大木昌の雑記帳

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追悼 中村哲氏の死を悼む―銃弾ではなくクワで平和を―

2019-12-07 10:49:16 | 国際問題
追悼 中村哲氏の死を悼む―銃弾ではなくクワで平和を―

12月4日、何気なくインターネット・ニュースを見ていたら、突然、中村哲氏がアフガニスタン
で銃撃され、死亡した(73才)というニュースが飛び込んできました。

私は、中村氏の活動はずっと注目していたし、ささやかではありますが応援もしてきましたので、
本当に衝撃を受け、「信じられない。うそだ!」と反射的に叫びました。

現地の仲間が同日に追悼集会を催しましたが、その背景に掲げられた横断幕には、
    You lived as an #Afghan and died as one too. (あなたはアフガン人として生き、
    アフガン人として死んだ)と書かれています。

現地の人は、中村さんを「神のような人」と呼んでいます。そして、鶴見俊輔氏はかつて、「日
本の希望は中村哲だけだ」と彼を高く評価しました(『毎日新聞』2019年12月5日)。

中村さんのこれまでの活動や功績については、すでに多くのメディアで取り上げられていますが、
念のため、今一度振り返っておきます(『東京新聞』2019年12月5日)。

医師である中村さんは、1984年にパキスタンのペシャワルでハンセン病患者の医療活動に従
事しました。そして、このことが、その後30年近くもアフガニスタン支援に携わる始まりとな
りました。

当時、アフガン内戦の影響で多数の難民がペシャワルに流入してきたため、中村さんの関心は次
第にアフガンに向き、91年にはアフガン東部のナンガルハル州に診療所を開いて、名実ともに
この地に根を下ろすことになりました。

しかし当時この地域では内戦が続き、「若者が武装勢力に加わるのは貧困が背景にある。アフガ
ン和平には戦争ではなく、貧困解決が不可欠」との信念を抱くようになりました。

2001年、米国での同時多発テロを受けて「テロとの戦い」の舞台として、アメリカは当時の
タリバン政権に攻撃を開始しました。これ以後アフガニスタンはさまざまな組織を含めたテロ攻
撃や交戦が全土で相次ぎました。

2001年10月、自衛隊が米国によるアフガンでの対テロ戦争を後方支援するための「テロ対
策特別措置法」を審議する衆院特別委員会に参考人として出席し「自衛隊派遣は有害無益。日本
に対する信頼感が、軍事プレゼンスによって一気に崩れ去ることはあり得る」と、海外での活動
拡大に強い懸念を示しました。

これに対して自民党議員からは発言の撤回を求められましたが、中村さんは「無限の正義の米国
対悪の権化タリバンという前提がおかしい」と反論しました(『東京新聞』2019年12月5日)。

つまり、現地の状況を全く知らず、ただただアメリカの要請に応えることを金科玉条のように考
える自民党議員(おそらく自民党政権全体)に対して、中村さんははっきりと「ノー」を突きつ
けたのです。

中村さんは2007年に『東洋経済』のインタビューで、「非軍事援助こそ日本の安全保障」と
明確に語っています(注1)

こうして、中村さんの支援の内容が医療から干ばつや貧困対策へ徐々に移っていきました。その
大きな転機になったのは、2000年の大干ばつで、その時日本人の若者ボランティアを募り井
戸掘りや用水路の建設を始めました。

若者はイスラム教を尊重した生活習慣を貫き、地域に溶け込む努力を続けました。この際、近く
の米軍が援助を申し出ても断り、これによって住民の信用を得てきました。

しかし、2008年にもう一つの転機が訪れます。この年、一緒に仕事をしていた伊藤和也さん
(当時31歳)が武装勢力の凶弾に倒れたのです。これ以後、若者らの派遣を厳しく制限する一
方、自分だけは陣頭指揮を続けてきました。

中村さんの偉大な功績にたいして、2003年には「アジアのノーベル賞」といわれる「マグサ
イサイ賞」を、16年には「旭日双光章」を、18年2月にアフガニスタン政府から、日本の民
間人としては異例の勲章を授けられました。

この間に中村さんの陣頭指揮の下、1600本の井戸を掘り、そこから畑に水を送る灌漑水路を
建設し、1万6500ヘクタールもの乾いて貧しい土地を緑の農地に変えました(『朝日新聞』
2019年12月5日;『東京新聞』2019年12月5日)。

中村さんは、「誰もが行くところには誰かが行く、誰も行かないところにこそわれわれに対する
ニーズがある」との信念からペシャワールからアフガニスタンへという、危険地帯に身を投じた
のでした。

現地でボランティアを希望する看護師の問に、
    ペシャワールについて語ることは、人間と世界について総てを語ることであると言って
    も過言ではない。貧困、富の格差、政治の不安定、宗教対立、麻薬、戦争、難民、近代
    化による伝統社会の破壊、およそあらゆる発展途上国が抱える悩みが集中しているから
    である。
    悩みばかりではない。我々が忘れ去った人情と、むきだしの人間と神に触れることがで
    きる。我々日本人が当然と考えやすい国家や民族の殻を突き破る、露骨な人間の生き様
    にも直面する

と答えています(著著『ペシャワールにて』から。(『毎日新聞』2019年12月5日 夕刊から
の再引用)。

私もずっと昔、学生時代に、アフガニスタンを放浪していたことがあるので、乾ききって、山も
平地も白茶けた、みるからに不毛な大地のイメージが残像として残っています。

しかし最近の映像を見ると、灌漑された土地には緑の絨毯のように小麦が青々と育っています。
長いあいだ乾燥状態のままの土地には草木も生えず、栄養となる有機分の補給もなかったことを
考えると、多少、農業に手を染めている私からみると、信じられないほど凄いことです。

それでも、住民を貧困から救うために、この不毛の大地と30年間も格闘して、豊な実りをもた
らす土地に造り変えた情熱と献身は、本当に尊いと思います。

中村さんは、この地域の日本の評価と信頼を一身に引き受けていた、といっても過言ではありま
せん。この意味で、中村さんは、難民救済に貢献し最近亡くなった緒方貞子さんとともに日本の
宝です。

中村さんは、これまでいくつもの言葉を残しています。それら全てをここで紹介することはでき
ませんが、中村さんの気持を表現した素晴らしい言葉を幾つか引用します。

「武器を取る者は取れ。私たちはクワで平和を実現しよう。きざな言い方をすればそんな思いで
続けています」(『毎日新聞』2019年12月5日)

この言葉は、中村さんの思いを言い尽くしています。「武器ではなくクワで」が究極の理念です。

また、「100万発の銃弾より1本の用水路の方がはるかに治安回復に役立つ。(日本政府は)
米欧の軍事行動と一体とみなされない独自の民生支援を長期的に進めるべきだ」とも言っていま
す(2009年2月、オバマ米大統領=当時=がアフガニスタンへの増派を決めたことを受けての取
材で)(『毎日新聞』2019年12月5日 夕刊)。

各地の講演などでは、砂漠だった土地で稲作や果実栽培が可能になった経験を紹介すし、「戦争
のことが伝えられることが多いが、食べ物がなくて命を落とす人が大勢いる。目の前の一人を救
っていくことの積み重ねが、平和につながる」と語ります(『東京新聞』2019年12月5日)

中村さんは、自分自身の長年の現場での活動経験を通じて、憲法の理念を体現した人です。
   
    憲法は我々の理想です。理想は守るものじゃない。実行すべきものです。この国(日本
    政府)は憲法をないがしろにしてきた。インド洋やイラクへの自衛隊派遣―国益のため
    なら武力行使もやむなし―それが正常な国家だと政治家は言う。私はこの国に言いたい。
    憲法を実行せよと。
    天皇陛下と同様、これ(憲法9条)がなくては日本と言えない。近代の歴史を背負う金
    字塔。しかし同時になお位牌でもある。(『毎日新聞』同上)

中村さんは、日本が日本であることの証しは、天皇がいて憲法9条がある、ということで、それ
らがなければもう、日本とは言えない。しかし、憲法9条は死んで位牌となってしまっていると
言います。

現行の憲法、とりわけ第9条を変えようとしている安倍政権の姿勢は、中村さんの視点からする
と、日本を日本でなくする愚かな所業である、ということになります。

現地の長老からは、「(中村さんを)この地に招いてくれた神に感謝する」と、最大限の賛辞を
寄せています。

また、あるアフガン人は、メディアのインタビューで「ご遺族に伝えて欲しい。中村さんは死ん
ではいない。我々の心の中に生き続けている」と語っています。

中村さんが所属する「ペシャワール会」の福元満治広報担当理事は12月4日、福岡市内の事務
所での記者会見で、これまで取り組んだ農業用水の整備などは安定につながる」ことを指摘し、
「事業の中止になることはない」と力を込めました。

安倍首相は、型通りの「残念だ」との短いコメントを出していますが、もし本気で世界の紛争地
域の解決に取り組むのであれば、アメリカ追随一辺倒ではなく、実体験に基づく中村さんの言葉
をじっくりと噛みしめ、その遺志を継いで真の「地球を俯瞰する外交」に徹して欲しいと思いま
す。

中村さんのような日本人がいたことは私にとって誇りであり宝物でしたが、亡くなった今となっ
ては彼が残してくれた言葉が宝物です。

改めて中村さんのご冥福をお祈りします。

(注1)『東洋経済』ONLINE(2019年12月7日)https://toyokeizai.net/articles/-/318423


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アフガニスタン東部のジェララバードでスタッフと(『東京新聞』2019年12月5日)          ジャララバード郊外で整備された用水路の前に立つ中村哲氏(2016年11月)
         
  

        『東京新聞』(2019年12月5日)より転載                                  『東京新聞』(2019年12月5日)より転載


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