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ほんとうのこと

2014-04-06 21:16:48 | 書簡集

 以前に書いたものです。

 「ほんとうのこと」

 人として生きるということは何なのかということが解らぬまま、学生の時から身にあった仕事を選び、仕事をすることが人生だと何故かレールが敷かれてある。そこに疑問や戸惑いを感ずることは許されない空気である。しかしよく考えてみれば、私を生きるとはどういうことなのかがわからぬまま、どこへ行くともどこに向ってがぼやけたまま、生きてしまっていることに茫然自失する。

 日常の営みというのはせわしい。仕事に追われ追われていると夜が来て、夜が来れば早や朝がやってくる。そして今日も一日が始まるというのが日々の過ぎ来し方だ。そういう日暮しをしていると、私がいつのまにか道具存在化する。私はたんなる道具ではない、機械ではないということを、さも証明するかのように、人は無用のことをする。1人さびしさをかみしめる。生きることの何たるかを考える。思い巡らす。読書する。やがてそんなことのくり返しにも疲れ、友との気楽な語らいに遊び、酒を、異性をギャンブルにと多くの人がやっているであろう人生のくりこし方を覚える。

 生きていることの真実、ほんとうさというものは、真正な問いから生まれてくる。それも唐突に訪れる。この真正な問いは、なんとなく解っているとか、だいたいこんなことなのだろうなどという高のくくりかたとは対極のところにある。いわゆる感覚だけはその生きることの問い、躍動感を身体のどこかで誰もがおぼろげながら知っている。その知っていると言うことだけで、もう何事かが解ってしまったようにさえ思っている。そこから先、己がむなしさやさびしさと対峙し、私自身を見つめつづける間がいる。つまりせっかく訪れている真正な問いに立ち向かおうとはせず、その場限りの日送りをしてしまう。   つづく。


弱さ

2014-03-29 20:22:50 | 書簡集

 この3月のよろみ村通信の原稿である。

 

   「弱さ」

 

生きているということに意味はない。

かつて神さまや仏さまがおられた時は、

それなりに意味も理由もあったんだ。

 神や仏を捨て去った私たちにあるの

は、個性、能力、仕事、家族、趣味な

どがおのずと生きることの意味になっ

ている。

 社会という顔のなかでやっていくた

めには、その個性や能力、仕事、家族

などが大切である。経済というありよ

うが社会という歯車のエンジンになっ

ているから、そこで生きるものは強さ

を求められ、個性や能力を何よりも競

争社会だから、他者よりも積極的、大

きな声、明るく、はっきりとした姿勢

を求められている。

 人は社会の顔にだけ向けて生きてい

る訳ではない。自分という内面に向け

てもとうぜんのことながらやっていて、

そこでは強さではなく弱さがたいせつ

になる。強さが強さとして顕わすため

には、どうしても弱さを見つめる、弱

さと対面することになるからだ。

 その弱さを弱さと認めないまま、ま

たは気がつかぬまま放置しておくと、

いつしか社会の顔に向けている強さが

弱さによって喰い破られる形になって

しまう。

 強さとは生きていることの意味であ

り理由だから。そしてそれは刻々と変

わりゆくものとしてある。強さは、い

つでもその社会から要請されていて、

まるで直線上の時の流れ方と同じで容

赦なく迫るものとしてある。

 わたしというものがここにおかれて

あることそのものは、根本的にわたし

に明らかにされてはいない。いつでも

意味や理由や言葉がまったく通じない

ものとして、ここにおかれてあるから

である。そのことに、わたしはいぜん

として認めることができないでいる。

それゆえわたしにあらわれてくること

は、弱さとして露呈するしかない。そ

れは、口ごもり、惑い、迷い、悩むも

の、または病みあるいは死もそうであ

る。

 社会の顔に向けて生きることばかり

が要求されている世の中は、強い言葉、

明るい性格、自己啓発や人間関係改善

などがもてはやされてしまう。それだ

け弱さを克服、弱さを隠して生きてい

ることの証しでもある。

 そうではなく弱さが大事なんだ。弱

さがわたしというものの内面を示して

くれているからである。弱さを見つめ

ることは辛い。情けないことである。

オロオロドキドキのこれをこれとして

認めることができないでいる。そうや

っていつまでもぐずぐずいらいらをつ

のらせながら、やがてそういう自分に

も諦め、前に流れる現象に引きずられ

るようにしている。

 人はほんらい1人を生きていて、自

分で考え、行為するものとして宿命づ

けられている。けれど、1人で生き、

自分で考え行為するということを、引

き受けて生きているものなど、まずい

ない。もし私はそうやって生きている

というものがおれば、残念ながらそれ

はほとんどかんちがいしてしまってい

る。それほどに厳しく辛い、長い孤独

に耐えうる作業である。

 弱さを見つめる、時間が止まったよ

うにおもう。弱さを知ることは、他者

と出会うことでもある。他者と出会う

ことで、自分というものに出会うこと

になる。自分自身と出会うということ

は、わからなさに遭遇することでもあ

る。

 わからなさに遭遇することで、ここ

におかれていることの片鱗を、身体ぜ

んたいでふれていくことになる。弱さ

はそんなわたしというものの、開きの

扉になっているようである。

            村田 和樹

 

むなしさ 2

2014-03-20 21:21:30 | 書簡集

 それは、結論から申せばこのわたしがむなしさとしてここにおかれていたと思い知ることです。私たちは、幼き頃から虚しさを身体の奥でとらえながら、そこから逃れるようにして前へ前へと進んできました。日々前へ前へと進むそのことは生命現象であるのですが、そのことと時代や社会が発展することが同一であり、それは前より良くなるものという淡い夢が未来に対してなんとなくであれ描いていたことが、どうもそうではないらしいと次第に明らかになったのです。

 それは角度を変えていえば、今まで外のことばかりを見ていた。仕事のこと、社会のこと、国の世界の隣人のと言う具合に、目が外のことしか見ようとせず、わたし自身という内面の世界に触れることを、知らずにきてしまったのでしょう。そうしてわたし自身という内面の世界が開かれた時、わたしというものが虚しきものであるという事実を、平凡な私たちでも自覚できるようになったのです。

 このことは、宗教の教祖とかいわれるある傑出した人たちが、ひとりそのむなしさを時代の進行とは関係なくとらえてきた智慧の光なのですが、今のこの時代のなかでは平凡なふつうの私たちがそのことをある意味否応なく感じるようになった時代であるのです。

 けれど、今私たちが知っているのは虚しさでとどまっています。その虚しさから空しさへ、そしてむなしさそのものとしてある存在のあり方に転じなければならないのです。先の痛みの彼らでいえば、しばらくは悲嘆と空虚感の中をさまよい続けることしか道はないはずです。そうして、自分自身にウロウロするしか手はなく、時間だけが彼らをいたわるのです。

 そして、虚しいものであると痛さとともに感ずる時、私で言えば静かにそこにこのわたしのまましずまるのです。「弥陀の思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」五劫思惟の願とは、私流にいえばいまここにうごめいているこの何者かをわたしと呼んでいる。わたしと呼べるものがここにいたと言う驚きのことです。親鸞一人のいちにんは、まっすぐわたし自身のことでしかありえないのですが、それゆえにこそ同時にその事実はすべての生きとし生けるものにおかれているあり方として現成しています。

 雪降りを眺めています。雪の降り方には色んな降り方があり、そのただもくもくと降り続けるさまを、様々な想念が流れるままぼんやりとただながめています。その沈黙の風景を見入ることが、あたかも祈りであるかのようにここにいます。

   おわり


むなしさ

2014-03-19 20:12:30 | 書簡集

 以前に書いたものを載録している。

 

   「むなしさ」

 今年もまた雪の季節がやってきました。雪が降り初めの夜は、たいがい空は荒れ狂い、まるで天上に悪さするものが鎮座して指揮棒を振って木や草や家や石やそこらの電線さえも使って、おのが存在を誇示するかのようです。しかし、夜明けが沈黙という音で満たされて妙なる静けさのなかで目覚めるとき、一面の銀世界が開かれています。このなんともいえない荘厳な沈黙の世界は、一つの緊張感とともにある種の安らぎをも同時にあたえてくれるようです。そのことは、私が生きているとは、経済的、世相的なことがあって生きているのではなく、わたしという存在の響きがわたしをしてひびかせて、ここにすべてのものとおかれていたと実感するたいせつな人生の映しとしてあります。

 友人の息子の奥さんが、小学校の子どもたちをおいて、横断歩道中に車にはねられて即死との報を受けました。友人はその息子や子どもたちの悲嘆の様子をみて、このなんとも手の貸しようもなく、何の言葉をかけることもできず、しかし彼らの痛みを思うと怒りとも悲しみともつかないものが、腹の底からこみ上げてくると。

 今のこの国の世相は金融不安に揺れ、凶悪犯罪に惑いながら、その一方では美味いものを食べて、愉快に暮らそうとばかり軽薄な笑いをさそっています。悲嘆にくれる彼らが、この国のどこで救いを探すことできるのでしょうか。マスコミが大きくこの国の世相を握っていて、それらに踊らされるようにして暮らしている我らがはたして、自分の思いで自らの感覚で、人生の一大事を生きぬくことができるのでしょうか。人と人との関係を結ぶことの大切さを知らないまま、知識と知性にだけ頼ってきた現代社会では、友人や付き合いが多くあっても絆は薄く軽く、人の生きていることのありようの、存在の深さを問う機会を知らないまま、この世に流されている。

 このことは、1人彼らだけが問われていることではなく、この世に生きとしものみなが背負っている業でもありましょう。宗教は表層的に産業として顕著になり、おのが内なる魂の求めは芸術的表現でだけ、こと足りるかのようにいわれている時代感覚の中で、生きているからでしょう。しかしながら、私たち人類が何千年何万年かけて学んできた魂の浄化作用は、そんな宗教教団の布教や個々の芸術的表現をも飛び越えて、このわたしという存在の底にしっかりと納まっている事実を、しかとみるべき時がきたように思うのです。

    つづく。


安らうということ 2

2014-03-13 20:52:33 | 書簡集

 大根の種蒔きをする。大根の種を蒔くよき日は4、5日くらいしかない。ここではそれが8月20日から25日のあいだである。もちろんその二週間前だろうが、後だろうが、種蒔きをすれば芽は出る。しかし二週間前に出た芽は虫に喰われることがおおく、二週間後のものは、成長がまにあわなくて雪が降ってもまだ細いままである。農薬や化学肥料に頼らなくてやろうとすると、おのずと蒔く日も限られてくる。

 草を刈る、耕耘機で耕す。鍬で畝を立てる。畝はここでは60㌢幅である。そこに二条植えをする。ふかふかになった畝の上を地下足袋で三十㌢間隔で踏んでいく。先方まで踏みしめたら今度は、千鳥になるようにして帰ってくる。その踏みしめたかかとのところに、種を5、6粒ぱらりとくっつかないようにしてまくのである。基本的に野菜たちは雑草と比べたら、はるかに過保護な育ちなのだ。だから双葉が開いて10㌢ぐらいの菜っ葉に成長するまでは、虫に食害され、残暑の乾燥にも弱い。集団で育ててある程度の大きさのときから、間引きといってちゃんと太ってくれそうなものだけを残して、二回から三回に分けて菜っ葉をつむのである。この間引き菜、これがまたじつに美味しいものなんだ。

 これら一連の作業はとうぜんのことながら、わたしがするのだけれど、大根から教えられるというか、その事そのものにわたしがついていく、したがっていくというかんじである。わたしを生きているという現象のほとんどは、じつは草が伸びたから刈る。時がきたから大根の種を蒔く。来客が来たからお茶を呑む。という具合で、じっさいわたしの思いで振り回すどころか、それら土や種や鍬や鎌などとともにここにある。鎌を研いだり、鍬で畝を立てたりのすべは楽しい。本人はいたって大真面目であるけれど、それらと遊んでいるかのようだ。

 わたしというこの身がここにおる。存在ということを、とらえられそうでいつもとらえきれない。わたしというこのもの、ここにあるというまったく単純な事実に触れていながらいっこうに触れられない。いつも何かそこにはさまってあり、いつも触れられないまま、モヤがかかっている。いざここにこのものをこの身をこのままおいておくと、人としての意味が剥奪されるような感触に襲われる。しかしそれはそのままただしい。

 ただここにこの身をおいておくことが、はなはだたよりないからこそ、現象や意味にすがろうとやってきた。けれどかえってその現象や意味から追いやられるようなかんじで、この身だけがこのままここにある。あらゆる人としての意味が剥奪されてただここにある。

 そのあるということが、人とかいのちということをも超え出て、安らうという感触もないまま安らいでいる。わたしという現象は、いつも悩み、悲しみ、嘆き、喜び、泣き、笑っている。悩み、迷うという自我意識のまま、その底でわたしという存在、あるがしっかりと支えている。

   おわり