人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

全聾の作曲家・佐村河内守氏の主要曲がゴーストライターによるものだったという問題について

2014年02月06日 07時00分25秒 | 日記

6日(木)。昨夜9時のNHK「ニュースウォッチ9」を観ていてびっくりしました 「全聾の作曲家」「現代のベートーヴェン」として知られる佐村河内守氏が、十数年前から別人の男性に頼んで作ってもらった曲を自分が独自に作曲したとしてきたことが分かった、という内容です代理人の弁護士によると、「佐村河内守氏は、十数年前から、彼が提案したイメージを基に、別の男性が旋律や和音を含め作曲していたが、自身の作品として発表していた」とのことです 今日午後、18年間にわたり佐村河内氏の”ゴーストライター”をやっていたという桐朋学園大学非常勤講師・新垣隆氏の記者会見が開かれ、これまでの経緯が語られるとのことですが、本当のところ佐村河内氏本人から直接”真実”を聞きたいところです

このブログでも彼の「交響曲第1番”HIROSHIMA"」のCDをご紹介し、神奈川フィルのよる演奏会の模様をご報告しました。はっきり言って、「何だろう、これは・・・・」という変な感じです われわれはあの交響曲第1番が「広島生まれの被曝二世で全聾の作曲家によって書かれた」という”予備知識”に基づいて聴いていたと言えます 厳しい環境の中だからこそ、あのような重く苦悩に満ちた曲が出来たのだ、と。つまり佐村河内守=交響曲第1番”HIROSHIMA"という計算式しかあり得ないと判断して聴いてきたのです しかし、今になって、その”予備知識”が間違っていたことが分かり、われわれはハシゴを外された状態に陥ってしまいました 問題は今後、”予備知識”を抜きにして、あの「交響曲第1番”HIROSHIMA”」が純粋に優れたクラシック音楽として耐えうると判断できるのか、ということだと思います つまり、佐村河内守=交響曲第1番”HIROSHIMA”という計算式を否定し、新垣隆氏を計算式に当てはめたうえで、曲を聴いて純粋に素晴らしいと思えるかどうか、ということです

私にはまだその結論を出す心の整理が出来ていません 私は3月6日に川口のリリアホールで開かれる「弦とピアノで奏でる佐村河内守の世界」公演のチケットを持っていますが、まず間違いなく公演中止になるでしょう 演奏される曲は彼の作曲によるものではないからです。非常に複雑な心境です 今後、本当に彼自身が作曲した曲を聴くことは叶わないのだろうか、と思わずにいられません

 

          

 

  閑話休題   

 

4日の日経「夕刊文化」欄に「R.シュトラウス生誕150年で公演~『万能の職人』の傑作堪能」と題する同紙編集委員・小松潔氏の記事が載っていました。リードには次のように書かれています

「今年生誕150年を迎えたドイツの作曲家リヒャルト・シュトラウス(1864~1949)。日本でも記念演奏会が相次ぐ。モーツアルト以来といわれる管弦楽曲からオペラまで幅広いジャンルで傑作を残した『万能』の音楽家だ

記事では全国各地で行われる公演を紹介しています

N響は4月の定期公演で『紀元2600年祝典曲』を取り上げる。N響が演奏するのは56年ぶり

8月に群馬県で開かれる「第35回草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティバル」は、テーマに「リヒャルト・シュトラウス生誕150年~ミュンヒェン、ウィーン、ドレスデン~」を掲げ、室内楽を中心に演奏する

新国立劇場は今シーズン「ナクソス島のアリアドネ」(2月28日~3月2日)、「アラべッラ」(5月22日~6月3日)を取り上げる

日本リヒャルト・シュトラウス協会は11月に記念公演を開き、「ばらの騎士」「サロメ」のさわりを披露する

演奏会では以上の4公演を紹介していますが、クラシック音楽を守備範囲とする日経の編集委員が、なぜ3月23日に東京文化会館で開かれる「東京・春・音楽祭」のマラソン・コンサート「リヒャルト・シュトラウスの生涯~生誕150年に寄せて」を取り上げなかったのか、不思議な気がします

 

          

 

この公演は第1部から第5部までから成り、各公演が1時間程度、午前11時から午後8時過ぎまでのマラソン・コンサートです このコンサートほどリヒャルト・シュトラウスの全体像を把握するのに相応しい企画はないと思います 私は第1部「誕生~激動の人生の幕開け」、第3部「時代の寵児となった、若き天才音楽家」、第4部「オペラ作曲家として」を聴きに行きます

 

  も一度、閑話休題  

 

チケットを2枚買いました 1枚は4月17日(木)午後7時から東京文化会館小ホールで開かれる「花房晴美 室内楽シリーズ~パリ・音楽のアトリエ」です。ドビュッシー、ラヴェル、プ―ランク、シャブリエなどのピアノ曲が演奏されます 花房晴美さんのこのシリーズは日程が取れる限り聴くようにしています。前に聴いたサン=サ―ンスを取り上げたコンサートは印象深いものがありました

 

          

 

もう1枚は4月25日(金)午後7時から同じく東京文化会館小ホールで開かれる「春の夜コンサート」です この公演は東京文化会館が主催している「モーニングコンサート」の番外編という位置づけで開かれるもので、公演時間は1時間ですが入場料金は全自由席500円と格安です 出演はヴァイオリンの石亀協子、チェロの金子鈴太郎 、ピアノの須藤千晴です。私は、このうち須藤さんだけヤマハホールで演奏を聴いたことがあります。プログラムはベートーヴェン「スプリング・ソナタ」第1楽章、ブラームス「ピアノ三重奏曲第1番」第1楽章、エルガ―「愛のあいさつ」ほかですが、私はブラームスの三重奏曲を聴きたくてチケットを買いました

 

          

 

  最後の閑話休題  

 

昨日の朝日朝刊・文化欄に「ロシア・ピア二ズム」の継承者と言われるヴィルサラ―ゼのインタビュー記事が載っていました その中で印象に残ったのは、今の若者の音楽に対する姿勢と教育のあり方です。文化部の吉田純子記者が彼女の言葉を次のように紹介しています

「指導者として最近、与えることよりブレーキをかけることが大切と感じることが多いという バッハを徹底してやらせたくても、若者たちはコンクール映えする華やかな曲を弾きたがる。しかし、成長を急ぐほど、のちの実りも小さいと語る」

そうなんだろうな、と思います しかし、現実には名の知れたコンクールに入賞しない限り、いくら実力があると言っても、どこからも声がかからないだろうとも思います。コンクールって”必要悪”なのでしょうか

 

コメント
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