20日(土)。小宮正安著「モーツアルトを”造った”男 ケッヘルと同時代のウィーン」を楽しく読みました。新書版の帯に「凡庸な人物の非凡な試み あの626はいかにして決まったのか!?」とあります。
モーツアルトの作品にはK622というようにKが付いています。このKはケッヘルの頭文字で、ケッヘル番号と呼ばれています。1800年オーストリア生まれのケッヘルは在野の研究者として植物学や鉱物学に大きな関心を寄せるとともに、文学や評論にも造詣が深く、さらには音楽の分野でも史上初となるモーツアルト作品目録を作るなど、多方面にわたり才能を発揮しました。例えば鉱物学を例に取れば、3288個もの鉱石コレクションについて、採集年、採集地、種類を記したカードを作成し、石とカードに共通の通し番号を振り当て、目録を作成したということです。その手法がやがてモーツアルト作品目録の作成にも発揮されることになったのです。
小宮氏はケッヘルを「ディレッタント」と呼んでいます。「ディレッタント」は彼の前半生に当たるビーダーマイアー時代、非常に肯定的な意味で用いられていたらしく「金のためでなく、みずからの純粋な興味や愛ゆえに芸術や学問に情熱を注ぐ高貴な精神の持ち主」という意味だったといいます。
ケッヘルが編んだモーツアルトの作品目録の正式名称は「モーツアルト全音楽作品の年代別主題別目録」です。モーツアルトの作品を金をかけて収集し、成立年代順に並べると同時にジャンル別に作品をまとめ、ジャンル内でも若い順から作品を並べていくという工夫が凝らされています(全626曲)。この作業に当たって、彼は1作品についてカード1枚をあてがうという「カード式整理法」を採用したのです。この方法はケッヘル以前の作品目録には見られなかった独自のものでした。とくに彼の場合は目録作成と楽譜調査とを平行して行っていたため、途中で作品の順番を入れ替えなければならなくなったときに、カード方式なので自由自在にできたということです。かなり合理的な考え方の人だったのでしょう。
ケッヘル以降、ヤーン、アインシュタイン(物理学者アインシュタインの親戚)をはじめ多くの専門家がモーツアルトの作品の研究を進め、「ケッヘルの研究は不十分だ」と批判しましたが、結局のところケッヘルの振ったK1からK626までの作品番号から自由になることはできませんでした。
ケッヘルは1877年、77年の生涯を閉じましたが、彼の遺言により、モーツアルト目録の自筆や、彼が収集したモーツアルト作品の数々は、ウィーン楽友協会に寄贈されました。今でこそ「モーツアルトがなければケッヘルはない」といった脇役に追いやられていますが、小宮氏の言われるとおり「そもそもケッヘルの凡庸な取り組みがなければ、モーツアルトが現在のようなトップスターとしての地位を築けたかどうか、非常に怪しい」というのは間違いないでしょう。主役の影には必ず脇役がいます。その脇役の地道な活躍があってこそ主役が生きてくるのです。それは洋の東西、時代を問わず通用することでしょう。ケッヘルに感謝します。
モーツアルトの作品にはK622というようにKが付いています。このKはケッヘルの頭文字で、ケッヘル番号と呼ばれています。1800年オーストリア生まれのケッヘルは在野の研究者として植物学や鉱物学に大きな関心を寄せるとともに、文学や評論にも造詣が深く、さらには音楽の分野でも史上初となるモーツアルト作品目録を作るなど、多方面にわたり才能を発揮しました。例えば鉱物学を例に取れば、3288個もの鉱石コレクションについて、採集年、採集地、種類を記したカードを作成し、石とカードに共通の通し番号を振り当て、目録を作成したということです。その手法がやがてモーツアルト作品目録の作成にも発揮されることになったのです。
小宮氏はケッヘルを「ディレッタント」と呼んでいます。「ディレッタント」は彼の前半生に当たるビーダーマイアー時代、非常に肯定的な意味で用いられていたらしく「金のためでなく、みずからの純粋な興味や愛ゆえに芸術や学問に情熱を注ぐ高貴な精神の持ち主」という意味だったといいます。
ケッヘルが編んだモーツアルトの作品目録の正式名称は「モーツアルト全音楽作品の年代別主題別目録」です。モーツアルトの作品を金をかけて収集し、成立年代順に並べると同時にジャンル別に作品をまとめ、ジャンル内でも若い順から作品を並べていくという工夫が凝らされています(全626曲)。この作業に当たって、彼は1作品についてカード1枚をあてがうという「カード式整理法」を採用したのです。この方法はケッヘル以前の作品目録には見られなかった独自のものでした。とくに彼の場合は目録作成と楽譜調査とを平行して行っていたため、途中で作品の順番を入れ替えなければならなくなったときに、カード方式なので自由自在にできたということです。かなり合理的な考え方の人だったのでしょう。
ケッヘル以降、ヤーン、アインシュタイン(物理学者アインシュタインの親戚)をはじめ多くの専門家がモーツアルトの作品の研究を進め、「ケッヘルの研究は不十分だ」と批判しましたが、結局のところケッヘルの振ったK1からK626までの作品番号から自由になることはできませんでした。
ケッヘルは1877年、77年の生涯を閉じましたが、彼の遺言により、モーツアルト目録の自筆や、彼が収集したモーツアルト作品の数々は、ウィーン楽友協会に寄贈されました。今でこそ「モーツアルトがなければケッヘルはない」といった脇役に追いやられていますが、小宮氏の言われるとおり「そもそもケッヘルの凡庸な取り組みがなければ、モーツアルトが現在のようなトップスターとしての地位を築けたかどうか、非常に怪しい」というのは間違いないでしょう。主役の影には必ず脇役がいます。その脇役の地道な活躍があってこそ主役が生きてくるのです。それは洋の東西、時代を問わず通用することでしょう。ケッヘルに感謝します。