結樽が室町時代に急速に発達した原因について
桶と樽 脇役の日本史 小泉和子/編より推理すれば
室町幕府が京都にあり、米の集荷が順調なときは、米と同様な扱いをされている酒つくりが盛んになった。さらに、室町幕府は経済基盤が弱く、貨幣経済の進展とともに麹座・酒座等からの上納金に頼らざるをえなかった。酒屋に対し初めての酒壷賎(酒税)が課され、不当な上納金は税金とも云えて、節税、脱税のため、結樽が輸送容器から、醸造容器に向かったと思われる。不法な手段は証拠隠しのため文献に残らない。従って。権力者によって作られた法律を裏読みするしかない。食品の歴史の中で、意図して作ったものと偶然の工夫により出来たもの,天災等や事件・宗教・法律によってやむを得ず、生きるため,糧飯のように工夫されたものが多い。従って、食品が豊富になったり、嗜好が変わったりして消滅した食品も多い。よく引用される930年に刊行された「延喜式」には当時までの野菜漬物の詳細な製造方法がいくつか記載されているが消えた漬物も多く、推測するしかない。
信長・秀吉時代は、まだ結樽の製作技術が発展途上の状態で、かつ結樽を使い醸造する技術は未完成のため、備前甕は大型化し、より高品質のものになったと思われる。しかし、江戸時代に大型の桶樽製造技術と寒仕込み等の醸造技術の安定によって大型の醸造用の備前甕は消えた。
桶と樽 脇役の日本史 小泉和子/編より推理すれば
室町幕府が京都にあり、米の集荷が順調なときは、米と同様な扱いをされている酒つくりが盛んになった。さらに、室町幕府は経済基盤が弱く、貨幣経済の進展とともに麹座・酒座等からの上納金に頼らざるをえなかった。酒屋に対し初めての酒壷賎(酒税)が課され、不当な上納金は税金とも云えて、節税、脱税のため、結樽が輸送容器から、醸造容器に向かったと思われる。不法な手段は証拠隠しのため文献に残らない。従って。権力者によって作られた法律を裏読みするしかない。食品の歴史の中で、意図して作ったものと偶然の工夫により出来たもの,天災等や事件・宗教・法律によってやむを得ず、生きるため,糧飯のように工夫されたものが多い。従って、食品が豊富になったり、嗜好が変わったりして消滅した食品も多い。よく引用される930年に刊行された「延喜式」には当時までの野菜漬物の詳細な製造方法がいくつか記載されているが消えた漬物も多く、推測するしかない。
信長・秀吉時代は、まだ結樽の製作技術が発展途上の状態で、かつ結樽を使い醸造する技術は未完成のため、備前甕は大型化し、より高品質のものになったと思われる。しかし、江戸時代に大型の桶樽製造技術と寒仕込み等の醸造技術の安定によって大型の醸造用の備前甕は消えた。