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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

築地製糸場

2014年04月28日 | 宅老のグチ

富岡製糸場が世界文化遺産に登録の見込みが立って、紹介の映像に明治5年が映しだされている。明治4年には築地にも製糸場があった。経営していた小野組の倒産によって築地で働いている女工が福島県二本松の製糸工場(明治6年)に散っていったという。
二本松に製糸工場を創ったエピソ-ドの中に土佐藩から戊辰戦争二本松の戦いでの少年隊の話が出てきます。三菱と二本松との関係で結構二本松少年隊の話が出てきます。
二本松県(元二本松藩)は戊辰戦争後、志を海運業に求め、三菱の斡旋で中古船を購入し、三菱に運用を任せた。しかし中古船はすぐに使えなくなり、二本松県には莫大な借金が残った。二本松藩士だった山田脩がのちの三菱財閥創始者である岩崎弥太郎に借金の棒引きの相談を持ちかけたところ、岩崎は二本松県が統合で福島県となることを知っていて、山田に知らせた。さらに岩崎は“君の故郷には蚕糸という天賦の業がある。この事業こそ君の為すべきもので、天命ではないか。”と進言しました。
岩崎の情報提供の陰に三菱関係者に二本松の戦いに参加していた。『二本松藩士岡山篤次郎十三歳』を介錯した土佐藩士が少年隊の姿に感銘した話が伝わって、山田に協力したという。また岩崎弥太郎が土佐から上京して学んだ二本松藩郡山出身の儒者であった。
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