年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

長崎街道-別名ーシュガ-ロ-ド

2019年03月18日 | 福神漬

江戸時代中期から、長崎の貿易不均衡は主として砂糖の問題であった。この点では明治期に日本の輸入品で上位を占めていた砂糖問題と同一の考えが幕府上層部の考えだった。砂糖は嗜好品でぜいたく品である。

 中国やオランダの船で長崎に入った砂糖は九州を運搬して通過しているうちに各地に砂糖を使った菓子が広まった。長崎から運ばれた砂糖は黄檗宗本山のある京へ向かったという。長崎貿易の統制の難しさは入港する船に砂糖がどの様な量と質は事前にわからず不安定だったかもしれない。

 でも砂糖がなぜ京へ向かったのだろうか。中国商人の意図がわかる文献が見つからない。

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