年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

石川島監獄からの脱獄

2011年02月05日 | 福神漬
今中央区石川島造船所後に高層マンションが建っているがそこには江戸時代から明治にかけて監獄があった。明治17年3月26日の夜に高田事件の関連で逮捕され、国事犯となった赤井景韶(かげあき)が石川島監獄を脱獄した。この時は同じ石川島には国事犯だった福島事件被告人と原胤昭が同時期に入獄していた。福島事件の被告人も脱走を計画していたようで、大潮の引き潮の時、石川島と築地とか鉄砲州との間にある隅田川が浅くなる事利用して脱走する計画を立てていた。しかし赤井に一歩先んじられた後、警備が厳しくなり、政治犯は仙台にある刑務所に移転されたという。
 脱走した赤井は逃走に利用した人力車車夫を口止めのため殺害した。この事は政府関係者には極度の警戒を招いたという。自由民権運動を弾圧するため、事件をねつ造し捜査した所、赤井の所から政府転覆計画の書が偶然見つかった。赤井の恨みをかうと思われる官僚は彼が明治17年9月静岡県で逮捕されるまで暗殺を心配していたという。
 福神漬の命名がなされた頃と想像される時期は自由民権運動を弾圧するほうも命がけだったと思われる。
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