生き方

2017-01-07 21:22:03 | 日記

 子どもたちとの語らいも、そうですが、いろんなかたが来られて、お話を聞いていると、世の中のあることごとが、変ったのだとつくづく思う。まずは、「家族」のかたちがずいぶん変ったのだ。よく言われてきたことですが、専業主婦などという言葉が、この国に根付いたのは敗戦後からである。大正生まれの人たちが、はじめてサラリーマンというものになったのだ。だからして、それにまつわる言葉、「一家団欒」だの「家族サービス」なども、高度経済成長とともに出てきたことなのだ。「夫婦」の形態もとうぜんながらずいぶん変遷を遂げてきている。「仕事」や「個性」なども、この国では50年ほど前まで、農家、つまり農業を生業としている人たちが、70%近くまであった。それがいまでは5%を切っており、そのほとんどが今では、製造業からサービス業に移っており、とうぜんのことながら「仕事」に対する思いも変らざるをえない。するとそれは「個性」というもののとらえ方が、違ってきており、「恋愛」や、「家族」「子育て」などということも、大きく変ってきた。それらはあたりまえのことながら、時代とともにあるものゆえ、その都度変らざるをえない。もうひとついえば、そうやって社会のあり方が違えば、それにつれて、変りつまり翻弄されてきた。で、気がつけば、ほんらい人はどんなものであれ、つながりのなかで、営みが暮しが成立していた。それがこの経済本位の社会によって、個人はばらばらにされて、どこでも生きにくい現実に直面せざるをえなくなっている。それで、私たちの暮しは老いも若きもどこかで、人とのゆるいつながりをもとめて、いろんな姿の集いを実現させている。どうも、そのことはだれかがやってくれることではなく、みずからの手で模索しながら、よき「つながり」を作っていかざるをえない。そのなかでもう一度「個性」や「家族」「夫婦」「仕事」などなどを、創造していく時代になったのだと思う。すくなくとも「国」や「社会」が、造ってくれるものではない。はい、そのことがひいては、自分たちの社会、国をおのずと造っていくことになっている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする