河鍋暁斎を福神漬の絡みで調べていたら、彼自身が江戸時代の幕府奥絵師の狩野派ということに誇りを生涯持っていた。駿河台狩野派の絵師に弟子入りし、幕末の混乱で他の狩野派の画家が没落したが、彼だけが明治初期に転身し、一般の人にも理解できる絵画を描いて生き残った。しかし明治の中頃に死去したため今は子孫の活躍で知られるようになった。
狩野派奥絵師の菩提寺が大田区池上本門寺にある。そこの霊宝殿で本門寺所蔵の逸品を土日祝祭日に公開しているので見に行った。拝観料300円。小さな建物で狩野派の絵は自分自身はまだ理解には行っていない。 パンフレットをもらい、本門寺に散在する狩野派の墓地をさがす。地図に五重塔があって、そこには力道山墓所はこちらの方向と立札があった。本門寺境内の案内図には力道山墓所が明示されていて、別格の扱いとなっている。墓地は霊地で関係者以外の参拝は嫌われているが力道山だけが地図にも載っているし、何も持たずにでも辿り着ける。
本門寺の大本堂の天井に未完成の龍の絵があること思い出し、その作者の川端龍子記念館はまだ行ったことが無いことを思い出し都営三田線西馬込駅から15分ほどの所の大田区立龍子記念館へ行くことにした。65歳以上の高齢者は無料。
行ってびっくり。強大な絵画ばかりの美術館で他の絵画の美術館と雰囲気が異なっている。こんな思いをしたのは赤坂迎賓館の絵画の印象と似ている。建物の天井が高く、部屋も広くても負けない絵だった。浅草浅草寺の本堂の天井絵も龍の絵も川端龍子が描いたようだ。

