山形の森 保守醒論

山形から発信する内外の時評ブログ!

「(マスメディアの)報道の自由」の前に、「私見(表現)発言の自由」が先ではないのか?。

2015-06-29 19:34:00 | Weblog
反日左翼メディアにより、実に馬鹿な煽動報道がまかりと通っている。
25日に自民党本部で開かれた若手勉強会「文化芸術懇話会」での、報道規制発言とされる問題は、品性表現の度合いはあれど、百田尚樹講師、参加議員の自己責任範疇の私見発言である。
具体的な「報道の自由制限」の実際行動をされたのならまだしも、私見発言だけで騒ぎたてることこそ「憲法で保障されている(表現)発言の自由」に反するものではないのか。
「(マスメディアの)報道の自由」の前に、「私見(表現)発言の自由」が先ではないのか?。
公的機関に位置するマスメディアこそ、国民(代表の国会議員)により、評価、批判対象に晒される当然の立場であろうと考える。
ウィンストン・チャーチル曰く、「共産主義者に対する譲歩は、敗北への第一歩である 」。
反日左翼ウイルスは、死滅させないと増殖してくるガン細胞と同じなのだ。  その点からも、真を付いた指摘発言で、正論に楯突く反日メディアのウロタエと見る。
その意味においても、外患誘致罪・外患援助罪に該当する報道機関は、粛々と処罰適用する必要がある。
刑事裁判に委ねるまえに、国民の手により裁く(不買、不払行動)ことが出来れば、これほどの民主主義判決は他にないだろう。
外患誘致罪の法定刑は死刑のみ(日本の刑法上、最も刑が重い犯罪)であり、国民消費者の手で死刑判決(マスメディア倒産)を下すことは、世界中の模範となろう。
さて、10年余前のことになるが、(当時)大島理森幹事長が来形時での質疑のおり、ブログ子は、「SNS時代到来から、自民党でネットテレビ局を開設して、(放送法によらない)動画放送配信を展開したら・・・・」と提言したものだが、前向きな答えはなかった。
今からでも遅くはない。  党本部の一室をスタジオにして、知的で能弁な議員を出演させて、党政策の議論、発表の場にして連日放送配信されたらと思う。
なにも、お笑いバカ芸人など必要ない。  熟練のキャスター出身の議員もいるわけだし、真面目な言論報道番組として党職員の手で放送運営すれば良い。
そうすれば、まともな国民は左翼系テレビ、反日新聞の煽動報道を、疑問を感じながら見ることなど必要無くなる。
なにより、改正公選法施行による18才選挙権対策にも活かせるはずだ。
放送番組にスポンサーが付いたなら、新たな収入確保(政治活動資金)になるかもしれない。
電通など操作媒体を通さずに、党本部系別会社が直接行えばよい。
他の政党も責任を持って同じようにやればいい。  通信・放送の融合自由化の先鞭にもなる。
偏向フィルターを通した、新聞・放送媒体にわざわざ報道を委ねることは、SNS時代になっても完治出来ない「左翼小児病」の永遠の感染者でしかあるまい。 
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レーニンも説いた、満身「左翼小児病」に侵された反日野党と、アシスト左翼メディアの足掻き。

2015-06-29 18:13:10 | Weblog
ロシア革命を指導した、ウラジーミル・レーニンは著書や発言において、実に機智に富む多くの言葉を残している。
(1917年著書)『国家と革命』(暴力革命の方法、手段を教育する共産主義者のテキスト)で、「青少年をして祖国の前途に絶望せしめる事が、革命精神養成の最良の道である」(青少年に対し祖国の前途に対する希望の燈を奪い、祖国蔑視、祖国呪詛の精神を扶植することが、革命への近道だ)と教育工作による内乱革命を力説した。  日本に於ける「日教組による教育革命」。

1920年4月、レーニンは、「労働組合が共産主義の学校である」という重要な命題を提起、革命戦士確保に労組工作を指令した。

1920年6月の著作「共産主義における左翼小児病」を刊行、翌月(1920.7)のコミンテルン第2回大会で配布、(1926年に堺利彦と国崎定洞(和田哲二)が日本語訳、日本共産党の指導書)。
本書でレーニンは、共産主義勢力内部で、他の社会民主主義勢力などとの一切の協力を拒否する姿勢を「左翼小児病」、客観的情勢を無視して目的を優先し無謀な主張や行動を行う勢力を「極左冒険主義(過激派)」と呼んで批判している。
表面的に理解されたマルクス主義の原則を公式的に振りかざして「(暴力)革命的」に振る舞う、未熟性な態度を揶揄しているものだ。
今次の国会論議を見ていると(バカバカしくて避けているものだが)、成長できない小児病政治家が、これほどにも居るものかとウンザリしてしまう。
いずれは淘汰されて行くのは見えているが、長年に亘り対宥和策に甘んじてきた政権党(自民党)の責任も重い。
小児病者、過激派、に加えて在日朝鮮人(中国人)系が、反日統一戦線を組んでいるのが日本政界の野党現状であろう。
1970年代から、マスメディアに潜入した反日革命工作員が、身を乗り出して愚民煽動工作に走っている。
1972年の日中国交正常化までの「日本解放第2期工作綱領」、その後の『「第3期工作綱領」(天皇制を廃し)日本人民民主共和国の樹立』を引き摺り、左翼小児病状を脱しえない全共闘過激派の最終闘争でもあろうか。
戦後70年は、全学連、団塊世代(全共闘)がサヨク小児病のまま、人生終焉を迎えるかの哀れな最期の岐路でもある。
ウラジーミル・レーニンも説いた、満身「左翼小児病」に侵された反日野党と、アシスト左翼メディアの足掻き。
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