日々生きているということは、何か事が起きるということである。積極的にいえば、事を起している。それが、わたしの生きている現場になっている。しいて事が起きることを望んでいるわけではない。けれどわたしを生きてゆくことは事を起こしていくということである。
ここら辺りの山は低い、それゆえ沢も小さい。沢は小さいが水は常に流れていて、それをどの田んぼでも引いて我が水としている。田をする者、村に住む者にとってはこの沢こそ源泉で生活用水もすべてこれでまかなう。ふだんは細々と流れている沢も時にくる大雨が続けば、これがあの沢かと思うほど大蛇に変身して、田の何枚でも呑みこみそうな勢いである。
だから田の準備をする春先に、この沢に生えている草や潅木などは刈り払い、土盛りの弱いところは補強する。それゆえ田の耕地整理を大規模にするところでは、コンクリ溝を用水としている。用水としてのコンクリ溝は便利だし安心である。けれどメダカが絶滅種になったり、蛍の姿が見えなくなったのは、このコンクリ溝のせいであることは大きい。いったんコンクリ溝に落ちてしまったメダカや蛍の幼虫は、どこにも引っかかるところがなくて、そのまままっすぐ大きな川に流されてしまう。沢だと淀みや滞っている場所ができて、そこから田に帰ったり、そこを棲み処とするものもできて、沢の生きものたちにとってはよきところらしい。
思えばわたしたちの暮しぜんたいがこのコンクリ溝のようにスムーズに流れるようにやってきた。滞ることが少なくなったわたしたちの暮しでは、唯一もんだいなのはわたし自身ということが顕わになった。いつの時代であれ、もんだいなのはわたしというこの身のことである。だけどこの身はつねに時代や社会とともにあるもの。だから時代や社会の起きているものごとばかりに目を奪われて、そのつど驚き、悲しみ、愁い、喜んでいる。
現代ではわたしというものが絶対で、いつもわたししかないようにさえ思っているもの。それで今日もまたこの身をわたしの思いにだけ振り回して不満だの自慢だのをやりながらすごしている。
大根の種蒔きをする。大根の種を蒔くよき日は四、五日くらいしかない。ここではそれが八月二十日から二十五日のあいだである。もちろんその二週間前だろうが、後だろうが、種蒔きをすれば芽は出る。しかし二週間前に出た芽は虫に喰われることが多く、二週間後のものは、成長がまにあわなくて雪が降ってもまだ細いままである。農薬や化学肥料に頼らなくてやろうとすると、おのずと蒔く日も限られてくる。
草を刈る。耕運機で耕す。鍬で畝を立てる。畝はここでは六十センチ幅である。そこに二条植えをする。ふかふかになった畝の上を地下足袋で三十センチ間隔で踏んでいく。先方まで踏みしめたら今度は、千鳥になるようにして帰ってくる。その踏みしめたかかとのところに、種を五、六粒パラリとくっつかないようにしてまくのである。基本的に野菜たちは雑草と比べたら、はるかに過保護な育ちなのだ。だから双葉が開いて十センチぐらいの菜っ葉に成長するまでは、虫に食害され、残暑の乾燥にも弱い。集団で育ててある程度の大きさの時から、間引きといってちゃんと太ってくれそうなものだけを残して、二回から三回に分けて菜っ葉をつむのである。この間引き菜、これがまたじつに美味しいものなんだ。
これら一連の作業はとうぜんのことながら、わたしがするのだけれど、大根から教えられるというか、その事そのものにわたしがついていく、したがっていくというかんじである。わたしを生きているという現象のほとんどは、じつは草が伸びたから刈る。時がきたから大根の種を蒔く。来客が来たからお茶を呑む。という具合で、じっさいはわたしの思いで振り回すどころか、それら土や種や鍬や鎌などとともにここにある。鎌を研いだり、鍬で畝を立てたりのすべは楽しい。本人はいたって大真面目であるけれど、それらと遊んでいるかのようだ。
わたしというこの身がここにおる。存在ということを、とらえられそうでいつもとらえきれない。わたしというこのもの、ここにあるというまったく単純な事実に触れていながらいっこうに触れられない。いつも何かがそこにはさまってあり、いつも触れられないまま、モヤがかかっている。いざここにこのものをこの身をこのままおいておくと、人としての意味が剥奪されるような感触に襲われる。しかしそれはそのままただしい。
ただここにこの身をおいておくことが、はなはだたよりないからこそ、現象や意味にすがろうとやってきた。けれどかえってその現象や意味から追いやられるような感じで、この身だけがこのままここにある。あらゆる人としての意味が剥奪されてただここにある。
そのあるということが、人とかいのちということをも越え出て、安らうという感触もないまま安らいでいる。わたしという現象は、いつも悩み、迷い、悲しみ、歎き、喜び、泣き、笑っている。悩み、迷うというその自我意識のまま、その底でわたしという存在、あるがしっかりと支えている。
2011年3月15日
輪島市三井町与呂見
村田和樹