年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

文献上のつながり

2019年02月18日 | 宅老のグチ

西川口駅からカリンの並木のある通りを歩いて20分のところに河鍋暁斎の美術館がある.近日中に小林清親との関係を調べるため3度目の訪問を予定している。

 河鍋は最晩年に下谷根岸に住んでいた。最近発刊された暁斎絵日記3.4巻に根岸党との付き合いがあったかどうかを調べたい。福神漬の命名者である瓜生政和(梅亭金鵞)と河鍋暁斎との関係があるのだが瓜生政和著となっていて暁斎研究者も注目していないようだ。さらに暁斎の弟子である建築家コンドルは彼の英文著書の日本庭園はそのさし絵が本田錦吉朗で出版社はDANDANSYAだった。どうやら団団珍聞との関係も想像できる。

 河鍋暁斎の書画会に根岸の服部波山が参加していた。この波山の塾に鶯亭金升が通っていた。ここで塾新聞を書いていたという。あるとき団団珍聞を読み梅亭が投書家となるきっかけとなった。この団団珍聞をどこから手に入れたのだろうか。想像できるのは福島事件の花香恭次郎か日本初の政治小説をあらわした戸田欽堂かもしれない。小林清親の子女の記憶では小林は原胤昭と知り合う以前に梅亭と知り合いだったという。原と戸田はキリスト教で築地バンドの一員であった。

 今この想像を証明する文献を探している。

コメント
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