ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




喫茶ルオー。文京区本郷6-1。2007(平成19)年2月16日

本郷通りの東大正門の斜向かいで、写真左のビルが本郷郵便局。
大通り沿いの古い木造店舗は、写真では右から「ハセガワ企画印刷(プリント・ショップ、貸店舗の貼紙)、喫茶ルオー、東村正平(都市総合不動産鑑定所、貸店舗の貼紙)、貸店舗」。営業しているのはルオーだけで、ストリートビューで見ると今も同じ状態だ。1986(昭和61)年の住宅地図では「タイガー、ルオー、トームラ、ラーメン堀川」、1974(昭和49)年でははっきりは読めないが「ラーメン狸小路・牛めし古川、新井計器店、トームラ洋装店、琳狼閣書店」だろうか。なぜかルオーの文字がない。
ルオーは昭和27年の開店という有名な老舗。琳狼閣書店は、今は春日通り沿いの本郷7丁目にある。
角のプリント・ショップだった建物は、横から見るとRC造のように見える。3階建ての琳狼閣書店だった建物のファサードが面白いデザインだ。戦後の改修によるものなのかもしれない。

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海上自衛隊館山航空基地。千葉県館山市富士見。2004(平成16)年11月27日

海上自衛隊館山航空基地は旧海軍の航空隊の基地だったのを、1953(昭和28)年に当時の海上警備隊が「館山航空隊」を設立して開設した。自衛隊の発足は翌年である。建物等は旧海軍のものを引き継いで司令部庁舎も最近まで使ってきたが、2015年に建て替えられて、新庁舎が完成後解体されたようだ。
旧海軍の「館山海軍航空隊(館空)」は1930(昭和5)年の発足。基地は関東大震災で隆起した海岸を埋め立てて造成した。飛行場にしてはずいぶんと狭いが、艦載機のパイロット養成が主眼で、空母への発着の訓練を行う施設だった。
上の写真で右に写っている2階建ての建物は「教育資料館」かと思う。旧海軍の兵舎だった建物だ。本部の前にある白い柵のようなものは国旗掲揚台で、やはり旧海軍からのもの。




館山航空基地の周りには館空(たてくう)関連の建物も残っている。正門の近くには「第二海軍航空廠館山補給工場」が民間の倉庫として使われている。また基地の北東の海岸べりに、監視所だったと思われるコンクリート造の廃墟が残っている。

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洲埼灯台。千葉県館山市洲崎。2004(平成16)年11月27日

洲埼灯台は洲崎(すのさき)という岬にあり、住所は館山市洲崎だから「洲崎灯台」でいいと思うのだが「洲埼灯台」と書くのが習慣らしい。洲崎灯台と書いている資料やサイトも普通にある。ここでは千葉県のHPの表記に倣った。
『ウィキペディア>洲埼灯台』によると「円筒形のコンクリートで建てられ、高さは15メートル、海面からは45メートルである。1919年(大正8年)〈12月15日〉に点灯。三浦半島最南端の東端にある剱埼灯台と共に東京湾へ出入りする船舶の目印となっており、同灯台とを結んだ線をもって東京湾の境界をなす。管轄:海上保安庁、第三管区海上保安本部」。平成27年3月に国登録有形文化財(建造物)に指定された。
房総半島の南端が西へ出ている部分を「西岬(にしざき)」といい、その先端が洲崎になる。西崎は陸軍の東京湾要塞地帯であり、海軍の「震洋」特攻基地が建設された。機会があったらそれらの跡を見てきたい。

左の写真は『千葉県の地理と歴史』(千葉地理学会編、野村出版、昭和43年、450円)から引用した「洲崎燈台付近」。今はただの広場のようになっているところにあった建物が写っている。

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新橋(下流側)。千葉県南房総市白浜町滝口(旧安房郡白浜町滝口)。2004(平成16)年11月27日

めがね橋が架かる長尾川の河口付近に架かる、やはり3連アーチの橋。親柱に「昭和四年八月竣工」と刻んである。竣工年からすると震災復興時に架けなおされた橋のようだが、かなり立派な橋で、昔はここが東西の往還だったかと思わせる。形は石造りアーチ橋なのだが確認できなかった。近年、モルタルで化粧直しされたのか、綺麗な外観である。親柱や欄干が和風なので、全体が和風に見える。
昭和になってから石造りアーチ橋を造るというのは珍しいと思う。RC造で形だけアーチ橋にするというのも考えにくい。明治21年架橋のめがね橋は、白浜町の海岸端にある「みずるめ」と呼ばれる石切場から切り出した石が使われた。材料が近くで手に入るのなら、それが使われたのかもしれない。また、めがね橋の架橋から40余年だが、その工事に携わった人が長老として健在で、新橋の架橋を指導したかもしれない、などとかってな妄想が起こる。



新橋(上流側)

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めがね橋。千葉県南房総市白浜町滝口(旧安房郡白浜町滝口)。2012(平成24)年6月27日

めがね橋は房総フラワーライン(1966年開通)が長尾川を渡る橋から上流に見える。「めがね橋」は通称だったと思う。昔は「長尾橋」といったようで「眺尾橋」とも表記されるようだが、千葉県が1989年に県有形文化財に指定したときに「めがね橋」で登録している。それに倣ったのか、2005年に土木学会推奨土木遺産に指定された際の名称も「めがね橋」だ。3連アーチなのでめがねには見えないのだが、まあいいか。
千葉県の近代産業遺跡>長尾橋』によると、3連の石積みアーチ橋で明治21年の架橋。施工者を石工の森善九郎としている。



土木学会推奨土木遺産>めがね橋』によると、めがね橋が架けられた地点を「館山市街から山あいを縫って白浜町へと抜ける県道、山裾を海岸線に沿って走る国道、さらに渓谷を刻みながら蛇行して流れる長尾川、それらが出会うまさに交通の要衝」としている。徒歩で川を渡っていた地域住民にとってそこに橋をかけるのは重大な関心事だった。工事費400円は長尾村民の寄付金によった。
1993(平成5)年から1995(平成7)年にかけて保存整備工事が行われた。○と+を組み合わせた高欄はそのときの復元。

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野島崎灯台。千葉県南房総市白浜町白浜。2012(平成24)年6月27日

野島崎灯台は房総半島の南端の野島崎(のじまざき)という岬に建つ。野島崎は地図で見ると伊豆半島のような形をしている。そのほぼ中央、海抜10mほどの、何回もの巨大地震によって隆起した海岸段丘にのっている。白浜町、その西の滝口といったあたりの海岸段丘は、はっきり判る段面は4つあり、その最も新しいのが1703(元禄16)年の元禄地震によるもので、そのとき野島という島だったのが地続きになったのが野島崎だという。関東大震災でも隆起して、海蝕棚が海面から現れて岩礁になっている。
建物は『千葉県>野島崎灯台』に、「幕末から明治初期に設置された条約灯台のひとつで、当初の灯台は、フランソワ・レオンス・ヴェルニー(1837~1908、フランス人技術者。1865~1876年にかけてドックや灯台、その他の近代施設の建設を指導し、日本の近代化を支援した)の設計により明治2年(1869)に竣工したが、大正12年(1923)の関東大震災で倒壊。大正14年(1925)に再建され、その後も太平洋戦争で被害を受けつつも、現在に至っている。」と記されている。戦争の被害とは昭和20年7月18日深夜の艦砲射撃のことらしい(YOMIURI ONLINE>振動に大音響 同級生奪う)。
平成24年2月に国の登録有形文化財に登録された。



野島崎灯台霧信号所。2004(平成16)年11月27日

犬吠埼灯台には「犬吠埼霧信号所霧笛舎」があり、それと同じ施設だろうと「霧信号所」とした。勿論今は使われていなくて、建物は廃墟だ。

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宮本商店。静岡県伊東市新井2-17。2015(平成27)年1月18日

国道135号沿いの「あらいの湯」のすぐ裏手。寄棟屋根出桁造りの家がGoogle地図では「宮本商店」。なんの店だか分からないのだがストリートビューでは硝子戸ごしに洗剤がみえるから雑貨店だろうか。隣に洋風に見える家があり、さらに隣が「勘五郎丸肉店」。肉店は看板が一切ないから廃業したようだ。勘五郎丸というのは持ち船の漁船の名前かと思う。



鈴進水産。伊東市新井2-1。2015(平成27)年1月18日

Google地図で「鈴進水産」となっている家。国道135号からも、石垣の上に建っている家がよく見える。写真左にわずかに写っている家は国道135号に向いて「鈴進」と「星野ひもの店」の看板を出す店。
この辺りまで来ると商店は減って民家の方が多くなってくる。ぼくはいい加減なところで引き返してしまったので、「太吉丸」という屋号の網元の家を見損なった。その家は「新井」バス停の山側(伊東市新井2-14)に、通り沿いに石垣を築いて建っている。『ゆったり・湯めまちウォーク』の「海辺とまちなみコース」の地図では「重厚な外壁と昔ながらの戸袋と建具/江戸末期に建てられた」とある。

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恵比寿あらいの湯(仲町会館)
静岡県伊東市新井1-9。2015(平成27)年1月18日

国道135号の伊東港魚市場の向かい側にある2階建てRC造の建物が伊東温泉共同浴場・七福神の湯の一つ、恵比寿あらいの湯。「あらい」とは「洗い」ではなく地区名の「新井」。建物は「仲町会館」というようなので、2階は地域の集会場などになっているのだろう。
ネットで見ると、ここの温泉施設は実用一点張りで、入浴後にビールを楽しむような場所もない。建物と同様に適度にレトロでそっけないところに引かれる。観光施設ではなく、地域の共同浴場なのだろう。
明るく広い浴室がいいのなら、近くに「毘沙門天芝の湯」がある。

下の写真は1枚目写真の左の路地を入った裏通りとの四つ角。Google地図では、角が「鈴進」右が「ヤマキ水産」。鈴進は『ゆったり・湯めまちウォーク』の「海辺とまちなみコース」の地図では「八百〆」という八百屋だ。2012年5月撮影のストリートビューでは店先に鈴進の軽ワゴン車が止まっていて、野菜も少しばかりだが並べてある。下の写真では休業日なのかもしれない。「マルキ鈴進」という水産物仲卸の会社があるようなのだが、その青果部なのだろうか?


八百〆。伊東市新井1-10。2015(平成27)年1月18日

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斉元。静岡県伊東市新井1-7。2015(平成27)年1月18日

国道135号線は伊東港の魚市場の横を通るが、その反対側に国道と平行して走る裏通りがある。漁師町と言っていい。その通りの「魚市場」バス停の辺り。写真の民家は白漆喰が目立つので蔵造りかと見えてしまうが正面を見れば出桁造り。『ゆったり・湯めまちウォーク』の「海辺とまちなみコース」の地図に、「屋号「斉元」」とあり、門の表札にも「網元」の字を入れている。
1枚目写真左端の家が「東府屋商店」で、その隣の家が下写真の「久保田薬局」。店は廃業したようである。看板には「保」の人偏だけが残っているが、文字の跡はまだ読み取れる。


久保田薬局。伊東市新井1-8。2015(平成27)年1月18日

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一王。静岡県伊東市新井1-4。2015(平成27)年1月18日

国道135号線は伊東港の魚市場の横を通るが、その反対側に国道と平行して走る裏通りがある。県道110号線は波止場入口交差点で国道に合流して終わるが、そこに出ないで西北へと延長したのが裏通りである。伊東駅からの伊豆東海バスも運行している。その通りは漁港を前にした漁師町といっていい。民家と商店が混在する普通の田舎の通りとも見えるが、漁師町という意識で見ると、古い家もかなり残っていて興味が引かれる。
上の写真は国道135号線の波止場入口交差点のすぐ裏手にある民家。『ゆったり・湯めまちウォーク』の「海辺とまちなみコース」の地図に、「屋号「一王」」とある。網元の家らしい。間口が広い。ほとんど四軒長屋である。1・2階とも大広間がありそうだ。かつては家族だけでなく、網元の下で船や港で働く人たちもこの家で生活したのではないかという感じだ。瓦が葺き替えられているのが残念だ。
下の写真は1枚目写真の家から西へ100mのところで、一王と同じような家が2軒並んでいる。


民家。伊東市新井1-7。2015(平成27)年1月18日

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