人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

矢月秀作著「もぐら凱(下)」を読む~「もぐらシリーズ」完結

2014年02月04日 07時07分57秒 | 日記

4日(火)。昨日は節分でした。わが家でも、大豆を買ってきて、無言で食べました。・・・・・・・ん、何か間違っていましたか? 昨夕は多くのご家庭で「恵方巻き」を召し上がったのではないかと思います 昨日の日経朝刊のコラム『春秋』が「恵方巻き」のことを書いています その最後に「そういえば向田邦子さんの『父の詫び状』にいい話がある」として、海苔巻きの話を紹介しています。懐かしくなり、書棚から引っ張り出して読むことにしました 『父の詫び状』は、昭和の香りを思い起こさせる24編からなるエッセイ集です。その中に『海苔巻きの端っこ』というタイトルのエッセイがあります。その一部を抜粋してみます

「海苔巻きの端っこは、ご飯の割に干ぴょうと海苔の量が多くておいしい ところが、これは父も大好物で、母は少しまとまると小皿に入れて朝刊をひろげている父の前に置く。父は待ちかまえていたように新聞のかげから手を伸ばして食べながら、『生水を飲まないように』『知らない木の枝にさわるとカブレるから気をつけなさい』と教訓を垂れるのだが、こっちはそれどころではない 端っこが父の方にまわらぬうちにと切っている母の手許に手を出して、『あぶないでしょ。手を切ったらどうするの』とよく叱られた。結局、端っこは二切れか三切れしか貰えないのだが、私は大人は何と理不尽なものかと思った 父は何でも真中の好きな人で、かまぼこでも羊羹でも端は母や祖母が食べるのが当たり前になっていた。それが、海苔巻きに限って端っこがいいというのである

子供時代の思い出を書いた、何でもないようなエッセイですが、「何としても海苔巻きの端っこが食べたい 自由に食べられる大人はずるい」という子供心がユーモラスに生き生きと描かれています 日常の営みをエッセイに書かせたら向田邦子の右に出る者はいないでしょう。彼女の早い死が惜しまれます。私は鋭い感性に裏付けられた、それでいて軟らかい彼女の文章が大好きで、彼女のエッセイのような文章が書けたらいいな、と常々思っています 

 

          

 

  閑話休題  

 

矢月秀作著「もぐら凱(下)」(中公文庫)を読み終わりました これは著者の「もぐらシリーズ」の第7弾完結編です

警視庁のモール(組織犯罪対策部犯罪追跡特務班)のメンバーは、次々と驚異的な戦闘力を持つ多国籍グループによって倒されていく 新たに警視庁の管理官に就任した小山田は外国人に対し敵意を持ち強硬な姿勢で対処する一方、沖縄から東京に戻った元モールのメンバー影野竜司は檜山とともに、小山田と手を組んだ敵を追究していく しかし、敵集団から国会議事堂にロケット弾が撃ち込まれ、日本全土で多国籍グループが蜂起し、同時多発テロを起こす。竜司は日本を、愛する紗由美を守るため命を懸けた最後の闘いに挑む

 

          

 

上巻を読んだ時にも思ったのですが、戦闘シーンが多い本です。そして主役クラスは中々死にません。この本のようなハードボイルド・アクション小説の場合は、そう簡単に死んでいては話がすぐに終わってしまうからでしょう いずれにしても「もぐらシリーズ」の主役が死ぬ第7巻を先に読んでしまったので、あまり第1巻から第6巻までを読む気になれません

ところで、身近な知人に、読みたい作品を探しに図書館に行ったら「下巻」しかなかったので、それを借りてきて読んだ人がいます 普通、「上巻」が無ければその場は諦めて、「上巻」を入手して読んでから「下巻」を読むと思うのですが、皆さんはどう思われますか?こういうのを世間では”本末転倒”あるいは”前後不覚”といいます。これでよろしかったでしょうか?今では、これで大丈夫でしょうか?ちなみに、その知人は未だに「上巻」を読んでいないようです

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