百不当

2012-01-28 22:52:26 | 日記
 「今の一当は過去の百不当の力なり。百不当一老なり」(正法眼蔵)
弓矢に例えて示されている。今あたった矢は、過去の百、千、万、の
精進があったらばこそといわれる。そうだとおもう。いまというのは

いまぎりのいまでしかないが、このいまはたしかに昨日からつづいて
のものである。不連続の連続といわれる。そのありようはもうすでに
このオレをなんとかしようというよりも、生きる、人として生きると

いうありようそのものが、よりよく生きたいと湧いているもの。それ
はアスリートたちやアーティストたちならそれなりに評価もされ、注
目もされるだろう。けれどそんなことのひとつもないこのぼくだって

やっぱり、よりよく生きたいはとうぜんあるわけで。たとえば今日も
雪かきでえっさほっさやっていて、なんていうか筋肉が躍動するかん
じや昨日とはたしかに違う風景の入り方、うん、なんていうのんかも

っともっと出会いたいと身体の芯のほうで探しているものね。そんな
声にすなおにこたえることができたらいいなぁ。
 百不当一老なりということばがすてきだよね。あの野球のイチロー
も百不当一老だよな。

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