山形の森 保守醒論

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阿信県行旅、女医志田周子の生涯を描いた映画「いしゃ先生」がクランクアップ

2015-02-13 11:53:03 | Weblog
西川町が地域起こし策のひとつとして企画された、女医志田周子(1910.10~62.7)の寒村大井沢での生涯を描いた映画「いしゃ先生」がクランクアップした。
小さい頃から、「女医さん志田周子」の名前が記憶にある。 お会いした自覚はないのだが・・・・。
ブログ子の旧家は、旧県道(大江-西川)沿いにあったので、大井沢への峠越えの(出羽三山)湯殿山詣りの参詣衆徒は、昔から立寄っていたものだろう。
集落内の山ノ神社域は道智屋敷と呼ばれ、道智上人(大井沢大日寺の住僧で1410~20頃?)の仮居住地となっていたものと考えられる。
左沢で生まれた志田周子は、幾度となくこの旧県道の大井沢峠越え(上峠・下峠)を重ねたことだろう。
先の現地ロケでは、峠越えで搬送される重病人の模様を(大江町)柳川側で撮影されたようだ。
残されていた旧診療所を、当時の頃に修復してのロケであり、昔を知る集落民には懐かしみのリアル感があったことだろう。
この診療所から、200メートルほどのところに(中村の)吊り橋があった。
一昨年7月(7.18)、記録的な豪雨災害に見舞われ、流されてしまったことが残念でならない。
大井沢集落の峠越えルートは、生活経済圏(重病人搬送も)を結ぶ貴重なもので、この吊り橋(寒河江川)を渡るところから始まると言って良いだろう。
さらに惜しむらくは、この吊り橋の付近で、朝ドラ「おしん」の、母(泉ピンコ)の入水シーン他が撮影されたのである。
女医志田周子を知らずとも、大井沢が「おしん」の主要撮影地であったことを重ねてすれば、映画PRの効果は倍加されるであろうに。
吊り橋だけでなく、対岸に沿う峠越えにつながる道路も流されてしまったので、行政ベースの吊り橋復活は困難であろう。
道智道の峠越えルートと見れば、約600年余の期間でどれほどの衆徒が歩んだものか。
そのひとりが「女医志田周子」であったことは、忘れ得ぬ事実である。
阿信県行旅、女医志田周子の生涯を描いた映画「いしゃ先生」のクランクアップで想起する、大井沢への峠越えの歴史。
この峠越えルート(柳川温泉~大井沢中村)を「おしん古道」として、約600年の歴史を踏みしめながら踏破するのも観光に活かせるのにと考えたこともあるのだが。
コメント
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