ことばについて

2012-10-04 21:51:32 | 日記
 昨日の朝日新聞の記事、重い障害の少年が伝えたかったこと。
この記事びっくりでしたね。1994年東京生まれ、臼田輝君、
2009年4月16歳で逝く。

 一歳の誕生日前にマンションの5階から転落。以後、生死の
境を脱したものの、筋肉ひとつ自由に動かせない。発作が起き
たり、たんがからんだり、寝たきりの生活が始まった。

 そんな輝君に文字の入力スイッチにであったのは、06年
中等部1年の時、大学教授の柴田さんが障害者用の文字入力
ソフトを改良して。最初の入力はアイスの「ばにら」。

 07年4回目の時、一時間をかけて表現した。
「せかいからせんそうがずっととだえて てきみかたきめず
にくらしていけたらいいのに」
 「くなん それはきぼうへのすいろです。けっしてあきら
めてはいけないということを おしえてくれます」08年8月

 「あめつちひろく よきしらせがひろめられ
きりのないあらそいごと このよのなかからきえるようにねがう。
かんどうとにんたいをもって きたいしていれば きっと
いつかきたいどおりになるとしんじて いきていこう。
よもすえというかんがえかたは まちがっていて かのうせいに
かけるべきです。 にんげんのことをあきらめてはいけないと
おもいます。 よきひとよきときに めぐりあうことを
しんじよう。」08年4月

 「せっかくのことばが ことばとして こうのうがきのように
うけとめられてしまい ざんねんです(中略)すばらしいのは
つらくても ことばがあることです。ことばこそぼくたちに
とってひつようなものなのです。」08年10月

 「けっしてなにもするわけでもなく ただじっとことばだけを
つかっていきてきた しかも いちどもそのことばをだれにも
はなさずに いきてきたので のんふぃくしょんのどらまの

ようなせかいをすごしてきた どらまよりも すさまじい
たいけんをしてきた だから ことばがとぎすまされてくる
のは あたりまえのことなのです」08年10月

 「きぼうそらにおもいをえがきながら このきれいな
とびらをあけて いいみらいにむかって うえをみつめ
ながら くるしみは きのうのものとして あかるいゆめを
みながら あるいていこう」09年2月絶筆。

おかあさんの真佐子さんにこれまで一度も言葉を発したこと
はない。母親たちの井戸端会議を聞きながら、
輝く瞬間があると感じていた。
言葉がわかっているに違いないと思っていた。
でも「こんな世界を持っていたとは」と。

 ことばを自由に使えるぼくらは、言葉を知っている分
よそ見することばかりが得意である。この輝君のように
言葉を生きているとはっきりと、自覚で来た時。

 いのちというものの大きさにほんのすこしだけ
ふれられるような気がする。
コメント (2)
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