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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

江戸の下層社会

2008年07月25日 | 福神漬
江戸の下層社会 朝野新聞編 塩見鮮一郎解説より
今泉みねから桂川家をめぐる人々の交流へ、さらに明治維新後の成島柳北と浅草で薬屋を開いたが士族の商法で失敗したという記述から、この本を読むこととなった。
 この本は大まかに三章に分かれていて二章はエタとヒニンのことが書いてある。残りの一章にゴウムネコツジキ(乞胸乞食)というのがある。今風の定義にはない言葉で縁日の芸人や富くじの結果の報道なども含まれていて今の新聞記者のようなことをやっていたようで明治時代は新聞記者の質も悪く記事を捏造したり金品をゆすっていたり癒着してさり気なく宣伝していたようである。

福神漬の宣伝文を書いた梅亭金鵞(戯作者)や鶯亭金升(戯作者後に新聞記者)が関係して来るにはこのような事情がある。明治の中頃までは取材の新聞記者の地位はかなり低く軽蔑されていたといって良い。また新聞記者の人脈が浅草と銀座に集まっていて、浅草の方は幕府贔屓の人が多かった。成島柳北は日本の新聞の草分けと言ってもよい人で福神漬の宣伝にはこの様な裏事情がある。
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