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みえないもの

2011-07-19 21:41:51 | 書簡集
 かつて山里の道には荷車しか通れない道が、ずいぶんとあったようです。わずか50年程前のことです。そこに町との往来をつなぐ一本の道路を造るという時、村人たちにとってどれほどの喜びがあったことかは想像できます。これで自分たちも「豊か」になることができると思ったのです。
 しかし、それから半世紀経て思いめぐらすと、あの一本の道はほんとうに良かったのだろうかと思います。山里にも石油やガスや電気、そして車が入ることで生活が大きく様変わりしました。かつての農業も幼き子らも総動員して農家の営みを盛りたてていたものが、機械化農業に変わったことでほとんどの人は、土木作業などの仕事に雇われることで現金収入を得て、週末に田んぼをするというスタイルに変わったため、村にたくさんいた子供たちもほとんど街に行ったきりで、山里はすっかりさびしくなりました。あの一本の道は、山里にも「豊か」や「便利」を運んだけれど、村の宝である子供たちも運んだのです。
 50年前の山里には「豊か」や「便利」はなかった。それはお金があまり必要でない生活だということです。灯油やガス、電気、車などが入ることで現金が必要な暮らしになったのです。「豊か」「便利」ということを要約していえば、みえるものに取り囲まれるということです。具体的には電化製品の数々で家の中も外もそういう人工物で埋められているのです。これで電気が止まって10日とか半月もすると、餓死者や凍死者が出るだろうという程度の「豊か」さなのです。
 思えば、人類というものの初めから一本の棒や石器を道具として出発したのでした。それを何万年もかけて、今の「豊か」「便利」の社会を作りあげてきたのです。そして現代日本の高度消費社会のなかでは、あまりにそのみえるものばかりにとり囲まれてしまったせいなのでしょう。人間の誕生から葬儀まで商品としてあつかわれ、私というものさえも道具の一部、たんなるものになってしまったような気さえします。
 ここに一本の木があります。古くて大きな木です.一本の川があります。空を仰ぐと雲がポッカリと浮いています。それら木や川や雲にあなたたちはどこから来て、一体ほんとうは何者であるかと問えば、彼らは沈黙という奥深い言葉で、静かになにごとかをこたえているばかりで、みえるものに取り囲まれたわれらにすればはっきりとはわからず、何か深く広がりがあることだけはなんとなく感じながら、ただ木である、川である、雲であると名ずけてそのことから通り過ぎようとしています。彼らの正体はみえないものです。
  みえるものに取り囲まれてしまったこの私にお前は何者かと問えば、一応名前や性や年齢などはこたえています。でもこの深くてゆたかな広がりをもつものとしてここにおかれているとは直感してはいるのですが、しかとは答えることができずにウロウロしています。どうも人っていうのは不思議なもので、あまりにみえるものばかり「豊か」「便利」にだけ囲まれてしまうと、この私も同じようにみえるもの、薄っぺらなものに変化していくのでしょうか。
 人類社会にとって折り返し地点にきたのだとおもいます。人から「豊か」や「便利」というみえるものを取り払うことはできませんが、今のように「豊か」「便利」にまったくおおわれて、私というみえないものをも道具の一部と化し、私という人生そのものがほんらい持っている生きていることそのものの豊かさを失ってしまった社会は、やっぱり本末転倒してしまっています。かつての山里には「豊か」も「便利」もなかったけれど、年に数度ある村の小さなお祭りやお正月お盆などの季節の行事の中で、生きていることの喜び、日々の生業の豊かさをそうとはしらずに感受していただろう。そういう味わいを豊かさを見失ってしまったからこそ逆にその大切さを思うのです。
 私たちが木に触れ、川を眺め、雲を仰ぐ時、なんともおごそかな安らぎを覚えるのは、私たち自身がみえないものとしてここにおかれてあるからです。そのみえないものを仰ぎ、おそれ、うやまっていることを古の師父たちは宗教となずけました。
 そのみえないものをみえないままに、直感し表現することを芸術となずけました。そして人は一人では生きられず、あらゆるものとのつながりのなかで、人として生きるにはどうしたらよいのかと政治という仕組みを考えました。
 誰でもの人が宗教者であり、芸術家であり、政治家でありそしてふつうの人であることを人類社会の折り返し地点に立った今、あらためてそう思うのです。
 2008年3月
 
  
            
                                                                                        


ほんとうのこと

2011-07-07 21:53:09 | 書簡集
 人として生きるということは何なのかということが解らぬまま、学生の時から身にあった仕事を選び、仕事をすることが人生だと何故かレールが敷かれてある。そこに疑問や戸惑いを感ずることは許されない空気である。しかしよく考えてみれば、私を生きるとはどいうことなのかがわからぬまま、どこへ行くともどこに向かってがぼやけたまま、生きてしまっていることに茫然自失する。
 日常の営みというのはせわしい。仕事に追われ追われていると夜が来て、夜がくれば早や朝がやってくる。そして今日も一日が始まるというのが日々の過ぎこしかただ。そういう日暮しをしていると、私がいつのまにか道具存在化する。私はたんなる道具ではない、機械ではないということを、さも証明するかのように、人は無用のことをする。一人さびしさをかみしめる。生きることの何たるかを考える。思いめぐらす。読書する。やがてそんなことのくり返しにも疲れ、友との気楽な語らいに遊び、酒を、異性をギャンブルにと多くの人がやっているであろう人生のくりこし方を覚える。 
 生きていることの真実、この真正な問いは、なんとなく解っているとか、だいたいこんなことなのだろうなどという高のくくりかたとは対極のところある。いわゆる感覚だけはその生きることの問い、躍動感を身体のどこかで誰もがおぼろげながら知っている。その知っているということだけで、もう何事かが解ってしまったようにさえ思っている。そこから先、己がむなしさやさびしさと対峙し、私自身を見つめ続ける間がいる。つまりせっかく訪れている真正な問いに立ち向かおうとはせず、その場限りの日送りをしてしまう。
 真正な問いを培養させない理由のひとつは、真実とかほんとうという言葉が日常のなかから消えかかっている。言葉が私たちの生きている確かな唯一の現場である。その言葉そのものが膨大な情報量とともに、はなはだうすく軽くなった分、真実とかほんとうなどはみえにくい。私たちがいつでも誤解してしまうのは、真実やほんとうなどというものは、言葉の問題ではなく人として生きていることの根幹そのもののことである。
 その意味では真実やほんとうなどというものはどこにもない。探さなければと思うと、この世間のどこかにそして誰かとまるで落とし物でもしたかのように探そうとする。しかし仮に見つかったとしても、それは私のなかのほんとうのものは何という思いの反映、つまり虚像であったり、真実というもののカケラにすぎない。
  真実やほんとうなどというものは、今ここでこのもののことを私といっているこれこのもののことである。この事実をぬきにしてどこにも探しようがない。とうぜんそのことは、時代とか流行の問題などであろうはずもない。ところが私たちのありようは時代や流行りのなかで右往左往する。それならばこそ、はっきりとそのほんとうをこそ明らかにする必要があるのに、享楽的とでもいうのか、今が楽しければそれでいいじゃない。わざわざ辛気臭いことや面倒なことを考える必要がどこにあるのと、この身を誘う。オンリーワン、一度だけの人生、自分にしかできない生き方、楽しいライフプランなどと、もっとも大事なところで勘違いしている。
  生きていることの躍動感というのは、おもしろたのしく多くの人と出会っていくこととでも思っている。私というものをまっすぐ問うていくと、私というものは無い。無いということも無い無いだから、すべてのすべてのものが私である。そのありようのひとつひとつがじつは驚きと不思議の連続である。
 けれど、私というものは、この破られないということと、破られてしまっているということが私の身の上に起きている。その事実を躍動と呼ぶので、私が多くの人に会って飛んだりはねたりしていることではない。
 私が私として生きているということは厳粛な事実.この事実を真実といい、この真実に触れるべく私たちの生は、かえってこの真実から促されるようにして、今ここを生きている.
                    2009年3月24日  記
 

愛ということ

2011-07-05 21:30:42 | 書簡集
 インドの田舎のチャイ屋で、長椅子に腰掛けて、チャイを呑んでいた。周りはインド人ばかりだった。喋る言葉がさっぱり解らないというのは、ある意味社交辞令などは不要で、相手の目や態度だけ。まぁ、感覚だけが研ぎすまされるような感覚で、遠くの山を眺めていた。愛とは何かなどと急に降ってわいただかの問いに答えるようにして、座っていた。 
 向かいのおじさんが、ニカッと笑った。目と目が合ってしまったのだ。その時は軽く笑みを送ってことがすんだはずなのに、まだからみつくような目でこちらを追っているから、つい何だとジェスチャーをしたら、やおらお前の吸っているタバコ、それはなんだ、オレにも1本吸わせろということだった。
 なんだか悔しかった。タバコ1本とられたことがではない。人として生きている現場はオレがどう思うと絶対に平等なものとしてある。このまま、ある、と思いいたっていた矢先のことである。平等であるそのおじさんがこちらのタバコをもらうための算段をしていることの違いにだ。もちろん人それぞれ違うということぐらいは知っているつもりである。しかしながらこの違いはたんなる概念のはなしに流れていて、ものの本質をつかまえていない。
 ぼくが見ているこの山は、ぼくだけが見ている山である。隣の彼が見ている山とは同じである。けれど、山に対する想念がまったく違う。まったくぼくという存在は、今ここにまったなしに誰とも比べることもできず、違いを違いということも、平等を平等ということもできず、ただここにおかれていた。それが「愛」というものの正体であった。 
 だから、ぼくが愛するだの、嫌いだなどは、そういう「愛」というもののうえにのっかって平気で土足で相手の部屋にはいりこむこととしてあった。だけど、この「愛」はわからないから、いつも土足で踏み込んではその都度、あわてるんだ。

むなしさ

2011-07-04 11:06:42 | 書簡集

 今年もまた雪の季節がやってきました。雪の降り初めの夜は、たいがい空は荒れ狂い、まるで天上に悪さするものが鎮座して指揮棒を振って、木や草や家や石やそこらの電線さえも使って、おのが存在を誇示するかのようです。しかし、夜明けが沈黙という音で満たされて妙なる静けさのなかで目覚めるとき、一面の銀世界が、ひらかれています。このなんともいえない荘厳な沈黙の世界は、一つの緊張感とともにある種の安らぎをも同時にあたえてくれるようです。そのことは、私が生きているとは、経済的、世相的なことがあっていきているのではなく、わたしという存在の響きがわたしをひびかせて、ここにすべてのものとおかれていたと実感するたいせつな人生の映しとしてあります。

 友人の息子の奥さんが、小学生の子供たちをおいて、横断歩道中に車にはねられて即死との報を受けました。友人はその息子や子供たちの悲嘆の様子を見て、このなんとも手の貸しようもなく、何の言葉をかけることもできず、しかし彼らの痛みを思うと怒りとも悲しみともつかないものが、腹の底からこみあげてくると。

 今のこの国の世相は金融不安に揺れ、凶悪犯罪に惑いながら、その一方では美味いものを食べて、愉快に暮らそうとばかり軽薄な笑いを誘っています。悲嘆にくれる彼らが、この国のどこで救いを探すことができるのでしょうか。マスコミが大きくこの国の世相を握っていて、それらに踊らされるようにして暮らしている我らがはたして、自分の思いで自らの感覚で、人生の一大事を生き抜くことができるのでしょうか。人と人との関係を結ぶことの大切さを知らないまま、知識と知性にだけ頼ってきた現代社会では、友人や付き合いが多くあっても絆は薄く軽く、人のいきていることのありようの、存在の深さを問う機会をしらないまま、この世に流されている。

  このことは、一人彼らだけが問われていることではなく、この世に生きとしものみなが背負っている業でもありましょう。宗教は表層的に産業として顕著になり、おのが内なる魂の求めは芸術的表現でだけ、こと足りるかのようにいわれている時代感覚のなかで、生きているからでしょう。しかしながら、私たち人類が何千年何万年もかけて学んできた魂の浄化作用は、そんな宗教教団の布教や個々の芸術的表現をも飛び越えて、このわたしという存在の底にしっかりと納まっている事実を、しかとみるべき時がきたように思うのです。

 それは、結論からもうせばこのわたしがむなしさとしてここにおかれていたと思い知ることです。私たちは、幼き頃から虚しさを身体の奥でとらえながら、そこから逃れるようにして前へ前へと進んできました。日々前へ前へと進むそのことは生命現象であるのですが、そのことと時代や社会が発展することが同一であり、それは前よりは良くなるものという淡い夢が未来に対してなんとなくであれ描いていたことが、どうもそうではないらしいと次第に明らかになったのです。

  それは角度を変えていえば、今まで外のことばかりをみていた。仕事のこと、社会のこと、国の世界の隣人のという具合に、目が外のことしか見ようとせず、わたし自身という内面の世界に触れることを、知らずにきてしまったのでしょう。そうしてわたし自身という内面の世界が開かれた時、わたしというものがむなしきものであるという事実を、平凡な私たちでも自覚できるようになったのです。

 このことは、宗教の教祖とかいわれるある傑出した人たちが、ひとりそのむなしさを時代の進行とは関係なくとらえてきた智慧の光なのですが、今のこの時代のなかでは平凡なふつうの私たちがそのことをある意味否応無く感じるようになった時代であるのです。

  けれど、今私たちが知っているのは虚しさでとどまっています。その虚しさから空しさへ、そしてむなしさそのものとしてある存在のあり方に転じなければならないのです。先の痛みの彼らでいえば、しばらくは悲嘆と空虚感のなかをさまよい続けることしか道はないはずです。そうして、自分自身にウロウロするしか手はなく、時間だけが彼らをいたわるのです。

 そして、虚しいものであると痛さとともに感ずる時、私で言えば静かにそこにこのわたしのまましずまるのです。「弥陀の思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」弥陀思惟の願とは、私流にいえばいまここにうごめいているこの何者かをわたしと呼んでいる。わたしと呼べるものがここにいたという驚きです。親鸞一人のいちにんは、まっすぐわたし自身のことでしかありえないのですが、それゆえにこそ同時にその事実はすべての生きとし生けるものにおかれているあり方として現成しています。  

 雪降りを眺めています。雪の降り方には色んな降り方があり、そのただもくもくと降り続けるさまを、様々な想念が流れるままぼんやりとただながめています。その沈黙の風景を見入ることが、あたかも祈りであるかのようにここにいます。

  2008年12月3日 記

 

 


迷う 5

2011-07-03 16:02:54 | 書簡集

 ぼくのことは誰もわかってもらえないという意味なんかではなくてね。悩むということ.迷うこと。考えることそのものがぼくの生きていることそのもので、このことは誰もぼくとは変わりがきかないし、比べられないものだからね.もっとちゃんと悩んでいいんだな。

 

         2010年4月30日 記