2019年12月5日)

中村さんは、自分自身の長年の現場での活動経験を通じて、憲法の理念を体現した人です。
   
    憲法は我々の理想です。理想は守るものじゃない。実行すべきものです。この国(日本
    政府)は憲法をないがしろにしてきた。インド洋やイラクへの自衛隊派遣―国益のため
    なら武力行使もやむなし―それが正常な国家だと政治家は言う。私はこの国に言いたい。
    憲法を実行せよと。
    天皇陛下と同様、これ(憲法9条)がなくては日本と言えない。近代の歴史を背負う金
    字塔。しかし同時になお位牌でもある。(『毎日新聞』同上)

中村さんは、日本が日本であることの証しは、天皇がいて憲法9条がある、ということで、それ
らがなければもう、日本とは言えない。しかし、憲法9条は死んで位牌となってしまっていると
言います。

現行の憲法、とりわけ第9条を変えようとしている安倍政権の姿勢は、中村さんの視点からする
と、日本を日本でなくする愚かな所業である、ということになります。

現地の長老からは、「(中村さんを)この地に招いてくれた神に感謝する」と、最大限の賛辞を
寄せています。

また、あるアフガン人は、メディアのインタビューで「ご遺族に伝えて欲しい。中村さんは死ん
ではいない。我々の心の中に生き続けている」と語っています。

中村さんが所属する「ペシャワール会」の福元満治広報担当理事は12月4日、福岡市内の事務
所での記者会見で、これまで取り組んだ農業用水の整備などは安定につながる」ことを指摘し、
「事業の中止になることはない」と力を込めました。

安倍首相は、型通りの「残念だ」との短いコメントを出していますが、もし本気で世界の紛争地
域の解決に取り組むのであれば、アメリカ追随一辺倒ではなく、実体験に基づく中村さんの言葉
をじっくりと噛みしめ、その遺志を継いで真の「地球を俯瞰する外交」に徹して欲しいと思いま
す。

中村さんのような日本人がいたことは私にとって誇りであり宝物でしたが、亡くなった今となっ
ては彼が残してくれた言葉が宝物です。

改めて中村さんのご冥福をお祈りします。

(注1)『東洋経済』ONLINE(2019年12月7日)https://toyokeizai.net/articles/-/318423


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アフガニスタン東部のジェララバードでスタッフと(『東京新聞』2019年12月5日)          ジャララバード郊外で整備された用水路の前に立つ中村哲氏(2016年11月)
         
  

        『東京新聞』(2019年12月5日)より転載                                  『東京新聞』(2019年12月5日)より転載



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米中貿易戦争の危険性(2)―「二頭の象」に振り回される世界―

2019-09-13 11:55:35 | 国際問題
米中貿易戦争の危険性(2)―「二頭の象」に振り回される世界―

「二頭の象が争う時、傷つくのは草」というアフリカの諺があります。

ここで、「象」とは巨大な力をもった存在、という意味でで、現代世界で起こっている
「二頭の象」とは、いうまでもなくアメリカと中国です。

では、この二頭の象の戦いは、なぜ勃発し、そしてその勝敗は?

事の始まりは、2016のアメリカ大統領選挙期間に、トランプ候補がアメリカは中国との
間に膨大な貿易不均衡(貿易赤字)を抱えていることの問題を選挙運動で盛んに有権者
に訴えたことでした。

実際、おおざっぱに言って、アメリカの貿易赤字の半分は中国からの輸入で占められて
います。つまり、その分、アメリカは中国に仕事を奪われている、という理屈です。

そしてトランプ氏が選挙で勝利し大統領に就任すると、昨年7月の第一弾から今年9月
の第四弾まで矢継ぎ早に、中国製品の輸入規制のための高率関税を課してきました。

トランプ氏のスローガンは「アメリカ・ファースト」、つまり「自国第一主義」です。

これに対抗して、中国もそのつどアメリカ製品に対する報復関税を課してきました。こ
うして、双方の報復合戦が現在も続いています。

アメリカは、トランプ登場以前は、徹底した市場開放、自由貿易を他国に押し付ける、
「新自由主義」の主導者でした。

そのアメリカが、180度正反対の「自国第一主義」という、なりふり構わない保護
貿易主義を前面に押し出してきているのです。

多くの国が「自国第一主義」を採用すれば、世界経済は縮小し、それを克服するために、
最悪の場合には、何かをきっかけに、1930年代の世界恐慌から第二次世界大戦へ進
んだ、いつか来た道をたどりかねません。

こうした危険性を念頭に置いて、「二頭の象」の実像をみてみましょう。

まず総合的経済力の指標としてGDP(国内総生産)で比較すると、アメリカは世界の
DGP(84兆7400億ドル)の24%、中国は同18.8%で、二国だけで世界の
GDPの40%を占めています。ちなみに日本は6%弱です(以上IMFの推計)。

GDPは、それぞれの国の財とサービスの生産額で、その国の経済規模を図るには重要
な指標であり、間接的には輸出能力をも示しています。

しかし、今問題となっている貿易戦争とは、価格と品質を競う自由な競争状態ではなく、
相手からできる限り輸入を規制して減らそうとする戦いなのです。

そこで重要な数字は、これまで米中はどれほど輸入してきたのかという実績であり、そ
れは同時に、将来的には他の国にどれほど市場を提供できるのかという潜在能力でもあ
ります。

2018年をみると、世界の総輸入額19兆6100億ドルのうち、アメリカは13%(2
兆5400億ドル)、中国は11%弱(2兆1000億ドル)で、両者を合わせて24
%ほど、つまり、世界の総輸入額の四分の一を占めています(WTO-JETRO調べ)。

現在の米中貿易戦争が実際、どれほどの影響を世界経済に与えるかは、来年以降になら
ないとわかりません。というのも、アメリカによる広範で重い輸入規制の第四弾が全面
的に適用されるのは今年の年末だからです。

米中の経済指標(GDP、輸出入額)とは別にもう一つの要素として人口規模を考える
必要があります。

現在、アメリカの人口3億2700万人に対して中国は14億2700万人で、アメリ
カの4.4倍もあります。

これが意味するところは非常に重要です。前回も紹介したように、「中国がくしゃみを
すれば、世界が風邪をひく」という表現にはいくつかの重要な意味があります。

まず、中国はその国内に途方もなく大きな市場を抱えていることです。ということは、
中国は基本的に国内市場だけでも、アメリカ・ヨーロッパ・日本などを合わせたよりも
潜在的には大きな市場(購買力)をもっているのです。

日本をみても分かるように先進国の国内市場はすでに飽和状態にあり、もし経済成長を
目指すのであれば、どうしても中国という巨大な市場を頼りにせざるを得ません。なぜ
なら、今日の世界で、中国ほど大きな市場は他にないからです。

つまり、日本を含めて世界の多くの国はこれまで中国への輸出によって利益を得てきま
した。つまり名実ともに、世界経済を牽引してきたのは中国市場の購買力だったのです。

前回紹介したように、米中貿易戦争によって今年上半期の中国からアメリカへの輸出は
前年同期比で8・1%減少し、4月~六月期のGDPも前年同期比で縮小しています。

アメリカがあらゆる方法で中国の台頭を抑え込もうとすれば、中国経済は確実に停滞な
いしは縮小しますが、それは必然的に、それまで中国への輸出で利益を得てきた国の輸
出を減らすことになります。

トランプ氏は、目先の貿易赤字を減らすことが、次の大統領選挙に有利に働く、との短
期的な思惑だけで現在の貿易戦争を仕掛けているのですが、上に述べたような、長期的
な世界経済への影響などまったく眼中にないようです。

ところで、巨大な市場を国内にもっていることは、長期的には中国経済にとって強力な
武器になります。たとえば、新しい車を開発する場合、一定数以上の販売がないと、開
発費用の回収と次の車の開発費用を捻出できません。私の記憶では、最低でも5万台以
上の販売が必要だったと思います。

もし、国内に14億人以上の市場があれば、こうした条件を簡単にクリアできます。従
って、中国の自動車メーカーは安心して新車種の開発に投資できることを意味します。

自動車は一つの例ですが、同じことはあらゆる分野の生産と技術革新について言えます。

現在の中国は、巨大な国内市場に加えて技術的にも世界のトップ水準に達しています。
とりわけ、次世代通信システム(5G)では、技術的には世界トップの水準に達し、し
かもすでに実用段階に入っています。日米とも、まだ中国が達した水準での5Gの実用
段階にはありません。

しかも、今年の1月には、アメリカもロシアもできなかった、月の裏側へ宇宙衛星を着
陸させ、その総合的な技術力の高さを証明しています。

さて、米中貿易戦争という「二頭の象」の争いによって「傷ついた草」はすでに現れて
います。たとえばドイツの基幹産業で自動車の対中輸出が落ち込み、今年の4月~六月
期のGDP前期比0.1%(年率にして0.4%)の減少です。

もし、七月~九月期もマイナス成長が続けば、ヨーロッパ最大のドイツ経済が景気後退
期に入ることになります。しかも、これからは米中貿易戦争が一層激しくなるので、今
年の年末から来年にかけては、さらに落ち込みは大きくなるでしょう。

ドイツだけでなく、ヨーロッパ全体が、景気の後退期に入り、9月12日には欧州中央
銀行は景気浮揚策として金融緩和を決定しました。これは事実上のユーロの切り下げで
す(注1)。

日本も中国向け輸出が振るわず、輸出は八か月連続して減少しています。日本にとって
さらに深刻な問題は、米中対立が激化するにつれてリスクを回避するため円買い(円高)
も進んでいることです。

こんな状況下で10月から消費税を上がれば内需も落ち込みますから、10月以降の日
本経済は、マイナスに転じる可能性が大です。

さて、それでは、という二頭の象の戦いの勝敗はどうなるのでしょうか?

昨年、米国が制裁関税の第三弾を発令した10月、たとえば経営コンサルタントの小宮
一慶氏は、この戦争で得をするのはアメリカ、損をするのは中国、(言い換えると、ア
メリカが勝ち中国が負ける)との見通しを述べています。その根拠は、中国の貿易黒字
の大半がアメリカへの輸出から得ていること、アメリカのドルは世界の基軸通貨である
ということです(注2)。

しかし、事はそれほど単純ではありません。私は、3つの理由から、トランプ政権の政
策を続けるかぎりアメリカは「負けない」かもしれないけれど「勝てない」と思います。

まず第一に、政権として中国との貿易を制限しても、企業は毎年の利益を確保する必要
があるので、長期の経済戦争には耐えられないのです。今年の8月半ばに、米アップル
社のティム・クックCEOは、トランプ大統領に懸念を伝えました。というのも同社製
品の組み立て工場59カ所のうち52カ所が中国に集中しているからです。

また、中国に進出する米企業で組織する米中ビジネス評議会は制裁関税の第二弾が実施
された直後の8月29日、会員の8割超が米中対立による悪影響を受けている、との調
査結果をまとめました。つまり、企業と政府とは利害が異なるのです。

しかしトランプ大統領は全くこれを無視し「中国国外への移転を即座に探す」よう米企
業に迫っています(『毎日新聞』(2019年9月2日)。

第二に、トランプ大統領の任期と関係しています。『日経新聞』編集委員の藤井明夫彰
夫氏は今年の9月2日の「米中、我慢比べの耐久度 分が悪いのはトランプ氏?」とい
うタイトルの記事で、 この闘いはトランプ氏に不利ではないか、と予測しています。

トランプ氏が中国に貿易戦争を仕掛けたのは、彼の支持基盤がそれほど盤石ではないた
め、来年の大統領選挙で有権者の支持を獲得しようとする動機から出発しています。

これに対して中国は国民の世論を気にすることなく、アメリカの圧力に耐えつつ、じっ
くりと戦略を練る余裕があるのです。中国の習近平首相は今年の4月ころから、対中貿
易戦争を「持久戦」と位置づける姿勢を明確にし始めました。

他方、アメリカのトランプ氏にそれほど余裕があるわけではありません。大統領選のカ
ギを握る米中西部の激戦州の農業関係者からは、中国の米国産農産物への関税への不満
が高まり、貿易協議の早期妥結を求める声は日増しに高まっています(注3)。

第三に、私はこれが最も重要であると考えていますが、先に書いたように、中国はアメ
リカと切り離されても、国内に14億人の市場をもっており、「持久戦」に持ち込めば、
「勝てない」かもしれませんが「負けない」と思います。

私は、トランプ氏は面子を失わない、何らかの形で妥協を模索するのではないかと考え
ます。実際、9月12日、トランプ大統領は中国との貿易を巡り、比較的簡単な議題に
絞った「暫定合意」を検討する考えを示しています(注4)。

こんな情勢の中、日本では消費税の値上げと「アベノミクス」による成長戦略を追求し
てゆくのでしょうか?

(注1)『日経新聞』電子版(2019年9月13日:8:59)   https://www.nikkei.com/article/DGXMZO49766930T10C19A9000000/?n_cid=BMSR2P001_201909130716
(注2)『日経ビジネス』(ONLINE)2018年10月29日
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/011000037/102500045/?P=1
(注3)『日本経済新聞 電子版』(2019/9/2 11:30)に書かれている日経新聞の編集委員の藤井明夫彰夫氏の見解。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO49285720S9A900C1I00000/?n_cid=NMAIL007

(注4)『日本経済新聞』電子版(2019年9月1日 7:16)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO49766930T10C19A9000000/?n_cid=BMS R2P001_201909130716

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朝、日の出まえの、ほんの一瞬、空と雲は幻想的な光彩を放ちます。しかし、これは数分後には消えてしまいます。


  



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米中貿易戦争の危険性(1)―1930年代の状況に似る―

2019-09-04 16:35:35 | 国際問題
米中貿易戦争の危険性(1)―1930年代の状況に似る―

本来なら、前回に続いて、日韓問題について続編を書くべきなのですが、ここにきて、世界全体
に深刻な影響を与える二つの問題が発生してしまいました。

一つは、昨年7月から始まった米中貿易戦争が今年9月1日より、のっぴきならない危険ライン
を超えたことで、二つは、ブラジルをはじめアマゾンの熱帯林における大規模火災です。

もちろん、日韓関係は重要な問題ですが、極論すれば二国間の問題です。これに対して米中の貿
易戦争とアマゾンの大火災は、当事国だけでなく日本も含む世界に甚大な影響を与える危険性を
はらんでいます。

これら二つの問題のうちアマゾンの問題は後日考えるとして、今回は、米中の貿易戦争について
考えてみたいと思います。というのも、日本のメディアは、米中の関税を中心とした貿易戦争を
長期的な、そして世界的な影響という観点から扱っていないのですが、私は非常に強い危機感を
もっているからです。

しかし、アメリカの専門家は去年からトランプ大統領が仕掛けた米中貿易戦争をかなり深刻に受
け止めています。

たとえば、アメリカのピーターソン国際経済研究所によると、米国の対中国に限った平均関税率
は貿易戦争が始まるまで約3%にすぎなかったのに、トランプ大統領は昨年から段階的に上げ、今
年の9月1日からは21%超まで高めてしまいました。

この関税率がいかに高水準で異常であるかは、米国が保護主義へ向かった1930年ごろの関税率が
全輸入品平均で約20%だったことを考えると分かります。

いうまでもなく、1930年ころといえば、世界は大恐慌のただ中にあり、各国は自国の産業や
経済を守るために輸入品に対して高率関税を課したり、いくつかの国が同盟を結んで、いわゆる
ブロック経済を形成していた時代です。

その結果、世界経済は極端に縮小し、不況と失業がまん延するようになり、この状況を打開する
ために起こした行動が第二次世界大戦につながったという苦い歴史があります。

ピーターソン国際経済研究所は、こうした過去の反省から米国などは戦後、関税を下げて自由貿
易を進めてきたが、グローバル化の揺り戻しが鮮明になってきた、と分析しています。

ここで「グローバル化の揺り戻し」とは、製造業をはじめとする経済活動が世界全体に拡散し、
圧倒的な生産力でも技術でも金融でも絶対的な優位を誇っていたアメリカの覇権は相対的に低下
し、気が付いてみると大幅な輸入超化となっていたことを意味します。

これは、アメリカ国内にその分、労働の機会が失われていることをも意味します。そこで、最大
の輸入国である中国をターゲットに、「アメリカファースト」を唱えるトランプ大統領は、中国
からの輸入を減らすべく20%を超す高関税を適用したのです。

世界貿易機関(WTO)によると、関税率(単純平均)が20%を超すのは中米バハマ(32%)と
アフリカのスーダン(21%)のみで、保護主義で自国産業を守る途上国ばかりです(注1)。

現在の米中間の関税の平均が20%超という水準がいかに異常な高水準であるかが分かります。

20%超の制裁関税が駅用されるまでのステップをみてみましょう。

まず、第一弾として、昨年の6月、トランプ大統領は、アメリカの貿易赤字を減らすために、また
知的財産権の侵害に対する対抗・報復措置として最大の輸入相手国である中国からの輸入品のうち
340億ドル分に25%の追加関税を課しました。そして、中国も同様の報復関税を適用しました。

第二弾。同8月23日に米中それぞれが160億ドル分の輸入品に25%の追加関税を課しました。

第三弾は、アメリカは2000億ドル分の輸入品に対して10%の追加関税を発動し、中国は60
0億ドル分に最大10%の追加関税を課しました。

こうした追加関税の応酬は米中双方の経済にマイナスの影響を与え始めたため、首脳会談で一時休
戦となりました。

年が明けて1月1日、中国は一方的にアメリカに課していた追加関税を一時、凍結しましたが、5
月10日、アメリカは既に第三弾で適用した10%の関税を25%に引き上げました。

このころ、アメリカの対中貿易戦争に、たんなる貿易戦争から、中国のIT技術に対する攻撃とい
う要素が加わります。5月15日には米企業と中国の巨大IT企業のファーウェイとの取引を事実
上禁止しました。

その理由は、ファーウェイは中国政府と一体となって、その製品を使うと情報が洩れて安全保障に
問題が発生するからだ、というものでした。アメリカ企業は言うまでもなく、日本を含めて、多く
の国の企業や公的機関がアメリカの要請にしたがって、ファーウェイの製品を買い控えています。
もちろん、ファーウェイは、中国政府との関係を否定しています。

この背景には、アメリカが誇るIT分野で、次世代の通信システム(5G)で、実は、ファーウェ
イをはじめとする中国企業が猛追し、5Gの基地局に関していえば既に先行されており、アメリカ
はファーウェイの基地局設備が世界標準になってしまうことを恐れているのだと私は推測していま
す(注2)。

トランプ大統領はITをはじめとする技術分野でも絶対的な優位を失いつつあることに脅威を感じ
ていることは確かです。この問題が、米中貿易戦争に新たな要素としえ加わりました。

アメリカによる第三弾の関税引き上げに対抗して中国は6月1日には第三弾の税率を25%に引き
上げました。

続いて第四弾として9月1日アメリカは年間輸入額約1100億ドル(12兆円)規模の3243
品目を対象して15%の追加関税を適用し、残りを12月15日に発動する予定としています。

第四弾では、これまで追加関税の対象になっていなかった3000億ドル規模の中国製品の大半が
対象となる予定です。

第一~第三弾の対象は半導体など企業向けの中国製品が中心でしたが、第四弾は生活に直結する家
電や日用品が含まれており、それだけ一般国民への影響が大きいと言えます。第四弾の中身を具体
的にみてみましょう。

薄型テレビ、乳製品、12月にはスマートフォン、ノートパソコン、ゲーム機、おもちゃに、家具、
家電製品、ハンドバック、農水産物、工業用機械、鉄道関連製品、化学製品、自動車、航空・宇宙
関連、産業用ロボット、情報通信機器があらたに追加関税の対象とされました。

このため、全体としては中国からの輸入全体7割が制裁対象になり、消費者向け製品の99%が追
加関税の対象になります。健康や安全保障にかかわる製品などを除き、最終的にほぼ全ての中国製
品が制裁対象の追加関税が課せられます(『毎日新聞』2019年9月2日;『東京新聞』2019年9月
2日)

これに対して中国は、第四弾の報復関税として、アメリカからの輸入品のうち9月1日より牛肉、
大豆、魚介類、原油と対象として実施し、12月15日よりトウモロコシ、自動車、木製品、ウイ
スキーなど555品目に対して年間750億ドル規模の追加関税を課すことを決定しました。

こうした貿易戦争に勝者はない、というのが歴史から学んだ知恵ですが、現在は出口が見えません。

さて、世界の第一位と第二位の経済力をもつ米中がお互いに高い関税障壁をもうけて相手を排除し
ようとする、いわば消耗戦は、どんな結果をもたらすのでしょうか?

14億人の巨大市場を抱える「中国がくしゃみをすれば、世界が風邪をひく」(米メディアの表現)
とされ、世界経済は確実に縮小こそすれ拡大することはありません。

トランプ大統領は、明確な将来展望のもとに、出口戦略を立てたうえで今回の貿易戦争を仕掛けた
というより、来年の大統領選で勝つために有権者の支持を得るために、その場その場の思い付きの
政策を導入しているだけです。

報復合戦の結果として、中国は上半期の対米輸出が前年同期比8・1%の減少で、米国の最大の貿
易相手国の地位から三位に転落しました。

中国の生産も低迷し、4~6月期の国内総生産(GDP)は前年同期比6・2%増と27年ぶりの
低さだった。

それでは、アメリカはどうだったのでしょうか。

米国の4~6月期の輸出は中国向けが2割減ったことに加え、中国以外向けも1.9%減と17年以降の四
半期ベースで初めて前年割れした。米国の製造業における雇用者数の伸びも今年1月を境に鈍化し始
めています。

トランプ政権の中国への高関税は米国経済にも巡り巡って悪影響を及ぼします。じつは、中国の対米
輸出の金額には中国へ進出している米企業が製造したモノも含まれているのです。

中国統計によると17年の貿易黒字の57%は米系など外資企業が稼いでいたのです。トランプ政権に
よる中国への高関税は中国で生産して米国へ輸出する米国企業にもかかってくるのです。

このような高関税のブーメラン効果はさまざまな分野でアメリカ経済に打撃を与ええいます。それは
中国からの対米輸出が減れば、部材や知財を提供する米国からの輸出も当然落ち込むからです。

実際、米国の4~6月期の輸出は中国向けが2割減ったことに加え、中国以外向けも1.9%減と、17
年以降の四半期ベースで初めて前年割れしました。米国の製造業における雇用者数の伸びも今年1月
を境に鈍化し始めています(注3)。

今はまだ本格的な貿易戦争が始まったばかりですが、すでにこれだけの影響がでているのです。

現在の米中貿易戦争の本当の悪影響が出てくるのはこれからで、世界経済はまずます縮小に向かい、
不況と失業が世界中に広まってゆくことが危惧されます。

1930年代と現代とは諸条件が異なりますが、経済戦争が、軍事的戦争には至らなくても、思わぬ
形で暴発しないとも限りません。

次回は、先の読めないトランプ大統領の「アメリカ・ファースト」による高関税政策の実態と、世界
経済への影響を、もう少し広い観点から見てみたいと思います。

(注1)『日経新聞 電子版』(2019/9/1 2:00 (2019/9/1 13:07更新)
      https://www.nikkei.com/article/DGXMZO49270310R30C19A8MM8000/?   n_cid=BMSR2P001_201909010200

(注2)『ビジネス+IT』(2019年5月24)https://www.sbbit.jp/article/cont1/36396
     HUAWEI(2018.11.26)
     https://www.huawei.com/jp/press-events/news/jp/2018/hwjp20181126i
     HUAWEI (2019.1.24)
    https://www.huawei.com/jp/press-events/news/jp/2019/hwjp20190124t
    『日経TECH』(2019年2月26日)
    https://tech.nikkeibp.co.jp/atcl/nxt/event/18/00047/022600018/

『日本経済新聞 デジタル』(2019年5月22日 0:10) 
     https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45101240S9A520C1EAF000/?n_cid=NMAIL007
(注3)『日本経済新聞 電子版』(2019年9月1日2:00)
    https://r.nikkei.com/article/DGXMZO4919706030082019EA2000?unlock=1&s=0


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例年ならすでに咲き終えているサルスベリの花が、今年はま咲いています。7月終わりまでの低温気象のためでしょうか



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激化する日韓対立(1)―元徴用工問題(喉に刺さった骨)―

2019-08-26 12:53:05 | 国際問題
激化する日韓対立(1)―元徴用工問題(喉に刺さったままの骨)―

日本と韓国の関係が、雪崩を打って悪化しています。一体、何が起こっていて、本当の問題とは何なのか、
これからどうなるのか、なかなか見えにくくなっています。

今年に入って激化した日韓の対立は、恐らく戦後両国間で発生した最も深刻な事態です。

日韓関係がにわかに悪化した背景には、元徴用工問題に関連して、韓国の最高法院(日本の最高裁判所に
相当)が昨年10月、元徴用工に対する賠償を日本企業に命じた判決があることは、間違いありません。

安倍首相は、参院選の公示が行われた7月1日、突如として、IT産業の中でも、半導体メモリーの製造
に欠かせない「フッ化水素」や「レジスト」、有機ELディスプイレーの素材となる「フッ化ポリイミド」
の3品目の輸出規制を適用することを発表し、同4日から実施しました。

これら3品目は、日本企業の世界シェアが70~90%を占めている超ハイテク資材であり、韓国のパソ
コンや携帯電話をはじめ、さまざまな電子機器は日本の製品に依存してきました。

ところが、この規制により、これまで一度申請すれば3年間は申請なしで輸出することができる包括許可方
式だったのを、韓国は契約ごとに輸出許可申請が必要になりました。

韓国企業は、この申請が審査される一定期間、上記の素材を輸入できず、実質的に、半導体製品の製造が
大幅に遅れる可能性があります。

この規制に関して安倍首相は、7月3日のテレビ番組で、元徴用工問題を念頭に「国際約束をほごにされ
た」と強調した上で、「日本もやるべき時はやることは国際関係の中で常識の範囲内だ」また「特別の優
遇措置をやめ、普通の手続きに戻した」だけだとも説明しました(注1)。

ここで「国際約束」とは、1965年に日本と大韓民国(現韓国)との間で結ばれた、日韓基本条約に付随す
る「日韓請求権協定」(後述)を指します。そこには確かに、請求権の問題は「完全かつ最終的に解決」
されている、との文言が入っています。この規定からすると、今回の韓国の最高法院の判決は協定違反で
ある、と主張しているのです。

さらに、参院選の党首討論会での質疑応答で安倍首相は、今回の制度変更の意図として徴用工問題や慰安
婦合意に関する日韓の政治的な問題が背景にあることを示唆しています(注2)。

また、同じ7月3日、世耕経産大臣は安倍首相に歩調を合わせるように、自身のツイッターで、「さらに、
今年に入ってこれまで両国間で積み重ねてきた友好関係に反する韓国側の否定的な動きが相次ぎ、その上
で、旧朝鮮半島出身労働者問題についてはG20までに満足する解決策が示されず、関係省庁で相談した結
果、信頼関係が著しく損なわれたと言わざるを得ない」(午後9:25 2019年7月3日 Twitter Web
App)、と、やはり、半導体素材の主要3品目の輸出規制が、韓国最高法院の元徴用工にたいする判決と
関連していることを書き込んでいます。

上記の3品目の輸出規制は、韓国の半導体産業にとって、極めて深刻な、短期的には致命的は打撃を与
える可能性があり、韓国の経済界の要人が直ちに日本に飛んできて、輸出規制を取り除いてくれるよう
頼んだほどでした。

ここで確認しておく必要があるのは、この3品目の輸出規制が、当初、安倍首相も世耕経産大臣も、徴
用工問題との関連で、本音を語っていた事実です。

ところが、この措置は、徴用工問題への報復措置ではないか、という指摘が日本や韓国の各方面から指
摘されると、そうではなくて、「安全保障上の輸出管理の問題だ」と説明を変えてゆきました。

つまり、これら3品目が第三国(多分、北朝鮮を指している)に密輸され、そこで近代的兵器製造に使
われる可能性があり、それが安全保障上の問題だ、と説明を変えたのです。

しかし、これらの3品目に関する韓国の輸出管理上の問題があるとすれば、日本政府は具体的な証拠を挙
げてそれらを公にする必要がありますが、日本政府はそうしていません。

しかも百歩譲って、この3品目が安全保障上の懸念があるからという理由で輸出規制の対象となるとした
ら、これは明らかに安全保障上の問題を貿易問題にかぶせてしまっており、自由貿易の原則に反します。

安倍首相も世耕大臣も、当初の発言を打ち消し、輸出規制があくまでも貿易管理上の事務的問題であるこ
と懸命に強調調していますが、強調すればするほど、彼らのあわてぶりが浮かび上がってしまいます。政
府の要人が、一度、公に口に出してしまった言葉は、取り消しは不可能です。

外国メデイアも、日本の当局者はハイテク関連の輸出品が北朝鮮などに不法に渡らないようにする措置だ
と主張するが、元徴用工を巡り日本企業に損害賠償の支払いを命じた韓国大法院(最高裁)の判決への報
復を意図したものであるのは明らかだ、とはっきり指摘しています(注3)

実は、今回の輸出規制に関しては、今年の始めから入念に検討されてきました。韓国の最高法院が昨年の
10月に、元徴用工への賠償を命じた判決を受けて、官邸は年明けから、各省庁に対抗措置案(露骨に言
えば報復措置案)を出すよう命じてきました。その結果、上がってきた案には関税の引き上げ、短期滞在
査証(ビザ)免除措置の撤廃、特定物資(多分、これが上記の3品目)の輸出制限など、その数は100
を超えたと見られています。

この際、韓国叩きが参院選対策に有効だとの情勢分析も影響したようですが、もう一つ、今回の一連の政
府の対応において、外務省は「蚊帳の外」で、外交の素人である経産省と官邸が一体となって突っ走った
ことも指摘しておく必要があります(『日韓ゲンダイ』2019年8月3日)。

続いて、政府は8月2日、輸出管理を簡略化する優遇対象国(通称「ホワイト国」から韓国を除外する政
令改正を閣議決定しました。

半導体材料の輸出管理の厳格化に続く第2弾となります。7日に公布し、28日に施行します。韓国向けの輸
出の際に食品と木材を除くほぼ全ての品目で経済産業省が個別審査を求めることができるようになります。

安倍首相は6日、広島市内で記者会見し、対立が深まる日韓関係について「日韓請求権協定に違反する行
為を韓国が一方的に行い、国交正常化の基盤となった国際条約を破っている」と述べた上で、韓国側に日
韓請求権協定の順守などの適切な対応を強く求めていく考えを示しました(テレビ東京News 2019年8月
6日)。

安倍首相は「現在の日韓関係を考えたときに、最大の問題は国家間の約束を守るかどうかという信頼の問
題」と指摘。「引き続き国際法に基づきわが国の一貫した立場を主張し、韓国側に適切な対応を強く求め
ていく。韓国には日韓請求権協定をはじめ、国と国との関係の根本にかかわる約束をまずはきちんと守っ
てほしい」と語りました(注4)。

ここでも、安倍首相は、日韓請求権協定(具体的には「徴用工問題」)を理由に、国と国との約束を守っ
て欲しい、と元徴用工への損害賠償への判決を批判しています。

私が驚いたのは、韓国政府が8月22日に、日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の終了を公表し
た翌日の8月23日の記者会見での安倍首相の返答です。
    日韓請求権協定に違反するなど、国と国との信頼関係を損なう対応が残念ながら続いている。韓
    国側が続けているわけだが、日本はその中にあっても、現在の北東アジアの安全保障環境に照ら
    せば、日米韓の協力に影響を与えてはならないという観点から対応してきた。(中略)
    日本として、韓国に対しては、日韓請求権協定への違反の解消といった、まず国と国との信頼関
    係を回復し、そして約束をまずは守ってもらいたいという基本的な方針は今後も変わりないし、
    彼らが国と国との約束を守るように求めていきたいと考えている(注5)。

この時はさすがに安倍首相が最も重視している安全保障上の危機を訴えるのかと思ったら、最初と最後の
二度にわたって「日韓請求権協定違反」(つまり、元徴用工への賠償判決)に言及しているのです。

それでは、安倍首相は、なぜ、これほどまでに徴用工の問題にこだわるのでしょうか?これこそが、最近
生じている、安倍首相の対韓国政策の根底に流れている重要な問題の一つなのです。

確かに、「日韓請求権協定」の第2条では、日本の経済支援と引き換えに、「両締約国及びその国民(法
人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題は」「完全か
つ最終的に解決」されており、いかなる主張もすることはできないことを定めています。

ところが、日本政府の立場は「日韓請求権協定は外交保護権を相互に放棄したものであって、個人の請求
権を消滅させたものではない」(1991年、条約局長の国会答弁)という立場を維持してきました。

さらに奇妙なことに、戦時中の中国人の強制労働問題では、1972年の日中共同声明で国家としての賠償請
求権は放棄となりましたが、政府は一切関与せず、2000年に中国人被害者と鹿島建設の間で、2009年には
西松建設、2016年には三菱マテリアルとの間で和解が成立し、個人に賠償金を払っています。

もし、「個人の救済」という点で考えれば、韓国人の元徴用工に対しても、日本政府は強硬姿勢ではなく
柔軟に対応できのできるのではないでしょうか(『日刊ゲンダイ』2019年1月12日)。

安倍首相は、強大な中国には穏便に出て、「弱い」韓国には強く出ているのでしょうか。

おそらく、元徴用工問題(と恐らく慰安婦問題も)は、日本による朝鮮の36年間に及ぶ植民地支配の実
態を、いわば「のどに刺さった骨」のように、現代まで日本に生々しく突きつける問題として存続して
います。

安倍首相には、後ろめたさも含めて、何としても、それを過去の出来事として処理したい(骨を抜きたい)
との気持ちが強いのではないでしょうか?

このため、3品目の輸出規制についても、「ホワイト国」からの除外に際しても、さらにGSOMIAの
終了に関しても常に「日韓請求権協定を守れ」という言葉が口を突いて出でくるのでしょう。

もう一つ、1956年の日韓基本条約とその付随協定が結ばれた背景も考える必要があります。武藤氏も指摘
しているように、
    問題の1965年の日韓基本条約も、米国のベトナム戦争の後方を固め、韓国軍をベトナムに送り込
    む必要から、強引に米国によって朴正煕政権に押し付けられたもので、その結果あの玉虫色の第
    2条が生まれたのである。何より、日韓関係それ自身が、大幅に、米国の冷戦政策、そして冷戦
    後の東アジア戦略の構成部分として成立していたと言えるだろう」(注6)。

次回から、この一連の問題が、どんな意味を持ち、これから日本と韓国との関係にどのように影響を与え
てゆくのかを考えてみたいと思います。

(注1)IJI.COM 2019年07月03日23時41分 https://www.jiji.com/jc/article?k=2019070301355&g=pol
(注2)Globe (Asahi Simbun) https://globe.asahi.com/article/12550706 2019.7.18)
(注3)2019年7月22日 17:07 JST Bloomberg
    https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-07-22/PV17S06K50XS01
(注4)Bloomberg US (2019年8月6日)  https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-08-06/PVSP1T6K50XT01
(注5)『産経新聞 The Sankei NEWS (2019年8月23日)https://www.sankei.com/politics/news/190823/plt1908230013-n1.html
(注6) この問題に関する詳細な議論は、武藤一洋「
    WEBRONZA 2019年08月22日
    https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019082000006.html?page=1,2
    同2019年8月23日 2019年08月23日
    https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019082000007.html?page=1,2


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北方四島返還交渉(2)―ますます遠のく返還―

2019-03-17 07:17:16 | 国際問題
北方四島返還交渉(2)―ますます遠のく返還―

1951年9月8日のサンフランシスコ講和条約において「日本は千島列島に対するすべての権利
を放棄する」ことを受け入れました。

ここで、「千島列島」の具体的な範囲が今日まで問題となっていますが、この問題を考えるために、
もう一度、少し時間を戻して、日本と日本政府の立場を追ってみましょう。

サンフランシスコ講和条約に先立つ5年前に、日本政府は、国後・択捉に関しては事実上、放棄し
たとの見解をとっていたからです。

1947年10月8日の参議院外務委員会で領土に関する政府の公式見解が示されました。その際、
北方四島に関しては、「国後島、択捉島は千島列島に含まれる。歯舞諸島と色丹島は千島列島に含
まれない」というものでした(注1)。

国後・択捉ははっきりと千島列島に含まれる(つまり放棄した島である)ことを認めていますが、
歯舞・色丹島に関しては、「千島に含まれない」との表現だけで、はっきり日本の領土である、と
は言っていません。

この国会では、政府側の説明委員からさらに気になる発言がありました。
    千島につきましては、御承知のように北海道の端からカムチヤツカに互る約二十五ばかり
    の島が弧状を描いて並んでいる、この全体を千島列島と総称いたしておるわけであります。

この説明からすると、千島とは北海道からカムチャッカ半島まで全ての島を含んでいることになり
ます。この場合、当然、国後・択捉だけでなく歯舞・色丹も含まれてしまいます。

1950年3月8日の衆議院外務委員会で、国後・択捉がヤルタ協定でいう千島に含まれているか
どうかが議論されたとき政府委員の島津久大外務事務官は、
    ヤルタ協定の千島の意味でございますが、いわゆる南千島、北千島を含めたものを言つて
    おると考えるのです。ただ北海道と近接しております歯舞、色丹は千島に含んでいないと
    考えます。

と説明しています。しかし、地図をみれば明らかなように、接近の程度でいえば、少なくとも国後
島は色丹島より知床半島に近い位置にあります。ここは、日本政府としても苦しい説明です。

続いて、サンフランシスコ講和条約の調印直前の1951年8月17日の衆議院本会議で全権大使
となる吉田茂首相は講和会議に臨むにあたって、「日本領土なるものは、四つの大きな島と、これ
に付随する小さな島に限られております。すなわち、それ以外の領土については放棄いたしたので
あります。」と発言しています。

この段階に至っても日本政府は、「これに付随する小さな島」が具体的にどれを指すのかをはっき
り示していませんが、当時吉田茂首相は「国後・択捉は南千島」、つまり、放棄した千島列島に含
まれる、との立場でした。

講和条約の締結と同時に、後に北方四島の返還に大きな障害となる「日米安保条約」が締結されま
した(1960年に新安保条約として改訂)。

こうした背景の下で、日本は1956年10月19日に、「日ソ共同宣言」が鳩山一郎首相とソ連
のブルガーニン首相がモスクワで調印し、同年12月12日に発効しました。

この「共同宣言」では、①ソ連は日本の利益を考慮して、歯舞群島および色丹島を引き渡すことに
同意した、②ただし、これらの島は平和条約締結後に引き渡される、とされています。

「共同宣言」では国後・択捉には全く触れてはいませんが、これが、現在プーチン大統領と安倍首
相との間で行われている、今日の日ロ国交回復・領土返還交渉の出発点であり根拠です。

ところが、「共同宣言」の前提となる平和条約の締結交渉は、北方領土の全面返還(四島一括の返
還)を要求する日本と、平和条約締結後の二島返還で決着させようとするソ連との間で妥協点が見
出せないまま、開始が延期されました。

日本政府は、それまで国後・択捉を日本は放棄する、との見解を否定し、国後・択捉・歯舞・色丹、
これら四島は全て「日本固有の領土」という主張に転換していたのです。したがって、領土返還交
渉とは今日でも、建て前としては「四島一括返還」が日本の立場、ということになっています。

「ダレスの恫喝」
それでは、51年から56年の間になにがあったのでしょうか? これに関しては、いわゆる「ダ
レスの恫喝」があったということが専門家の間では、ほぼ定説となっています(注2)。

事柄の性質上、「恫喝」が外交文書として残っているわけではありませんが、1955~1956年に行わ
れた日ソ国交回復交渉の際の日本側共同全権をつとめた松本俊一氏は当事者として次のように著書
(注3)で書いています。元外務省主任分析官の佐藤優氏によれば、松本氏の著書が、当事者によ
って書かれた唯一の文献だという。その内容は以下のとおりです;。
  
    1956年8月19日、重光葵外相はロンドンの米国大使館を訪れ、ダレス米国長官に歯舞群島、
    色丹島を日本に引き渡し、国後島、択捉島をソ連に帰属させるというソ連側から提示され
    た領土問題に関する提案について説明した。

これに対してダレスは激怒して、重光外相につぎのように言った、と書かれています。
    重光外相はその日ホテルに帰ってくると、さっそく私を外相の寝室に呼び入れて、やや青
    ざめた顔をして、「ダレスは全くひどいことをいう。もし日本が国後、択捉をソ連に帰属
    せしめたなら、沖縄をアメリカの領土とするということをいった」といって、すこぶる興
    奮した顔つきで、私にダレスの主張を話してくれた。

最近のプーチンの発言にも、56年の共同宣言ではソ連も歩み寄る意志はあったが、ダレスが日本
を脅し、四島一括返還を主張させたこと、これが現在でも障害になっていることを述べています。

以上の経緯を長々と書いたのは、その後の日ソ・日ロ交渉をみていると、問題の根源が見えてくる
からです。

前回書いたように、1945年のヤルタ会談で、樺太・千島列島を与えることを条件に、ソ連に日
本へ進行することを要請したのは、他ならぬアメリカのトルーマンでした。

それが56年になるとアメリカは、ソ連が絶対に呑めない「四島全面返還」を主張するよう日本に
迫ったのです。

アメリカは、日本とソ連が合意して平和条約締結に至ってしまうことは、何としても阻止したかっ
たのです。アメリカにとって、日本とソ連が領土問題に決着を着け、平和条約の締結にまで進んで
しまうことは何としても阻止したかったのです。

というのも、1945年当時と違って、56年には米ソの対立・冷戦が激しさを増していたからで
す。このような状況では、日本とソ連の間に未解決の問題を抱えて緊張状態にあることにはメリッ
トがあったのです。

日本対しては、ソ連の脅威を煽ることによって、アメリカへの依存が強まり、アメリカ製武器の購
入を要請することができるからです。

この構造は、ソ連の軍事的脅威が以前より弱くなった現在でも基本的には変わりません。ただ、脅
威の対象が北朝鮮や中国に変わっているだけです。

他方、ソ連からすれば、二島の返還により日本から経済的支援を得られれば、それはそれでメリッ
トがあると考えていたのでしょう。

しかし、二島返還と四島返還との原則的対立は、今日まで解決の糸口が見いだせていません。

最近のロシア側の発言をみていると、歯舞・色丹を「引き渡す」といっても、それは主権も日本に
渡す(つまり、日本固有の領土)ということを意味しない、と言い始めています。

さらに、二島を引き渡すにしても、日米安保条約との関係で、そこにアメリカが軍事基地を構築す
ることはロシアにとって絶対に認めることはできないでしょう。

プーチン大統領は、二島返還の場合でも、日本がアメリカから、これらの島に軍事基地を置かない
ことを確約した文書を取ることが前提条件だ、とハードルを上げています。

プーチンは、安倍首相がアメリカからそのような文書を得ることはできないことを見越しています。

プーチンは最近、日本の主権を信用できない、とまで言っています。言い換えると、日本はアメリ
カの意向に逆らってでも、自らの主権を発揮して国際問題に対処することができないと見なしてい
るのです。(露骨に言えば、日本は本当に主権をもった独立国なのか、と言っているに等しい)

安倍首相は、何かを“やってる感”を国民に示すためにも、25回も日ロ会談をし、“ウラジミー
ル”“シンゾウ”と呼びあう仲を強調しています。

そして最近では、安倍首相は「四島一括返還」を口にしなくなり、“二島+アルファ”つまり、ま
ずは歯舞・色丹を“先行”回復し、その後に国後・択捉の回復を交渉する、という方向に舵を切り
ました。

しかし、アメリカの要請を拒否できない安倍首相が、アメリカの意向とロシアの要求という相矛盾
する難問を同時に解決したうえで日本の利益を最大限に実現するという、非常に難しい連立方程式
の“解”を導き出すことができるでしょうか?

返還がますます根困難になっている最近の事態をみると、残念ながら私はとても悲観的です。今で
“ダレスの恫喝”は今も完全ん位消えたわけではなく、政権の中に影を落としているのでしょうか。


(注1)以下の、領土問題に関する国会での議論については、以下のサイトが便利です
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/HoppouShiryou/HoppouShiryou.htm
(注2 佐藤優 「61年前に起きた「ダレスの恫喝」とは何か」
    https://gendai.ismedia.jp/articles/-/50688? (2017年1月14日);The Huffington Post 2016年12月18日 17時41分
    https://www.huffingtonpost.jp/2016/12/18/putin-dulles_n_13703530.html
(注3)松本俊一『日ソ国交回復秘録:北方領土交渉の真実』』ゆまに書房 2002


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米朝首脳会談の決裂―双方の溝の深さが露呈した―

2019-03-03 09:25:21 | 国際問題
米朝首脳会談の決裂―双方の溝の深さが露呈した―

2月27日、28日にハノイで行われた第二回目の米朝首脳会談は、事前のメディア報道は、北朝鮮
に対する経済制裁の一部緩和、双方の連絡事務所の設置、もしうまくゆけば朝鮮戦争の終結までゆく
のではないかという楽観的な予測をしていました。

トランプ大統領は十数時間もかけてベトナムまでやってきているし、金正恩朝鮮労働党委員長は60
時間もかけて平壌からやってきたのに、何の成果もなく、手ぶらで帰国するというのは、双方にとっ
て大きな外交上のマイナスです。

実際、初日の30分だけのトップ会談の後も、二日目の午前中のトップ会談までは、両首脳の表情は
非常になごやかでしたから、誰も午後4時くらいには合意文書の署名となるだろう、と思っていても
不思議ではありませんでした。

ところが、二日目の第二回目の拡大会合の時から、急に事態は決裂に向かったようです。この間に何
が起こったのか、正確には分かりませんが、私は、この会談の席の映像にマイケル・ポンペオ国務長
官(前CIA長官)とジョン・ボルトン国家安全保障問題大統領補佐官氏(元国連大使)が同席して
いたことに、一抹の不安を思えました。その理由は後
で書きます。

予定が急遽変更され、トランプ氏とポンペオ氏が記者会見に現れ、階段が決裂したことを発表した時、
専門家も含めてほとんどの人が、我が耳を疑いました。まさに青天の霹靂でした。

トランプ氏と、一部ポンペオ氏が記者会見で説明した内容から、決裂の“直接的”な理由が少し分か
りました。

トランプ氏の言い分を要約すると、北朝鮮が寧辺の核施設の解体と廃棄を提案し、その見返りとして
制裁の全面解除を要求してきた、というものです。

これにたいして米側は、寧辺は大きな施設であるがそれだけでは十分ではない。「それ以上のことが
必要だ」、と応じたようです。

“それ以上のこと”とは、アメリカはほかにも核施設があることを把握しており、それも廃棄しなけ
れば不十分だ、というのです。北朝鮮は、“われわれが知っていたことに驚いたと思う”とも付け加
えています。

さらに「完全で不可逆的非核化」の証として、高濃度ウラン生産施設、ミサイル、既存の核兵器、核
兵器生産システムなど全ての核プログラムの目録提示を要求たようだ『東京新聞』(2019年3月3日)。
つまり、拡大会議で米側は一気にハードルを上げたのです。

トランプ氏の記者会見から8時間後の、深夜、北朝鮮の李容浩外相は、北朝鮮が要求したのは全面解
除ではなく、一部解除。具体的には国連決議11件のうち5件、そのうち民間経済と人民生活に支援
を及ぼす項目だけ、と反論しました。

これにたいしてアメリカ側は、北朝鮮が触れた決議は原油や原油精製品の輸入制限、石炭や海産物の
禁輸が柱で、北朝鮮が求めたのは「軍事分野を除いた事実上全ての(安保理)制裁の解除だった、と
反論しました。

この点では、最初に「全面解除」と強く出て、後で「事実上」と修正する、いかにもトランプ氏の
“ディール”のやり方だと思いました。

非核化をめぐる両者の対立点を要約すると、「核の即時全面廃棄」を要求するアメリカの主張と、制
裁緩和の程度に応じて段階的に非核化を進めようとする北朝鮮の方針とが“結果的”に折り合いがつ
かなかったということだと思います。

先に、“結果的に”と書いたのは、本当に最初から米朝の間で制裁解除に関して何の合意も調整もな
かったと、とは考えにくいからです。

しかも、外交交渉とはそもそも、オール・オア・ナッシング(ゼロか百か)、という決め方はしない
のが普通で、相手が100要求したら、90以上は拒否するが、10は譲歩する、という相互の調整
が必要です。そうでなければ「交渉」とは言えません。

また、メディアでは、トップ同士の間では調整ができていたが、事務レベルでの詰めができていなか
った、つまりトップ・ダウンのやり方の失敗だ、という見解が多く出されてきました。

たしかに、それはある程度当たっていると思います。しかし、この会談に至る過程で、ポンペオ氏は
何回か北朝鮮を訪れ、事務レベルの話し合いはしています。

また、トランプ氏がハノイ入りする前に、すでに合意文書はできていて、アメリカの外務省は、28
日の夕方には合意文書の署名が行われるだろう、と発表していました。

合意文書というものは、双方が納得できる合意点だけを書き、後はトップが署名するだけ、というと
ころまで詰めてある文書です。

トランプ氏もハノイ入りした当初は、制裁解除(もちろん一部でしょうが)をする気はある、という
ニュアンスの発言をしていました。

現在、私たちは、この合意文書に何が書かれていたのかを知ることはできませんので、コメントのし
ようがありませんが、連絡事務所の開設や一部の観光地の開放など、北朝鮮にとって意味のある項目
が一つもなかったとは考えられません。もしなければ、「合意」文書とはならないでしょう。

では、28日の朝の、通訳だけを交えたトップ会談と、その後の拡大会議との間に、一体何が起こっ
たのでしょうか?

代表的な見解はこうです。まず、今回、トランプ氏がわざわざベトナムまで来たのは、国内でのスキ
ャンダル(特にロシア疑惑、ポルノ女優との不倫)やメキシコのとの壁を作るための予算が認められ
なかったことなどで窮地に追い込まれている状況を、北朝鮮の非核化と、朝鮮戦争の終結という外交
で得点を挙げることで、一気に挽回しようしたからだ、という前提があります。

こうした背景は容易に想像できます。というのも、昨年のシンガポールでの米朝首脳会談は、アメリ
カだけでなく国際的にも注目を浴び、まさにトランプ・ショーといった感じだったからです。

ところが今回は様子がまったく違っていました。二日目の最初の会談から拡大会議に移る間にトラン
プ氏は、同時刻にアメリカの連邦議会で行われていたマイケル・コーエン元トランプ大統領顧問弁護
士の証言の模様を朝から主要テレビ局がライブで放映されていたのをスマホで見たようです。

このころ、アメリカのメディアは米朝会談についてはほとんど触れていなかったのです。

それどころか、コーエン氏は開口一番、トランプ氏は詐欺師で人種差別主義者、ペテン師だと決めつ
けていました。

この映像をみてトランプ氏は、北朝鮮問題で人気を挽回することは不可能で、北朝鮮に安易に妥協し
たとの印象をアメリカ国民に与えれば批判を浴びるマイナスでさえある、と感じたのではないか、そ
れならむしろ決然と北朝鮮の要求を拒否して席を立った方が良い、と考えたのだと思われます。

以上の解釈にはそれなりに説得力がありますが、私はこれ以外にも幾つかの要因があったと思います。

すでに、拡大会議の席上にポンペオ氏とボルトン氏がいたことに触れましたが、とりわけ私はこの会
議ではボルトン氏の意見や意向が強く働いたのではないか、と考えています。

ご存知のように、ボルトン氏はアメリカ政界のなかでもとりわけ、軍事強行路線を主張するネオコン
(新保守主義者)の最強硬派で、イランや北朝鮮攻撃も排除しない人物です。

ボルトン氏は昨年の2月当時、ポンペオ長官の見解に基づいて北朝鮮を「差し迫った脅威」と断じ、
先制攻撃に反対する人々は間違っていると米紙に寄稿しています。つまり、ポンペオ氏とボルトン氏
は、この時から呼吸の合った連係プレーをしていたのです。

ボルトン氏が昨年の2月に現在の地位に就いた少し後で『毎日新聞』(電子版。2018年3月25日)
は次のように危惧していました。

最大の不安は、ボルトン氏がブッシュ政権の国務次官としてイラク戦争に深く関与したことだ。この
時もネオコンなどはイラクを「差し迫った脅威」としたが、大量破壊兵器は発見されず米国は国際社
会の非難を浴びて孤立した。この苦い教訓をボルトン氏は忘れてはなるまい。(注1)

北朝鮮の脅威はイラクと違って実体がある。しかし、ボルトン氏は北朝鮮との交渉は「時間の無駄」
と強硬一辺倒の姿勢をとり、北朝鮮から「人間のクズ」呼ばわりもされた人物でもあります。(同
『毎日新聞』)

私は、トランプ氏が合理文書に署名することを、強く押し止めたことに、ポンペオ氏と軍事強硬派の
ボルトン氏の進言は大きく影響したのではないかと推測しています。

具体的には分かりませんが、拡大会議に出席した二人は、おそらく北朝鮮が飲めないだろう条件(即
時、完全かつ不可逆的非核化)を持ち出して、決裂に導いたのではないかと推測しています。アメリ
カ国内にも世界にも、北朝鮮との和解に反対する勢力はいるのです。

Newsweek(3月1日)は「会談決裂の下手人『壊し屋ボルトン』か」と言う外交専門家の見
解を紹介しています。彼は突然、核兵器だけでなく生物・化学兵器のについても報告義務を課す、と
言い始めたようです。彼が席に着いた映像を見て外交専門家は不安を思えたという(注2)。私の推
測と全く同じです。
 
今回の会談を通じてメディアが指摘していないけれども、重大な問題が明らかになったと思いました。

それは、アメリカが納得すれば制裁解除ができるのか、という点です。トランプ氏を始めアメリカ側
のスタッフは、それを当然のことのように語っていますが、制裁は国連の決議であって、決してアメ
リカの意向一つで解除したり加えたりできるものではありません。

それなのに、アメリカはあたかも自分たちが、認めれば解除できると思っていることが、大いに問題
です。そして、メディアもこの点について全く触れていないことも不思議です。

もう一つ、3月2日の情報番組で女性タレントが司会者に、北朝鮮は自分たちも核を放棄するからア
メリカも放棄してくださいと言わないんですか、という素朴で、しかし核心を突いた質問をしました。

司会で解説者は、一瞬、返事に困った様子で、「言わないんですね」と答えただけでした。

現在、核兵器の保有を国際社会に認めさせているのは、米・英・仏・露・中国の、第二次大戦の「戦
勝国」五カ国だけです。(実際にはインド、パキスタン、そしてイスラエルも保有していると考えら
れています)その中でアメリカは現在6500発以上の核兵器を持っています。

北朝鮮の核はもちろん、アジアの平和にとって脅威ですがこれらの国の核兵器は脅威ではない“良い
核兵器”なのでしょうか?

北朝鮮問題が今後、どうなるかは、もう少し時間が経ったあとで再び考えたいと思います。

(注1)https://mainichi.jp/articles/20180325/ddm/005/070/043000c



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2019年は予測不可能な年―世界は再び不確実性の時代に―

2019-01-13 07:49:52 | 国際問題
2019年は予測不可能な年―世界は再び不確実性の時代に―

今年の日本が政治・経済・社会のさまざまな局面で難問を抱えているように、今年の世界も、
不安を伴う「不確実性の時代」に突入しています。

私は国際問題の専門家ではありませんが、専門家といえども、これからの世界がどうなるのか
をはっきりと展望することはできません。

その不確実性の中でも、特別大きな震源地は「アメリカ・ファースト」(「アメリカさえ良け
れば」主義)を叫ぶトランプ大統領と、彼が仕掛ける米中貿易摩擦と安全保障問題です。

トランプ氏は、アメリカの貿易赤字の最大の相手国である中国からの輸入品に高率関税を課し
ています。これに対して中国も米国製品の輸入に報復関税をかけており、米中貿易摩擦が一挙
高まりまっています。

さらにトランプ氏は、中国が輸出を自制しなければ、また知的財産権の侵害を止めないならば、
米国への全ての輸出品に高率関税を課す、と脅していました。その後、彼は、2か月間だけ猶
予すると修正しました。

これは、大きく脅しておいて少しだけ妥協のそぶりを見せて、最終的に相手の譲歩を引き出し
て自分の利益を勝ち取るトランプ流の“ディール”(取引)です。

米中貿易摩擦は、世界のGDPと1位と2位の経済大国ですから、本格的な貿易戦争となれば、
世界経済は大打撃を受けます。

中国は何と言っても、13億人の人口を擁していて途方もない巨大市場です。たとえアメリカ
との貿易が減少しても、ヨーロッパ諸国は喜んで中国市場に進出するでしょう。

実際、最近の世界経済をけん引してきたのは、中国という巨大マーケットと安価な製品の供給
だったのです。

すでに、アップル社の製品(パソコンや携帯電話のiPhone)は中国で不買運動にあい、アップ
ル社の利益予想が大幅に下方修正されたため、株価も下落しました。

今日では、アメリカ製品といえども、現実は中国を含む、さまざまな国の部品の集合体(サプ
ライ・チェーン)であり、中国からの供給がなくなればアメリカの製品も製造できなくなりま
す。同様に、米国製品は、中国市場を抜きにしては存続できません。

現在、米中の事務官レベルで交渉中ですが、どのような結果に落ち着くのか誰にも分かりませ
ん。いずれにしても、米中間の貿易戦争は世界の貿易を縮小させることは確実なので、貿易立
国の日本にとっても大打撃です。

米中貿易摩擦の背景には、安全保障と世界の覇権をめぐる対立もあります。

アメリカは中国のIT(コンピュータ)技術や軍事技術はまだまだアメリカには遠く及ばない、
と思い込んできましたが、現実はそのような楽観論を許さない事態が進行しています。

たとえば、携帯電話の次世代通信規格(G5)の分野でアメリカはすでに中国のファーウェイ
などのIT企業に抜かれていますし、ヨーロッパを始め広い地域でファーウェイの基地局の建
設が進んでいます。

このままでは、ファーウエィの規格が世界標準になりかねない、それは絶対に許せない、とい
うのがアメリカの本音でしょう。

トランプ氏が、ファーウェイの副社長をカナダで逮捕させたり、ファーウェイの製品を買わな
いように、そして中国への技術輸出をしないよう圧力をかけているのは、それに気付いた焦り
の現れでしょう。

つい最近、中国政府は、中国は月の裏側にあたる地点に人工衛星を着陸させたことを写真付き
で発表しました。月に人工衛星を着陸させるには、直前まで地上からの指令で人工衛生をコン
トロールする必要がありますが、衛星が月の裏側に入ってしまうと、電波は届きません。

したがって、中国のこの成功は(もし本当なら、と言う条件付きですが)、衛星が電波の届か
ない裏側に入った瞬間から、衛星自ら判断して着地させる技術をすでに開発していることを意
味します。これも、アメリカにとって脅威です。

こうしたIT技術の発展ぶりをみて、アメリカは中国の軍事技術も当然発展しているものと考
え、安全保障の面で軍事的な脅威を感じています。

加えて、中国の南シナ海での軍事基地建設にたいしてアメリカは、西太平洋における覇権を確
保し、中国の進出を抑えたいと考えています。

現在の米中対立は、「新冷戦」とよばれるほど、経済と軍事がセットになった覇権争いの様相
を呈してきていてとても危険です。

トランプ大統領は意見の合わない政権トップの人事を次々に解任し、現在、彼を取り巻く政府
の要人は、ボルトン氏を始め、いわゆる「ネオコン」と呼ばれる対中国・ロシア・イランに対
する軍事的強行派ばかりです。

とりわけジョン・ボルトン大統領補佐官(国家安全保障担当)は、2003年に根拠のないま
まイラク攻撃を主導した張本人です。

米中対立とは別に、トランプ氏はロシアとの中距離核全廃条約(INF)からアメリカが離脱
することを宣言しました。

INFとは、射程範囲5000~5500キロの核弾頭および通常弾頭を搭載した地上発射型の
短距離および中距離ミサイルの廃棄を定めたものです(注1)。

アメリカは、実際に使える小型核兵器の開発を進める方針であり、それを運ぶ近距離・中距離
ミサイルの開発も必要だと考えているようです。

INF破棄によりロシアは、中距離核ミサイルの開発を堂々と進めることができるようになり
ます。これは、米ソ間の冷戦時代の構造を再現させることを意味します。

そして、ヨーロッパ全域はロシアの核ミサイルの射程内に入ることになるので、ヨーロッパ諸
国はINF破棄により大きな核の脅威にさらされることなります。

こうして、現在では、アメリカ対中国、アメリカ対ロシアという三大核大国がにらみ合う構図
となっています。この対立も、どのように展開するのか、全く不確実です。

核の問題では、トランプ氏は昨年5月に、いわゆる「イラン核合意」から離脱する、と一方的
に宣言しました。

2002年にイランの核開発が発覚したことを受け、イランは国連や米国、欧州連合(EU)な
どの経済制裁を受けてきました。しかしこれは、2013年から2年間かけて15年にようや
くこれらの国の間で合意にこぎ着けた歴史的な核合意です。この合意をアメリカで主導したの
はオバマ前大統領でした。

実際、「合意」後10年間はイランの核開発が制約され、国際原子力機関(IAEA)の厳しい査
察を受け、11度にわたって核合意の履行が確認されてきました。つまり、十分に機能している
合意であると大多数の国が信じる核合意です。

しかしトランプ氏は、ヨーロッパ諸国の強い反対にもかかわらず、この合意から離脱し、「最
高水準の経済制裁」をかけることを宣言しました。これには、オバマ政権時代の成果をことご
とく潰したいトランプ氏の個人的怨念も強く働いています。

ボルトン氏は、イランと取引関係のある企業は6カ月以内に取引を停止しなければ、米国の制
裁を受けることになると述べています。

これを受けて、これまで核合意に向けて努力してきた国連・イギリス・フランス・ドイツ・ロ
シアは深く失望」しているとの談話を発表しています。

また、合意当時のオバマ元大統領は「核合意は現在も機能しており、米国の国益にかなってい
る」と自身のフェイスブックに投稿しました。

EUのフェデリカ・モゲリーニ外務・安全保障政策上級代表は、EUはこの合意を「断固として
維持する」と語りました(注2)。

現代の世界において、政治・軍事面でもトランプ氏はアメリカの国際機関や多国間協定からの
離脱を進めてきました。

アメリカは、2017年に、世界遺産の認定などを扱うユネスコから離脱し、続いて世界環境
保護を目指す「パリ協定」からも離脱し、今回のINF、「イラン核合意」からも離脱とたて
続けに離脱しています。

経済面ではオバマ元大統領が推進したTPPを、トランプ氏は就任直議に離脱しました。

トランプ氏は、自分の気に入らない国際協定から次々と離脱して「アメリカ・ファースト」に
邁進しています。さながら「ドラえもん」中のジャイアンのようです。

最後に、国際経済と国際関係に大きな影響を与える可能性がある問題として、イギリスのEU
離脱に触れておきます。

イギリスは、メイ首相が提案したEU離脱に関して、2016年6月23日の国民投票を行い、離
脱賛成51.89%、反対派(残留)は48.11%でEU離脱を決めました。

当時、離脱賛成票を投じた人の中には、まさか通ると思わなかったから、という声がかなり聞
かれました。

合意によれば、今年の3月末をもってイギリスは正式にEUを離脱することになっています。

その期限を直前に控えて、イギリス議会では、離脱にともなうEUとの協定内容に関して反対
派の方が多く、議会で可決されることは事実上困難な状況です。むしろ、現在では国民投票の
際実施を望む声が高まりつつあります(注3)。

しかし、EUとしても、今さらイギリスの再復帰を認めることはできないでしょうから、この
まま行くと、イギリスはEUから離脱するが、その具体的な協定内容は未定、という混沌とし
た状況になります。

たとえば、これまで金融中心地として栄えたロンドンのシティーから、外国の企業が撤退する
ことが考えられるし、他の外国企業も本社をイギリスからEUへ移すことが考えられます。
こうした状況をうけてシティーの行政責任者は昨年、北京と上海を訪問して、EU離脱をにら
んで、中国の巨大経済圏構想「一帯一路」の資金調達市場として「西のハブ(主要拠点)」に
なる、宣言しています(『東京新聞』2019年1月7日)。

以上、外観したように、今年は世界の政治・軍事、経済、社会において大きな転換点になるこ
とは間違いありませんが、問題は、それぞれの問題の決着がどうなるのか、不確実性に満ちて
いることです。

(注1)『BBC NEWS Japan』デジタル版 2018年10月21日
https://www.bbc.com/japanese/45931910  
(注2)『BBC NEWSJapan』デジタル版 2018年05月9日
    https://www.bbc.com/japanese/44049644 
(注3)『朝日新聞』デジタル版(2019年1月9日05時00分)
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13841178.html?rm=150


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安田純平さん解放(2)―国と社会はどのように対応したか―

2018-11-04 06:35:42 | 国際問題
安田純平さん解放(2)―国と社会はどのように対応したか―

安田さんの解放に関して安倍首相は「世界各国の指導者、友人たち、協力いただいたすべての関係者に、
日本国民を代表して感謝申し上げたい」と、日本政府開放が実現したことを強調しました。

また、菅官房長官も「官邸を司令塔とする『国際テロ情報収集ユニット』を中心にトルコやカタールなど
関係国に働きかけた結果」、と官邸の果たした功績を自画自賛しました。

首相と官邸の発表では、トルコとカタールにアプローチすることが有効だと知ったのは、あたかも独自の
情報網による分析結果だったかのような印象を与えますが、本当でしょうか? 私は、少し疑問をもって
います。

というのも2015年にジャーナリストの後藤健二さんがシリアでIS(イスラム国)に拘束された時、安部
政権は、事もあろうにISと敵対するヨルダンに交渉を依頼したのです。

全くの的外れ、絶対に避けなければならない国に交渉を依頼したのです。

安倍政権の中東に関する情報がいかに貧弱であるかを露呈してしまいました。

そのことが決定的であったかどうかは分かりませんが、結果として後藤さんは殺害されてしまいました。

今回の安田さんの解放に際して、日本政府はいつの時点で、どのようなルートで、どのように、どの程度
関わったのか、まだまだ不明な部分がたくさんあります。

テレビでも報道されたように、拘束されてまもなく、開放のための動きがあり、安田さんと奥様との間に
本人確認のための手紙がやり取りされました。

安田さん記者会見で、このやり取りは在米日本領事館を経由して行われたと言っています。とすると、早
い段階から日本政府も拘束の事実は知っていたことになります。

ただ、これに対して本気で日本政府が解放に向けて積極的に動くのかどうか、また、もし、その意思があ
るとしたら、どのようなルートで交渉するかについて日本政府がはっきりとした方針があったかどうか、
これらの点について疑問が残ります。

今回の安田さんの件に関して、安田さんと交流のあるジャーナリストの志葉玲氏は次のように経緯を説明
しています。

    安田さんの安否を案じた民間の支援者がトルコ入りし、過激派組織に近いトルコやシリアの関係
    者の協力を得ながら情報をかき集め、外務省にたびたび報告していたのです。その過程でトルコ
    のエルドアン大統領に近い組織が安田さんを拘束した組織に影響力をもつことが分り、外務省に
    トルコ系組織を通じた開放交渉を提案したのですが、働きかけた形跡はない。・・(外務省は)
    支援者の情報を吸い上げるばかりで、安倍政権の本気度は正直言って疑わしいものでした(『日
    刊ゲンダイ』2018年10月27日号)。

つまり、政府はある意味で民間の情報にタダ乗りして、成功した場合にのみ、自分たちの手柄として自画
自賛しているように思えます。

安田さんの解放と日本政府とのかかわりの中で、身代金を払ったのか否かが議論となっています。

日本政府は「テロ行為や外国人拉致を助長する」という理由で身代金による開放交渉はしない方針を明ら
かにしています。

一方、ロンドンにあるシリア人権監視団のアブドルラフマン氏は『東京新聞』に、「解放のために三百万
ドル(約3億三千万円)が支払われた」と語っています。

ただし、実際に払ったのは日本政府ではなく、シリア反体制派を支持し続けてきたカタールが支払った、
可能性もあります(『東京新聞』2018年10月25日)。

というのも2012年にシリアで拘束されたアメリカ人ジャーナリストのテオ・パドノスさん(50才)
の場合、カタールが身代金を払っているからです(10月28日 フジテレブ『ミスター・サンデー』)

この場合でも、一旦はカタールが払って、後でアメリカ政府がカタールに、何らかの形で返礼した可能
性はあります。

日本政府はこれまで、紛争地域に入って拘束された日本人に対しては、少なくとも表向きは、一貫して
「自己責任論」を通してきました。

政府の「自己責任論」は、一般社会の自己責任論を反映しているのか、逆に一般社会の中に政府の自己
責任論が投影されているのかは分かりません。

2004年4月に取材で訪れたイラクで武装勢力に人質となった写真家の郡山総一郎さんに対して当時、
小泉内閣の自民党の幹事長だった安倍晋三氏は「税金を使っているし、政府も危険を冒して交渉しなけ
ればならない。自覚があったかどうか少し疑問だ」と発言しました。

また、官房長官だった福田康夫氏は自分の責任で行くというかもしれないが、どれだけの人に迷惑がか
かるものか考えてほしい」、文部科学相だった河村建夫氏は「自己責任を考えて行動しないといけない」
と述べています。

日本政府は、「テロにたいしは身代金を払わない」との姿勢は崩していません。これは、「9.11」
以後、アメリカが「テロには屈しない」「テロには身代金を払わない」ように他の国に呼び掛けていた
からで、日本は忠実にそれを守っていることになっています。

ところで、紛争地に入るジャーナリストにたいして、欧米では日本とはかなり評価がことなります。郡
山さんは以前、外国人記者から「「自己責任」という言葉のニュアンスが良く分からない。どう英訳し
ていいのか」という質問を受けたという。「自分もよく分からない」と答えると、「日本に特有の言葉
なのか」と困惑されたという。

2015年にはシリアでスペイン人ジャーナリスト三人が武装勢力に拘束され、翌16年五月に解放されま
した。14年8月には武装組織に22か月間拘束されていたアメリカ人ジャーナリストが解放されてい
ます(『東京新聞』2018年10月26日)。これらの解放には、国家が身代金を含むさまざまな形
で努力したと考えられています。

最も典型的な事例は、フランスの場合で、2013年6月、4人のジャーナリストやカメラマンがシリ
アで拉致された、14年に解放されました。解放までの間、フランス国内では、救出を求める様々な動
きがありました。

4人は、大手ラジオ局に属する記者とカメラマン、そしてフリージャーナリストだったが、会社の垣根
を越えて、ジャーナリストたちが連帯し、集会を開くなどした。拉致された4人と関係のないメディア
も、ネットを通して支援を呼びかけ、特別放送を設けるなどをして支援しました。

こうしたジャーナリストに加えて、身代金の支払いも含めて国家もかなり積極的に開放の努力をしたよ
うです。(金額などは公表しませんでしたが)これは、彼らが解放されてフランスに戻ってきた時、オ
ランド大統領(当時)が空港に出迎えたことからも分かります。(写真)

解放後の機内で、記者団に話す安田さんの様子を見て少し違和感を覚えたジャーナリストの石井梨奈恵
さんが安田さんの行動について同乗していたフランス人記者について聞いたところ「彼は、反省する必
要はない」と答えたそうです。

その理由は、「彼のような人がシリアに行かなかったら、そこで何が起きているのか、真実が分からな
い。真実を知ることは、私たちにとって、とても大事なことだ」とも語った。

このことがきっかけで、今回の件について石井さんが他のフランス人にも聞いてみると、複数回にわた
って拘束されていることについては、呆れた表情を見せた人もいましたが、それでも10人に尋ねたら、
10人とも同じことを言ったという。

その理由は、「真実を知ることは大事」「真実を知らなければ、民主主義を保てない」「彼のような人
がいなければ、誰が真実を教えてくれるのか」「お金を払っても、どんな人であろうと、政府が助ける
のは当然のこと」というものだった。つまり、フランスでは、こうしたジャーナリストの活動を必要だ
と考え、国がお金を払うのも当然だと考えられているのです(注1)。
 
私個人としては、ジャーナリストの義務として、安田さんが時期を見て、今回の一連の経過や体験、そ
こで見聞したことをまとめて本を出版して欲しいと思います。

なお、日本における安田さんの解放をめぐる、「自己責任論」に関して、東京在住のメディアが『毎日
新聞』(2018年11月4日)に寄稿していますので簡単に紹介しておきます。

英『タイムズ』東京支局長のリチャード・ロイド・バリ氏は、解放されたのだから国を挙げて帰国を祝
福するべきで、彼を批判するという発想はない。できる限り現場に近づき何が起こっているか正確に伝
えるのがジャーナルズムの役割。時にはリスクを取る必要がある。安田さんのような被害者を責めては
、と書いています。

フランス『ルモンド』東京特配員のフィリップ・メスメール氏は、安田さんは正確な情報を届けるため
に命をかけて危険な紛争地域に行った。日本に内向きのナショナリズムの高まりがあるのでは、と心配、
日本も中東と無関係ではないのっだから。

『朝鮮日報』東京支局長の李河遠氏は、「国に迷惑をかけた」という発想になるのは日本だけではない
か。非難されるべきは安田さんではなく拉致した武装集団でしょう。

以上三人のメデイァの見解が、安田さんに関する国際社会の一般的な評価ではないでしょうか。

国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」によると、昨年の時点で、拘束が確認されているジャーナ
リストは54人です(開放された安田さんを除けば53人)。そのうち29人がシリア、2人がウクラ
イナ、11人がイラク、12人がイエメンとなっています(『東京新聞』2018年10月25日)。

-----------------------------------------------------------------------------
 空港で解放されたジャーナリストを出迎えるオランド大統領  




(注1) FNN PRIME 2018年10月31日 (写真も)
https://www.fnn.jp/posts/00381320HDK


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安田純平さん解放(1)―戦場ジャーナリストの役割―

2018-10-28 06:14:43 | 国際問題
安田純平さん解放(1)―戦場ジャーナリストの役割―

2015年6月にシリアで行方不明になったジャーナリスト安田純平(44才)さんが10月25日、
3年四か月ぶりに開放されました。

私たちは、安田さんが銃をもった武装兵2人の前で座らされ、助けを求めるメッセージを発している
姿をテレビで見ていたので、身の安全を心配していました。

10月23日の夜遅く、突然、菅官房長官が緊急発表を行う、とのテロップが流れ、安田さんが解放
されたことを報じました。

素晴らしいニュースでした。本当に良かった、と素直に喜びました。

拘束中のくわしい状況や、開放に至った経緯などついて安田さんは奥様を通して、いずれ語ることは
考えているが、帰国直後の今は、勘弁してほしいとのメッセージを伝えました。

私たちも、知りたいことは山ほどありますが、3年4か月も隔離・拘束され極限状況の中に置かれて
いたことを考えれば、今は何よりも休息をとり心身の健康を回復してほしいと思います。

開放に関して、一つだけ確認しておくと、在イギリスのシリア人権監視団は「引き渡しは4日前に行
われたが、政治的に発表のタイミングが選ばれた」とコメントしています。

今回の開放に関しては、少なくとも3つの視点が重要です。

1 戦場など危険地域入るジャーナリストの役割と自己責任の問題。
2 日本政府は、具体的に何をしたのか、しなかったのか。これは、日本政府は、海外の日本人を保
  護する義務をどの程度真剣に取り組んでいるか、という問題です。
3 安田さんを拘束したシリアの反政府勢力の状況、開放に直接に関わったと思われるカタールとト
  ルコの思惑です。これを理解するには複雑な中東情勢全般の理解が必要です。

いつものことですが、戦場に赴くジャーナリストに関して、二つの異なる意見が出てきます。

一つは、こういう危険地域に自分の意志で入ったのだから、何が起こっても全て自己責任で、救出の
ために政府は手を差し伸べる必要はない、という意見です。

もう一つは、こういうジャーナリストがいなければ、戦場や紛争地域で何が起きているか分からない
から、彼らの役割は大切だし大きい、という意見です。この意見は言外に、もし拘束されるような事
態になれば、政府であれ民間であれ、開放に精一杯の努力をすべきだ、という考えを含んでいます。

私個人は、後者の意見です。なぜなら、紛争が起きている時、当事者は双方とも自分たちに都合が良
いことだけをアピールし、真実を伝えないからです。

もし、一方の当事者のプロパガンダだけを鵜のみにしていたのでは、現実はどうなっているのか正し
い認識をもてないし、誤った判断をしてしまう危険性があります。

多くの戦場に赴くジャーナリストは、実際に何が起こっていて、現地で生活している人たちがどんな
状況にあるのか、彼らは何を外部に訴えたいのか、を第三者の目で確認し、彼らの声を世界に向けて
発信する義務がある、と考えています。

私自身は、そのような現場に行く勇気も実行力もありませんので、自分生命の危険さえ冒して紛争の
現場に入る人たちを尊敬します。

今回の安田さんの解放に関連して、自己責任論を言う人たちに対して、ちょっと意外かも知れません
が、アメリカ大リーグ・カブスのダルビッシュ有投手が25日のツイッターで、反論を書いています。
これをきっかけにインターネット上で賛否の意見が交わされていますが、私はダルビッシュさんの見
解に賛成です。。

彼はまず、一人の命が助かったのだから、自分は本当に良かったなぁと思います」と、安田さんの解
放を喜び、続いて、
    ルワンダのジェノサイドなんかも50万から100万人が亡くなってる。約100日と短期
    間にすぎなかったのもあったけど、もっと他国が介入出来ていたら絶対こうなっていないは
    ず。世界の国々もジャーナリストもこういった歴史から人間の弱さ、怖さを学んできたはず
    なんですよ。
    危険な地域に行って拘束されたのなら自業自得だ、と言っている人たちにはルワンダで起き
    たことを勉強してみてください。誰も来ないとどうなるかということがよくわかります
と持論を展開しています(注1)。

さらに、
    自己責任なんて身の回りに溢れているわけで、あなたが文句をいう時もそれは無力さからく
    る自己責任でしょう。皆、無力さと常に対峙しながら生きるわけで。人類助け合って生きれ
    ばいいと思います。
との考えも示した。これは、なかなか鋭く的を射た意見だと思います。

ダルビッシュさんのツイッターには異論も寄せられましたが、
    人間が助かったわけでそれに安堵するのって変でしょうか? 後悔とか反省って自分でする
    もので、他人が強要するものではないと思うんですよね。
    なぜ現地に行ったか?考えてから言った方がいいですよ。旅行じゃないんですから
と反論しています。

続けて、ジャーナリストが紛争の現場にゆき、事実を伝えるだけでなく、事態を変える積極的な役割
にも触れています。
    ジャーナリストが現地に行くことで助かる人たちが増えるし場合によっては他国の介入で戦
    争が終わる可能性もあるわけです。ただ場所によってはジャーナリストも拘束、殺害される
    リスクがあるわけで今回はそのリスクに当たってしまっただけの話。非難はできない」との
    見解をのべています。
それにしても、ダルビッシュが言うように、「逆に4回も捕まっていて5回目も行こうって思えるって
すごいですよね。毎回死の危険に晒されているわけですよ。でも行くってことは誰かがいかないと歴
史は繰り返されると理解しているからではないでしょうか?」(注2)。
戦争とジャーナリズム、報道に関して少し時代をさかのぼって考えてみましょう。

第二次世界大戦の時、軍は国民に本当のことを言わず、日本は悲惨な戦争に突入してしまったのです。
もし、ジャーナリストが、真実を報道していたら、アジアの人びとや日本国民に想像を絶する犠牲者
を出さなかったでしょう。

ベトナム戦争の時も、多くのジャーナリストが戦地に入り、何人ものジャーナリストが命を落として
います。個人的なことですが、私の後輩も、アメリカ軍のヘリコプターに乗っているところを撃墜さ
れ死亡しました。

しかし、多くのジャーナリストがアメリカ軍のベトナム人の大量殺人、拷問、公開処刑などの写真や
記事が報道したため、アメリカ国民だけでなく、世界の多くの人が、ベトナムで何が起こっているか
を知りました。

その結果、アメリカ国内で反戦運動が起こり、国際的な非難がおこり、アメリカも撤退を余儀なくさ
れました。こうして、無益の殺人を止めさせることができたのです。

もっと最近の例では、戦争ではありませんが、本質的に似た問題が、2011年に福島の第一原子力発電
所の爆破事故の時のことを考えてみましょう。

爆発が起こると、日本のテレビや新聞などのメディアは一斉に、社員を原発から50キロ以上離れた
ところに退去するよう指示を出しました。

放射線物質が飛散する現場で何が起こっているかを、直接に確認しに行ったのは安田さんのようなフ
リーのジャーナリストだったのです。

最近では、ロイターやAFPのような国際的な通信社は、社員を現場に派遣せず、フリーのジャーナ
リストから写真を買い、記事を買うこと(つまり自分たちは危険を冒さず情報だけをお金で買うこと)
を反省し、今後は自らの社員を派遣して直性に情報を得る方向に向かおうとしています。

本当に大切な価値のある情報は、スマホやパソコンで検索すれば得られるわけではありません。それ
は、誰かが苦労して、時には命をかけて現場に行って得たものなのです。

私は、そのようにして得られた情報には敬意を払います。

安田さんは決して無謀な潜入をしたわけではなく、こうしたジャーナリストの常道として、できる限
りの準備をし、安全を図った上で現場に入りました。それでも、いろんな偶発的なことから拘束され
てしまったのです。私には、それを非難できません。

自らは全く危険を冒さず、他人が苦労して得た情報だけを利用する(あるいは消費する)「タダ乗り」
は、ちょっと虫が良すぎると思います。

今回のことで政府は、あたかも政府がトルコやカタールに働きかけた結果、と自らの手柄のように吹
聴していますが、事実はどうもちょっと違うようです。

国民が紛争地域で拘束された場合、政府としてどう対応すべきかは、大切な問題です。今回の安田さ
んのケースや海外のケースを参考に次回に検証してみたいと思います


(注1)『サンスポ』(2018年10月26日)https://www.sanspo.com/baseball/news/20181026/mlb18102615410011-n1.html
   『朝日新聞』(デジタル版 2018年10月26日18時06分) https://www.asahi.com/articles/ASLBV5R21LBVUTQP01W.html
(注2)『日刊スポーツ』(電子版)[2018年10月26日9時31分] https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/201810260000264.html




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