ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




エリスマン邸。神奈川県横浜市中区元町1元町公園内。2016(平成28)年12月23日

エリスマン邸については『日本のすばらしい建築物>エリスマン邸』というサイトに詳しい解説がある。それによると、フリッツ・エリスマン(1867―1940)はスイス、チューリッヒの生まれの貿易商で、明治21年に来日した。戦前では最大の生糸貿易商シーベル・ヘグナー商会の横浜支配人である。昭和15年に亡くなるまで日本に滞在し、山手の外国人墓地に葬られた。
エリスマン邸は、元は山手127番地にあったが、1982(昭和57)年にマンション建設のため解体され、平成2年に横浜市によって現在地に復元された。山手127というと、現在地から東南へ直線距離で500mほど離れている。
アントニン・レーモンドの設計、清水組の施工で1926(大正15)年の完成。基本にアメリカン・コロニアルスタイルを置き、レーモンド独自のモダンなデザインにしたものらしい。また、F・L・ライトから独立して間もない頃の作品で、その影響もみられるという(『神奈川の近代建築探訪>エリスマン邸』)。



エリスマン邸。2013(平成25)年4月18日

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底倉温泉 函嶺。神奈川県足柄下郡箱根町底倉。2014年6月9日

国道1号から宮の下交差点で国道138号(箱根裏街道)へ入るとすぐ八千代橋を渡る。その深い谷底を流れるのが蛇骨川で、橋のすぐ下流で早川に合流する。蛇骨川の谷底や主に橋の上流の右岸(川の東側)から自然に湧き出しているのが底倉温泉だ。今では旅館が1軒、公衆浴場が2軒のみという。
八千代橋を渡ると住所は「底倉」という地区になるが、渡ってすぐ「木賀温泉入口」バス停の手前に「函嶺(かんれい)」の看板が見える。ネットの情報によれば、現在は入浴のみの施設である。1か所の、大きくもない露天風呂を1時間の貸し切りで入浴するので、いきなり行って入れれば運がいいわけだ。それで一人700円というから、とても施設を維持していけるとは思えないのだが。
建物は関東大震災後の大正末に、温泉療法を兼ねた「函嶺医院」として建てられたという。函嶺医院は1982(明治25)年の開設で、大震災で潰れた建物を造り直したものらしい。一階が下見板の洋館である。玄関の屋根と、横の八角の窓はなんとなく和風のような中国風のような……。


底倉温泉 函嶺。箱根町底倉。2014年6月9日

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小林商店。神奈川県足柄下郡箱根町宮ノ下。2014年6月9日

国道1号の、宮ノ下駅への枝道と富士屋ホテルとの中間あたりにある民芸品・工芸品の店。江戸時代前半期から続く店というから箱根では最も古い店かもしれない。『小林商店』には「木象嵌や寄木の弟子達を育ててきた箱根切っての老舗。ことに日本唯一であるこの店のみの木象嵌は大変高価なもの」とある。今は作っていないようだが、木象嵌が施された箪笥や飾り棚が展示されている。
出桁造りの建物は山田屋のように大正期のものなのだろうか。

ユー歯科箱根診療所は小林商店から左へ数軒行った並び。大きさも造りも小林商店と似た建物なので、商店だったのを歯科医院に改装したものだろうか。それでもドアはかなりの年季が入っているようだ。


ユー歯科箱根診療所。箱根町宮ノ下。2014年6月9日

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マダム・スン、山田屋。神奈川県足柄下郡箱根町宮ノ下。2014年6月9日

富士屋ホテル入口の脇にある山田屋物産店とその隣のマダム・スン(韓国料理)とは軒下を階段状にしているのや、二階の両端に戸袋があるところなど、わりと似た建物である。山田屋は店のHPによると、江戸時代から土産物店と旅籠屋を営んできた老舗という。建物は100年以上前のものというから大正初期に建てられたのだろうか。
『昭和30年代の神奈川写真帖〈下巻〉』(アーカイブス出版、2007年)に国道1号の山田屋商店の前を下っていくバスを撮った写真がある。昭和30年に撮られたその写真では山田屋とマダム・スンが写っているが、看板が写っていないので店名が確認できない。向かいの「カフェ・ド・モトナミ(旧富士屋ホテル車待合所)」に「山田屋商店」の看板がかかっていて、「a la modeすぎやま」は「おみやげの店 舛山商店」である。



嶋写真店。箱根町宮ノ下。2014年6月9日

嶋写真店の創業者嶋周吉は温泉宿「江戸屋」の人で、そこに滞在した外国人の持っていた写真機に魅せられて横浜に出て修行し、富士屋ホテルの開業とともに写真館を開業した。江戸屋が宮ノ下にあったのかどうかはっきりしない。建物は看板建築風でレトロな外観だがいつ頃の建築なのだろう。既出の写真では横がわずかに見えるだけだが、現在のものと同じに見える。

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上:富士屋ホテル向かいの家並み、左:箱根光喜號
神奈川県足柄下郡箱根町宮ノ下。2014年6月9日

国道1号に向いた富士屋ホテルの門の向かい側には洋館と日本家屋の古い建物が並んでいる。上の写真左から、箱根光喜號、江戸商店、a la modeすぎやま、カフェ・ド・モトナミ。
「箱根光喜號」はベルギーのレースなどを中心にした輸入雑貨の店。2004年の開店という。2014年4月に宮の下駅の方へ移って、今は「箱根ホステル1914」という宿泊所になっているが、写真ではまだその看板がないようなので光喜號としておく。『近代建築散歩 東京・横浜編』(小学館、2007年)では「箱根光喜號(旧箱根宮の下郵便局)建築年=1919(大正8)年、設計・施工=不詳/不詳」。木造2階建てで、内部は郵便局だったときの窓口やカウンター、天井や壁のレリーフなどを残してあるという。郵便局がここから移ったのは昭和50年代末のことらしい。
平屋の「江戸商店」は陶磁器や浮世絵などを中心にした骨董店。創業は昭和30年代初頭という。
「a la modeすぎやま」はイタリアの服のブテック。雑貨、陶磁器も扱う。
「カフェ・ド・モトナミ」は見たところレトロ調に造った最近の建物のようにも見えるが、『近代建築散歩』では「Café de motonami(旧富士屋ホテル車待合所)、建築年=1914(大正3)年以降、設計・施工=不詳/不詳」。1914年というのは、小田原電気鉄道などの貸切自動車の運転手の接客態度に業を煮やした富士屋ホテルが、大正3年8月に「富士屋自動車株式会社」を創立して、自ら貸切自動車事業を始めた年を指す。



江戸商店。箱根町宮ノ下。2014年6月9日


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芝商店。神奈川県足柄下郡箱根町宮ノ下。2014年6月9日

国道1号の宮の下交差点にある老舗の骨董店。正面中央の唐破風がとにかく目を引く。改修によるものだろうが、正面全体はガラス張りにして、入り口もガラス扉。前面には壁がなく、窓枠や梁のように見えるシャッターを収めるものも白く塗られていて、なんとなく洋風にも見えて、唐破風と合わせて富士屋ホテルを連想させる。屋根はシアンに塗られた鉄板かと思うが、瓦屋根だったのを改修したものだろう。
『近代建築散歩 東京・横浜編』(小学館、2007年)では「建築年=1910年代(大正期)、設計・施工=不詳、冨士屋ホテルの外国人向けの土産物店として開業。創業は1887年。また箱根の別荘に避暑、静養に訪れた人たちに骨董品も販売した」。
『楽・楽箱根』(JTBパブリッシング、2014年)には「明治20年(1887)、横浜で創業した古美術商で、明治後期に宮ノ下に移転」とある。
ぼくは骨董には興味がないが、店構えからすると、10万円ほどの心づもりで入る覚悟がいるような気がするのだが、土産物も置いてあるというから、見るだけでも大丈夫だと思う。店名の英語表示らしい「S.M. SHIBA」の「S.M.」が分からない。コンクリートのガードに書かれた「inspection welcome」は「見るだけでも歓迎する」という意味だろう。

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魚浦商店。神奈川県足柄下郡箱根町宮ノ下。2014年6月9日

国道1号を登ってきて、宮の下交差点でカーブしてすぐ先。古い店舗のままの魚屋は、写真では看板が見当たらないが、今は青い日よけの上の梁に「創業大正七年 魚浦商店」と入れている。魚浦商店の両隣、「渡邊ベーカリー」と「豊島豆腐店」が観光客にはよく知られている。



やまや。箱根町宮ノ下。2014年6月9日

国道1号の宮ノ下交差点に面した骨董店。創業したのは江戸時代後期という。看板に「鳴りこま製造直売/箱根寄木細工」とあり、そういう土産物も扱う。建物はかなり古そうだがこの辺りの国道1号沿線に残る古い日本家屋の骨董店などには大正期に建ったものもあるから、やまやもその頃に建ったものかもしれない。建物左のショーウインドーの下にスクラッチタイルが貼られている。この部分は昭和初期に造られたのかもしれない。

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お茶の水女子大学附属幼稚園。文京区大塚2-1
1994(平成6)年11月12日

附属幼稚園の園舎は、お茶の水大学本館の東に、南北方向は本館と同じ長さで造られている。平屋ではあるが幼稚園としては大きい建物だ。1931(昭和6)年6月に竣工したRC造平屋の建物。外観はスクラッチタイル貼の外壁、四角い窓など、本館と同様のアール・デコ風のデザインで、北側の玄関が立派だ。
お茶の水学術事業会会報ellipse平成20年5月』には、「基礎が深く丈夫に作られている点、 内部の天井がとても高い(保育室は3.35m、中廊下は4.15m)」ことを強調して、幼稚園らしい装飾として、玄関ホール上の花のレリーフ、屋上のパラペットのうさぎとかめのグリル、各保育室の出入り口上部のステンドグラスを挙げている。『春秋堂日録>お茶の水女子大学付属幼稚園(2014.02.25)』にステンドグラスの写真が載っている。
2008(平成20)年3月、3カ所ある砂場とともに国の登録有形文化財に登録登録された。
この幼稚園は日本一古い幼稚園で、設立は1879(明治9)11月。「東京女子師範学校附属幼稚園」がそれで、JR御茶ノ水駅の対岸、東京医科歯科大学の場所である。永井荷風が1884(明治17)年からほぼ1年間通った。

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お茶の水女子大学講堂。文京区大塚2-1。1994(平成6)年11月12日

本館はほぼ北向きに正面を向けて、その中心に正面玄関がある。講堂は正面玄関の後ろに南側に突き出すように建てられている。本館と一体のものなので、1932(昭和7)年竣工、設計=文部省、施工=清水組であろう。RC造2階建て、本館と同様外壁はスクラッチタイル貼り、腰壁は万成石(まんなりいし)を貼っている。2階の窓が2連のアーチ窓で、本館が四角い窓を並べてもっぱら合理的な感じがするのに対して、やわらかい雰囲気を出している。
この講堂には「徽音堂(きいんどう)」という名称がついている。また、お茶の水大の学園祭は「徽音祭」という。国立大学とはいえ、女子大学に男が立ち入るのは躊躇してしまうが、徽音祭のときなら堂々と入っていける。



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お茶の水女子大学本館(正面)
文京区大塚2-1
1994(平成6)年11月12日

2008年3月、お茶の水大の本館、講堂、附属幼稚園、表門の4点が国指定文化財に登録された。これら4点がお茶の水大に残る戦前築の建造物なのだろう。本館と講堂は一体の建物のようにも思えるが、大勢に従って別の建物ということにしておく。
お茶の水大の前身である東京女子高等師範学校はJR御茶の水駅の対岸、東京医科歯科大学のある場所にあった。関東大震災で焼失し、1928(昭和3)年に文部省より現在地を交付された。
関東大震災とお茶の水女子大学本館』によると、本館は1932(昭和7)年8月31日に竣工した。建築を担当したのは文部省建築課。「チームは建築課長の柴垣鼎太郎、設計掛長の高橋理一郎、そして設計者の田中徳治」とある。施工は清水組。RC造3階建てでコの字型平面、外壁はスクラッチタイル貼り。正面中央においた玄関を中心に左右対称。その玄関の上の壁を白くしてレリーフで飾っている。目立った装飾はその部分だけである。



北に向いた正面玄関の後ろに2階建ての講堂が伸びている。上右写真の右の2階建て部分がそれ。左写真は中庭から見た西翼。

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