江戸東京博物館へ行って来ました。
実は「ぐるっとパス」を使ったので随分前の出来事で“在庫一掃”の意味合いが!
場所は相撲の聖地である両国にあります。
地名は横網。両国にあるから横綱と思いがちですが横網(よこあみ)です。
豆知識はこの辺にして館内をごらん頂きたいと思いましたがその前に外観を
高床式で空間が無駄っぽい造りだなーと感じてしまいます。
尚、開館は平成5年(1993年)3月28日のバブルの余韻がまだ残る頃のオープンです。
展示室に入ってまず度肝を抜かれる物が目に飛び込んできます。
五街道の基点となった日本橋があります。
長さは半分ですが幅・高さは当時のと原寸大となっているそうだ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/96/7b3bcae5be1390fd75d13da39d945fcb.jpg)
現在の橋はなんと19代目で国の重要文化財に指定されています。
中村座の複製
江戸にあった歌舞伎劇場で江戸三座のひとつになっていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/49/9c89ef6187e019dc6427c6f1b04ce8d7.jpg)
江戸時代から続く伝統芸能・歌舞伎も最近では海外からも注目されているそうですね
銀座の歌舞伎座ではおばちゃんに混じって外国人の方を見かける事もあります。
ここはイベント会場にもなっていて様々な演目が行われていました。
両国橋の模型
両国の由来は下総国と武蔵国を結ぶ事からきています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/6f/88a82b53b5fa492d1a50c347b838de56.jpg)
明暦の大火で逃げ遅れた人多く、焼死者も甚大だったので架けられました。
現在も開催されている隅田川の花火大会
江戸時代にはここ両国橋で行われていました。江戸有数の盛り場でもあったんです。
花火大会は紆余曲折を経て、昭和53年に復活して現在に至っています。
会場も少し上流の駒形橋と桜橋で打ち上げています。
ここからは江戸以外のゾーンへ参ります。
ネタは数多くあるのですが建造物の模型を載せます。
【鹿鳴館】現存せず
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/71/c988ffc3e000ed343b7e757fd5a04903.jpg)
懐かしい響きですね、歴史の授業で登場した社交場の事です。
今で言うセレブが集うパーティーですかね
どこに建っていたかというと内幸町の大和生命ビルです。
跡地の碑
【ニコライ堂】現存している
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/1e/97e1a2e89e29b8966ed9cbe3461c974e.jpg)
鹿鳴館と同じでジョサイア・コンドルが設計しています。
学生街の御茶ノ水で異国情緒を味わえる建造物です。
現存しているので現地に行けば見学も可能ですよ。
【凌雲閣】現存せず
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/1e/d1a71718f1c66ae14c8c069feb819a5c.jpg)
浅草のランドマークとして親しまれていました。
12階建てのビルは当時では珍しく、また日本初の電動式エレベーターが設置されたはこのビルらしいです。
尚、12階には展望台もあり、障害物が少ない当時はさぞ遠くまで見渡せた事でしょう。
昭和初期までは浅草と言えばハイカラな街で東京でも最大の繁華街だったみたいですね
現在に置き換えると新宿、六本木を足した感じかな。
擬宝珠纏
こち亀に登場する人物で両さん並、いやそれ以上にチャキチャキの下町っ娘です。
難しい漢字なので仮名をふると「ぎぼし・まとい」
上の写真が「擬宝珠」よく橋の欄干で見かけるあれです。
下の写真が「纏」火消しで登場するあれです。江戸時代は頻繁に火事があったそうだ
江戸東京博物館はかなり広いです。
じっくり見学していたらとてもじゃないけど1日で回りきれないでしょう
ここ最近、江戸時代にはまっているのでまた行きたくなりました。
「昭和30年代博物館」ってのも作って欲しいですが次期都知事になる方お願いしまーす!
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