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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

青函連絡船

2008年01月14日 | タクワン
青函連絡船
二十年ほど前に廃止された青函連絡船のTV番組を見ていた。当事北海道からコンテナで新漬沢庵がやってきていて5トンコンテナに6トン近く積んでいて扉を開けるとドライアイスで冷やされた冷気から東京の暑い空気がまじって湯気が出ていた。サッカリンで味付けされていた沢庵が売れていたときで戦後漬物業者が一番元気なときであったかもしれない。今は昔の話である。
最初は9月に新漬沢庵が入荷していたが大根の作付け技術開発によって、ついには7月に来るようになり、無理な早だし競争は品質の低下つまり皮が硬い、味のよく乗っていない沢庵と大根価格の高い沢庵、品質低下を招き、需要が低下し北海道の沢庵業者は消えてしまった。
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