霊性

2017-12-09 21:08:06 | 日記

 この月の初めに、古文の会の仲間たちと高野山と熊野那智を巡ってきた。こちらははただ決められた場所に行くだけで、宿のことや車のことなどの細かいことは、その仲間にまかせきりなのだ。

 この会の面白いところは、それぞれシャイというか内向的で、それゆえ神社やお寺などの参拝中は、それぞれがそれぞれのおもいにふけっている。その場におわすだろう神さまの霊威をかんじとろうしているようだ。霊威とはなんだろうか。よくはわからないまま、かんじていることをそのまま言葉に出してしまえばこういうことになるだろうか。端的に言えば、怖れだろうか、それはふるえであったり、清さであったりするようだ。それと今回も思ったことは、神殿やお寺の伽藍などよりその地である山や谷、川または滝や巨木たちに霊威が宿っているようにおもう。2千年も前の人たちがこの地に来てかんじたであろうそのなにかが、こちらにも感応してほしいと秘かに願ってもいるらしいのだ。寒いからか、それともたんなる癖であろうか、両手をポケットに突っ込んだままどこでも歩いていて、そうやっておのずと開かれた場所にくると、手が合わさっている。そんなさまが夕方、風呂に入って夕餉をすませて一杯傾ける頃になると、その内向性がはずれてなにやらそれぞれのおもいがほとばしるようだ。酔いにまかせて一気にゆるんだものが出てきて、熱く語っている。

 

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