ぶらり東京~23区巡り~

東京23区をぶらりと歩いた記録です。
が他にもいろいろ出歩いてますけど

新橋ってどこ?

2007年08月29日 | 港区
SL広場や酔っ払いなどへの街頭インタビューでお馴染みの新橋駅
今宵も酔っ払い天国となりそうな予感がします

実は新橋駅は別な場所で誕生していたんです
それは鉄道発祥の地でもありました。


そもそも新橋って名乗るくらいだから「橋」があるはずですよね
今は道路となってしまった部分に汐留川が流れていた
(ほとんどが暗渠化した汐留川は浜離宮沿いに僅かに残っている)
その川に新橋が架かっていました
場所は昭和通りと中央通りが合流する辺り
交差点に名を留めている

汐留川の新橋

新橋・横浜間で日本初の鉄道が開通したわけでありますが
その新橋駅は今の汐留エリアにありました。

その一角に旧新橋停車場跡として復元されています

この新橋駅も1914年には貨物用として汐留駅に改称されました
同時に「烏森駅」が新橋駅(写真一枚目)に改称され今に至っています。
旧新橋停車場
上写真の裏手に鉄道史を語る上で中々貴重な物が再現されています
①0哩(マイル)標

鉄道建設の際の測量の起点を意味します
この位置から横浜へ向かって鉄道が走っていたんですね

②レール

当時のレールだそうですよ
所々錆びているのがリアルです

③プラットフォーム

最先端であろう新橋(汐留)駅でも意外にシンプルな造りだったんですね

尚、クリスマス時期になるとライトアップします。
ライトアップ画像

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纏めると・・・
新橋駅(初代)は今の汐留地区にあり鉄道発祥の地であった
貨物用となり汐留駅と改称し、烏森駅が新橋駅(二代目)となる
新橋って橋は実際に汐留川に掛かっていた、今の新橋よりも汐留に近い場所にあった。

面白建造物

2007年08月24日 | 新宿区
新宿駅西口からすぐの所にかなり風変わりな建物の建設中現場がある

まだまだ建設途上の段階で完成は2008年10月予定

東京モード学園の校舎となります
特徴として形状が繭(まゆ)のようになっている
もう少しビルが積みあがってくると繭のイメージが掴みやすいのですが

地上50階建てとなる事で西口のランドマーク的存在になる事は間違いないでしょう

って言うか少子化でも生徒が集まる事にびっくりです

東京モード学園

どアップで見てみるとお菓子の「紗々」みたいですね


完成具合を確かめたくなる建物です
次に新宿行った際にも写真を撮ろうっと!!

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上野駅前の歩道橋

2007年08月20日 | 歩道橋
上野駅と言ったら「北の玄関口」そして「集団就職」を思い起こしてしまう

北の玄関口としての機能は東京駅に奪われつつあり、集団就職なんてとっくに死語化している

ですが今でも上野駅からは昭和30年代を思わせるパワーが宿っている気がしてならない。

昭和7年に完成した駅舎


上野駅に関してはこの辺にしておいて本題とする歩道橋に

広小路口、正面玄関口を出ると立派な歩道橋がある
ここで言う立派とはデカイ事を指しています
駅前歩道橋

ちょっとだけ高い視線からの景色をご覧下さい。
尚、歩道橋下は中央通り、昭和通り、浅草通りの合流地点で車の往来は非常に激しいところです

【丸井】

上野駅周辺では人気の待ち合わせスポットでこの日も大勢の若者達がたむろしていました。
昔は「月賦のマルイ」なんてキャッチフレーズがありました

参考までに創業の地である中野店は8/26に閉店するそうです

【東京メトロ本社】

メトロの本社が上野にあるとは意外な気もしませんか

民営化された3年前までは「帝都高速度交通営団」という組織でした。
よくいう「営団地下鉄」です
帝都なんて随分と時代めいた名称でしたね、この社名けっこう好きでした。
また一つ昭和が遠のいた瞬間でした


【オブジェ】

高さは10メートルくらいあるんじゃないかな
何を表しているのだろうか・・・知恵の輪??

その昔、バブルな頃に超高層駅ビル計画が持ち上がった
商店街の反対やバブルが呆気なく崩壊した事で頓挫したようです
駅ビル程ののインパクトはないですがエキナカであるアトレが2002年2月にオープンした
ごちゃごちゃして暗いイメージがあったけどオシャレな駅へ変貌してしまった

上野公園の木々から飛び出している建物は根津のマンション
突出している高さが伺えるかと思います、それもそのはず地上38階建もあるんですよ
参考までにこちらを↓
         迷物建築の解体

エキナカは着実に変化していますが“エキソト”は大して変化はしていません
アメ横、上野公園があるからだと思います。
これからもエキソトは現状維持あり続けるのだろうか・・・

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お盆風景・丸の内編

2007年08月16日 | 千代田区
今回のお盆風景は通勤時間帯の丸の内です。

丸の内の普段の通勤風景はTVなどで見た事ありますが
その時の映像とはかなり違ったものだった

丸の内仲通り
ベンチに座っている人はいますが見事なまでに歩行者がいません
10年位前の祝日の丸の内を彷彿させる光景がここに再現されたようでした


東京中央郵便局の時計は8:50を指している
普通であれば通勤客でごった返しているのでしょう
さすがに郵便局は通常と変わらず営業をしているはず


人と比例するかのように自動車も少ない
朝の時間帯は閑散としているけど逆に昼時にでもなれば観光客が新丸ビルへ押し寄せると思う。


東京駅前
ビジネスマンは見当たらないけど外国人も含めて観光客はやたらいました
それにしても9時だというのに暑いったらありゃしない・・・


新東京ビル
ニッカポッカを着たあんちゃんがこっちへ向かってきている
会社の休みを利用して工事でもするのだろうか


オフィス街がこの時ばかりはオフィス“外”となってしまったようでした。

普段の姿とは真逆の姿って何だか面白い
年末年始になればまた体感できますね、楽しみだな~♪

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お盆風景・霞ヶ関編

2007年08月14日 | 千代田区
お盆って快適ですね♪
ラッシュアワー帯でも電車は空いていて座って通勤できるし
会社へ行っても出勤率は低く仕事だって特にないし伸び伸び気分

そんな状況はビジネス街にもはっきりと表れます。

官庁街のランチタイム風景です

日比谷公園に面した交差点
日頃は信号待ちの人でいっぱいだけど土日のようでした


経産省前
怖いくらい歩行者がいません(脇にはガードマンがいましたが)
狙って撮ったのではなくリアルな風景なんですよ


潮見坂下の交差点
人が少ないことも然ることながら自動車も少ないです


財務省前
お役人らしき人がちらちら見受けられました
歩行者と多くすれ違う事が出来てほっとしました


官庁街に限らず多くのビジネス街でも同じような風景となっている事だと思います
ですが虎ノ門は普段と大した変化はなかったような
よく行く某牛丼チェーン店の混雑はいつもと同じでした。

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上野大仏

2007年08月12日 | 台東区
上野公園と言って連想するのは
桜、動物園、不忍池、文化施設、西郷像が妥当なところじゃないでしょうか

大仏もあるんですがその存在を知っている人は少数派かもしれません

かなり一風変わった大仏となっています

えっ?顔だけ??
ちょっと痛々しい姿ですが元々は胴体もあるれっきとした大仏(釈迦如来座像)でした
その大きさ約7mもあったそうです。

大仏の歴史を説明すると
大仏が登場したのは1631年、今から370年以上も前の事です
地震などの度重なる災難により、首、頭、顔などが落ちる被害を受けた
災難は四度に及んだ、直近は関東大震災

上野観光連盟による再建構想も出てきたので1967年には仏塔が建てられました
「パコダ」と言うそうです
意味はミャンマー様式の仏塔です


再建話は進まず寛永時で保管されていた顔だけが再度、上野に登場したのが1972年でした
以来30年以上経ちますが顔だけのまま
上野大仏

顔をドアップ
大きさは1.5mもある

近頃は合格祈願に訪れる人も増えているそうだ
胴体がなくもやは頭が“落ちる”事はないといった具合に御利益を期待しているみたい

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ぶらり【大手町~神保町~大手町】後編

2007年08月08日 | ぶらり
ぶらり【大手町~神保町~大手町】のスタートです。

前回は「変な形のビル」で終わりましたが
そのビルの近くに流れる日本橋川に「一ツ橋」がある、頭上は日本橋と同様に高速道路になっています。
皇居側(江戸城)に 「一ツ橋御門」 ができ一ツ橋は見附橋となりました。

御三卿の一つである一ツ橋家はこの橋名を由来にして一ツ橋家の敷地もこの辺りに与えられた
日本史っぽくなってしまいますが御三卿の残り二つは田安家と清水家です。

ここからは白山通りになる
一ツ橋から少し進むと平成らしからぬ建造物があります
【学士会館】
社団法人学士会の本部、レストラン、ホテル、結婚式場になっています

また東京大学発祥の地(=我が国の大学発祥地)はここであります。
東大の成り立ちを調べてみると昌平坂学問所をルーツに色々な変遷を辿り
本郷にキャンパスを構えるようになったようです。
出身大学のルーツを調べると思わぬ再発見が出来るかもしれないですね

東大を含めて旧帝国大学の出身者、教授などの関係者のみが上記の学士会の会員になれるそうです
学士会館

この辺は小学館と集英社に代表されるように出版の街でもあります。
集英社といえば週刊少年ジャンプ、近頃読まなくなりました。

さすがに腹が減ってきました
がっつり食いたい時にもってこいの「キッチン南海」へ
 
写真はクリームコロッケ+しょうが焼き定食(ごはん付き)
どのメニューも学生街らしくボリューム満点
学生を辞めて10年以上経過した今だと気合が必要な量となったのがちょっと悲しい
以前ほど来る機会は激減しましたが味わう度に色んな記憶が甦る店です。

【神田錦町界隈】
 
千代田区にありながら昭和な香りが色濃く残っている部分が多々感じられる街です。
同区でも丸の内とでは全く印象が違う
土地バブル再来が叫ばれる中、この街の未来地図はどうなるだろうか

【神田橋】

一ツ橋と同様に頭上には高速道路
神田橋御門へと通じる橋でした。

やはりというか当然と言いかこの辺りは名称に江戸の面影を感じさせてくれます。

ここ大手町エリアでも丸の内エリアに匹敵する再開発が進行中
元々は国の合同庁舎でした(もっと遡れば先の一ツ橋家の屋敷)
移転に伴い経団連、日経新聞、JAの高層ビル三棟を2009年に完成させようとしています。



【読売新聞社】

今回のぶらりのゴールです。
前編で触れた箱根駅伝と同じくスタート&ゴールが読売新聞となりました。
読売新聞社
尚、読売りとは江戸期にニュースや社会ネタを載せた摺り物を読み聞かせながら売っていた事を言います。
つまり今の新聞の原点ですね
社名の由来はここからきているようです。

夏真っ盛りで夜でもぶらりをするにはしんどい時期となりましたが
次回のターゲットを考え中です、お楽しみに!!

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ぶらり【大手町~神保町~大手町】前編

2007年08月04日 | ぶらり
今回のぶらりのスタート地点は箱根駅伝と同様に大手町にある読売新聞東京本社前からです
参考までに1971年まで本社は現在のプランタン銀座にあったみたい

駅伝って見るつもりじゃないのに一度TVを付けてしまうと不思議と見続けてしまうんですよね

駅伝ランナー気分をうちに秘めつつ“ぶらり”をしました。
まずは皇居方面へ

程なくすると都の旧跡を発見
【平将門の首塚】
四方を近代的なオフィスビルに囲まれた地に何とも曰くのありそうなスポットです。

日本史にも登場した平将門の乱の張本人である
伝承によれば将門の首が平安京に送られたが夜空を飛んでこの地に落ちたとされている。
心霊的なスポットを載せれて夏らしくなってきましたね
平将門の首塚

更に進むと内堀通りに出る
右折すると
【東京消防庁】

官庁系で警察の次にあまりお世話になりたくない機関ですね
火事は思い出も焼き尽くす憎きものです、PCが燃えたらしばらく立ち直れなさそう
マッチ一本火事の元♪ 気をつけましょう♪

【気象庁】

天気予報で日々出る東京の気温はこの地(大手町)で測定されています。
「もっと暑かったよな」とか思う日もあるかと思いますが
観測方法には細々を規定されているし、同じ23区内でも大手町と繁華街では違ってくるんですよね


【毎日新聞】

本日、二社目の新聞社
19時頃でしたがほとんどで電気が点いている
新聞社にとってはこれからが朝刊の準備で佳境を迎えるんですよね

参考までに主な全国紙の本社一覧
読売新聞・・・「千代田区大手町」
毎日新聞・・・「千代田区一ツ橋」
朝日新聞・・・「中央区築地」
産経新聞・・・「千代田区大手町」
日経新聞・・・「千代田区大手町」

大手町凄ぉ!!

【平川橋】

皇居周辺に来るとこのような時代錯誤な代物が至る所で観賞できるのが素晴らしいです。
日本人もさることながら外国人にも人気スポットです。

内堀通りは江戸城(現:皇居)の内堀に面しているせいか多くの橋が架かっており
橋の先には城内へ続く門が設置されています。

その平川門は大奥の女中が使用した(別名:お局門)
他には死者や罪人が城外へ運ばれるときに使われので不淨門とも呼ばれた

【変な形のビル】

かなり目立つ形をしたビルです
これが何に見えるかは皆さんのご想像にお任せします

変な形のビル

7/某日にぶらりをした足跡でした
前編があるからには後編へ続きます、ゴールはもちろんあそこです

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