山形の森 保守醒論

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港区六本木3丁目にあったレストラン「パティオ ドンルーチョ」で遭遇した有名人の死去。

2017-02-17 19:26:17 | Weblog
前世紀の遠い過去のことになるが、六本木3丁目にあったレストラン「パティオ ドンルーチョ」で遭遇した有名人が、この頃相次いで死去されたので想起してみた。
オーナーの黒岩夫妻は、御主人が南米ペルーとの係わりから、ペルー料理のレストランを開いたとされる。
夫人は、松竹歌劇団出身で芸能関係者に知己が多く、実兄が「SM縛り(作家)の団鬼六氏」であった。
場所は、(当時)ディスコ全盛時代をつくった六本木スクエアビル、瀬里奈六本木店から奥に入ったマンションの一階、絨毯パブ「最期の20セント」の右側にあった。
歌手の青山ミチ氏は、現役を引退したあとで太り気味ではあったが、いかにも歌唱力のパワフルさを感じさせる肉感的な豊満体格が印象的だった。
水泳の山中毅選手は、当時(出身地輪島)輪島塗の取引を生業としていたと聞いた。 成人男性の二倍ほどあろうかと思える胸板の厚さには驚いた。
作曲家・船村徹氏は、構想充電中の期間だと伺った頃だ。 (休養蓄積)明けからヒット曲を連発し、後年、船村徹の名を知らしめることになる。
今、跡地は、商業ビルと化しているが、昔の良き六本木時代で、現在の都会の雑踏からはチョッと違っていたものだ。
今では政治家・芸能人などが通う有名店となって馳せる焼肉「叙々苑」が、旧防衛庁前のビルに最初に開店した頃。  叙々苑で「タン塩」を始めて食した。
港区六本木3丁目にあったレストラン「パティオ ドンルーチョ」で遭遇した有名人の相次ぐ死去に御冥福合掌。
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