人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

藤沢周著「ブエノスアイレス午前零時」「屋上」を読む~孤独な男たちの物語

2014年12月31日 07時57分59秒 | 日記

31日(水)。わが家に来てから95日目を迎え、来し方を振り返るモコタロです 

 

          

             ぼくの年も今日が最後か さびしいなぁ

 

  閑話休題  

 

昨日は、やっと風邪から立ち直り、年末の大掃除に取りかかりました と言っても今年はバスとトイレを全面的にリフォームしたので大掃除の場所が限定されます。まず最初に4台のエアコンのフィルターを掃除し、懸案のガスレンジ・フードの掃除にかかりました。それにしてもガスレンジ・フードの裏側ってすごい油汚れですね 1年も経つと油がべったりです。その辺をぶらついて油を売っている訳にはいかないので、「しつこい油汚れもスッキリ」というジョイをスポンジやタオルや歯ブラシに付けて洗いました 病み上がりの身体には厳しいものがありましたが、綺麗になるというのは気持ちの良いものです あとは子供たちが、部屋中”ウサギ小屋”と化したリビングを綺麗にしてくれるのを待つだけです。が、やらないだろうな、たぶん

 

  も一つ、閑話休題  

 

今年も今日で終わり。この1年聴いてきたクラシック・コンサートをジャンル別、会場別に集計してみました 今日午後、今年最後のコンサート(ベートーヴェン「弦楽四重奏曲選集」:東京文化会館小ホール)に行くのでそれも数えることにします。今年は179回のコンサートに通いました。これは自己新記録です。これをジャンル別に分けると次の通りです

1.オーケストラ  88回(49.2%) ※在京オケの定期演奏会ほか

2.室内楽     57回(31.8%) ※サントリーホール・チェンバーミュージックガーデンほか

3.リサイタル   23回(12.8%) ※ピアノ、ヴァイオリン、声楽等

4.オペラ      11回( 6.2%) ※新国立オペラ、藝大オペラ

全体の半分がオーケストラとなっていますが、これは複数の在京オーケストラの定期会員になっていることが大きな要因となっています

次にコンサートを聴いた会場別に分けると次の通りです

1.サントリーホール 31回(大ホール、小ホール「ブルー・ローズ」)

2.東京文化会館  21回(小ホール) ※東京・春・音楽祭2014ほか

3.東京オペラシティコンサートホール 15回

3.東京国際フォーラム 15回 ※ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン

5.東京芸術劇場 14回 ※都民芸術フェスティバルほか

5.ミューザ川崎シンフォニーホール 14回 ※フェスタ・サマーミューザほか

7.すみだトりフォニーホール 12回(大ホール、小ホール)

8.新国立劇場 10回 ※新国立オペラ

9.東京藝大奏楽堂 8回

10.第一生命ホール 7回

11位以下は次の通りです

よみうり大手町ホール(5回)、よみうり有楽町ホール(5回)、日経ホール(3回)、トッパンホール(3回)、ヤマハホール(3回)、文京シビックホール(3回)、紀尾井ホール(2回)、浜離宮朝日ホール(2回)、NHKホール(2回)、オーチャードホール(1回)、JTアートホール(1回)、上野学園石橋メモリアルホール(1回)、国立科学博物館・日本館(1回)。

ジャンルと会場をマトリクスして特徴を見ると、各地域で定着してきた様々な音楽祭が大きく関わっていることが分かります 開催月の早い順に見ると、1~3月の「都民芸術フェスティバルと東京芸術劇場」、3~4月の「東京・春・音楽祭と東京文化会館(大・小)」、5月の「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンと東京国際フォーラム+よみうり有楽町ホール」、6月の「サントリーホール・チェンバーミュージックガーデンとサントリーホール『ブルーローズ』」、7~8月の「フェスタ・サマーミューザとミューザ川崎コンサートホール」といった組み合わせです

さて、今年の「マイベスト10」は明日発表する予定ですが、その前に31日のコンサートについても書かなければなりません。新年早々多忙を極めそうです

 

  最後の、閑話休題  

 

藤沢周著「ブエノスアイレス午前零時」(河出文庫)を読み終わりました 藤沢周は1959年、新潟県生まれ。94年に「死亡遊戯」でデビュー、98年に「ブエノスアイレス午前零時」で芥川賞を受賞しています 藤沢周と言えば、NHKーBSで放送していた「週刊ブックレビュー」の司会者としての顔を思い浮かべます。中江有里とのコンビでゲストから話を聞き出していましたが、「〇〇さん、この本のお薦めポイントをお願いします」というのが彼のキャッチフレーズでした

 

          

 

この本は「ブエノスアイレス午前零時」と「屋上」の2作の短編から成っています。「ブエノスアイレス午前零時」のストーリーは

カザマは都会での勤めを辞めて山奥の雪深い田舎に戻り、実家の豆腐屋を継がずに地元の温泉ホテルに勤めている。そのホテルには100畳もある古いダンスホールがある。ある日、サルビア・ダンス会という高齢者グループが宿泊することになる。その中にサングラスをかけた盲目の老嬢ミツコがいた。彼女はフロントでアルゼンチンのサン・ニコラスに電報を打ちたいという。同行したミツコの妹ヨシコによると、ミツコは、しっかりしている時とどうしようもなく耄碌している時とがあるという。ダンスホールで会のメンバーが踊る中、誰もダンスに誘わないミツコにカザマは声をかける。二人はブエノスアイレスにいる夢の中でタンゴを踊り続ける。外は激しく雪が降っている。

カザマはなぜ盲目の老嬢ミツコに魅かれたのだろうか?都会で夢破れ田舎に帰って来た若者を引き付けたのは、彼女がアルゼンチンに居たことがありタンゴを踊れると直感したからではないか?退屈な日常の中に現われた非日常がミツコだったのではないか?と思ったりします 標題の「ブエノスアイレス午前零時」はピアソラの曲ですが、残念ながらまだ聴いたことがありません。聴けばある程度この小説の雰囲気が感じ取れると思うのですが・・・・

一方、「屋上」は

主人公の青年はストア8階・屋上にある「プレイランド」で子供向けの乗り物やゲーム機などを管理している。同じ屋上にペットショップが動物たちを飼っているコーナーもある。そこにポニーがいるが、狭いスペースの中でずーっと立ちっぱなしの姿を見て青年は居たたまれなくなる。そして思う。『屋上に長くいると、世界から切り取られた場所に思えてきて、高さまで増した気分になる。少し体を屈めれば周りは空だけになって、今度は世界はこの四角いコンクリートの板しかないのではないかと思えてくる。閉所恐怖症と広所恐怖症と高所恐怖症・・・』。ある日、青年は屋上で貧血で倒れ頭を打つ。そしてポニーが神様の遣いだと思い込むようになる。そして、ある日、『屋上の高度を高めるために』屋上の動物たちの入った檻の鍵を次々と開け放ち、動物たちをコンクリートの屋上に開放する。耳鳴りがして遥か遠い地平線にポニーの幻影を見る。

これは「世界から切り取られた場所」に閉じ込められた青年が、孤独に耐えかねて遂に発狂する物語ですが、同じ「切り取られた場所」でも周りが何もない「空」だったことが致命的だったと思います

ところで、この小説の中に次のような会話があります

「もう、まいっちゃうのはウサギ。ウサギは孤独にすると、死んじゃうんですよ。構わないと、寂しくなって死ぬんです」

「そんな、それは、嘘でしょう」

「本当ですよ。常識、ペットの世界では」

これは聞いたことがあります。ところがわが家のモコタロに関してはどうも当てはまらないようです どちらかというと、「勝手に遊びたいからほっといて欲しい」というタイプで、放し飼いにするとあちこち散歩したあげく、隅っこの方に行ってジッとしています。エサをあげる時だけは寄ってきて食べますが ウサギだっていろいろなタイプがあるのでしょう

 

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松田華音のデビュー・リサイタル・アルバムを聴く~超大型新人の登場か?

2014年12月30日 08時10分44秒 | 日記

30日(火)。わが家に来てから94日目を迎えたイタズラ小僧のモコタロです 

 

          

          また座布団の綿を掘り出しましたね? 綿ボクない・・・

 

  閑話休題  

 

仕事納めの26日に風邪を引いて以降、毎日ほぼ1日中寝て本を読みながらCDを聴いています 主に今年最後のコンサートである31日のベートーヴェン「弦楽四重奏曲選集」=ラズモフスキー第1番~第3番、作品127番、作品130番をアルバン・ベルク四重奏団のCDで予習しています

 

          

          

 

そうは言うものの、いつもベートーヴェンの弦楽四重奏曲ばかりでは飽きてしまうので、何枚か別のCDを用意しています そんな中で今一番のお気に入りは松田華音(まつだ・かのん)のデビュー・リサイタル・アルバムです デビューがいきなり名門ドイツ・グラモフォンですから、よほどの実力があり将来を期待されているという証左です 彼女は4歳でピアノを始め、6歳のときに母親とロシアに渡りグネーシン音楽学校で教育を受け、今秋からモスクワ音楽院で学んでいます

 

          

          

 

CDに収録されているのは①ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第21番”ワルトシュタイン”」、②ショパン「バラード第1番」、③同「ポロネーズ第6番」、④リスト/シューマン「献呈」、⑤ラフマニノフ「練習曲集”音の絵”」より第6番、⑥同「同第5番」、⑦同「同第9番」、⑧スクリャービン「8つの練習曲~第5番」、⑨同「ワルツ変イ長調」、⑩パッヘルベル「カノン」(ピアノ編曲版)の10曲です。最後の「カノン」は想像通り松田華音の名前に因んだ選曲です

最初にベートーヴェンのソナタを聴いた時は、ちょっと大人しいかな、と思いましたが、繰り返し聴いていくと、かなり理知的に弾いているな、と感じるようになります ショパンのバラードで華麗な世界を、ポロネーズで勇壮な世界を聴いた直後、穏やかに流れてきた音楽に背筋が寒くなるような感動を覚えました シューマンの歌曲『君に捧ぐ』にリストがピアノ演奏用に技巧を施した名曲『献呈』です

この曲の持つ魅力もありますが、松田華音の演奏がその魅力を十二分に引き出しています この曲を選んだ理由について、本人がCDアルバムの中で「みなさん12年間ありがとう、という思いで選びました」と語っています。12年間というのは彼女が2002年にロシアに渡ってグネーシン音楽学校で学んできた12年間のことです。彼女の想いが込められた素晴らしい演奏です

ついでに言えば、ベートーヴェンの「ワルトシュタイン・ソナタ」は、彼女がグネーシン音楽学校の1年生の時に、グネーシン卒業演奏会で最上級生のユリアンナ・アヴデーエワが演奏したのを聴いて、深く魅了された曲だそうです アヴデーエワは言うまでもなく、ショパン・コンクールでマルタ・アルゲリッチ以来45年ぶりの女性優勝者です。したがって、松田華音はアヴデーエワの後輩ということになります これは楽しみです。私は気になるアーティストはCDだけでなく、実際に生の演奏を自分の耳で聴いてその実力の度合いを判断するようにしています CDで聴いて良かったのでコンサートを聴いてみたら大したことなかったということもあるし、反対に、CDでは大したことないと思ったのにコンサートを聴いたらすごく良かったということもあるからです。私の直感は『超大型新人の登場』です 来年の4月7日のリサイタルが楽しみです

 

          

 

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深水黎一郎著「最後のトリック」を読む~読者全員が犯人というトリックの中身は?

2014年12月29日 09時00分06秒 | 日記

29日(月)。わが家に来てから93日目を迎え追い詰められたモコタロです 

 

          

           ガラケーで写メしないでよ 暗いじゃん ぼく存在感うすいし        

 

  閑話休題  

 

27日付日経夕刊「こころ」欄に「幸せを感じる方法 大竹文雄さんに聞く」という記事が載りました 大竹文雄さんは1961年生まれ。83年京都大学経済学部卒。専門は労働経済学。著書に「日本の不平等」(日経・経済図書文化賞)などがあります。大竹さんの話を超訳すると

「日本人は高齢者ほど不幸だと感じている。老年ほど幸せを感じる欧米とは対照的だ ところが、若い世代から見たら、彼らの生活水準は高いかもしれない。自分たちが低い水準で満足しているのに、豊かな人たちが不幸だと感じて文句を言っているように思えてくる。そうなると、世代間の対立が起きてくる それこそ不幸なことになる。デンマークの研究で、周りが豊かだと幸福を感じるという効果が分かっている。渋滞で前が見えないとき、隣の車線が動くと、いずれこちらもと、希望が出てくる。トンネル効果といって、『もうすぐ豊かになれるぞ』という感覚が幸福感を高める その感覚がないと、不満が募る。話題のベストセラー『21世紀の資本』で仏経済学者トマ・ピケティが論じているような社会では景気が良くなっても、上位1%の人しか所得が増えない。99%は変わらない。そうした感覚が共有されてしまうと、幸福感は上がらない 『日本の幸福度』調査では、他の人の生活水準を意識する人ほど不幸だ、というデータが出ている。向上心は高まるかも知れないが、幸福感は下がる。米国人は同じか、もっと下を見るのでハッピーになりやすい。だから、幸福であり続けるためには、できれば人と比較しない。比べても、そんなに高い目標は掲げない

「サラリーマンの定年後の幸福度を調べたことがある。在職時から貯蓄や資産運用、人脈作り、健康維持を工夫していた人の幸福度は高い。そうでない人とはぜんぜん違った。長期展望を持つことが重要だ しかし、何でもうまくいくとは限らない。想定と違っても慌てない知恵も必要だ。すぐに効果が出るのが利他的な行動だ。寄付などにお金を使って他人を助けると、幸福感が高まる。他人の役に立ち、社会のためになっているという感覚が幸福感を高めてくれる。ひいてはお金が巡るようになって日本経済全体にもいい効果がある

ある程度所得も貯蓄もある高齢者が幸せを感じていないというのは、日本独特の政治・経済・社会情勢があるのだと思います 問題は、お金があったとしても使わずに貯蓄に回しているという実態です。自分や家族にもしものことがあったらどうするか、と考えて消費を控えてしまうのです。消費税が上がり、さらに上がる予定があり、年金が減らされる傾向にあり、という実態を見れば無理もないと思う人も少なくないでしょう

一方、「若者は幸福か」と言えば、決して幸福ではないと思います。4年生大学を出ても正社員になれずアルバイトで糊口をしのいでいる娘を見ただけでもそう言えます。今まで滅多に選挙の投票に行ったことのない娘が、今回ばかりは余程現状に不満だったのか投票に行きました。私は今の政権の「非正規雇用者を増大させる政策を止めさせるべきだ」という主張ですが、娘は「どうせ正社員になれないんだから、せめてアルバイトでももっと労働条件を良くすることを考えてほしい」という主張でした 開票結果は周知の通り政権政党の圧勝でしたが、問題は史上最低の投票率でした 結局、現政権のイケイケドンドン政策に歯止めをかける1票にはなりませんでしたが、棄権することなく1票を投じたことは良かったと思っています

 

  も一度、閑話休題  

 

風邪で寝ている間に、深水黎一郎著「最後のトリック」(河出文庫)を読み終わりました 深水黎一郎は1963年、山形県生まれ。慶應義塾大学院卒のほか、ブルゴーニュ大学修士号、パリ大学DEAなどを取得しています。2007年『ウルチモ・トルッコ』で第36回メフィスト賞を受賞してデビューしました

 

          

 

スランプに陥ったミステリー作家のもとに香坂誠一なる人物から「『読者が犯人』というミステリー界では不可能なトリックのアイディアを2億円で買ってほしい」という手紙が届く 手紙には「香坂誠一の覚書」という、自分自身の幼い日々の思い出を綴った短文が同封されていた。作家は友人にどうしたものかと相談するが、「そんなの詐欺に決まっている」と一笑に伏される しかし、スランプに陥っていた作家は一大決心をする その決心とはどんなものか?香坂はなぜ2億円という額を提示してきたのか?最後まで読み終わった時、してやられたと思わされること必須です

ところで、この本の中に一か所だけクラシック音楽が登場します。それは作家が超心理学者・古瀬博士の研究室を訪ねた時のシーンです

「壁にはBの文字が、こちらは白い文字で書かれてある。

『ちなみにブースAとブースBの間の壁の厚さは4メートル。しかも両方のブースに特注の完全防音を施してあります もし片方のブースにシカゴ交響楽団と合唱団が全員入って、ベルリオーズの”テ・デウム”を演奏したとしても、もう片方のブースには、針1本落ちる音も聞こえないことでしょう

私は笑った。博士がかなりコアなクラシック・ファンであることは、人伝に聞いていた。ベルリオーズの『テ・デウム』は、超巨大編成で有名な曲だし、シカゴ交響楽団はショルティ以来、フル・オーケストラのときのと迫力では定評のあるオーケストラである もっともブースの広さから見て、せいぜい中には弦楽四重奏団くらいしか入れないだろうが・・・・・

作者の深水黎一郎氏はフランスの大学でも学んでいることから、フランス文学のみならず、フランスの作曲家による音楽にも精通しているのでしょう

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橋本武著「解説 徒然草」を読む~よき友、わろき友の基準は?

2014年12月28日 08時42分28秒 | 日記

28日(日)。わが家に来てから92日目を迎えたモコタロです 

 

          

                     きのうご主人さまは風邪ひいて1日中寝ていたなあ

 

  閑話休題  

 

橋本武著「解説 徒然草」(ちくま学芸文庫)を読み終わりました 著者の橋本武さんは中高一貫名門校の灘校で国語の教師を務め、「銀の匙」1冊を3年間かけて読む国語の授業により、灘校を東大合格率ナンバーワンに導いた人です

「つれづれなるままに・・・」で始まる序段から「八つになりし年・・・」で始まる最後の第243段までの中から70の随筆を選んで、通釈と解説を加えています

 

          

 

「徒然草」といえば高校の古典の授業で習い、また”浪人時代”に大学受験のためさんざん勉強しました したがって、いくつかの段は懐かしさとともに読みました。例えば「仁和寺にある法師」で始まる第52段(石清水詣で)や、「これも仁和寺の法師」で始まる第53段(足鼎かづき)などは仁和寺のお坊さんの失敗談を取り上げて人生の教訓としていますが、話としても面白く楽しんで勉強したように思います

現代とだいぶ時代が違うなあと思うのは「友とするにわろき者七つあり」で始まる第117段(わろき友よき友)です。次のような内容です

「友とするにわろき者七つあり。一つには高くやんごとなき人。二つには若き人。三つには病なく身強き人。四つには酒を好む人。五つにはたけく勇める兵。六つにはそらごとをする人。七つには欲ふかき人。よき友三つあり。一つには者くるる友。二つには医師(くすし)。三つには知恵ある友」

つまり、「友達としてはならない人は7つある。弟1には高貴な人。第2には若い人。第3には病気知らずの頑丈な人。第4には酒を好む人。第5には勇猛な武士。第6にはウソをつく人。第7には欲の深い人。よい友には3種がある。第1には物をくれる友。第2には医師。第3には知恵のある友」というものです

橋本さんは「よき友」のうち「物くるる友」の解説に次のように書いています

「”物”そのものよりも”くるる”気持ちが嬉しく、人生が楽しく豊かに感じられる。これを言うことのできる人間は、気軽に物を与えることのできる人間にちがいない。その与えることは何も言わずに、けろりとした表情で、”物くるる友”と言える兼好に、私は全幅の親近感をいだかずにはいられない」

これを一つ取ってみても、灘校のエリートたちはこういう素晴らしい感性の持ち主にじっくりと一つのテキストを習っていたのだな、と感心してしまいます。

 

  も一度、閑話休題  

 

「徒然草」ということで言えば、25日(木)の日経朝刊第1面のコラム『春秋』がアベノミクスの”3本の矢”を取り上げる中で「徒然草」の一説を紹介しています

「『徒然草』にこんな話がある。矢を2本持って的に向かう弟子を師匠が戒める。後の矢をあてにすると、始めの矢がおろそかになる。ただ、この一矢で決すると思えと。的確な経済運営は、名人でも難しい。まして、アベノミクスは道半ばで、足踏みしている。頼みの矢ばかりが増えても肝心の的に当たらなければ意味がない」

「徒然草」→「アベノミクス」のつながりで言えば、26日の朝日・金融情報欄のコラム「経済気象台」は冴えていました。超訳すると

「確かに、2年前に安倍政権が誕生してから、円安、株高を背景に日本経済は活況を呈している。しかし、この結果を生んだのは、明らかに『第1の矢』である、日銀の異次元金融緩和である。首相自らの専管事項である第2、第3の矢の政策とは言いがたい。首相の意図と反して、国民に問いたいとしたアベノミクスの中身は結局、『クロダノミクス』の成果だけでしかない」

私が”冴えている”としたのは、この主張が「国民の大多数が言いたいことを代弁してくれた」ということもありますが、むしろ「クロダノミクス」という言葉の使い方です。つまり、筆者は「アベノミクス=日銀の黒田総裁の大胆な金融緩和策に頼っていた=『黒田頼み』の政策=クロダノミクス」とシャレ倒していることです このコラムの最後に「この欄は、第一線で活躍している経済人、学者など社外筆者の執筆によるものです」と書かれています。朝日の社内にはこれだけのことが書ける記者がいないということでしょうか

 

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「その女アレックス」、「あなたの本」、「解説 百人一首」を買う

2014年12月27日 10時00分30秒 | 日記

27日(土)。わが家に来てから91日目を迎え、娘のバースディーケーキのそばで為すすべを知らないモコタロです 

 

          

           クリスマスの25日がおねえちゃんの誕生日だったんだよ

          共胴通信の配信が遅れて写真が今朝になったんだってさ

 

  閑話休題   

 

不覚にも年末の仕事納めの昨日、風邪をひいてしまいました 前日夜、寝ている時にやけに身体が熱いと思っていたら、朝になってすごく喉が痛みました。出勤して、懐かしの”水銀体温計”を借りて体温を測ってみたら37.5度ありました 私は平熱が5度台後半なので結構な高熱です。さっそく地下のNクリニックに予約に行くと午後4時半ごろまで予約でいっぱいということでした。仕方ないので、4時台のいつかということで予約して診察券を預けてきました。4時10分に行ってみたらすぐに診てもらえました。その場でインフルエンザの”試験”もやってもらいましたが、STAP細胞と同じように、ウィルスは発見されなかったということで一安心しました。薬局で薬をもらって30分ほど早退して帰ってきました。

 

  閑話休題  

 

これは数日寝込む可能性があるな、と思ったので本を3冊買って帰りました 1冊目はピエール・ルメートル著「その女アレックス」(文春文庫)です

 

          

 

2冊目は誉田哲也著「あなたの本」(中公文庫)です

 

          

 

3冊目は橋本武著「解説『百人一首』」(ちくま文庫)です。「解説 徒然草」の第2段です

 

          

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ジェフリー・ディーヴァ―著「007 白紙委任状」(上)(下)を読む

2014年12月26日 07時01分56秒 | 日記

26日(金)。わが家に来てから90日目を迎えた毎日が冬休みのモコタロです 

 

          

          スポンサーのご主人様は今日が仕事納めだと言ってたけど 帰り遅いんだろうな

 

  閑話休題  

 

ジェフリー・ディーヴァ―著「007 白紙委任状(上)(下)」(文春文庫)を読み終わりました ジェフリー・ディーヴァ―の作品はこのブログでも何冊かご紹介してきました。ディーヴァ―は1950年シカゴ生まれ。科学捜査の第一人者「リンカーン・ライム」シリーズや”人間ウソ発見器”「キャサリン・ダンス」シリーズなどでお馴染みです

 

          

 

イアン・フレミング原作による「007シリーズ」は、英国の情報部員ジェームズ・ボンド(暗号名007)を主人公に、1953年に初めてこの世に出ました 第1作は「カジノ・ロワイヤル」でした。その後、ショーン・コネリー主演で映画がシリーズ化され、世界中の若者たちを虜にしました イアン・フレミングは1964年に56歳の若さで死去したため、その後はいろいろな作家がイアン・フレミング財団公認のボンド・シリーズとして新作を手がけ、それを映画化してきました 今回、世界的な作家ジェフリー・ディーヴァ―に新作の執筆の声がかかったのです

 

          

 

ボンドは、「金曜日の夜、数千人の死傷者が出るテロ計画が実行されようとしている。それを6日間で阻止せよ」という指令のもと、セルビアに来た 事件の鍵を握るのは謎の男、暗号名アイリッシュマン。謎を追って行く過程で、世界一リッチな屑屋グリーンウェイ・インターナショナル社長のセヴェラン・ハイトがテロ計画にかかわっているらしいことを突き止める 彼が側近としていたのが”アイリッシュマン”ことナイアル・ダンだった。身分を偽ってグリーンウェイ本社に招かれたボンドは、命がけの駆け引きの上、遂に計画を阻止したかに思われた しかし、自分が解決しなければならないのは、まったく別の事件であることに気が付く。さて、ボンドは限られた時間の中で本当の攻撃を阻止することができるのか・・・・・

お約束通り、どんでん返しが待っていますが、私はてっきり、ある人が”影の真犯人”ではないかと思っていて、ディーヴァ―もそのようなストーリーを展開していったので、ディーヴァ―の仕掛けを見破ったりと思っていたら、見事に裏切られました。やっぱりディーヴァ―は一筋縄ではいきません

 

  も一度、閑話休題  

 

チケットを2枚買いました。1枚は「東京・春・音楽祭2015」の一環として国立科学博物館『日本館講堂』で3月18日(水)午後7時から開かれる「N響メンバーによる弦楽四重奏曲~オール・ベートーヴェン・プログラム」公演です プログラムは①ベートーヴェン「弦楽四重奏曲第4番」、②同「同・第3番」、③同「同・第7番”ラズモフスキー第1番”」の3曲。出演は、N響のコンマス山口裕之、宇根京子(以上ヴァイオリン)、飛澤浩人(ヴィオラ)、藤村俊介(チェロ)というメンバー。チケット代は全自由席3,600円です

 

          

 

もう1枚は4月6日(月)午後7時からサントリーホールで開かれる「トヨタ・マスタープレイヤーズ・ウィーン」のコンサートです プログラムは①モーツアルト「セレナータ・ノットゥルナ」、②フンメル「トランペット協奏曲」、③ショパン「モーツアルトの『ドン・ジョバンニの”お手をどうぞ”の主題による変奏曲』、④モーツアルト「フルートと弦楽のためのアンダンテ」、⑤ベートーヴェン「交響曲第2番」です 

この臨時編成オケは2年連続で聴いていますが、少人数編成ながら迫力のある素晴らしい演奏をします。まだチラシがないので残念ながら写真はありません

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映画「複製された男」を観る~巨大な蜘蛛の意味は?

2014年12月25日 07時01分00秒 | 日記

25日(木)。わが家に来てから89日目を迎えたトリミング中のモコタロです 

 

          

                             ブラッシングしてもらってんだ 気持ちよかたい

 

  閑話休題  

 

昨日の日経夕刊・文化欄に「今年の収穫 クラシック」が載りました。音楽評論家の山崎浩太郎氏は①インバル指揮都響によるマーラーの「交響曲第10番」、②フォーレ四重奏団、③ボストリッジ(テノール)リサイタルを取り上げています 私はこのうち①だけ聴きましたが、②は当初聴きに行く予定だったものの、後からHJリムのピアノ・リサイタルが入ってきたので乗り換えたため、残念ながら聴けませんでした 山崎氏はこのクァルテットについて「驚異の4人。いま必聴の音楽というものがあるとすれば、それは彼らのことだと信じる」と最大の評価を与えています ああ、聴きたかった! 何でダブるんだ

 

          

 

          

 

また、江藤光紀氏はベスト3のうちの1つに新国立劇場のコルンゴルト「死の都」を取り上げ、「知られざる名曲も射程に入ってきた」と書いています 私はこの公演をゲネプロと本番の2度観ることができたのはラッキーでした。素晴らしい公演でした

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

一昨日、池袋の新文芸坐で「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」と「複製された男」の2本立てを観ましたが、昨日「アンダー・ザ・スキン」について書いたので、今日は2013年カナダ映画「複製された男」について書きます

 

          

 

映画の中に自分と瓜二つの男を発見した大学の歴史講師アダムは、ネットでその役者アンソニーを探し出して接近する 実際に会ってみると、お互いに顔も声も誕生日も胸にあるキズの位置も同じということが分かる 二人は似ているだけにお互い疑心悪鬼になりアダムの恋人メアリーとアンソニーの妻ヘレンを巻き込んで、とてつもない運命の結末を迎える

 

          

 

映画を観ていて、いま目の前にいるのはアダムなのか、アンソニーなのか、分からなくなることがしばしばあります それがこの映画の狙いの一つなのでしょうが、アダムの母親の言葉によればアダムには双子の兄弟はいないことになっています したがってアンソニーはまったく赤の他人ではあるけれど、そっくりな存在ということになります

この映画の原題は「ENEMY(敵)」です。この映画の秘密を原題から解けば、アダムとアンソニーは敵同士ということになるでしょう 観終わって映画を振り返ってみると、わけの分からないことだらけです 冒頭の秘密クラブで蜘蛛が出てくるシーン、そして最後のシーンでも巨大な蜘蛛が現われるけれど、あの蜘蛛はいったい何を象徴しているのか。登場人物の会話から、その秘密クラブはアンソニーが関わっていることが分かりますが、なぜ蜘蛛なのか、フロイト的な分析が必要なのかも知れませんが、まったく分かりません

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映画「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」を観る~スカーレット・ヨハンソンの魅力がすべて

2014年12月24日 07時00分39秒 | 日記

24日(水)。わが家に来てから88日目を迎えた神出鬼没のモコタロです 

 

          

           ぼくは雑誌じゃないけど マガジンラックに入ってみたよ

 

  閑話休題  

昨日は、せっかくの休日なので身体を休めればいいものを、じっとしていられない性格なので、池袋の新文芸坐に映画を観に行きました ちょうど「シネマ・カーテンコール2014」という企画の最中で、昨日は2013年英国映画「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」と2013年カナダ映画「複製された男」の2本立てをやっていました 新文芸坐は中高年男性を中心に大勢の観客が詰めかけています。この映画館は1本を2週間にわたって上映するなんてことはなく、ほぼ日替わりメニューに近いインターバルで上映するので、とくに現役引退後の人達にとっては絶好の”暇つぶしプレイス”です という訳で、今日は「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」について書きます

          

          

 

この映画は、人間の女性に成りすました異星人が、車に乗って、ひたすら獲物となる男性を探して「捕食」するシーンをドキュメンタリーのような手法で描いています したがって、ストーリーがあるようでなく、ないようである、そんな感じの映画です この映画の売り文句はヒロインの異星人を演じるスカーレット・ヨハンソンの美しさです 逆に言えば、ヨハンソンを観る以外にさほど楽しみのない極めて退屈な映画です 隣り合わせた高齢の男性が映画を観ている途中「何だこりゃあ・・・・・」と呟いていたのが印象的です

もう一つ気が付いたのは、音楽です 同じ音のパターンを繰り返す「ミニマル・ミュージック」のような音楽が騒々しく流れます それ以外は、極めて静かなシーンの方が多いくらいです。上演時間は108分ですが、内容の割には長すぎるきらいがあります

 

          

 

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インド映画「めぐり逢わせのお弁当」を観る~間違った電車に乗っても正しい場所へ導かれる

2014年12月23日 08時51分10秒 | 日記

23日(火)。わが家に来てから87日目を迎えた目立ちたがり屋のモコタロです 

 

          

          おいおい どこにピント合わせてんだよ おれだろ!おれ!

 

  閑話休題  

 

20日(土)にインド映画「マダム・イン・ニューヨーク」と「めぐり逢わせのお弁当」の2本立てを観ましたが、先日「マダム・イン・ニューヨーク」について書いたので、今日は「めぐり逢わせのお弁当」について書きます

主婦イラは冷め切った夫婦関係を何とか元に戻そうと腕を振るって弁当を作るが、何かの手違いで見ず知らずの男に届けられる 弁当は空っぽで戻ってくるが、夫との会話から、弁当が夫に届いていないことが分かる 翌日の弁当に手紙を忍ばせると、その男サージャンから返事が来る。”文通”はしばらく続けられ、妻を亡くした男やもめのサージャンと夫に浮気の疑いのあるイラはお互いに会いたいと思うようになる 喫茶店で待ち合わせることになり、イラは店に行くがサージャンの姿はない。後で分かることだが、サージャンは同じ店に居合わせたが、彼女に声をかけなかったのだ 若く美しいイラに対し、いつの間にか自分は年老いていることにその朝気が付いたからだ。サージャンは声をかけなかった理由を最後の手紙に書いて弁当箱に忍ばせる

 

          

 

もし、サージャンが喫茶店でイラに声をかけていたらどうなっていただろうか?・・・・明らかにサージャンはイラを気に入っているけれど、イラは、自分と同年代くらいの若い男を想像していたかも知れない・・・・そう思うと、やっぱり声をかけなくて良かったのかも、と思ってしまいます

ラストシーンで、ダッパーワ―ラ―の歌が流れます

「人はたとえ間違った電車に乗ったとしても、正しい場所へと導かれる」

イラとサージャンは、弁当が間違った相手に届けられたことで”文通”を始めたけれど、最後まで会って話をすることはなかった それが”正しい場所へと導かれた”ということなのだろうか?ダメもとで声をかけた方が良かったのではないか、と思ったりもします

さて、”文通”ということで言えば思い出があります 埼玉県の県立高校3年生の卒業間近かの頃のことです。ある朝、机の中に見たこともない教科書が入っていたのです 他人がわざわざ入れる訳がないし、と思ってよく考えてみたら、夜同じ机を使っている定時制の生徒が持ち帰るのを忘れたのではないか、と思い付きました そこで、「机の中に物を忘れないで!」という趣旨の手紙を書いておきました。すると、翌日手紙が入っていて、「申し訳なかったが、あなたこそ、いつも物を入れっぱなしで帰っている。お互い様です」というようなことが書かれていました 自分では気が付かないうちに、あくまでも昼間の生徒が優先で、夜間の生徒は二の次という差別意識があったようです。そこで、次の日の手紙で率直に謝り、名前を教えてほしいと書くと、「T美といいます」という返事が入っていました。その後、「いま大学受験を控えているので勉強が大変だ」と書くと、「健康に留意して頑張ってください」という激励とともに、風邪をひいた時に食べる”たまご酒”のレシピが書かれていたりしました 卒業までのほんの短い間でした。クラスメイトには一言も話していません。一度でいいから会って話がしたい、と思いましたが、叶いませんでした 今ごろT美さんはどこでどうしているでしょうか

さて、映画の話に戻りますが、ストーリーはともかく、この映画を観てまず驚くのは、冒頭のシーンです インド・ムンバイでは、お昼時になるとダッバーワ―ラ―(弁当配達人)が各家庭から預けられたお弁当をオフィス街で働く夫の元に届けている、ということで、夥しい弁当箱が自転車で回収され、列車や車でオフィスへーというように次々とリレーされ届けられていくシーンです 夫たちはなぜ弁当を自分で持って出勤しないのか、という単純な疑問が湧きますが、映画を観ていると、イラは夫や子供が出かけた後に時間をかけて4段重ねの弁当を作っているので、多分、インドでは早朝に弁当を作る習慣がないのでしょう

今回観たインド映画は2本とも素晴らしかった。是非ご覧になることをお薦めします

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ピアノ独奏によるベートーヴェンの「第9」を聴く~若林顕ピアノ・リサイタル

2014年12月22日 07時00分48秒 | 日記

22日(月)。わが家に来てから86日目を迎えますます肥えるモコタロです 

 

          

              ドアップで驚いた? でかい口きくなと言われそうだな

 

  閑話休題  

 

12月は、ガッカリするほどコンサートがありません。正確に言えば「聴くべきコンサートがない」と言うべきでしょうか。つまり、在京オケは12月に入ると毎日のようにベートーヴェンの「第9」を集中的に演奏して荒稼ぎをするので、言わば「第9しかない」のです。そんな中、例年オーケストラで聴いている第9を今年はピアノ1台による演奏で聴いてみようと思い立ちました。

という訳で昨日、晴海の第一生命ホールで「若林顕 ピアノで聴く『第9』」コンサートを聴きました プログラムは①リスト「コンソレーション第3番」、②同「愛の夢 第3番」、③同「ハンガリー狂詩曲第2番」、④ベートーヴェン/リスト「交響曲第9番」(ピアノ独奏版)です

 

 

          

 

若林顕は東京藝大卒業後、ザルツブルク・モーツアルテウムやベルリン藝術大学で学び、85年ブゾーニ国際コンクール2位、87年エリーザベト王妃国際コンクール第2位に入賞、その後、国内外のオーケストラと共演を重ねています

自席は1階19列13番、センターブロック左通路側、最後列から2番目の席です。会場は8割方埋まっている感じです 開演時間直前に、ロビーの片隅で若林顕氏の伴侶でヴァイオリニストの鈴木理恵子さんらしき人を見かけました

この日の演奏会でプログラムの主役となるフランツ・リストは1811年に生まれ1886年に死去しました。ピアノ演奏の歴史の中でリストの存在はダントツの位置にいます 史上初めてピアノのソロ・リサイタルを開き、ピアノの表現可能性を最大限に向上させました 私は知らなかったのですが、プログラムの解説によると、リストは「敬愛するベートーヴェン記念碑の設置基金を募るため、また、ドナウ川の氾濫で被災した人々の救済基金を募るために、8年間に1,000回ものコンサートツアーを遂行した」そうです 私は、リストは自らの技巧を世間に見せつけるために数々の超絶技巧曲を作曲し、自ら演奏したのだと思っていました。そのイメージが一変しました

開演時間の2時になったのに会場が暗転する気配がありません。5分経過したところで、遅刻者が約10名くらいドドッと入場してきました 忙しいサラリーマンが午後7時の開演に滑り込むのとはシチュエーションが違います。日曜の午後2時です。どうして遅刻するのか理解できません 5分とはいえ、開演時間に間に合うように来場した”真面目な”聴衆が待たされるのはおかしな話です。開演時間になったら会場を閉鎖すべきです 因みに私の場合は、開演30分前には会場に到着し、ホワイエでコーヒーを飲みながらプログラムを読み、開演5分前に指定席に着きます。なぜなら、いつも通路側席を取っているので、同じ列の奥の人がすべて入ってから着席するためです。あまり早く着席すると、後から来た人が中に入るとき大抵不愉快な思いをするからです。2人に1人は「前を失礼します」のひと言が言えません

1曲目の「コンソレーション第3番」は優しい曲です。コンソレーションとは”慰め”という意味ですが、まさにそのような曲想です 気分よく聴いて、曲が終わったと思った瞬間、まだ拍手が起こらないうちに、いきなり後ろの扉が開かれ、アテンダントの案内で高齢男性が入ってきて左サイドの最後部席に着き、ドタンという音とともに腰かけました 何という無神経な案内と”お客”なのか、演奏者に対しても他の聴衆に対しても失礼な態度です この”お客”は休憩後に、アテンダントから「お客様の本来のお席までご案内します」と言われ、「席が決まっているんですか?」と訊き返していました。呆れた話です。遅刻してきたので、取りあえず最後列に案内されたのだから、休憩後は自分で自分の指定席に行くべきなのに、それさえも理解していないのです 案内された席が相当前の良い席だったので、誰かから招待されたのかも知れません。こういう人はもう来なくていいです 周りの聴衆はコンソレーションが欲しいと思ったに違いありません

2曲目の「愛の夢」はアンコール・ピースとしてよく演奏されるロマンティックな曲です。リストと言えば”超絶技巧”ですが、こういう曲もいいですね

3曲目は「ハンガリー狂詩曲第2番」です。普段オーケストラで聴き慣れている曲ですが、ピアノ独奏で聴くのも感慨深いものがあります。若林顕のピアノは力強く、フルオーケストラにも負けない迫力があります

 

          

 

休憩後はいよいよベートーヴェンの「交響曲第9番ニ短調」のリスト編曲版です。考えてみれば物の順序が逆ではないかと思います。というのは、ベートーヴェンは交響曲を作曲するに当たって、まずピアノでメロディーを弾いて、後から肉付けしていったはず もちろん、第9交響曲を作曲している頃はほとんど耳が聞こえなかったということはありますが。ところが、リストは、交響曲をピアノ1台で演奏するという、まったく逆のことをやってのけたのです ラヴェルがムソルグスキーのピアノ曲「展覧会の絵」をオーケストレーションしたのと逆のアプローチです

リストは20代の頃からベートーヴェンの交響曲全曲をピアノ1台で演奏することを始めましたが、最後の第9に至っては、さすがに1台では演奏困難と考えたのか、まず2台のピアノ版を手がけ、その後、1台のピアノ演奏版を作曲したようです 第9ピアノ版の完成は54歳の時といいますから30年位の年月をかけて全9曲を手がけたことになります

リストのピアノの師はツェル二ーですが、ツェル二―はベートーヴェンの弟子でした。したがって、リストはベートーヴェンの孫弟子に当たります リストは少年期に1度だけベートーヴェンに会ったことがあるそうです。それからベートーヴェンはリストにとって神のような存在になったのでしょう。その意味で、交響曲のピアノ演奏版はベートーヴェンへのオマージュなのかも知れません

若林顕のピアノは渾身の演奏でした 私が一番懸念していたのは第3楽章「アダージョ」でしたが、弛緩することなく見事に弾きました 第4楽章の”歓喜の歌”の場面では、ピアノ1台から100人の合唱が聴こえてきたように感じました 60分ほどの大曲を若林は終始、緊張感を保ちながら、力強く、また祈るように、最後まで弾き切りました

これで心身ともに疲れ果てているはずなのに、若林は聴衆の熱狂的な拍手とブラボーに応え、バッハの「プレリュード」を静かに演奏し、コンサートを締めくくりました。何というスタミナでしょうか

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