年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

口が重くなる感染病

2020年08月09日 | 宅老のグチ
TV局の人がハンセン氏病の引き合いを出して謝罪していた。福神漬の資料調査で北浜銀行の岩下清周が余生を過ごした富士山麓にある所に神山復生病院がある。ここはハンセン氏病の治療施設であった。ここには3回ほど訪問している。岩下清周の長男が牧師となって院長をしていた。戦前の資料を見ていると今のコロナの罵詈雑言や近所付き合いの差別のひどさ以上でとても想像できない。看護婦としてナイチンゲ-ル賞を受賞した井深八重は同志社女学校を卒業後、ハンセン氏病らしきものの感染疑いが生じ、親族から戸籍を外された。後に誤診とわかっても、あまりの病気の扱いの酷さで感じるところがあって一生をハンセン氏病患者のために使った。
芝にある東京都の人権プラザを訪問した時、福神漬を調べている途中です。と言ったら怪訝な顔をしていた。よく聞くとハンセン氏病の研究者で南西諸島のハンセン氏病隔離施設を調べている人だった。戦前はハンセン氏病の詳しい知見が無く、隔離しか手段がなく、さらに遺伝すると言われ親族から毛嫌いされいた。次第に病気の情報が入ると遺伝から伝染病となり、治療薬が無ので隔離が強化された。戦後にハンセン氏病の治療薬が見つかり、さらに感染拡大力が弱いと知っても、患者に残る傷等の状態から偏見が収まらず、患者数も少なかったので隔離政策の法律改正が進まず、ことしになって国会が謝罪する結果となった。TV司会者が謝罪したのはこのような経緯を思い出したのだろう。

 不作為放置は全国民の責任であり、票にならないからと言って是正しないのは怠慢としか言いようにない。 
 岩下清周の支援融資していた醤油会社がおこしたサッカリン事件から岩下が北浜銀行を追われ、富士山麓の小さな農園で余生を過ごした。その農園の従業員の学び舎の校歌が小林一三作詞で作曲が宝塚歌劇団だった。岩下が失敗しなければ今の関西の鉄道網はどうなっていたのだろうか。

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