つい先日のこと。いつもの山道を散歩していて、木々の梢のあたりでパラパラカラカリなどという乾いた音がしている。ヒヨドリでもいて騒いでおるのかと思って、しばし立ち止まって目を凝らしては見るものの、この目で見える範囲を遠く超えており、それにしても動いている姿ぐらいは見えても良さそうなものを、見えない。それで、半ば諦めて歩きはじめた。
そうやって、数日過ぎたやはりよく晴れた暖かい日のこと、その日はこの前の時よりさらに音はひんぱんにしておるも、ちょっと止まってようすを探ろうとするものの、やはり解らず歩き出してしばらくいったところで、急に目の前にその正体が落ちてきた。
藤の莢(さや)である。長さ15から20㌢ほど幅2㌢ぐらいか。これが手に持ってみるとじつに軽い、そしてじつに固いのだ。
でその様子を改めて見た。まず莢がはじける音。パチそれから落ちる時に枝にぶつかりながら落ちるから、パラカラカリとなるのである。
この連中の戦略には毎度驚嘆するものがある。けれど、それよりも我輩がここで暮らしたうん十年、この音をまともにいままで聞いて来なかった。またはそのまま気がつかずにすどうりしてきたのかと、思うと我ながらまことに見てい無い。自分の知っている世界のなかだけで日々をやっていることに、いまさらながら愕然とする。
などというだけでは、いささか違う。
ほんとうに自分というものはこの小さな思い込みの世界を唯一だとしていること、このことはあたりまえのことながらまだまだ自分というものが、広がる、のびしろがある。または学ぶことができるということを教えてもくれたのだ。