年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

新宮に行って

2011年02月17日 | キムチ
 鶯亭金升の情歌の仲間であった、禄亭大石誠之助の土地をワザワザ訪ねた。漬物では紀州高菜の『めばり鮨』があるので行く口実ともなる。
 この町はまだ大逆事件の清算が済んでいないようで、佐藤春夫記念館で時間が止まっている。大石誠之助が天皇の暗殺計画に参加したとされ、新宮の人達は暗殺計画をする人物を生んだ町の出身者として,戦前ではいじめを受けていたという。今では大石はある程度名誉回復を為されているがまだすっきりとしないようである。観光資源として大石誠之助を利用するまでは至っていない。
大逆事件は漬物の歴史と関係ないようであるが関東大震災時に東京の社会主義者、朝鮮人惨殺が行われ、日本橋魚河岸が戒厳令によって封鎖され、二度と日本橋では市場の再建が認められなかった。またその時の朝鮮人を撲殺した一般市民の心の中にある差別観が最近まで残っていて、朝鮮人の食べ物として軽蔑していたキムチが日本のスーパーに急にならんだのが在日朝鮮人の人でもなぜか理解していない。それほど昭和末期まで日本人の心の中に同和問題とか朝鮮人問題が残っていたのである。新宮ではまだ差別問題が今でも残っていて大石問題の清算が出来ない理由と感じたが地元の人達はどう思っているのだろうか。
コメント
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