人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

萩原麻未のピアノを聴く~新日本フィル「サマーコンサート」

2011年07月31日 07時34分10秒 | 日記
31日(日).早いもので7月も今日で終わり.”光陰矢の如し”ですね.昨日,すみだトリフォニー・ホールで新日本フィルの「サマーコンサート」を聴いてきました.キャッチコピーは「東京スカイツリー~オカン(ヘンデル)とボク(モーツアルト)と時々オトン(ハイドン)~のある日」となっています 確かにホール近くからはスカイツリーが間近に見えます.指揮は大友直人.目玉はモーツアルトの「ピアノ協奏曲第20番ニ短調」の第2楽章を弾く萩原麻未です.

ホワイエに入ると,そこはバザー会場になっていました.スカイツリー・グッズ(キーホルダー,下敷き,タオルなど),オーケストラ・メンバーのサイン入り色紙,新日本フィルのCD,DVDなどが結構売れていました吹き抜けのホワイエに,小学生の描いたスカイツリーの大きな絵が吊り下げられていました


開演です.舞台に登場したオーケストラのメンバーは全員がブルー系のTシャツ姿.楽器のパーツごとに空色から濃紺まで5色くらいに色分けしていましたが,涼しげでいいと思いました ただ,指揮者の大友が上下黒一色で登場したのには,どうせならブルー系を着こなせば良かったのに,と思いました.

プログラム前半は曲の合間にナレーションが入り,オカン(ヘンデル=音楽の母)とボク(モーツアルト=神童)とオトン(ハイドン=交響曲の父)の架空の対話によって曲が進行するスタイルを取りました.1曲目はヘンデルの「水上の花火の音楽」から第1曲”アレグロ”です.王の船遊びの際に演奏しながら近づいていき,気に入られたというエピソードがあります.ホルンが高らかに船の前進を奏でます.

2曲目はハイドンの「交響曲第101番”時計”」から第2楽章.「時計」という題名が付いたのは,第2楽章のリズムが時計の振り子を連想させるからと言われています.われわれの世代だと,受験生時代,ラジオ講座「百万人の英語」のテーマ音楽として御馴染みです.J.B.ハリス先生・・・ナツカシイ名前

次はモーツアルトの「交響曲第40番ト短調」から第3楽章.彼は最後の3つの交響曲(第39番,40番,41番)を短期間で完成したと言われていますが,当時の常識どおり誰かの委嘱に応じて作曲したのではなく,自らの意志で作曲したと言われています.いずれも完成度が高く,このうち1曲だけでもモーツアルトの名前は永遠に残ったことでしょう

さて,いよいよジュネーブ国際音楽コンクール・ピアノ部門優勝者・萩原麻未が白いドレスで登場です.演奏するのはモーツアルトの「ピアノ協奏曲第20番ニ短調」から第2楽章です.この楽章はピアノの独奏から入りますが,彼女は一音一音を慈しむかのように丁寧に弾いていきます いい意味で肩の力が抜けたリラックスした演奏で,思わず聴き惚れてしまいます この楽章はアレグロではないので,巷間言われている”のだめ”的な(曲に没頭した)演奏姿を見ることは出来ませんでした.願わくば,第2楽章だけでなく全楽章を通して聴きたいと切に思いました さらに言えば,色々な作曲家の曲を聴いてみたいと思いました この人の演奏には人を引き付けて離さない大きな魅力があります

前半最後はモーツアルトの歌劇「フィガロの結婚」序曲.序曲を聴くだけで,このオペラの全体像が浮かんできます.名曲とはそういうものでしょう.斜め前の座席のおばさんは,音楽に合わせて体を揺すって楽しんでいました いいんじゃないでしょうか

休憩後はベートーベンの「交響曲第5番ハ短調”運命”」全曲.冒頭の有名な「[ン]タタタターン」(※[ン]は八分休符)という4音のパーツが全体のテーマとなり,全楽章を通じて音楽を積み上げていく.そして勝利のフィナーレへと突き進んでいく,という名曲中の名曲です.この日のプログラムに”運命交響曲”を加えたのは,日本の優秀な技術を積み上げて完成間近となったスカイツリーになぞらえたのかもしれませんね この日のコンサートマスターは久々の豊嶋泰嗣.いい演奏でした

             

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音楽室に掲げられているベートーベンの肖像画は誰が描いた?

2011年07月30日 11時08分35秒 | 日記
30日(土).昨夕はE部長に誘われ地下の焼き鳥OでT君と3人で飲みました.”30分だけ”という約束でもE部長と私の2人だけだとブレーキがかからず3時間になってしまうので,タイムキーパー役としてT君を引きずり込んだわけです その甲斐あって,なんと40分で切り上げることができました.大成功 やれば出来るじゃん

さて,28日の朝日朝刊「教育欄」に面白い記事が載っていました.学校の音楽室にある世界の音楽家の肖像画は誰が描き、なぜ飾られるようになったのか という疑問についての解説です.

肖像画を販売している全音譜出版社の取締役によると「元々は販売促進カレンダー用の絵だったようです」とのこと.主な作者は神奈川県出身の洋画家・大貫松三氏(1905~82年)で、50年前後に同社創業者の島田貞二氏が大貫氏に頼んで描いてもらったらしい.もちろん大昔の音楽家に会えるわけもないので、デスマスクや肖像画を参考に大貫氏が描いた”想像画”だという

67年に旧文部省の中学の音楽教材基準に世界の音楽家の肖像画が入り、その後、商品化.今は大貫氏作の26枚に作者不明の10枚を加えた36人分で1セット1万3650円で販売されており、毎年400セット程度売れるとのこと

考えてみれば、小学生の頃から音楽室に掲げられた肖像画を見て「あれがベートーベンだ」と刷り込まれてきたので、コンサートのプログラムなどで別の肖像画が紹介されていると、”いったいどっちが本当なんだ”とツッコミを入れたくなります.

もう一つ疑問なのは、「楽聖ベートーベン」とか「神童モーツアルト」とか、「音楽の父バッハ」とか、「音楽の母ヘンデル」とか,そうしたキャッチ・コピーを誰が付けたのか、という疑問です。是非、取材して取り上げてほしいものです

   
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イスラエルのオーケストラ、ドイツで初めてワーグナーを演奏

2011年07月29日 07時28分33秒 | 日記
29日(金)。27日の日経朝刊に「第100回目を祝うバイロイト音楽祭が25日夕、バイロイト祝祭劇場で開幕した」という小さな記事が載りました。新演出による「タンホイザー」が上演されたとのことです。どんな演出か気になるところです

また、昨日の朝日朝刊には「イスラエルの楽団 バイロイトでワーグナーを初演奏」という記事が載りました。

「イスラエル室内管弦楽団が26日、バイロイトで独作曲家ワーグナーの曲を初めて演奏した。ワーグナーの音楽はナチスの独裁者ヒトラーに愛されたためイスラエルではタブー視されている 今回の演奏会は、和解に向けた歴史的な出来事と評価されている。「ジークフリート牧歌」が演奏され、曲が終わるとバイロイト市のホールを埋めた聴衆は総立ちでを送った。ワーグナーのひ孫カタリーナ・ワーグナーも”ワーグナーとユダヤ人のかけ橋に”と協力、バイロイト市での公演が実現した。一方、イスラエル国内ではホロコーストを生き延びた人たちから怒りの声が上がった。与党議員から、楽団への予算支出差し止め要求も出た。バイロイト市長は”批判の中で来てくれたことに感謝している。このコンサートは両国の友好と和解の一つの象徴だ”と話した」

このニュースを見たときに思い出したのは、2001年7月にアルゼンチン生まれのユダヤ人ピアニストで指揮者のダニエル・バレンボイムがエルサレムで、ベルリン国立管弦楽団を指揮してワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の一部を演奏したときのことです。場内は騒然となり、バレンボイムは「ファシスト」呼ばわりされた、と言われています。

バレンボイムにしても、今回のイスラエル室内管弦楽団にしても、タブーを打ち破って演奏に漕ぎつける勇気と努力には敬意を表します あくまでも政治は音楽に介入してはならないと思います。政治はその国に留まりますが、音楽は国境を越えます 政治の力で聴きたい音楽が聴けない世界はなんと暗いことでしょう

いま聴いているCDはジョン・バルビローリ指揮ハレ管弦楽団によるワーグナー「管弦楽曲集」.映っているのはワーグナーの庇護者・第4代バイエルン国王ルートビヒⅡ世が建てた南ドイツのノイシュバンシュタイン城.1991年1月に新聞協会のヨーロッパ労務事情視察団に同行した際に観光で訪ねました.山のふもとからお城までは馬車で移動しました 当時は国民の税金をふんだんに使って何の役にも立たない贅沢な城を建てたということで大批判されましたが,今ではバイエルン州の重要な観光収入源になっています 歴史っておもしろいですね

  
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パク・へユン、バイオリン・リサイタルを聴く

2011年07月28日 07時34分33秒 | 日記
28日(木)。昨夕、紀尾井ホールで韓国のバイオリニスト、パク・へユンのリサイタルを聴きました 彼女は1992年ソウル生まれといいますから、まだ若干19歳。4歳のときにバイオリンを弾き始め、9歳でソウル・フィルハーモニー管弦楽団と共演しオーケストラ・デビューをしました。その後はバイエルン放送交響楽団、シュトットガルト放送交響楽団など世界的なオーケストラと共演しています。2007年にはルイ・シュポア国際コンクールで優勝、さらに2009年には第58回ミュンヘン国際音楽コンクールで史上最年少優勝のほか2つの特別賞を受賞しました

このコンサートは「プロジェクト3×3」という企画の一環で、同じ奏者が東京、大阪、名古屋の3都市で3年続けて公演するというものです。企画した「アマティ」は「同じ奏者を3年連続で聴いて成長を見守ってほしい」として、スタッフが実演を聴いて実力を確かめたうえで、パクのほか、バイオリニストの三浦文彰、ピアニストのリーズ・ドゥ・ラ・サール、同ヤン・リシツエツキの計4人を選んだとのことです

主催者側は「”石の上にも3年”の先行投資だ 利益は、ここで育った演奏家が一人前になった時、マネジメントを引き受けるなどして回収する」と言っているそうですが、素晴らしい考え方です こういう企画は大歓迎です

発表されたプログラムは、ベートーベン「バイオリン・ソナタ第7番」、ワックスマン「カルメン幻想曲」、R.シュトラウス「バイオリン・ソナタ」、ラベル「ツィガーヌ」。伴奏ピアニストはアルメニア生まれのマリアンナ・シリニャンです。

開演にあたり会場にアナウンスが入りました.「パク・ヘユン体調不良により,ワックスマンの”カルメン幻想曲”を取り止め,代わりにシリニャンのピアノ独奏によりリストの「ダンテ・ソナタ」を最初に演奏,そのあとベートーベンを演奏します」.

急な変更でしたが,シリニャンというピアニストの実力を知ることができたのは収穫でした 薄いオレンジ色の衣装で現れた彼女は力強い説得力のある演奏で聴衆を魅了しました

いよいよパク・ヘユンの登場です.薄紫色のドレスで登場,ベートーベンの演奏に入りました.メリハリのある,人に語りかけるような演奏スタイルです.どこが体調不良なのか?と疑うほど素晴らしい出来です

休憩後のR・シュトラウス「バイオリン・ソナタ」は,演奏者より少しだけ年長のときの作品で,作曲者大恋愛中の情熱的な曲です.パクとシリニャンは曲にのめり込むのではなく,冷静な中にも情熱を秘めた表現で作曲者の心の内を描き出しました

最後のラベル「ツィガーヌ」はこの日の白眉でした 前半部分はバイオリン・ソロによる演奏ですが,最初はビオラ,あるいはチェロで演奏しているのかと勘違いするほど,重心の低い深い音楽表現で,バイオリンがビオラに見えたほどです 途中からピアノ伴奏が入ってきて高音部のメロディが出てくるのですが,これも確かなテクニックに裏付けられた表現でフィナーレに突き進みました

この2人は非常に相性がいいのではないか,と思います.拍手に応え,パクの独奏でバッハの無伴奏バイオリン・ソナタ第2番から「アンダンテ」が演奏されましたが,静かで深いバッハの世界が展開され,すっかり魅了されました 来年も再来年も是非このコンビで聴きたいと思いました 

過去のブログでも書きましたが,いま韓国の演奏家に注目しています.同じ女性バイオリニストではシン・ヒョンス.8月13日の東京交響楽団オペラシティ定期演奏会で,来日不可となった演奏家の代演でストラビンスキーの協奏曲を弾きます.彼女の演奏が聴けるようにしてくれた来日出来なくなった演奏家に感謝します

    
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マードック危うし!~メディア王国の崩壊か?

2011年07月27日 07時22分28秒 | 日記
27日(水).昨夜は優良テナント・K総合法律事務所のKご夫妻、Fさんの3人と暑気払いで飲みました こちら側は,”気配り”のKさん,”技術のことならまかせとけ”のH君と”しばらくまっすぐ家に帰っていない”私の3人です.弁護士のKさんは,”ダジャレを言うのはダレジャ”と言いたくなるほど,最初から駄洒落の連発で絶好調でした ときに意味がわからないことがあったので”先生,いまのよく分からなかったんですが?”と駄洒落仲間ではタブーの質問をして顰蹙をかってしまいました ここでお断りしておきますが,私はシャレは言いますがダジャレは言いません.悪しからず 先生は2次会に行きたそうな雰囲気を醸し出されていたのですが,当方は今日もコンサートがあることから,大変心苦しかったもののまっすぐ帰ることにしました.本当に楽しいひと時でした.ありがとうございました.楽しみは次の機会に取っておくことにしましょう

閑話休題.

メディア王の異名を取るルパート・マードック(米ニューズ・コーポレーション会長兼CEO)が窮地に追い込まれています 7月26日付「新聞協会報」第4面に在英ジャーナリスト小林恭子さんが、政界、警察との癒着などについて詳しく書いています。

1931年オーストラリア生まれの彼は,英国では大衆紙「サン」,日曜大衆紙「ニューズ・オブ・ザ・ワールド」,高級紙「タイムズ」,日曜高級紙「サンデー・タイムズ」,米国では経済紙「ウォールストリート・ジャーナル」などを所有するメディア王です.このうち「ニューズ・オブ・ザ・ワールド(265万部)」は盗聴事件が発覚して今年7月10日付で廃刊しました キャメロン英首相も,マードック傘下の新聞のバックアップによって政権が誕生したといわれ,頻繁に会食を重ねていたこともあり、窮地に追い込まれています.新聞各紙の解説によれば「特ダネ獲得のためなら盗聴だろうが,なりすましだろうが,おとり取材だろうが,手段を選ばない英大衆紙の取材文化をさらけ出した」ということでしょう.ひどいものです

マードックの「タイムズ」といえば思い出すことがあります.1991年1月,新聞協会労務委員会はヨーロッパ諸国の労務事情を視察するため「ヨーロッパ新聞労務事情視察団」を組織してドイツ,フランス,英国の有力新聞社に派遣しました.その視察団に事務局から私が同行することになりました ドイツでは「南ドイツ新聞」,「フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトング」,「ディ・ベルト」,フランスでは「ル・モンド」「ル・フィガロ」,英国では「タイムズ」,「デーリー・ミラー」などを視察しました.

最後の訪問国・英国で「タイムズ」に行ったときのことです.会議室で新聞社の概要などを聞いた後,昼食会場に移動しました.びっくりしたのは,壁面にマードックの大きな肖像がが掲げられていたのです 視察団の面々はお互いに顔を見合わせました.大きな声では言えませんが「これは北朝鮮と同じだな」と思いました.

食事が運ばれ,メーン・ディッシュらしいサーモン・ステーキが出されたのですが,ここでまたびっくり.「これがメーン」というほど貧弱で,大してうまくないのです.”イギリスの食事はうまくない”と事前に知らされてはいたものの,これほどヒドイとは思いませんでした.レストランで食べた牛肉のステーキも硬くてどうしようもなかったです。反面、ドーバー海峡で取れた巨大ヒラメはうまかったですが

視察が終わって,バスでタイムズ社の敷地を出るとき,誰かが社屋に向けてカメラを向けました.するとガードマンが飛んできて「NO」と大声で威嚇してきました.報道機関なのに自ら報道されることについては規制が厳しいようです 同じ傘下の新聞では盗聴などやりたい放題やっていたのに・・・・・・

そういえば「デーリー・ミラー」を訪問した際ロビーで待たされたのですが,テーブルの上に「タイムズ」が置いてあり,第一面にジェット戦闘機が発進する写真がデカデカと載っていました.1991年1月.そう,このときまさに「湾岸戦争」が始まったのでした クウェートに侵攻したイラクに対し,ブッシュ(父)大統領のアメリカが中心となった国連の多国籍軍がイラクに空爆したのはこの後すぐでした.ヒースロー空港では,中東行きの旅行者は長い列を作って足止めをくっていましたが,われわれJAL組はスムーズにチェック・インし,無事に帰国できました.当時は冷や汗ものでしたが,今ではいい思い出です

  


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荻原浩「ちょいな人々」~最近読んだ本から

2011年07月26日 07時24分51秒 | 日記
26日(火).夕べは地方新聞社の東京支社の人たちと地下のRで飲みました 月,火と連チャンになるので,セーブしなければと思ったのに,いざ飲み始めると山本リンダになってしまいました.どうにも止まらない

さて,今日は最近読んだ本から.東川篤哉「交換殺人には向かない夜」,同「完全犯罪に猫は何匹必要か?」,同「学ばない探偵たちの学園」,荻原浩「ちょいな人々」の4冊.いま小川仁志「哲学カフェ!」を読んでいます 今回は「ちょいな人々」を取り上げます.

荻原浩といえば1997年に「オロロ畑でつかまえて」で小説すばる新人賞を受賞し,「ハードボイルド・エッグ」「あの日にドライブ」など,おもしろくもペーソスのある小説を書き続けてきた小説家です.今回の「ちょいな人々」も思わず笑ってしまう一方,身につまされるエピソードが満載です

「ちょいな人々」「ガーデンウォーズ」「占い師の悪運」「いじめ電話相談室」「犬猫語完全翻訳機」「正直メール」「くたばれ,タイガース」の7つの短編から成りますが,どれもが身近にありそうな話で,読んでいて思わずウンウンと頷いてしまいます

阪神ファンの私のお気に入りは,阪神ファンの若者が結婚のあいさつに行くと,彼女の父親は巨人ファンだった,という「くたばれ,タイガース」です.若者の名前が関本で,関本といえば阪神の関本なのに,巨人ファンの父親はわざと昔,巨人にいたピッチャー関本四十四(しとし)のことを話題にします.お酒が入ると本音が出,お互いがライバル・チームのファンだったことが判明して,テレビの巨人対阪神戦を観ながら毒舌の応酬となります。”結婚のごあいさつ”の行方は?・・・・といった悲喜劇です もう傑作です

  

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三ツ橋敬子指揮東京シティ・フィルのチケットをゲット!

2011年07月25日 07時11分29秒 | 日記
25日(月).昨日,神保町のチケットぴあで8月,9月のコンサート・チケットを3枚買ってきました.1枚は8月29日(月)にサントリーホールで開かれる「第41回サントリー音楽賞受賞記念コンサート=大野和士」です.プログラムはマーラーの交響曲第2番「復活」.オーケストラは東京フィルハーモニー管弦楽団.チラシでも新聞でも何かで「マーラー」の文字を見るとすぐに買いに行きます マーラーの生演奏に飢えています.残念ながらS席はソルド・アウトで,しかたなく2階右サイドのA席を押さえました

もう1枚は翌30日(火)にJTアートホールで開かれる「アフィニス夏の音楽祭・東京演奏会」です.プログラムはハイドンの「弦楽四重奏曲ヘ長調」,モーツアルトの「セレナード第11番K.375」,シューベルトの「八重奏曲」の3曲ですが,これはもちろんモーツアルトを聴くために行きます 会場のJTアートホールは座席が256席しかないので,聴きたい曲があるときは早めに手を打たないとチケットが取れません.今回はラッキーでした ホールは虎ノ門にあるので,会社から徒歩10分程度で着きます.

最後の1枚は9月22日(木)にティアラ江東で開かれる「東京シティ・フィル=三ツ橋敬子特別演奏会」です.彼女は江東区の出身ということで,2010年のアルトゥーロ・トスカニーニ国際指揮者コンクールで準優勝と合わせて聴衆賞を受賞した期待の俊英です オール・ブラームス・プログラムで,「大学祝典序曲」「ハイドンの主題による変奏曲」「交響曲第1番ハ短調」の3曲を指揮します.このうち第1交響曲はコンクール決勝の際に指揮をした作品です

この日のチケットを買うかどうか相当悩みました.というのは,この週はすでに20日(火)23(金),24(土),25(日)とコンサートの予定が入っているのです ここに22日を入れると,ほとんど休むことなくコンサート通いが続くことになり,肉体的に相当きつくなるのが分かっているからです それでも,やっぱり三ツ橋敬子の指揮でブラームスを聴きたい,という想いの方が強かったのでした これで9月は14回コンサートに行くことになります.正直しんどいです  自業自得です  四面楚歌です  でも芸術の秋です

  



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今なぜマーラーなのか~第2交響曲「復活」を巡って

2011年07月24日 09時04分32秒 | 日記
24日(日).昨日の日経夕刊に音楽評論家・船山隆氏のインタビュー記事が載りました.昨年の生誕150年に今年の没後100年と,今や世界の音楽界は”マーラー・ブーム”が続いています.なぜ今,マーラーの音楽が現代人の心を打つのか,その理由を語っています

「作曲家の実像が見えてくるのは大抵,生誕100年あたりで,マーラーも生誕100年の1960年ごろに「マーラー・ルネサンス」と呼ばれる再評価運動が起こった.それまでは戦前,西欧ではナチス・ドイツの成立でユダヤ人音楽家が追放され,ユダヤ人であるマーラーの音楽も演奏できなくなっていた.1960年ごろ,レナード・バーンスタインがニューヨーク・フィルと組んでマーラーの交響曲を全曲演奏,レコード録音した.これがマーラー・ブームに火を点け,それ以来,今に続いている」

私もLP時代にバーンスタイン=ニューヨーク・フィルの演奏をよく聴きました.当時マーラーといえばバーンスタインか,マーラー直弟子のワルターかでした.ただ,どちらかといえばバーンスタインの方がダイナミックで鮮烈な演奏でした

「マーラーは常に生と死の不安に取り付かれていたが,それが現代人のある種の不安に共通する.交響曲第2番”復活”は,生と死を主題にした作品だ.第1楽章の葬礼から始まり,第5楽章では全世界の死滅が示され,すさまじい地獄絵が展開される.しかし,最後に生命が復活する.~・~・~だから上を向いて歩こう,希望をもって生きよう.同じ東北出身の音楽学者として,被災地にエールを送りたい」

一方,7月17日付の日経「読書」欄のコラム「あとがきのあと」に載った音楽評論家・前島良雄氏の著書「マーラー」に関する本人のコメントを見ると,彼もマーラーとの出会いは中学3年のときにラジオで聴いた”復活”だったそうです.その時「暗い悲劇的な音楽だと思っていたのに,一気に光が見えた」ということです.それ以来「病と死の影におびえ,暗い情念に満ちた音楽を残した作曲家」というマーラーに対するイメージを払拭すべく,一つ一つの通説を見直し,本人の残した手紙や膨大な資料を付き合わせて虚像を剥ぎ取っていったとのことです.そして,「マーラーの音楽は,滅び去ったものは,よみがえらなければならない」と力強く歌い上げる”復活”の歌詞のように生命に満ちていると主張しています.

マーラーの音楽に対する捉え方を比較すると,船山氏の方がこれまで言われてきたオーソドックスな捉え方で,前島氏の方が新しい捉え方と言えるでしょう.いずれにしても,”復活”の中の希望に焦点を当てていることに違いはありません

今聴いているのはハーパー(ソプラノ),ベーカー(メゾ・ソプラノ),オットー・クレンペラー指揮バイエルン放送管弦楽団による1965年のライブレコーディングCD(1998年・デジタル・リマスター版)です.マーラーというと,ついクレンペラーを聴いてしまいます クレンペラー最高

  
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金子三勇士ピアノ・リサイタル~鮮烈な日本デビュー

2011年07月23日 19時01分21秒 | 日記
23日(土).午後,オペラシティ・コンサートホールに金子三勇士ピアノ・リサイタルを聴きに行ってきました 「彼,絶対にいいよ」と言うAさんと初台で待ち合わせて,軽く昼食をとってから会場に向かいました.指定席と自由席があり,最初に自由席の列が入場,その後指定席の順番になりました.われわれの席は1階6列1,2番とかなり前の方で,ピアニストの指がよく見える位置です 会場は1階席,2階席とも満員御礼です.デビュー・リサイタルでこれほどの観客を集めることが出来るとはただ者ではありません

入り口でA4サイズ2つ折の簡単なプログラムを受け取りました.演奏曲目と本人のメッセージと略歴が紹介されていますが,曲目の解説がありません 簡単でいいから付けてほしいと思いました.金子三勇士は1989年,日本人とハンガリー人(母)のもとに生まれ,6歳からハンガリーに単身留学し,現地のバルトーク音楽小学校に通いました.11歳で飛び級で国立リスト音楽院大学ピアノ科に入学,16歳の時,日本に帰国し東京音楽大学付属高校2年に編入し,清水和音らに師事しました.

開演前の会話.「”三勇士”って”ミュージック”からとったのかな?」と私.「”三銃士”をもじって”三勇士”ってつけたのかもね」とAさん.本人に聞いてみないとわかりません

プログラムは前半が①リスト「ハンガリー狂詩曲第12番」②バルトーク「セーケイ人たちとの夕べ」③バルトーク「6つのルーマニア民族舞曲」④ベートーベン「ピアノ・ソナタ第8番”悲愴”」⑤ショパン「ノクターン第2番」⑥ショパン「ポロネーズ第6番”英雄”」の6曲です.

本人が舞台に登場するところを見ていると,非常に落ち着いていて堂々としています.日本初デビューと謳っていますが,かなり場慣れしている風情ですそして,どの曲も落ち着いて丁寧に弾きこなしていました.Aさんの感想は「やっぱりショパンはいいね.ほっとする.ノクターンでもポロネーズでも,しっくりくる.でも英雄ポロネーズは自分で弾こうとすると,とても難しい」.私の感想は「自信に溢れたプログラミングだ.単なるテクニシャンでなく,華がある」

後半はオール・リスト・プログラム.①ラ・カンパネラ,②愛の夢,③ピアノ・ソナタ ロ短調の3曲です.彼のテクニックは,ある意味完成されていると言えるでしょう.とくに「ソナタ」におけるダイナミックなスケール

全曲を終えて,マイクを持ってお礼のあいさつ.そして,アンコールにショパンの「ノクターン遺作」オリジナル・バージョンを,もう1曲,バッハの「シャコンヌ」をしみじみと演奏しました

今日の演奏の感想.Aさん「私にはリストは弾けない.リストの手を見たことある?楽譜を見ると指が届かない音符が次々と出てくる.楽譜を見ただけで吐き気がする よっぽど大きな手で指が長かったのでしょうね.金子三勇士は非常に丁寧に弾いていた.彼,マスクもいいし有望だね.あっ,マスクって大事だよ.私たちは将来有望なピアニストのデビュー・リサイタルに立ち会ったと,後で振り返ることになるかもしれないね」.私「リスト生誕200年を記念して,リストにまつわる作曲家を取り上げた意欲的なプログラムだった.彼は将来,大物に成るかもしれないね」さて,金子三勇士はわれわれの期待通りビルトォーソに育ってくれるでしょうか

  
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NPCビル自衛消防隊第5位入賞~「自衛消防訓練審査会」

2011年07月22日 19時57分50秒 | 日記
22日(金)その2。今日、皇居外苑で丸の内消防署による「自衛消防訓練審査会」が開かれ、午後見学に行きました。昨年も一昨年も猛暑で暑くてまいりましたが、今日は曇り空で涼しく、出場者、審査員、見学者ともども助かりました

この審査会は毎年1回、丸の内地区所在の各ビルの自衛消防隊の日ごろの消化訓練を審査するもので、今年は男子隊28チーム、女子隊8チーム、警備隊35チームの計71チームが参加しました。コースは2つで、第1コースが男子隊・女子隊で第2コースが警備隊となっており、それぞれの隊の種類別に順位を競います

訓練の想定は「事業所の勤務時間中に地震が発生し、その後火災が発生、消火器による初期消火にもかかわらず火勢が拡大し、屋内消火栓による消火活動(ホースを延長)を必要とする火災に拡大したもの」となっています。審査は初期対応要領(迅速性、確実性)、屋内消火栓操法と各操作のタイムに着眼して行われます。実際にホースから水を出して的を当てて倒します。放水に当たってはホースに相当の圧力がかかるので、古いホースなどを使用するものなら、穴が空いて水が噴水のように吹き上げます今日も何組かが高い噴水をぶち上げていました。

隊の構成は、指揮者、1番員、2番員の3人一組で、それぞれの行動が計200点満点で採点され、得点順に1位から3位まで入賞隊が決まります。

わがNPCビル自衛消防隊は「警備隊」35チーム中18番目。午前の部が15組目で終わったため、午後の部の3組目の出場となりました。いい順番です 昨年のように遅い順番だと待ち時間が長くなり緊張感を継続するのが難しく、つらい思いをします 順番が早い方が審査する側も演技する側も適度の緊張感を持って臨めるので良いのです。

われらがNPC自衛消防隊のメンバーは防災センター隊員で、指揮者=池ノ谷賢志、1番員=玉田直紀、2番員=檜垣省次の3名です。彼らは6月から7月まで16回にわたり地下駐車場や西側私道で、涙ぐましい訓練を重ねてきました。

午後1時頃に順番が回ってきました。3人とも最初から声も大きく、動作もきびきびしており、順調な滑り出しです 放水もスムーズにいき、的に当てるまでの時間も短時間で済みました。「いい線いくのではないか」というのが大方の予想。いったん事務所に戻って結果が入るのを待つことにしました。3時ごろ、私は新入社員のK君に「5位に入ると思うよ」と伝えました。

1時間後の午後4時に現地にいる鈴木防災隊長から連絡が入りました。「5位入賞です」。予想的中!わが隊は一昨年8位に入賞していますが,今回はそれを上回る結果です。素晴らしい 今ごろ彼らだけの祝勝会で盛り上がっていることでしょう。おめでとう、池ノ谷君、玉田君、檜垣君 君たちはNPCの誇りです ただ,君たちが35チーム中5位に入賞できたのは,君たちの頑張りがあったのはもちろんのことですが,鈴木隊長,小林副隊長以下防災センター隊員のサポートがあったからこそだということを忘れないでほしいと思います。全国広しと言えども,丸の内地区の自衛消防隊は最高レベルと言われています.その中で5位の成績は誇るべきものです.お疲れさまでした.今日はさんざん飲んでゆっくり休んでください

《隊員の活躍の模様はhttp://www.presscenter.co.jpをご覧ください》

   

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