年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

街歩きで介護用品の廃棄物?

2024年10月01日 | 宅老のグチ
街を歩いていたら、ある家の前に介護で使われたと思われる、ベット、組み立ての浴室のようなものが家の前に放置されていた。一部は破損していて、どうもレンタルの返却の様に見えない。素人目にもゴミと見えるが粗大ごみのシ-ルも見えない。なんだろうかと思いつつ、歩きながら考えていた。
 そこで思ったのだが、介護が終了して、不要となり家から出した。介護の終了には二つの要素があって、一つは介護されていた人が亡くなった。二つ目は介護されている人が介護施設に入って、不要となった.
介護を1度でも経験すると、苦い記憶を思い出すことが多い。大人用の紙おむつはお世話になった介護施設に寄付して、記憶から消した。遺品等は欲しい人に渡し、ごく一部を除いて処分。この様な自分の経験から路上に放置された介護系の用具は多分ゴミ扱いと思われる。もしくはレンタルで引き取りを待っているのだろうか。明日になればはっきりする。

 良く親の死に目に間に合わなかったという言葉がある。しかし100歳まで生きていた母の介護の経験から、あまり自分の介護は役には立たなかったが時々母から早く死にたいと言葉を聞いていて、息子を殺人犯罪者にするのかと言ったことがある。それゆえ母が亡くなった時はほっとした想いがある。

 このことから自分の生きる時間の目標は95歳まで、それ以上は無理して生きる必要はない。今の日本の法制度では生き残ることは,本人の意志というより、法規範から生かされ続け、当人の財産を奪取する行為を医療従事者の行為を容認すると思われる。それが当事者の意志のような遺言であれば問題はないが多くは救急車によって運ばれた病院で延命治療となり、誤嚥性肺炎を防ぐため、食をチュ-ブを通して、胃に流し込も、長期の手厚い看護・介護で3か月毎に転院する。
 救急車に運ばれた病院が本人の意思確認できない状態であったら、その人の人生計画は終わる。遺産を期待していた遺族の夢も消える。
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