人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

「甦る三大テノール 永遠の歌声」を観る 〜 ドミンゴ、カレーラス、パヴァロッティによる夢の競演 / 新国立オペラ「夜鳴きうぐいす」&「イオランタ」、「ルチア」のチケットを申し込む

2021年01月31日 07時17分27秒 | 日記

31日(日)。月日の流れは速いもので 1月も今日で終わり、今年も残すところあと334日になってしまいました   私の3つの目標の今月の成果はクラシック・コンサート9回、映画22本、読書5冊でした 2月からコンサートを少しずつ増やしていきます

ということで、わが家に来てから今日で2313日目を迎え、東京五輪・パラリンピックの選手村として使った後に分譲される東京・晴海のマンション群「晴海フラッグ」は、大会延期で引き渡しも1年程度遅れる見通しだが、売主側は「予見できなかった」として補償を拒否、一方、購入者の一部は近く賠償を求めて東京地裁に民事調停を申し立てる  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     購入者にとっては高い買い物だ  誰に不平不満をぶつければいいのか 不条理だよね

 

         

 

新国立劇場から「『夜鳴きうぐいす/イオランタ』『ルチア』実施決定のお知らせと特別先行販売のご案内」が届きました ストラヴィンスキー「夜鳴きうぐいす」とチャイコフスキー「イオランタ」のダブルビル公演については4月4日(日)14時開演の部、ドニゼッティ「ルチア」公演については4月18日(日)14時開演の部(それぞれ初日公演のA席)を申し込みました この公演は、「通常の座席配置(1階1列~3列を除く)での販売を予定しているが、政府及び東京都の判断により、イベント収容率に変更が生じた場合は、途中でチケットの販売を中止する場合がある」としています 私は「夜鳴きうぐいす」は今回が初めてで、「イオランタ」はMETライブビューイングで観ました

 

         

 

昨日、渋谷の東急文化村「ル・シネマ」で「甦る三大テノール 永遠の歌声」(2020年製作・ドイツ・94分)を観ました

この映画は「三大テノール」として活躍したルチアーノ・パバロッティ(1935年生)、プラシド・ドミンゴ(1941年生)、ホセ・カレーラス(1946年生)が共演する模様を、未公開映像を交えて構成したドキュメンタリーです 3人は音楽とサッカーをこよなく愛し、親友でありながらもお互いがライバル同士だったテノール歌手です 彼らが「三大テノール」として活躍を始めたのは、1990年のイタリア  ワールドカップ・サッカーの前夜祭として開催され、白血病を乗り越えて復活したホセ・カレーラスが出演したローマ・カラカラ浴場でのコンサートからでした 3人は2007年にパバロッティが他界するまで、世界中の音楽ファンを魅了し続けました 本作では、3人の活動の中で、これまで未公開だった94年のロサンゼルス・ドジャースタジアムのバックステージの映像なども盛り込み、彼らの歌声とともに、音楽を心から楽しむ3人の姿が描かれています

 

     

 

1990年に初めて3人の競演が実現したのは、闘病生活から復帰したカレーラスが、マネージャーのマリオ・ドラディに「今までにないコンサートにしたい」と相談したところ、マリオは「それでは、パヴァロッティとドミンゴに声をかけて一緒にやったらどうか」と提案したのがキッカケだったとのことです マリオは次のように語っています

「パヴァロッティは最年長で、恐らく当時3人の中で最も有名だった。エルメスのスカーフと白いハンカチがトレードマーク。叙情的で、天使のような歌声は、最高音でも揺らぐことがなかった ドミンゴは知性派メンバー的な存在で、きらびやかな高い声というより、神秘的な男らしい声 カレーラスは、最もドラマティックで、恐れ知らずだった 3人のテノール歌手が一緒に舞台に立つオペラなんてこれまではなかった。だから特別に作り上げなければならなかった 取り掛かりはすごく難しかった。とても慎重なアプローチを取ったんだ。最初のリハーサルの時は混とんとしていた。何もかもうまくいかなくてね。実現するかどうかみんな不安に思ったよ

それはそうだと思います。個性の強い世界トップクラスの3人のテノール歌手が1つのコンサートに出演して歌を競うのですから そんな個性派揃いの3人の間に立って緩衝材的な役割を果たしたのは指揮者のズービン・メータだったようです 彼は語ります

「舞台に出る前、3人は抱擁し合い、互いに励ましの言葉をかけ、『幸運を!』と声をかけた 3人はとても緊張していたよ。何が待ち受けているか分からなかったからね。お互いに対する競争心もあったが、みんな冷静を装っていた 私たちは、この競演がどんなに重要な意味を持つことになるのか、想像すらしていなかった コンサートが終わり、観客が椅子の上に立って拍手喝采を送っている姿を見ながら、自分たちがまったく新しい時代の幕を開けたと実感したんだ

当日のコンサートの模様はイタリア放送協会が手掛けましたが、メータの言葉を裏付けるように、世界で8億人が視聴し、「三大テノール・コンサート」のレコードは3日間で50万枚、1カ月後には300万枚、そしてクラシック界最大の1600万枚のベストセラーとなりました ここから、3人の快進撃が始まります

1990年のコンサートの大成功を受けて、4年後の94年6月から7月にかけてアメリカで開催された第15回FIFAワールドカップでは、決勝戦前夜蔡コンサートが開かれました 7月16日にはロサンゼルスのドジャー・スタジアムに5万6000人の観客が集まり、100以上のネットワークで放映され、13億人が視聴しました その後、三大テノールの世界ツアーが始まり、日本、オーストラリア、スウェーデン、ドイツ、アメリカへと続きました

ただし、大規模会場に多くの観客を集めて歌う彼らの活躍(とくに94年のロスでの公演以降)には「クラシック・ファンの拡大に貢献した」という評価とともに、「クラシック音楽への冒涜だ。商業主義に屈した」という辛口の評価も寄せられました 3人はとてつもないギャラを手にして「一晩でアメリカン・ドリームを叶えた」とも揶揄されました しかし、そもそも「三大テノール」コンサートがカレーラスの白血病からの復活を祝って開かれたこともあり、コンサートの収益の一部は白血病の研究と、骨髄提供者の登録支援事業に財政的支援をする「ホセ・カレーラス国際白血病財団」へ寄付されていることを忘れてはならないと思います

映画の中で紹介されるコンサートでは、プッチーニ「トスカ」よりカヴァラドッシのアリア「星は光りぬ」「妙なる調和」、同「トゥーランドット」よりカラフのアリア「誰も寝てはならぬ」、クルティス「帰れ、ソレントへ」、チレア「アルルの女」よりフェデリコのアリア「あるふれた話」、ヘンリー・マンシーニ「ムーン・リバー」、カプア「オ・ソレ・ミオ」、ソロサバ―ル「港の酒場女」よりアンドロのアリア「そんなことはありえない」、ヴィンチェンツォ・ダン二バーレ「太陽の土地」、メキシコ歌謡「シェリト・リンド」、レオン・カヴァッロ「マッティナータ」、アグスティン・ララ「グラナダ」などがソロで、メドレーで、三重唱で歌われます 3人とも凄いとしか言いようがないのですが、特にあらためて感動するのはパヴァロッティの歌う「誰も寝てはならぬ」です この歌を聴いて感動しない人はいないでしょう また、1990年の初めてのコンサートで、当初予定していなかったアンコールとして急きょメータを含めた4人で決めた「オ・ソレ・ミオ」の3人によるメドレーは、その場にいなくてもスタンディングオベーションものです

オペラファンにはたまらない映画ですが、クラシックに興味がない人にも感動を呼ぶドキュメンタリーです 強くお薦めします

 

     

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広上淳一 ✕ 新日本フィルでドヴォルザーク「交響曲第8番」、スメタナ:歌劇「売られた花嫁」序曲を聴く ~ 新日本フィル「ジェイド」公演 公開リハーサル

2021年01月30日 07時20分15秒 | 日記

30日(土)。わが家に来てから今日で2312日目を迎え、日本一短い手紙のコンクール「第28回 一筆啓上賞」の入賞者が29日発表されたが、今年のテーマ「笑顔」に5万2805通が集まり、栃木県の嶋崎有子さんが子どもたちに宛てた「迷ったら、笑顔がうまれる方へ、進んで下さい。」など5作品が大賞に選ばれた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     「迷ったら、餌とおやつがある方へ、進んで下さい」と言われれば笑顔になれるよ

 

         

 

昨日、夕食に「鶏の唐揚げ」と「キャベツの中華スープ」を作りました 栗原はるみ先生による「うまみ醤油」に鶏肉をしっかり漬け込んでから揚げたので、とても美味しくできました 本当はビールが一番なのですが、寒いので焼酎のお湯割りにしました

 

     

 

         

 

昨日、午前10時半から すみだトリフォニーホールで新日本フィルの公開リハーサルがあったので聴きに行きました これは本日=30日14時からサントリーホールで開かれる「ジェイド」シリーズ公演のリハーサルです 本日の本番では①スメタナ:歌劇「売られた花嫁」序曲、②パガニーニ「ヴァイオリン協奏曲第1番」(Vn:吉村妃鞠)、③ドヴォルザーク「交響曲第8番ト長調作品88」が演奏されます

ホール入口でパトロネージュ部の登原さんに右手で検温してもらいました 「35度4分です。大丈夫です」。やっぱり36度に届きませんでした 外気が寒いからではなく基礎体温が低い ”冷たい人” なのです

自由席なので1階13列13番、センターブロック左通路側を取りました     ステージ上では楽団員がそれぞれのパートの練習に勤しんでいます     演奏前の混沌とした不協和音、好きです 弦楽奏者は全員マスク着用です。オケは左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスといういつもの新日本フィルの並び。コンマスは西江王子です    オーボエに初めて見る奏者がスタンバイしています。次の首席候補が決まったのでしょうか?   気になるところです

どうやら「第8番」「序曲」の順に演奏するようです

ドヴォルザーク「交響曲第8番ト長調作品88」は、アント二ン・ドヴォルザーク(1841‐1904)が1889年に作曲、1890年にプラハで初演されました 第1楽章「アレグロ・コン・ブリオ」、第2楽章「アダージョ」、第3楽章「アレグレット・グラツィオーソ」、第4楽章「アレグロ・マ・ノン・トロッポ」の4楽章から成ります

黒色の長袖シャツ姿の広上氏が指揮台に上り、さっそくリハーサルに入ります     広上氏は第1楽章から第3楽章までを、それぞれ途中で止めることなく通して演奏させました    第3楽章が終わった時点で、3楽章の中間部について木管楽器に指示を与え、再度演奏を繰り返しました    次いで第4楽章に入りましたが、この楽章も通して演奏させ、終わってから木管楽器を中心に指示を与え、時に自らピアニカでメロディーを吹いて指示を与えました    広上氏は、ときにジョークを言って楽員をリラックスさせながら、短時間で求める音を引き出していました

全曲を通して、フルートの野津雄太、クラリネットの重松希巳江の演奏が際立っており、第4楽章冒頭のトランペット独奏が素晴らしかった    また弦楽セクションの分厚い響きが印象に残りました

ここでちょうど1時間が経過し、5分間の休憩に入りました

広上氏が再度登場しますが、なぜか今度は赤の半袖シャツ姿です     どういう意図があるのかは「本人のみぞ知る」です

後半は歌劇「売られた花嫁」序曲です この歌劇はスメタナ(1824‐1884)が1863年から66年にかけて作曲、1866年にプラハで初演されました

広上氏はこの曲も通して演奏させます 弦楽器の渾身の演奏で音の風圧を感じます 管楽器とのアンサンブルが見事です 色彩感豊かな演奏で聴くと、滅多に演奏されない「売られた花嫁」という歌劇を観てみたくなります

12時前に公開リハーサルは終了しましたが、その後、広上氏へのインタビューが行われました 広上氏は「今回のプログラムは当初、合唱入りのリストの曲(『ダンテの”神曲”による交響曲』)だったのを指揮者交代に伴ってドヴォルザークとスメタナに変更したのですが、第8番は1987年にアムステルダムのコンセルトヘボウ管弦楽団に指揮者デビューした時に取り上げた記念すべき作品です。ドヴォルザークの交響曲は第9番”新世界より”や第8番が人気がありますが、第4,6,7番もそれぞれ素晴らしい曲なので、いつかこれらの曲も取り上げたいと思っています」と話しました また、広上氏は昨年12月に新日本フィルを振って「第九」を演奏しましたが、その時の印象を訊かれ、「あたりまえのことが、あたりまえに出来なくなってしまった時に、何とか合唱の人数を絞ったりして公演に漕ぎつけました オーケストラの皆さんに、ソリストの皆さんに、合唱の皆さんに、そして何より会場に来てくださったお客様に感謝・感謝です そしてこの曲を作ってくれたベートーヴェン先生に感謝です さらに、指揮者はお金持ちにはなれませんが、指揮者として活動できる境遇に感謝です」と語りました

公開リハーサルは、練習風景が見学できるのはもちろんのこと、このように指揮者の言葉が直接聞け、ひいては その人柄も分かるのが良いと思います

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岡田暁生著「よみがえる天才3 モーツァルト」を読む ~ 『悲しいけれどうれしい』『うれしいけど悲しい』音楽を作曲した唯一の作曲家の魅力に迫る

2021年01月29日 07時22分43秒 | 日記

29日(金)。昨日、Dソンの新しい電気掃除機が届いたの組み立てて充電しました 旧Dソンは弱と強の2段切り替えでしたが、新Dソンは3段切り替えになっているところがメリットです 旧Dソンは着払いで引き取ってもらうよう宅配便業者に出しました あとは新機種の実力発揮を待つだけです

ということで、わが家に来てから今日で2311日目を迎え、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長は27日、感染拡大で懐疑論が広がる今夏の東京五輪・パラリンピックに向け、中止や再延期を否定したうえで「どんな対策を講じるかの情報は、どうか辛抱して待ってほしい」と日本国民や選手ら、すべての関係者に理解を求めた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     どんな結果になっても  勤勉な日本人は我慢してくれる と思っている節はないか?

 

         

 

昨日、夕食に「豚バラ大根」と「ブロッコリとトマトのサラダ」を作りました   あとは大根の葉がもったいないので湯がいて削り節をかけて「お浸し」にしました

 

     

 

         

 

岡田暁生著「よみがえる天才3 モーツァルト」(ちくまプリマ―新書)を読み終わりました 岡田暁生は1960年、京都生まれ。京都大学人文科学研究所教授。「オペラの運命」でサントリー学芸賞を受賞。音楽関係の著作多数 当ブログではつい先日「音楽の危機 『第九』が歌えなくなった日」(中公新書)をご紹介したばかりです

 

     

 

本書は「はじめに」と次の15章から構成されています

第1章「モーツァルトの比類なさはどこに?」

第2章「『天才君』の栄光と悲惨」

第3章「『ある』と『なる』・・・天才の2つのありよう」

第4章「失意は天才少年の宿命」

第5章「教育パパの呪縛は結婚で断つ」

第6章「『天才』とは何か」

第7章「フリーになるということ」

第8章「芸術家と実人生」

第9章「美の冷酷さについて」

第10章「実存の不安と『まあこんなものか・・・』の希望

第11章「『ところで』の奇跡」

第12章「流麗さについて・・・モーツァルトの作曲レッスンを受ける」

第13章「晴れた日のメランコリー」

第14章「モーツァルトは神を信じていたか?」

第15章「幸福な阿呆に神は宿る」

著者は「はじめに」の中でモーツァルトについて次のように述べています

「桁違いの才能に恵まれて生まれてしまったことを除けば、彼は多くの点でそれなりに普通の人生を送ったのではないかと思う 親子関係や恋愛や結婚をめぐるわずらわしさと夢と失望、金の工面の苦労と自分の職へのプライドと努力、人恋しさと意地悪さとウィット、野心と諦め、そして死への恐怖・・・すべて誰もが何かしら経験することである それを彼は宝石のようにきらめく音楽で表現した この本で私は、モーツァルトの音楽の何がそんなにも天才的なのかを、できるだけ具体的に説明しようと思った また『人間としてのモーツァルト』を、出来るだけ身近なものとして描こうとした

モーツァルトの音楽の本質を端的に表しているのは第1章「モーツァルトの比類なさはどこに?」の中の次の文章です

「いうまでもないが、私たちの感情生活には『雲一つない快晴』も『土砂降り』も滅多にない たいがい私たちは『晴れ時々曇り』と『曇り時々雨』の中間を生きている モーツァルトが比類なく優美に音にしたのは、まさにこのファジーな領域だ。カッコいい名曲、ハイにしてくれる名曲、悲しい名曲は数多い。しかし つかみどころのない『悲しいけれどうれしい』や『うれしいけど悲しい』を作曲し得たのは、音楽史でただ一人、モーツァルトだけである

そして、「『楽しいのに寂しい』例としてただ一つ挙げるとすれば」として「ピアノ協奏曲 第25番 ハ長調 K.503」の冒頭を挙げています

「第1楽章は、壮麗としかいいようのない輝かしい全楽合奏で始まる 力にみなぎり、歓声に包まれて、待ちに待った胸躍る時間が始まる・・・しかし ものの30秒もしないうち、潮が引くように全楽合奏の歓呼は遠のき、さきほどまで光輝いていた太陽の前を雲が通り過ぎ、音楽に影が差し込む 短調の木管の短いパッセージがそれだ。このかすかな不安は瞬く間にただならぬ胸騒ぎとなって、いてもたってもいられなくなったかのように、ヴァイオリンが短調で駆け出していく 『あの人はどうしている? 大丈夫だろうか・・?』ーそんな不安に音楽がとらえられる だが程なくして安堵が訪れる。『ああ・・無事でよかった!」といわんばかりに、今度こそ一点の曇りもない歓喜が爆発する 音楽は冒頭にも勝る力強さでもって幸福を歌い上げる。祝典は果てしなく続く。ここまでわずか1分 なんという感情の陰影、なんという速度、なんという流麗

実際にCDで聴いてみると、著者の解説が手に取るように分かります 著者は巻末で「これだけは聴きたいモーツアルト名演奏」として9つの名曲を紹介していますが、この曲についてはダニエル・バレンボイムのピアノ独奏、オットー・クレンペラー指揮ニューフィルハーモニア管弦楽団によるCD(1967年録音)を挙げています

 

     

 

第4章「失意は天才少年の宿命」の中では、音楽の表現内容の点で、それまでになかった『大人の男の顔』が表れている音楽の例として「セレナーデ ニ長調K.320(ポストホルン・セレナーデ)」の第5楽章「アンダンテ」を挙げています この曲はパリへの就活旅行がうまくいかず、悄然とザルツブルクに戻ってきてた1779年に書いた作品です

「素晴らしく壮大な第1楽章の序奏は、翳りをみじんも感じさせない そしてテンポが速くなってからの力にみなぎった疾走。これまでモーツァルトはこれほどまでに骨太な音楽を書いたことはなかった。底抜けに明るく、人生の成功への圧倒的な自信をみなぎらせる青年が、ここにはいる ところが、この翳り一つない青空は、5楽章で突如として死の闇に覆われる ここで描かれているのは墓場の音楽だ。『ドン・ジョバン二』の地獄落ちの場面に酷似した、渦巻くようなヴァイオリンの不気味な音型が出てくる。パリでの母親の死のことが脳裏によぎったか?」

そして、「さらにもう一つ、『ポストホルン・セレナーデ』にはモーツァルト固有のきわめて特徴的な筆運びが見られる」として、次のように書いています

「生と死が交錯する様の、唐突といいたくなるような急旋回である 死臭のする5楽章の後、まるで何ごともなかったかのように、6楽章で音楽はふたたび壮大な生の歓びに立ち戻るのである そしてフィナーレの7楽章では傲慢なまでに奔放な生の賛歌が歌い上げられる

この曲も、実際にCDで聴いてみると著者の言わんとするところが良く理解できます もっとも 著者の指摘を待つまでもなく、「光と影の交錯」はモーツァルトの音楽の大きな特徴です   

著者はこの曲の名盤について、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団による演奏(1969年録音)を挙げています 私はかねがねこの演奏こそベストだと思っていたので嬉しく思いました

 

     

 

第6章「『天才』とは何か」の中で、著者は次のように書いています

「大司教に対するモーツァルトの不遜とも思える態度を見ても、彼が『自分は特別』と思っていたことは明らかだろう モーツアルトは自分の才能を確信していて、ウィーンに行きさえすれば、勤め人にならずとも、多くの仕事を直接とれると考えていた。今風にいえば、『フリーでやっていける』と思った ただし、大司教との大喧嘩や父親の無理解を、『世間の凡人に天才の価値はわからないものなのだ』というストーリーに押し込めてしまってはいけない ある意味で大司教も父親も当時としては当然のことをし、当然のことをいっただけなのである。つまり18世紀において音楽家は仕立て屋や料理人と同じ『職人』、つまり勤め人として頼まれた仕事を為すものであった 勤め先はたいてい教会か宮廷と決まっていた。『自分を表現する』といった発想はほとんどなく、重要なのは何より、頼まれた仕事をきちんとすることだった 『アート』という言葉には2種類の意味がある。『技(技術)』と『芸術』だ。『職人芸』が近代に入って われわれが考える『芸術』へと転義されたと考えていいだろう     では『職人』と『芸術家』の違いとは一体何だろうか?   簡単にいえば、それは『署名』の有無である。作曲家が『芸術家』になったのは19世紀、ベートーヴェン以後のことである。ベートーヴェンは特定の貴族や教会に一度も奉公しなかったし、もちろん何人もの有力貴族のパトロンはいたにせよ、そのありようは従来の正反対で、ベートーヴェンは貴族たちを自分のパトロンとして奉仕させたのだともいえる     勤め人にもならず、『オレの音楽』だけでフリーとして食っていけた最初の一人、それがベートーヴェンだった。モーツアルトは1756年、ベートーヴェンは1770年の生まれだから、モーツアルトはベートーヴェンよりおよそ1回り人生の先輩だったということになる     この差は非常に重要で、モーツアルトはまさに音楽家が職人から芸術家になる、ちょうどその過渡期の人だった。『フリーの芸術家』という可能性にいち早く気づき、しかし少し世に生まれるのが早過ぎた人、それがモーツァルトだ

著者のこの見解について、私は若干違うのではないか、と思います 正確に言えば、モーツァルトは「生まれたのが早過ぎ、死ぬのが早過ぎた」(35歳で死去)から、ベートーヴェンのように本格的な「芸術家」として活躍できなかったのだと思います

第11章「『ところで』の奇跡」の中で、著者はモーツアルトの義妹ゾフィー・ハイベル(コンスタンツェの妹)の回想を紹介しています

「あの人はいつも機嫌のいい方でした。でも一番機嫌のいいときでもどこか沈んでいて、人の目をじっと見つめているかと思うと、ふざけた質問だろうがまじめな質問だろうが答えを考えているようにみえるのですが、それでいてまったく別のことをまじまじと考え込んでいるのです

この回想について著者は次のように書いています

「この回想を読むたびに私は、『モーツァルトは2重の時間のなかを生きていたのだ』という思いを強くする ふつうの人間は単一の時間を生きていて、その流れのなかで悲劇や喜劇が起きる。だからこそ そこには移行がある。つなぎがある。しかしモーツァルトの音楽が前提としているのは、生と死という2つの時間のコラージュ的な交錯だ いつも2つの時間が流れていて、それらの前景/後景の関係が何かのはずみでいきなり反転するのである

そして、音楽の気分が予告もなく一変する例として『幻想曲 ニ短調 K.397』を挙げています 実際にCDで聴いてみると、人の顔の表情が目まぐるしく変わるような印象を受けます 急な転調の為せる技ですが、この曲の演奏について著者は「多くの演奏は最初からていねいに作り込み過ぎている。『先のことなんか何も考えていない』というフリをして弾かねばならない」と書いています。なぜなら「これは『幻想曲』であり、モーツァルトの時代にあって幻想曲とは『即興曲』のことだったのだから」としています

著者はこの曲の演奏としてフルードリヒ・グルダによるライブDVDを名演奏として挙げています 私は持っていないので内田光子によるCDで聴きました

以上、私が「これだけは」と思った章を中心にご紹介してきましたが、まだまだ興味深い章はたくさんあります 是非、本書を手に取ってお読みになることをお勧めします

ちなみに一昨日(2021年1月27日)はモーツァルトの265回目の誕生日でした このブログを書くに当たり、この数日間は 上の文章に登場した音楽を中心に何曲かまとめてモーツァルトを聴きました モーツァルトは何を聴いても天才を感じます

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ロシア・クラシック・アニメを観る 〜 ロマン・カチャーノフ監督「ワニのゲーナ」他、ユーリー・ノルシュテイン監督「25日・最初の日」他〜ショスタコーヴィチ「交響曲第12番”1917年”」も流れる

2021年01月28日 07時20分55秒 | 日記

28日(木)。わが家に来てから今日で2310日目を迎え、米上院本会議は26日、トランプ前大統領の弾劾裁判の合憲性について採決を求める動議を反対多数で否決、トランプ氏に有罪判決をくだすのに必要な共和党からの同調者が17人には届かなかった  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     腰抜け集団・共和党はトランプ党に改名した方がいい  人気だけは誰も敵わないし

 

         

 

昨日、夕食に「親子丼」「生野菜サラダ」「舞茸の味噌汁」を作りました あとは娘が漬けた「キュウリのぬか漬け」です。親子丼は栗原はるみ先生のレシピですが、2人分作るのに1人前ずつ作るのがミソです

 

     

 

         

 

昨日、早稲田松竹で「ロシア・クラシック・アニメ傑作選」2本立てを観ました

前半はロシア史上最も愛される人形劇「チェブラーシカ」をもとにロマン・カチャーノフ監督が製作した短編作品6本です 「ミトン」(1967年・10分)、「ママ」(1972年・10分)、「ピオネールになりたい!」(1971年・20分)、「レター」(1970年・10分)、「シャパクリャク」(1974年・20分)、「ワニのゲーナ」(1969年・19分)です チェブラーシカとは何の動物か不明な生き物で、こんな姿をしています

 

     

 

上映作品の中で日本でも人気のあるのは「ミトン」とのこと これは、子犬を飼うのを母親に反対された少年に起こる奇跡をファンタジックに表現した作品ですが、どこの家庭でもありそうなテーマを題材にしてペーソスを誘います

 

     

 

後半はユーリー・ノルシュテイン監督による傑作選です 「25日・最初の日」(1968年・10分)、「キツネとウサギ」(1973年・10分)、「霧の中のハリネズミ」(1975年・10分)、「ケルジェネツの戦い」(1971年・10分)、「アオサギとツル」(1974年・10分)、「話の話」(1979年・29分)の6本です

この中で一番衝撃的なのは「25日・最初の日」です これはユーリー・ノルシュテインがロシア・アヴァンギャルド・アートに着想を得た記念すべき監督デビュー作品です 「25日」とは、ロシア旧暦で1917年10月のロシア革命最初の日に当たる日です 風になびく赤旗に浮かぶのは「すべての権力をソビエトへ!」です そこにレーニンの顔が被さり、静かな広場に怒りに満ちた民衆が押し寄せ、資本家・貴族・ブルジョアら支配階級を打ち負かす様子が描かれています 画面のバックには一貫してショスタコーヴィチ「交響曲第12番『1917年』作品112」の煽情的な音楽が流れます

「ケルジェネツの戦い」のケルジェネツとは河の名前で、西暦988年にこの河のほとりであったロシアとタタールの戦争を描いています この作品では、リムスキー・コルサコフの同名の間奏曲「ケルジェネツの戦い」が使用されています

ロシアの古い映画の音楽というと、やっぱりショスタコーヴィチかリムスキー・コルサコフが定番ということになるのでしょうね

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岩井俊二監督「スワロウテイル」&「花とアリス」を観る 〜 新文芸坐

2021年01月27日 07時40分31秒 | 日記

27日(水)。小型CDプレーヤー、DENONのDCD-50SPがまたしても、ディスクを呑み込んだまま出てこなくなってしまいました 今回 餌食になったのはケルテス指揮ロンドン響によるドヴォルザーク「交響曲第8番」のディスクです 仕方ないので重い機器を抱えて池袋Bカメラに修理に持っていきました。これで修理依頼は4回目です 昨年の5月に購入してから約8か月間で4回の修理は、もう欠陥商品そのものです こうなったら何回故障するか記録を作ろうかと思っています。嘘ですけど。わざと壊すわけではないので 一方、一昨日はDソンの掃除機が急に赤い点滅を始め、スイッチを入れても全く動かなくなってしまいました 同社のアフターサービスに電話をしたら、赤の点滅が11回以上続く場合はバッテリーの不具合だということで、バッテリー交換が必要(約9千円)とのことでした ところが、新型コロナの影響で海外からの部品の納入が遅れていて1か月以上先になるといいます なお、新しい機種に買い替えれば40%引きになるといいます。現在の機種は3年半使ったので、この際思い切って買い替えることにしました。40%引きとはいえ4万円近くするので決して安くありません それにしても、電気機器って一つが壊れると不思議と別の機器も壊れるのはどういう因果関係があるのでしょうか

ということで、わが家に来てから今日で2309日目を迎え、米ワシントン・ポスト紙は23日、トランプ前大統領の過去4年間の発言について、内容を検証して信憑性を評価する「ファクトチェック」をした結果、同氏は3万573回の虚偽や誤解を与える主張をしていたと報じた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     30,573  ÷(365✕4)≒  21  で1日平均21回フェイクを流していた計算になるぜ

 

         

 

昨日、夕食に「ビーフカレー」と「生野菜とアボカドのサラダ」を作りました 牛肉はいつも通りバラ肉を使いました カレーにはワインですね

 

     

 

         

 

昨日、新文芸坐で「スワロウテイル」と「花とアリス」の2本立てを観ました

「スワロウテイル」は岩井俊二監督・脚本による1996年製作映画(149分)です

「円」が世界で一番強かった時代。一攫千金を求めて日本にやってきた外国人たちは、街を”円都(イェン・タウン)”と呼び、日本人たちは住み着いた違法労働者たちを”円盗(イェン・タウン)”と呼んだ。この映画はそんな円都に住む円盗たちの物語 少女・アゲハ(伊藤歩)は、円都の娼婦であり唯一の肉親の母が死んでしまい、行き場がなくなる 母の同僚の無責任な大人たちにたらい回しにされる中、娼婦グリコ(CHARA)の元に引き取られる。胸に蝶のタトゥーをつけ美しい歌を歌うグリコは、それまで名前がなかった彼女に”アゲハ”という名前を付ける グリコもまた”円”を夢見て上海から日本にやってきた円盗だった。彼女の周囲にいるのも、彼女と同じように円を求めて日本にやってきた円盗たちだった。アゲハが彼らと共に過ごして数日が経ったある日、アゲハを強姦しようとしたヤクザをアゲハの仲間が誤って死なせてしまう ヤクザの体内には偽1万円札造りの磁気データが記録されたカセットテープが入っていた 彼らはひょんなことから一攫千金のチャンスを得た データをもとに作った偽札で儲け、グリコは歌手としての道を歩むが、悪事はいつまでも続かなかった

 

     

 

実に不思議な映画でした。それは登場人物たちが日本語、英語、中国語を話すという無国籍風の会話によるところが大きいと思います アゲハたちは千円札を切り張りして1万円札の幅と同じになるように加工した偽札を「両替機」に入れて千円札10枚をゲットするという違法行為で金を集めますが、小学生に偽札を両替させて金を集めるシーンが問題となり、映倫のR指定となったとのことです 「スワロウテイル」というのは「スワロウ=つばめ」の「テイル=尾」の形をした蝶々のことを意味しており、グリコの真似をしてアゲハが胸に刻んだ蝶々のタトゥーを指しています 映画の舞台は日本のどこかの架空の街ですが、東南アジア諸国から来日して円を稼ぎ、本国の家族に送金する人々の姿は、1996年も2021年も変わりません

 

         

 

「花とアリス」は岩井俊二監督による2004年製作映画(135分)です

アリス=有栖川徹子(蒼井優)と花=荒井花(鈴木杏)は幼馴染でいつも一緒に行動する仲良し 2人は電車の中で宮本雅志(郭智博)を見かけるが、花は彼に一目ぼれしてしまう     彼をストーキングした花は、彼が手塚高校の生徒だと知る。4月、アリスと花は手塚高校に入学するが、花は宮本が所属する落語研究会に入部する     花は宮本を記憶喪失だと思い込ませて恋人に成りすます。花は宮本とデートしているところをアリスに見られるが、アリスは宮本にことを覚えていなかった    しかし、ほっとしたのもつかの間、自分の家に宮本を招いた花は、パソコンに入れてあった大量の宮本の写真を本人に見られてしまう     そして、その写真はアリスが撮ったものだと、とっさに嘘をついてしまう なぜか宮本はアリスのことを好きになってしまう     アリスは上手くかわすものの、3人の間には微妙な空気が流れ始める     一方、花と一緒に祭りにいった宮本だったが、そこでアリスの幻覚を見て卒倒してしまう     宮本を家に担ぎ込んだ花は、宮本のために薬を買いに行き、その途中、土砂降りの雨の中でバレエを踊る人の姿を見る。それはアリスだった ついに3人の関係はこじれ始める。3人で遊びに行った海で、トランプ・ゲームをキッカケに花とアリスは宮本を取り合い、取っ組み合いの大喧嘩をしてしまう    文化祭の日、宮本がアリスを好きなことに気が付いた花は、高座の舞台袖で自分の恋を諦めることを宮本に告げる   しかし、宮本は花のことを受け入れるのだった。そして花は高座に上がった。観客がいなくなった客席には一人、アリスの姿があった

 

     

 

これは面白い映画でした 何と言っても、蒼井優と鈴木杏の2人のキャラが立っていて可笑しい いかにも女子高生の会話が楽しく思わず笑ってしまいます 昨年「スパイの妻」で名演技を見せた蒼井優は、この頃すでに素晴らしい演技力の持ち主だったことに気が付きました

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東京都交響楽団から2021年度会員券発売案内届く / 井岡瞬著「赤い砂」を読む ~ 自殺の連鎖を引き起こすウィルスを追う / 新大久保駅の韓国人留学生事故死から20年

2021年01月26日 07時20分04秒 | 日記

26日(火)。昨日の朝日夕刊第1面に「人の命のために彼は行動した 新大久保駅  韓国人留学生事故死20年」という見出しの記事が載っていました 東京のJR新大久保駅で韓国人留学生の李秀賢さん(当時26)が線路に落ちた日本人を助けようとして死亡した事故から 26日で20年となるーという内容です

今から20年前の2001年1月26日、私は大久保駅の現場を見ています 当日は東京フィルハーモニー交響楽団と新星日本交響楽団が合併して新生東京フィルとして生まれ変わる最初の記念すべきコンサートの日でした 渋谷のオーチャードホールで 沼尻竜典の指揮によりマーラー「交響曲第2番”復活”」が演奏されました     その帰り、山手線外回りの電車で巣鴨に向かったのですが、電車が新大久保駅に到着したら、ホームが騒然としていて、ホームの一角がブルーシートで覆われおり、警察官が人の整理をしていました その時は何があったのか全く分からなかったのですが、家に帰ってからテレビのニュースを観てその事故を知りました 日本人を助けるために韓国人の若者が犠牲になった事故と、2つのオケが合併して新たな道を歩もうとする記念すべきコンサートが同じ日に重なったことが、私の記憶の中に深く刻まれました 日韓関係が冷え込む中、あれから20年も経ったのか、と感慨深いものがあります

ということで、わが家に来てから今日で2308日目を迎え、新型コロナウイルスの収束が見通せない中、東京都千代田区と同区観光協会は、3月下旬から4月上旬に皇居近くの千鳥ヶ淵で開く「千代田のさくらまつり」の開催中止を決めるなど、早くも今春の花見に「自粛ムード」が漂っている  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     お酒を飲まずに花見すればいいんじゃない?  さくら  それを言っちゃあおしめえよ

 

         

 

昨日の夕食は「みそ鍋」にしました 材料は豚バラ肉、牛バラ肉、鶏肉団子、キャベツ、しめじ、モヤシ、豆腐です。寒い夜は鍋に熱燗ですね

 

     

     

 

         

 

昨日、東京都交響楽団のチケットを2枚取りました 1枚目は2月11日(木・祝)14時からサントリーホールで開催される「第390回プロムナードコンサート」です オール・ベートーヴェン・プログラムで①ウェリントンの勝利(戦争交響曲)、②ヴァイオリン協奏曲、③交響曲第8番です ②のヴァイオリン独奏=金川真弓、指揮=川瀬賢太郎です

2枚目は2月22日(月)18時から東京文化会館で開催される「都響スペシャル2021」2月度公演です プログラムは①ブラームス「アルト・ラプソディー」、②マーラー「交響曲第4番」です ①のメゾソプラノ独唱=藤村実穂子、②のソプラノ独唱=中村絵里、指揮=大野和士です 20日に私の好きなサントリーホールで同一プログラムによる公演があるのですが、この日はオペレッタの映画を観るので、22日の方を選びました 東京文化会館大ホールで聴くのは一昨年の「東京春祭」以来2年ぶりくらいだと思います

 

         

 

東京都交響楽団から「2021年度会員券についてのご案内」が届きました それによると、「新型コロナウイルス感染症の影響を受け、未だ全ての座席を販売できない状況が続く中、現段階では2021年度の会員券の継続手続きや、新規販売は行わない 4月から7月までの定期演奏会は1回券のみ販売する。発売日・金額は決まり次第、都響WEBサイトで通知する。9月以降の公演については6月ごろに改めて案内する」としています

 

     

 

じつに面倒な話ですが、7月までは毎月、翌月の公演案内が届いて、その都度申し込みをすることになります シーズン・チケットの販売については、東京フィル、東京交響楽団、読売日響のように従来通り1年分のチケットをまとめて販売する楽団と、都響のようにしばらくの間は小刻みに販売する楽団とに対応が分かれるようです

ところで、都響の2021年度のラインアップは下の通りですが、私にとっては大規模編成による管弦楽曲が揃っていて会場がサントリーホールのBシリーズが最も魅力的です 会員継続案内が届いた時は、迷わずBシリーズを申し込むつもりです

 

     

 

         

 

井岡瞬著「赤い砂」(文春文庫)を読み終わりました 井岡瞬は1960年、東京都生まれ。2005年「いつか、虹の向こうへ」で第25回横溝正史ミステリ大賞とテレビ東京賞をW受賞して作家デビュー 2014年刊行の「代償」は累計50万部を突破するベストセラーになった

国立疾病管理センター職員の阿久津久史が電車に飛び込んで自死した その2週間後に、阿久津を轢いてしまった電車の運転手・早山郁雄が自宅で包丁を振り回したあげく、外に飛び出してトラックに撥ねられ死亡した その同じ日、阿久津の現場検証に当たった警視庁戸山署刑事課鑑識係の工藤智章が同僚の拳銃を奪ったうえ自らを撃って死亡した さらに工藤に拳銃を奪われ左肩に被弾した交通課の山崎浩司巡査も錯乱して非常階段から飛び降りて自死した 何が原因で自殺の連鎖が続くのか、工藤の親友で戸山署刑事課の巡査部長・永瀬遼が事件の真相を追う中、大手製薬会社・西寺製薬に「赤い砂を償え」という脅迫状が届く 犯人は何の目的で脅迫状を送ったのか・・・事件の裏には「アレナ・ルブラ」(赤い砂)と呼ばれるウィルスが存在していたことが判明する このウィルスは「感染後3日くらいで発熱、悪寒、咳などの症状が、感染約2週間後に幻覚、幻聴、自傷行為などの症状が発症し、場合によっては他者を傷つけ、ついには自死行為に至る」というもので、「経口感染、飛沫感染、直接摂取感染などによって感染が広がって行く」というものだった 永瀬は「赤い砂」による自死連鎖事件の真相を突き止めるために奔走するが、自らも”赤い砂”の症状が表れていることに気が付く

 

     

 

この作品は「2000年代初頭、発症すると錯乱し破滅的行動の果てに自死する恐るべきウィルスの感染症が、東京において発生した」という物語です 井岡氏がこの作品を書いたのは、2年弱の間に感染者2万8000余人、死者1千人を超えた「エボラウィルス」が世界的に蔓延した2014年の10年以上前の2003年でした 2020年6月に、文藝春秋社の人との会合で「実は大昔、ウィルスの話を・・・」と話したところ、「そんなものがあるなら、すぐに読ませてほしい」と言われ、17年前に書いた原稿を古いハードディスクから探し出して、手直しもせずに送信したら、その翌日に「年内に、文春文庫から”緊急出版”という形で出させてください」という返信があったとのことです そういうことで、いきなり文庫で出版となったというわけです

「あとがき」の中で著者が述べているように、出版にあたっては、文体や事実関係、時系列の不整合などは細かく手直ししたものの、「2003年当時に知り得た知識、存在した技術以外を織り込まない」というルールを自分に課して書き上げたとのことです 当時はインターネットによる検索技術が現在ほど発達していなかったので、とくにウィルスの知識を獲得するのに苦労しながら相当勉強したようで、その成果が作品の中で披瀝されています もちろん、この作品はウィルスが主役になっていることから「ワクチン」の話も出てきますが、著者は「昨今『ワクチン万能』のような風潮があるが、開発に膨大な手間と費用がかかることを度外視しても、『ごくまれな例外を除けば感染前に打たなければ効かない』『ウィルスごとに作らねばならない』などの課題がある。したがって、インフルエンザのように変異するウィルスには、毎年新種のワクチンを生産し打たねばならないし、一部には『打たないよりましな程度』という意見もある」と書いています まさに今、世界中に蔓延している新型コロナウイルスにも共通する課題ではないかと思います

本書は「ウィルスを間違って扱うととんでもない連鎖反応を引き起こす可能性がある」ということを教えてくれます この作品を読んで思うのは、ウィルスに対しては「正しく恐れる」姿勢で臨まなければならない、ということです それはインフルエンザに対しても、新型コロナウイルスに対しても同様だということです

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下野竜也 ✕ 南紫音 ✕ 東京交響楽団でベルク「ヴァイオリン協奏曲」、ベートーヴェン「フィデリオ序曲」「レオノーレ序曲 第1,2,3番」他を聴く / ヤマザキマリさん「メンタル面に栄養を」

2021年01月25日 07時16分29秒 | 日記

25日(月)。昨日の朝日朝刊 国際面に 漫画「テルマエ・ロマエ」の作者で、イタリア人の夫を持つヤマザキマリさんのインタビュー記事が載っていました   超訳すると、

「イタリアにいる夫とは1年以上会えていない。観光に依存する国だが、ロックダウンの判断は早かった  『命が大事。お金は生きていれば何とかなる』とみな従った。しかし、国によって対応が違うのは自然。一人暮らしが多い日本で罰則付きのロックダウンをしたら、悩んで自殺する人も出るかもしれない     ロックダウンは人を精神的に不安定にさせる。イタリアでも離婚やアルコール依存症、うつ病になる人が増えた     映画を観たり音楽を聴いたり、メンタル面の栄養を入れていくのは大事だ    状況を見極めるため、自らの頭で物事を考える訓練も怠ってはいけないと感じる    人間は精神にも栄養を与えなければ、総合的な健康維持も社会の安定も保てない生き物だということを忘れてはならないと思う

映画を観たり音楽を聴いたりすることは「不要不急」ではなく、ヤマザキさんの言う「メンタル面の栄養」になるという点で「大事なもの」です これからも自分の体は自分で守ることを前提に、メンタル面の栄養を取り入れるためにも映画館に、コンサートに通うつもりです

ということで、わが家に来てから今日で2307日目を迎え、トランプ前大統領の時代にホワイトハウスの大統領執務室に設置されていた「赤色のボタン」がバイデン大統領の就任後に撤去されたとして話題になっているが、これは、押せばトランプ大統領の好物の「ダイエットコーク」が執務室に運ばれてくるボタンだった  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     トランプの傲慢さを象徴するボタンだけど つくづく「核兵器」用でなくて良かった

 

         

 

昨日、18時15分からミューザ川崎シンフォニーホールで東京交響楽団の第680回定期演奏会を聴きました これは当初、昨年5月30日に開催される予定だったものがコロナ禍の影響で日程が延期され、会場もサントリーホールからミューザ川崎に変更されたものですが、さらに 政府による緊急事態宣言を受けて、開演時間が45分間繰り上げられました    プログラムは①ボッケリーニ(ベリオ編)「マドリードの夜の帰営ラッパ」、②ベルク「ヴァイオリン協奏曲 ”ある天使の思い出に” 」、③ベートーヴェン「フィデリオ」序曲、④⑤⑥同「レオノーレ」序曲第1番、第2番、第3番」です  ②のヴァイオリン独奏=南紫音、指揮=下野竜也です

チラシの謳い文句は「Bに捧ぐ」です。ボッケリーニ(ベリオ編)、ベルク、ベートーヴェンとすべてBで始まります。こだわりの下野らしいプログラミングですね そういえば東京交響楽団は前日、「トスカ」の初日公演で新国立劇場のオーケストラ・ピットに入っていました 東響は ずいぶん人使いの荒いオケですね    でもコンサートができなくて困るよりも、多少忙しくても演奏できる方が良いに決まっていますね

自席は2RB5列7番、2階右サイドブロックの右通路側です 会場はやっと3割といったところでしょうか サントリーホールでの定期会員が、川崎に会場変更になったことにより払い戻しが多かったのかもしれません

楽団員が配置に着きます オケは左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという いつもの東響の並び。コンマスはグレヴ・二キティン(前日のオペラ公演は水谷晃)です  弦楽奏者は全員がマスク着用です

 

     

 

1曲目はボッケリーニ(ベリオ編)「マドリードの夜の帰営ラッパ」です    今野哲也氏のプログラムノートによると、この曲はルイジ・ボッケリーニ(1743‐1805)が1780年に作曲した「弦楽五重奏曲G324」(Gはジェラールの作品整理番号)の第5楽章「リティラータ」の通称とのことです それをルチアーノ・ベリオ(1925‐2003)が管弦楽用に編曲した作品です

下野の指揮で演奏が開始されます 曲は、軍楽隊が次第に近づき、やがて兵舎に戻って行くまでの様子を表しており、冒頭、小太鼓の刻みによってボレロ風の音楽が奏でられ、次第に楽器が増えて音が大きくなり、また、次第に音が小さくなっていきます これは非常に面白い曲でした

2曲目はベルク「ヴァイオリン協奏曲 ”ある天使の思い出に” 」です    この曲はアルバン・ベルク(1885‐1935)がアメリカのヴァイオリニスト、ルイス・クライスナーの委嘱を受けて1935年に作曲、1936年4月にバルセロナで初演されました この曲の作曲中に、マーラーの未亡人アルマが再婚でもうけた娘マノンが19歳の若さで急逝したのを悼み、「ある天使の思い出に」と献辞を付けて贈りました 曲は第1部「アンダンテ ~ アレグレット」、第2部「アレグロ ~ アダージョ」の2部構成になっています

ソリストの南紫音は北九州市生まれ。2005年10月、ロン=ティボー国際音楽コンクールで第2位、2015年にはハノーファー国際ヴァイオリン・コンクールで第2位に入賞しています

南紫音が黒を基調としシルバーを配した鮮やかな衣装で登場、下野の指揮で演奏に入ります 曲は12音技法で書かれているので、私にとっては超苦手の音楽なのですが、南の緊張感の途切れない集中力に満ちた演奏には、思わず引き込まれました 下野の明確な指揮がソリストの名演に大きく貢献しました とくにフィナーレの演奏は、マノンが天に昇っていくような高揚感を感じました

 

     

 

プログラム後半は ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770‐1827)の唯一の歌劇「フィデリオ」のために作曲された4つの序曲です 1つのコンサートでまとめて序曲4曲を演奏しようとするのは、いかにも下野竜也らしいプログラミングです 岡田安樹浩氏のプログラムノートによると、4つの序曲は次のような順番で作曲されたようです

①1805年「レオノーレ序曲 第2番 作品138」 =  「フィデリオ」初演の際の序曲

②1806年「レオノーレ序曲 第3番 作品72a」 = 「フィデリオ」を「レオノーレ」と改訂して上演した際の序曲

③1806~07年「レオノーレ序曲 第1番 作品72b」 =  プラハ上演のための序曲として作曲したが演奏は実現せず

④1814年「フィデリオ序曲 作品72」 = 「フィデリオ」に再改定して上演した際の序曲

複雑ですね この日は①フィデリオ序曲、②レオノーレ序曲:第1番、③同:第2番、④同:第3番の順に演奏されました

大雑把に言うと、レオノーレ序曲のうち第1番はトロンボーンが使用されていません また、第2番と第3番は楽曲展開が似ているのに対し、第1番はかなり異なります また、第2番と第3番では、オペラの中のシーンでフィデリオとフロレスタンが刑務所長のドン・ピツァロに追い詰められたところで、2人を救う大臣の到着を告げる信号ラッパを表すトランペットのファンファーレがどこからともなく鳴り響きます 本公演ではステージ左袖の扉が開かれ、舞台裏で吹いたトランペットの音が聴こえてきました

演奏で特に良かったのはフルート首席の相澤政宏、オーボエ首席の荒絵理子、ファゴット首席の福士マリ子の演奏です そして、何よりも下野竜也のメリハリの効いた気持ちの良い指揮ぶりが冴えていました 聴衆こそ少な目でしたが、下野 ✕ 東響の熱演に満場の拍手を送りました

終演後、下野氏から今月いっぱいで退団するオーボエ奏者・篠崎隆氏と女性2名(Vn、Va)に花束が贈られ、聴衆と楽団員から大きな拍手が送られました こういう風習はいいですね

 

     

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新国立オペラでプッチーニ「トスカ」初日公演を観る 〜 キアーラ・イゾットン、フランチェスコ・メーリ、ダリオ・ソラーリにブラボー!

2021年01月24日 07時25分32秒 | 日記

24日(日)。わが家に来てから今日で2306日目を迎え、今夏に延期された東京五輪・パラリンピックの観客数について、政府、東京都、大会組織委員会はIOCからの要請により「上限なし」「50%」「無観客」の3案を想定していることが分かったが、東京都医師会の尾崎会長が今月中旬 朝日新聞に取材に応じ、大会計画では医師や看護師ら計1万人以上が競技場や周辺の救護所で選手や観客の医療に当たることになっていることを踏まえ、「いろんな国から人を呼び、世紀の聖典をやろうという発想は捨てないと無理」と厳しい認識を示し、「選手のことを思えば、開催できたらいい。五輪の本来の目的は、選手が集まり、競技できることだろう。そこに目標を置くなら、無観客から議論を始めるべきだ」と述べた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     感染状況が収まらない中で医療従事者が五輪に取られたら国民の命は誰が守るのか

 

         

 

昨日、新国立劇場「オペラパレス」でプッチーニ「トスカ」のプルミエ(初日)公演を観ました   キャストは、トスカ=キアーラ・イゾットン、カヴァラドッシ=フランチェスコ・メーリ、スカルピア=ダリオ・ソラーリ、アンジェロッティ=久保田真澄、スポレッタ=今尾滋ほか。管弦楽=東京交響楽団、合唱=新国立歌劇場合唱団、児童合唱=世田谷ジュニア合唱団、指揮=ダニエル・カッレガーリ、演出=アントロネッロ・マダウ=ディアツです

新国立オペラの「トスカ」は全てアントロネッロ・マダウ=ディアツによる同じ演出ですが、私が「トスカ」を観るのは2000年、2002年、2003年、2009年、2012年、2015年、2018年に次いで、今回が8回目です それだけ演出・舞台が優れています

 

     

 

時は1800年6月。オーストリア支配下のローマ共和国の画家カヴァラドッシは、脱獄した友人アンジェロッティを匿った罪で捕らえられる トスカを我が物にしようと狙う警視総監スカルピアは、トスカの面前で恋人カヴァラドッシを拷問し、命を救う代償として体を要求する トスカは取引に応じ、カヴァラドッシを形だけの死刑とする約束を取り付け、出国許可証を手にするが、偶然手にしたナイフでスカルピアを刺し殺す 明け方、見せかけのはずの絞首刑が行われるが、カヴァラドッシは本当に銃殺されて死んでしまう 失望したトスカは「おお、スカルピア、神様の御前で!」と叫び城の上から身を躍らせる

 

     

 

今回、新国立劇場から与えられた席(席は自分で選べない)は2階3列34番、センターブロック右通路側です A席ですが、S席に近い条件の良い席です 会場は驚くべきことに、感染予防のため空席となっている1階前方の2列を除き、9割以上の観客が入っています 新型コロナウイルス感染の拡大を受けて世界中のオペラ劇場が閉鎖される中で、こうした状況はとても信じられない出来事ではないか、と思います しかし、主催者側は入場時の体温チェック、手指のアルコール消毒などを施し、聴衆は全員マスク着用を義務付けられるなど、徹底的なコロナ対策が施された上で上演されていることを忘れてはなりません この日 会場に集まったのは、オペラは「不要不急なこと」ではなく、「大事なこと」だと考える人々だったと言えるでしょう

さて、このオペラには「序曲」がありません いきなりスカルピアを暗示するテーマで幕が開きます ダニエル・カッレガーリ指揮東京交響楽団の集中力に満ちた演奏が、一気にトスカの世界に誘います

このオペラの悲劇たる由縁は、ヒロインであるトスカの嫉妬心が基になっています 第1幕でスカルピアがアンジェロッティの妹アッタヴァンティ夫人の扇子を見つけると、彼は「イヤーゴはハンカチを使って男心をかき乱す嫉妬心を煽った。自分は扇子を使う」と語り、カヴァラドッシがアッタヴァンティ夫人と密会しているように思わせトスカの嫉妬心を煽ります ヴェルディの歌劇「オテロ」における悪役イヤーゴの陰謀を応用したわけですね

ヒロインのトスカを歌ったキアーラ・イゾットンはイタリア・ベッルーノ生まれのソプラノですが、艶と深みのある力強い歌唱で聴衆を魅了しました とくに第2幕のアリア「歌に生き、愛に生き」は、わざとらしさのない自然な演技でトスカの悲しみを歌い上げ、聴いていて鳥肌が立ちました

カヴァラドッシを歌ったフランチェスコ・メーリはイタリア・ジェノヴァ生まれのテノールですが、無理のない美しい高音が魅力で、声に力があります 第1幕でトスカを讃えるアリア「妙なる調和」、第3幕で歌うアリア「星は光りぬ」を感動的に歌い上げました

スカルピアを歌ったダリオ・ソラーリはウルグアイ出身のバリトンですが、魅力のある声質で悪役を歌い演じました 私がこのオペラで一番好きなのは、第1幕フィナーレで、「テ・デウム」が演奏される中、スカルピアが悪辣な心情をアリア「行け、トスカ」で吐露し、荘厳な合唱と悪辣な心の両極が融合されて演奏されるシーンです 音楽が素晴らしく、荘厳な演出が素晴らしい このシーンはいつもワクワクします

なお、2月に上演予定の「フィガロの結婚」でフィガロを歌う予定だったフィリッポ・モラーチェがコロナ禍の影響で来日できなくなったため、ダリオ・ソラーリが代わりに歌うことになったそうです また、伯爵夫人役はセレーナ・ガンベロ―二に代わり新国立オペラ「夏の夜の夢」でヘレナを好演した大隅智佳子が歌うとのことです

ダニエル・カッレガーリ指揮東京交響楽団は歌手に寄り沿いつつ、時にオーケストラ自ら トスカやカヴァラドッシの心情を歌い上げていました     とくに、第3幕で処刑を前にしたカヴァラドッシの心情を表現したチェロの演奏は深い感動を呼びました

演出上で気が付いたのは、トスカとカヴァラドッシの抱擁シーン以外は、歌手同士のソーシャルディスタンスが取られていたことです

ところで、スカルピアはトスカの目の前でスポレッタに「パルミエリの時のように、見せかけの(方法で)」カヴァラドッシを処刑しろという命令を下し、トスカは「見せかけの処刑だから、カヴァラドッシは死なない」と信じますが、実際には銃で撃たれて死んでしまいます 彼が倒れた後、兵士の一人がトドメを刺そうとするとスポレッタがそれを押しとどめ、そのまま兵を引き上げさせます つまり「パルミエリの時のように」というのは、銃殺はするが、最後のトドメは刺さないという処刑方法だったのです トスカはまんまと騙されたわけです

終演後には、禁止されているブラボーのかけ声の代わりに大きな拍手が会場を満たす中、手をつながないカーテンコールが繰り返されました いつになったら”普通の”カーテンコールが出来るようになるのでしょうか

最後に苦言をひとつ 「トスカ」のプログラム冊子13ぺ―ジの「聴きどころ」の「第1幕  聖アンドレア・デッラ・ヴァッレ教会」の下から6行目に「静まり返ったところでスカルピアが堂守を尋問。アンジェロッティが隠れていた礼拝堂から彼の姉アッタヴァンティ侯爵夫人の扇子が見つかると、スカルピアは・・・・」という記述がありますが、「姉」ではなく「妹」の誤りです 単純な誤植だと思いますが、天下の新国立劇場にはしっかりしてほしいと思います

 

     

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バッティスト―二 ✕ 東京フィルでラヴェル「ダフニスとクロエ 第1・第2組曲」、ストラヴィンスキー「火の鳥」を聴く / 午後8時終演なのに補償なし ~ エンタメ界苦境:朝日の記事から

2021年01月23日 07時21分53秒 | 日記

23日(土)。カジモトからのメール配信によると、2月15日(月)開催予定の「大阪フィルハーモニー交響楽団 第53回東京定期演奏会」は、昨今の新型コロナウイルス感染拡大状況を踏まえ、主催者側の判断により開催中止となった、としています 1月23日から払い戻しを行うとのことです これで115件目の払い戻しです。もういや、こんな生活 痛伴生活 

さて、昨日の朝日朝刊 文化・文芸欄に「中止でも時短でも上演でも苦しい 再びエンタメ界苦境」という見出しの記事が載りました 超訳すると、

「新型コロナウイルス感染者増を受け、都市部を中心とした11都府県に今月、再び緊急事態宣言が出された。音楽や演劇の公演、映画館なの観客が集まるエンターテインメント業界への影響も大きく、関係者からは苦境を訴える声が相次いだ 活動を続ける側を悩ませているのが時間と観客数の制約だ。午後8時までの営業時間短縮は飲食店への『要請』とは異なり『働きかけ』。いずれも強制力はないが、後者は応じても協力金は支払われない 一時100%まで認められていた観客が静かなコンサートや演劇公演の収容率も再び50%に制限された 新国立劇場のオペラや東京交響楽団、松竹の歌舞伎公演や宝塚劇場、東宝のミュージカルなどは午後8時までに終演するよう開演時間を繰り上げた これに対し、劇団四季やホリプロなどは、宣言前の発売分にはこうした制限は適用されないという行政側の通達や『時短は協力依頼』との考えに基づき、当初の予定通りに夜公演を行っている

当ブログでもご紹介した通り、東京交響楽団は明日=1月24日(日)開催の第680回定期演奏会の開演時間を午後7時から 午後6時15分へ45分間 繰り上げています   新国立劇場は2月3日の「トスカ」の開演時間を午後7時から5時へ、2月9日の「フィガロの結婚」の開演時間を午後6時半から4時半へ、それぞれ2時間繰り上げています また、東京都交響楽団は2月20日、22日の「都響スペシャル2021」の開演時間を午後6時とし8時には終演するように設定しています 一方、東京フィルは昨夕の2021シーズン第1回目の公演を予定通り午後7時に開演しました(終演時間は下記の通り)。オーケストラによって対応は異なるようです。とくに同宣言解除予定の2月7日までのコンサートを聴く場合は、事前にもう一度開演時間をチェックした方が良さそうです

ということで、わが家に来てから今日で2305日目を迎え、ロシア当局は21日、ドイツから帰国直後に逮捕された反体制派ナワリヌイ氏の陣営幹部らを「違法デモを呼びかけた」として一斉に拘束したと、ロシアの独立系メディア「メドゥーザ」などが伝えた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     言論弾圧を図って 政権指導力を発揮する点で 香港傀儡政権を操る中国と同じだな

 

         

 

昨日、夕食に「チキンステーキ」を作りました 味付けは塩、ブラックペッパー、醤油、砂糖、オイスターソース、日本酒です

 

     

 

         

 

昨夕、サントリーホールで東京フィルの2021年シーズン第1回目=第946回定期演奏会を聴きました   私にとっては久しぶりの年間定期会員復活の記念すべきコンサートです。プログラムは①ラヴェル「ダフニスとクロエ」第1組曲・第2組曲、②ストラヴィンスキー:バレエ組曲「火の鳥」(1919年版)です   指揮はアンドレア・バッティスト―二です

自席は2階LD席ですが、通路側が取れず列の真ん中の席になってしまいました 会場内を見渡してみると市松模様を取らないのに約半分の入りです 新シーズンの第1回目としてはちょっと寂しい気がするな、と思っていると、「本日の公演は休憩がございません」とアナウンスが入りました 「えっ、おれ聞いてないし・・・」と思ってプログラム冊子の注意書きを見ると、細かな字で「本公演に休憩はございません」「お帰りの際には、ご来場者全員のチケットを回収させていただきます」と書かれていました 通常は15分から20分の休憩がありますが、それを省いて時間短縮するということは、緊急事態宣言による「協力依頼」に合わせて早めに公演を終了させるという意図が見えます

 

     

 

拍手の中、オケのメンバーが入場して配置に着きます オケは左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという いつもの東京フィルの並び。コンマスは近藤薫です   が、彼は何故か松葉杖をついて登場しました     足を痛めたか、あるいはぎっくり腰でもやらかしたか、ちょっと心配です

1曲目はラヴェル「ダフニスとクロエ」第1組曲・第2組曲です     「第1組曲」はモーリス・ラヴェル(1875‐1937)がバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)主宰者のディアギレフから依頼されて1911年に作曲した同名のバレエ音楽の第1部終曲から第2部の前半にかけての音楽から編曲、「第2組曲」は第3部の音楽から編曲した作品です   第1組曲は①夜想曲、②間奏曲、③戦いの踊り、第2組曲は①夜明け、②パントマイム(無言劇)、③全員の踊りから成ります
バッティスト―二の指揮で演奏に入りますが、第1組曲と第2組曲が続けて演奏されました 両曲とも木管楽器、とくにフルートが大活躍しますが、第1曲「夜想曲」から一貫して首席の斉藤和志の演奏が素晴らしい バッティスト―二はエネルギッシュな指揮で東京フィルのメンバーから色彩感豊かな演奏を引き出しました

 

     

 

プログラム後半はストラヴィンスキー:バレエ組曲「火の鳥」(1919年版)です この曲はイーゴル・ストラヴィンスキー(1882ー1971)が、ディアギレフの委嘱を受けて1909年から翌10年にかけて作曲、同年パリのオペラ座で初演されたバレエ音楽を組曲に編曲した作品です。組曲には1911年版、1919年版、1945年版があります

良く知られているように、ストラヴィンスキーはディアギレフの委嘱によりバレエ・リュスのために3大バレエ=「火の鳥」(1910)、「ペトルーシュカ」(1911)、「春の祭典」(1913)を作曲し、時代の寵児になりました 第1作の「火の鳥」はロシア民話に基づき、ロシアの民謡に由来するメロディーや複雑なリズムが採用され、当時としては革新的なバレエ音楽となっています この日演奏される1919年版の組曲は①序奏、②火の鳥とその踊り、③火の鳥のヴァリアシオン、④王女たちのロンド、⑤カスチェイの凶悪な踊り、⑥子守歌、⑦フィナーレから成ります

バッティスト―二の指揮で演奏に入ります 序奏におけるチェロとコントラバスのうねりが地響きのように伝わってきます 「王女たちのロンド」におけるオーボエ首席の加瀬孝宏、ホルン首席の高橋臣宣の演奏が素晴らしい またバッティスト―二のタクトによる、直後の「カスチェイの凶悪な踊り」への急展開が鮮やかです 金管楽器の咆哮が際立っていました バッティスト―二は「名刀正宗で竹を切るが如し」、鋭角的な指揮ぶりを見せます フィナーレは新シーズンの幕開けを宣言するかのような華やかな演奏で、東京フィルの底力を存分に発揮しました

終演は午後8時2分でした。ほぼ緊急事態宣言による要請に応えた終了時間でした しかし、終演時間を早めるために休憩時間をなくすというのは、コンサートを聴くという行為の中で余裕をなくすような気がします

 

     

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読響2021‐2022シーズン会員継続手続き完了 / 新国立オペラ研修所修了公演「悩める劇場支配人」のチケットを取る / ジュゼッペ・トルナトーレ監督「海の上のピアニスト」を観る

2021年01月22日 07時20分55秒 | 日記

22日(金)。昨日の朝日朝刊第1面のコラム「天声人語」は今月で没後50年となるフランスのデザイナーのココ・シャネルを取り上げていました コラムは、いかにシャネルが先進的な取り組みで服飾の世界を革新してきたかを語り、最後に次のように結んでいます

「シャネルはこんなことも言っている。『20歳の顔は自然がくれたもの。30歳の顔はあなたの生活が、50歳の顔にはあなた自身の価値が表れる』。シャネルの品々とはおよそ縁のない身だが、鏡に映るおのれの姿にじーっと考え込む

さてさて、50歳をとっくに通り過ぎたわが顔には何が表れているのだろうか

ということで、わが家に来てから今日で2304日目を迎え、ジョー・バイデン氏が20日正午、第46代米国大統領に就任したが、同日午前11時前にトランプ氏はフロリダ州パームビーチの空港に移動、退任後に住む邸宅「マール・ラーゴ」に到着した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     これでやっと「痛めつける政治」から「痛みの分かる政治」へと転換が図られるね

 

         

 

昨日、夕食に「ハッシュドビーフ」と「生野菜とアボカドのサラダ」を作りました ハッシュドビーフは牛バラ肉を使いました。玉ねぎは、これまで みじん切りにしてレンジで7分間チンしてから炒めていたのですが、今回初めてレンジでチンはせず、玉ねぎの形が残るように細切りして即 炒めました    でも 味は変わらないですね

 

     

 

         

 

昨日、読響2021‐2022シーズンの会員継続手続きをしました 現在 私はサントリーホールでの「定期演奏会」の会員ですが、2021‐2022シーズンの「定期演奏会」は 私が苦手とする現代ものが多いので候補から外しました 残るはサントリーホールでの「名曲シリーズ」と 東京芸術劇場コンサートホールでの「土曜・日曜マチネ―シリーズ」です 会場としてはサントリーホールが好きなのですが、毎回のように「協奏曲」が取り上げられる「マチネーシリーズ」が魅力的で、日程的にも他のオケの公演とダブっていないので、「土曜マチネ―」(A席)を選択することにしました 

ちなみに、「マチネ―シリーズ」で取り上げられる協奏曲は、サンーサーンス「ヴァイオリン協奏曲第3番」、シューマン「ピアノ協奏曲」、ドヴォルザーク「ヴァイオリン協奏曲」&「チェロ協奏曲」、プーランク「オルガン協奏曲」、ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第1番」他です また12月度公演では「第九」が演奏されます

 

     

 

         

 

新国立劇場オペラ研修所修了公演、チマローザの歌劇「悩める劇場支配人」のチケットを、アトレ会員先行発売で取りました 3月5,6,7日の3日間のうち7日(日)午後2時開演の部を選びました 同公演は中劇場で上演されますが、毎年楽しみにしているオペラ公演の一つです 今回のチマローザの作品のように、一般のオペラ公演では取り上げられないマイナーな作品を取り上げ、まだオペラ歌手への発展途上にある若い人たちの歌を聴けるのが一番の魅力です

 

     

     

 

         

 

ギンレイホールでジュゼッペ・トルナトーレ監督による1999年製作イタリア・アメリカ合作映画「海の上のピアニスト」(121分:4Kデジタル修復版)を観ました

第二次世界大戦の終戦直後、マックス・トゥ―二―(ブルイット・テイラー・ヴィンス)は愛用のトランペットを金に換えるため楽器店を訪れる 彼は楽器を売った後、店主にもう1度だけ吹かせてほしいと頼む 彼の演奏を聴いた店主(ピーター・ヴォーン)は、同じ曲がピアノ演奏で刻まれたレコードを持ち出し、曲名と作曲者名を訪ねた。するとマックスは「1900(ナインティーン・ハンドレッド)」(ティム・ロス)と呼ばれた男の物語を語り始める 大西洋を往復する豪華客船ヴァージニアン号。その船上で産み捨てられた赤ん坊を拾った黒人機関士のダニー・ブートマン(ビル・ナン)は その子に、自分の名前、捨てられていた箱の名前、生まれた西暦1900年などから「ダニー・ブードマン・T.D.(Thanks Danny)レモン・1900」と名付けて大事に育てる しかし、ダニーは1900が8歳の時に事故で帰らぬ人となってしまう 1900はダニーの葬儀で流れた音楽に惹かれ、ピアノを弾き始める 1927年、成長した1900は嵐の夜に船酔いで動けないマックス(あだ名:コーン)と出会い、ともに船内のバンドで演奏することになる 誰も聴いたことのない1900の音楽の噂は瞬く間に広がる そんな中、ジャズを生んだというピアニストのジェリー・ロール・モートン(クラレンス・ウィリアムズ3世)も噂を聞きつけ、ピアノ演奏による決闘を申し込んできた 1900は目の覚めるような鮮やかな演奏でモートンを打ち負かす ある日、レコード会社が1900の音楽を世に広めようと録音にやってくる 1900は碌に話も聞かず演奏を始めるが、何気なく窓に目をやると美しい少女(メラニー・ティエリー)がそこに見えた。彼は一目ぼれしてしまい、演奏した音楽には愛が溢れていた 録音が終わると1900は「おれの音楽は誰にも渡さない」と言って契約を破棄、レコードの原盤を持ち去ってしまう ある日、彼女が船を降りる日がやってくる。1900は勇気を出して彼女に話しかけるが、自分のレコードを渡すことができない 彼はレコードを割り砕きゴミ箱に捨ててしまう。1900は彼女に会いに行くため、ついに船を降りることを決意する 仲間たちが見送る中、1900は階段をゆっくりと降りていくが、途中で立ち止まり、何も言わずに船の上に戻ってくる それから月日が経ち、マックスも船を降り、1900だけが船に残り続けた。1946年、楽器屋の店主から、戦争で朽ち果てたヴァージニアン号を解体するため、船にダイナマイトが仕掛けられたと聞き、マックスは船内にまだ1900が残っていることを必死で訴え、楽器店の店主が入手していた例のレコード原盤を借り出して、強引に船に乗り込む 船内でマックスがレコードをかけ、1900に呼びかけても彼の返事はない 諦めかけたその時、マックスは暗がりに人影を見つける。1900がそこにいた マックスは船から降りて一緒に音楽をやろうと説得するが、1900は『終わりの見えない世界には行けない』と話し下船を拒否する マックスが船を降りた後、船は爆音とともに海に沈んでいく 話を聞き終えた楽器店の店主は、マックスにトランペットを返して見送るのだった

 

     

 

この映画ではエンニオ・モリコーネ作曲による音楽が全編を通して流れます ジャズっぽい音楽あり、クラシックっぽい音楽ありと多彩ですが、やっぱりモリコーネはモリコーネです

ところで、一度は船から降りることを決断した1900がタラップの途中で引き返した理由は何なのか?・・・この映画で一番の疑問です そのヒントは、彼がマックスに語った次の言葉にありそうです

「問題は目に映ったものでなく、映らなかったものだ」

船からタラップを降りる時に、彼の目の前にはニューヨークの高いビル群が聳え立っているのが霞みを通して見えていました それは彼の前に立ちはだかる大きな不安(目に映らなかったもの)の象徴ではなかっただろうか、と想像します 船の上ではせいぜい200人を相手にピアノを弾いて喝采を浴びていれば良かったが、陸に上ると何千、何万の人々を相手にして認めてもらわなければならない、果たして自分にはそれが出来るのだろうか、という不安です もう一つは、船上で知り合った少女と再び巡り合うことが出来るのか、さらには、会ってプロポーズを受けてもらうことが出来るのか、という漠然とした不安です いずれにしても、彼は未来への道を自ら封じ、一度も船から降りることなく船と供に爆破される道を選んだのです

「なんだ、単なる臆病者じゃないか」と思われるかもしれませんが、もし1900が陸に降りたら この映画の価値は半減するかもしれません

コメント (2)
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