ここ数年で一番マジメに書きます。
今日は会議だった。
これまで10年関わって来て、一番落胆した会議。
一番頭にきて、一番失望した。
我々有志で始まった復興プロジェクトにおいても、中核を担える営業団体だった。
この地も被災し、その中で営業を続け炊き出しはじめ、義援金も送り
単発的な活動は十分やって来た。
そこで、ここ岩出山、そして鳴子温泉の人たちの有志で、今度は一時的な支援ではなく、
避難者に対しての長期支援を計画。日常に戻る手助けが出来る前進出来る支援を。
その団体も賛同し、方向は同じだ・・・と思っていた。
まず、やるなら地域全体で、スタンスは違ってもネットワークとして協力という話が冒頭で却下。
あくまでも、会社独自、メインでというスタンスで嫌な予感。
案の定、出て来た復興プランはただの自己満足のボランティア企画の羅列。。。
同じ目線で会話を持つ事から始まっていないからか、上から目線の押しつけ。
やる前から苦労するのが生産者という構図は変わらず。。。だれがやるんだろ?
前の会議で、避難者はもちろん、ここ地元の被災生産者にも力になれるような、
包括的な地域復興も含めたもの、個人では出来ない事を担って欲しいとの要望も、まったく反映されておらず、
その会社が生き残る「営業も含めた支援」が皆無。
ボランティア企画が、今後の営業、経営を含めたものだと聞き、言葉も出なかった。。
体裁ばかり考え、マスターベーションが経営企画?
自分が昨日まで考えていたものと根っこから違うし、何の思いもこもっていないと感じる。
愚痴ってしまいました。けど、それだけ「思いの差」を感じたんです。
共有する部分が皆無だとは。
私、そして昨日スタートの会場となった佐藤農場のSさんも思いは同じ。
始めは、手助けがしたい。その思いだけ。
支援も段階があり、とにかく食料や水が必要、片付けが必要、という段階から、
これからは避難している人も落ち着き始め「これから」を考え始める段階の人が出てきはじめる時期が来た。
そこまでじっと我慢して来た。
自分もダメージを負い、修理する資金もない、取引先も被災という状態で、
申し訳ないけれどボランティアへ出る時間も余裕もない。物資を送る程度しか出来なかった。
けど「なにか手助けがしたい」、
共有した思いは変わらず、Sさんと二人でじっと我慢してきた。
自分にも守らなければならない家、家族がある。生活がある。
それを放っては動けなかった。
そして今、正々堂々、俺たちの復興プロジェクトを始めようというタイミングがきた。
手助けし、こちらも堂々と力を借りようという前向きな復興企画。
「これから」を考え始め、前を向き始めた人たちに、佐藤農場やよっちゃん農場、仲間のところで仕事をしてもらい、
鼻くそほど小さいかもしれないが、ちゃんとお金を稼いでもらい、日常に戻る資金にして欲しい!
その過程で、出来たら…笑ったり泣いたり、酒飲む時間も共有したい。
そんな南三陸の人と二人三脚で作るよっちゃんなんばんを特別なものにしたいし、
今年はその活動も含めよっちゃん農場の価値、として訴えたいです。
堂々と、営業と支援を両立させたいと思っています。
よっちゃんが売れれば、それだけ南三陸の人たちに仕事を用意出来るし、彼らも一生懸命働け、明日への意欲が出ます。
町おこしと同じ。単発で人を集めるだけなら誰でも出来る。
けど、町おこしってそうじゃないと思う。
町に産業が盛り上がって、そこに仕事も生まれて留まれたり、継続出来る価値を作る事。
そのため、伝える手段も考えて応援の声に返事をして結果も責任持って届けたい、そう思っています。
Sさんと、そんな想いを抱き、伝え合い、その想いが少しずつ大きく広がって昨日のスタートに。
避難者全員は無理だけど、出来る範囲で。
我が家のなまえ「よっちゃん農場」。
「よっちゃん」は亡き母ちゃんです。被災ではないけれど、急死でした。
今回の災害で、昨日話せた人たちも、きっと身近な人を亡くした方が沢山居たと思う。
状況は違います。今回は全てを無くしてるんだから、もっと、もっと…比較なんて出来るもんじゃない。
けど、昨日まで普通に過ごしていた人が、突然居なくなった。
私自身、本当につらかった。気持ちが前に向くまでに大分時間がかかった。
そんな時に助けてくれたのが、同じ経験をしていたSさんであり、周りの助けだった。
違うかもしれないけど、だからこそ、出来る範囲で、自分が選んだ人生「よっちゃん農場」も潰さず、
その手助けしたいと思ったし、自分たちなりの"信念"の籠った復興支援だ。
今朝、またお客さんからご心配と「あなたへの復興支援だ」と、注文のお電話。
東京からは、友達同士で集めたんだと10万を超すお金がを送られてきた。
そこには
「よっちゃん達へのお見舞いと、よっちゃん達がやろうとしてる活動への支援です。
私たちは応援しか出来ないから、その思いを宮城、東北の復興に役立てて!託します!」
とのお手紙。
夫婦で号泣でした。
俺らのこんな小さな復興プロジェクトに賛同してくれた人たちの為に、
共感している人たちを裏切らないように、精一杯やります。出来る範囲で。
今日は会議だった。
これまで10年関わって来て、一番落胆した会議。
一番頭にきて、一番失望した。
我々有志で始まった復興プロジェクトにおいても、中核を担える営業団体だった。
この地も被災し、その中で営業を続け炊き出しはじめ、義援金も送り
単発的な活動は十分やって来た。
そこで、ここ岩出山、そして鳴子温泉の人たちの有志で、今度は一時的な支援ではなく、
避難者に対しての長期支援を計画。日常に戻る手助けが出来る前進出来る支援を。
その団体も賛同し、方向は同じだ・・・と思っていた。
まず、やるなら地域全体で、スタンスは違ってもネットワークとして協力という話が冒頭で却下。
あくまでも、会社独自、メインでというスタンスで嫌な予感。
案の定、出て来た復興プランはただの自己満足のボランティア企画の羅列。。。
同じ目線で会話を持つ事から始まっていないからか、上から目線の押しつけ。
やる前から苦労するのが生産者という構図は変わらず。。。だれがやるんだろ?
前の会議で、避難者はもちろん、ここ地元の被災生産者にも力になれるような、
包括的な地域復興も含めたもの、個人では出来ない事を担って欲しいとの要望も、まったく反映されておらず、
その会社が生き残る「営業も含めた支援」が皆無。
ボランティア企画が、今後の営業、経営を含めたものだと聞き、言葉も出なかった。。
体裁ばかり考え、マスターベーションが経営企画?
自分が昨日まで考えていたものと根っこから違うし、何の思いもこもっていないと感じる。
愚痴ってしまいました。けど、それだけ「思いの差」を感じたんです。
共有する部分が皆無だとは。
私、そして昨日スタートの会場となった佐藤農場のSさんも思いは同じ。
始めは、手助けがしたい。その思いだけ。
支援も段階があり、とにかく食料や水が必要、片付けが必要、という段階から、
これからは避難している人も落ち着き始め「これから」を考え始める段階の人が出てきはじめる時期が来た。
そこまでじっと我慢して来た。
自分もダメージを負い、修理する資金もない、取引先も被災という状態で、
申し訳ないけれどボランティアへ出る時間も余裕もない。物資を送る程度しか出来なかった。
けど「なにか手助けがしたい」、
共有した思いは変わらず、Sさんと二人でじっと我慢してきた。
自分にも守らなければならない家、家族がある。生活がある。
それを放っては動けなかった。
そして今、正々堂々、俺たちの復興プロジェクトを始めようというタイミングがきた。
手助けし、こちらも堂々と力を借りようという前向きな復興企画。
「これから」を考え始め、前を向き始めた人たちに、佐藤農場やよっちゃん農場、仲間のところで仕事をしてもらい、
鼻くそほど小さいかもしれないが、ちゃんとお金を稼いでもらい、日常に戻る資金にして欲しい!
その過程で、出来たら…笑ったり泣いたり、酒飲む時間も共有したい。
そんな南三陸の人と二人三脚で作るよっちゃんなんばんを特別なものにしたいし、
今年はその活動も含めよっちゃん農場の価値、として訴えたいです。
堂々と、営業と支援を両立させたいと思っています。
よっちゃんが売れれば、それだけ南三陸の人たちに仕事を用意出来るし、彼らも一生懸命働け、明日への意欲が出ます。
町おこしと同じ。単発で人を集めるだけなら誰でも出来る。
けど、町おこしってそうじゃないと思う。
町に産業が盛り上がって、そこに仕事も生まれて留まれたり、継続出来る価値を作る事。
そのため、伝える手段も考えて応援の声に返事をして結果も責任持って届けたい、そう思っています。
Sさんと、そんな想いを抱き、伝え合い、その想いが少しずつ大きく広がって昨日のスタートに。
避難者全員は無理だけど、出来る範囲で。
我が家のなまえ「よっちゃん農場」。
「よっちゃん」は亡き母ちゃんです。被災ではないけれど、急死でした。
今回の災害で、昨日話せた人たちも、きっと身近な人を亡くした方が沢山居たと思う。
状況は違います。今回は全てを無くしてるんだから、もっと、もっと…比較なんて出来るもんじゃない。
けど、昨日まで普通に過ごしていた人が、突然居なくなった。
私自身、本当につらかった。気持ちが前に向くまでに大分時間がかかった。
そんな時に助けてくれたのが、同じ経験をしていたSさんであり、周りの助けだった。
違うかもしれないけど、だからこそ、出来る範囲で、自分が選んだ人生「よっちゃん農場」も潰さず、
その手助けしたいと思ったし、自分たちなりの"信念"の籠った復興支援だ。
今朝、またお客さんからご心配と「あなたへの復興支援だ」と、注文のお電話。
東京からは、友達同士で集めたんだと10万を超すお金がを送られてきた。
そこには
「よっちゃん達へのお見舞いと、よっちゃん達がやろうとしてる活動への支援です。
私たちは応援しか出来ないから、その思いを宮城、東北の復興に役立てて!託します!」
とのお手紙。
夫婦で号泣でした。
俺らのこんな小さな復興プロジェクトに賛同してくれた人たちの為に、
共感している人たちを裏切らないように、精一杯やります。出来る範囲で。