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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

印度洋常陸丸の遭難報道

2007年05月04日 | 福神漬
万朝報 大正6年10月21日
常陸丸の運命
9月24日以来消息がない
コロンボ・デラゴア間で遭難か
日本郵船会社の欧州航路定期船常陸丸(6556トン)は9月25日コロンボを出汎して以来約一ヶ月経過せる今日、杳としてその消息なし,郵船会社は各方面に向かって電照し、海軍、逓信省へ各方面へ捜索願いを出していたが行方不明なり。
 軍関係者のコメント
 中部アフリカなるので危険区域でない、敵艇出没のウワサも聞かないがこうなったら憂慮に堪えない

読売新聞 大正6年10月22日
郵船航海課員談
途方に暮れている
郵船航海課員の物語る所によると『同船には老練なる船長や海軍の砲手が乗組んでいますから、万が一間違いはないと思いますが、何しろ一ヶ月ほど消息がないので途方に暮れております。まお同船は小型の方なので或いはどこかに勝手に航行しているかと思われるのですが、しかしそれにしても同船には無線電信が装置してあるのですから』と今のとこらは一縷の望みをつないでいる模様である。
海軍当局の談
浮設水雷のため
海軍当局者は言う『目下印度洋上は我海軍の努力によって敵影を見ぬ有様であるからドイツ艇のいるようなはずがない。従ってドイツ艇の襲撃を受けるはずがないがことによると浮設水雷に触れて沈んだものかとおもわれる、しかしかかることも万一なかろうと思うし、またそう希望したい。』云々と。

常陸丸は大砲を装備した武装商船であって、砲手を乗せていた。
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