しかし、それから半世紀経て思いめぐらすと、あの一本の道はほんとうに良かったのだろうかと思います。山里にも石油やガスや電気、そして車が入ることで生活が大きく様変わりしました。かつての農業も幼き子らも総動員して農家の営みを盛りたてていたものが、機械化農業に変わったことでほとんどの人は、土木作業などの仕事に雇われることで現金収入を得て、週末に田んぼをするというスタイルに変わったため、村にたくさんいた子供たちもほとんど街に行ったきりで、山里はすっかりさびしくなりました。あの一本の道は、山里にも「豊か」や「便利」を運んだけれど、村の宝である子供たちも運んだのです。
50年前の山里には「豊か」や「便利」はなかった。それはお金があまり必要でない生活だということです。灯油やガス、電気、車などが入ることで現金が必要な暮らしになったのです。「豊か」「便利」ということを要約していえば、みえるものに取り囲まれるということです。具体的には電化製品の数々で家の中も外もそういう人工物で埋められているのです。これで電気が止まって10日とか半月もすると、餓死者や凍死者が出るだろうという程度の「豊か」さなのです。
思えば、人類というものの初めから一本の棒や石器を道具として出発したのでした。それを何万年もかけて、今の「豊か」「便利」の社会を作りあげてきたのです。そして現代日本の高度消費社会のなかでは、あまりにそのみえるものばかりにとり囲まれてしまったせいなのでしょう。人間の誕生から葬儀まで商品としてあつかわれ、私というものさえも道具の一部、たんなるものになってしまったような気さえします。
ここに一本の木があります。古くて大きな木です.一本の川があります。空を仰ぐと雲がポッカリと浮いています。それら木や川や雲にあなたたちはどこから来て、一体ほんとうは何者であるかと問えば、彼らは沈黙という奥深い言葉で、静かになにごとかをこたえているばかりで、みえるものに取り囲まれたわれらにすればはっきりとはわからず、何か深く広がりがあることだけはなんとなく感じながら、ただ木である、川である、雲であると名ずけてそのことから通り過ぎようとしています。彼らの正体はみえないものです。
みえるものに取り囲まれてしまったこの私にお前は何者かと問えば、一応名前や性や年齢などはこたえています。でもこの深くてゆたかな広がりをもつものとしてここにおかれているとは直感してはいるのですが、しかとは答えることができずにウロウロしています。どうも人っていうのは不思議なもので、あまりにみえるものばかり「豊か」「便利」にだけ囲まれてしまうと、この私も同じようにみえるもの、薄っぺらなものに変化していくのでしょうか。
人類社会にとって折り返し地点にきたのだとおもいます。人から「豊か」や「便利」というみえるものを取り払うことはできませんが、今のように「豊か」「便利」にまったくおおわれて、私というみえないものをも道具の一部と化し、私という人生そのものがほんらい持っている生きていることそのものの豊かさを失ってしまった社会は、やっぱり本末転倒してしまっています。かつての山里には「豊か」も「便利」もなかったけれど、年に数度ある村の小さなお祭りやお正月お盆などの季節の行事の中で、生きていることの喜び、日々の生業の豊かさをそうとはしらずに感受していただろう。そういう味わいを豊かさを見失ってしまったからこそ逆にその大切さを思うのです。
私たちが木に触れ、川を眺め、雲を仰ぐ時、なんともおごそかな安らぎを覚えるのは、私たち自身がみえないものとしてここにおかれてあるからです。そのみえないものを仰ぎ、おそれ、うやまっていることを古の師父たちは宗教となずけました。
そのみえないものをみえないままに、直感し表現することを芸術となずけました。そして人は一人では生きられず、あらゆるものとのつながりのなかで、人として生きるにはどうしたらよいのかと政治という仕組みを考えました。
誰でもの人が宗教者であり、芸術家であり、政治家でありそしてふつうの人であることを人類社会の折り返し地点に立った今、あらためてそう思うのです。
2008年3月