年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

ラブホテルの縁

2019年02月16日 | 宅老のグチ

日暮里の子規庵に行ったとき、出口と言うか入り口の反対側にラブホテルがある。そこの電信柱に中村不折の書道博物館の地図があった。このラブホテルは千葉外房で幕末に農村改革に活躍した大原幽学の八石教会の跡地だった。日暮里の八石教会は正岡子規の俳句にも出てくるが文献として資料が少ない。今知りたいのはどうしてこの地を選んだということである。旧幕臣長井昌言が明治6年に鉄道寮官吏として死去した。前年に新橋横浜間開通後間も無くのことだった。残された未亡人は日暮里に住み、質素に明治元年に生まれた一人息子に未来を託した。この息子が鶯亭金升である。

 先日本を買ったとき、何気なく顔真卿(がん しんけい)の展覧会が国立美術館であるのを知った。2月24日までと言う。台湾でも10年に一度ほどしか公開しないという書である。見たいと思い見に行った。書などの趣味も無く、字に自信のないのに中村不折の縁で行く気になった。

 混雑していたのでチラッと書を見ただけっだが顔真卿の親族への墓誌の原稿文で校正の跡が心の乱れが書の乱れとなって、見終わった跡、涙が出てきた。書を見て初めて涙が出ることがあることを知った。数日前谷中墓地で花香恭次郎の墓碑を見たせいだったかもしれない。墓碑というものは後世に長く残る。

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