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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

べったら市 明治42年10月③

2006年08月20日 | べったら市
明治42年10月20日二六新聞
昨日のべったら市
例年の通り昨日は日本橋小伝馬町のべったら市であるが朝よりの雨が止まぬため出店も少なくわずか35~36軒のみだっただろうか、しかし人出はかなりあって大丸呉服店の角が最も混雑し、堀留分署より数名の巡査を派し、東鉄社より監督を出して警戒にあたった。相場は昨年に比べて安く大4銭中3銭小2銭と言っていた。


三浦大根の小史
横須賀市史より
明治時代に横須賀に製鉄所ができてそこに従事する人たちの蔬菜が不足した。
明治38年 三浦郡の農会 鈴木寿一氏
練馬大根の種子を移入し半島産の在来品種ねずみ大根と交雑交配改良した。
資料の出所不明ですが明治時代の日本人一人当たり大根の消費量が今の数倍食べていたとありました。
大正10年から昭和10年ころが最盛期であった。従って築地に移転する寸前に京橋大根河岸に舟で入荷したのは三浦大根が多かった。

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