人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

鈴木秀美 ✕ 小山実稚恵 ✕ 東京シティ・フィルでベートーヴェン「ピアノ協奏曲第3番」、シューベルト「交響曲第8番”ザ・グレート”」、モーツアルト「ドン・ジョバンニ」序曲を聴く

2024年06月30日 00時38分29秒 | 日記

30日(日)。月末を迎えたので、恒例により6月の3つの目標の実績をご報告します ①クラシック・コンサート=15回、②映画鑑賞=3本、③読書=9冊でした なお②は3本のうち2本はMETライブのオペラです 映画鑑賞が極端に少ないのは腰痛対策で映画館通いを避けていたためです この傾向はしばらく続きそうです

なお、2024年も半年を経過したので、今年6か月間の実績をご報告します クラシック・コンサート=94回、②映画鑑賞=55本、③読書=47冊でした なお、②にはNetflixで観た作品も含まれています

話は変わりますが、昨日午前、マンションの管理組合「定期総会」があり 出席しました 大規模修繕計画をはじめすべての議題が可決されました 役員の任期は2年ですが、現在の役員は満2年経過したが、大規模修繕工事を完了するため1年延長することも可決されました 総会後の理事会で新役員を選任しましたが、協議の結果、現在の役職を踏襲することになりました。したがって、私は副理事長をもう1年務めることになります

ということで、わが家に来てから今日で3456日目を迎え、米誌ニューヨークタイムズは28日、バイデン大統領が前日の討論会で衰えが明らかになったと指摘したうえで、トランプ前大統領の再選というリスクを止めるためには、より強い候補者が必要だとし、バイデン氏に「国のために大統領選から身を引くべきだ」とする社説を公表した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

     

     問題は バイデン大統領に代わる有力な候補者がいるかということだが 時間がない

         

昨日、東京オペラシティコンサ-トホールで東京シティ・フィル「第371回定期演奏会」を聴きました プログラムは①モーツアルト:歌劇「ドン・ジョバンニ」序曲、②ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 作品37」、③シューベルト「交響曲第8番 ハ長調 D944 ”ザ・グレート」です 演奏は②のピアノ独奏=小山実稚恵、指揮=鈴木秀美です

鈴木秀美は神戸市生まれ 18世紀オーケストラ、ラ・プティット・バンドのメンバー・首席チェロとして活躍 バッハ・コレギウム・ジャパン首席チェロを歴任し、2001年にオーケストラ・リベラ・クラシカを創設、指揮にあたる

     

オケは12型で、左奥にコントラバス、前に左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンという対抗配置をとります。コンマスは戸澤哲夫です

1曲目はモーツアルト:歌劇「ドン・ジョバンニ」序曲です このオペラはウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)が1787年に作曲、同年プラハのエステート劇場で初演されました 「序曲」はオペラの雰囲気を凝縮した音楽ですが、一説によると「序曲」は一晩で書かれたと言われています

鈴木秀美の指揮でデモーニッシュな演奏が繰り広げられました

2曲目はベートーヴェン「ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 作品37」です この曲はルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)が1800年から1803年にかけて作曲、1803年アン・デア・ウィーン劇場で初演されました ベートーヴェンの全協奏曲の中で唯一の短調作品であり、交響曲第5番”運命”と同じハ短調を基調としている点が大きな特徴です 第1楽章「アレグロ・コン・ブリオ」、第2楽章「ラルゴ」、第3楽章「ロンド:アレグロ」の3楽章から成ります 

ピアノ独奏の小山実稚恵はチャイコフスキー、ショパンの二大国際コンクールに入賞以来、国内外の主要オーケストラと共演、リサイタルを開く チャイコフスキー、ショパン、ロン=ティボー、ミュンヘンなど国際音楽コンクールの審査員も務める

オーケストラによる長い序奏に続いて小山のピアノが決然と入ってきます ベートーヴェンらしい力強い雄渾な音楽が展開します 第2楽章は小山のソロから入りますが、心に染み入る演奏で、一音一音の粒立ちが美しく、抒情性が際立っていました 第3楽章は一転、軽やかな主題がリズム感よく軽快に演奏されます 独奏ピアノとオケとの丁々発止のやり取りにより輝かしいフィナーレを飾りました

満場の拍手にカーテンコールが繰り返され、小山はシューベルト「4つの即興曲 D899」より第3番を軽やかに演奏、再び大きな拍手に包まれました

     

プログラム後半はシューベルト「交響曲第8番 ハ長調 D944 ”ザ・グレート」です この曲はフランツ・シューベルト(1797-1828)が1825年から28年にかけて作曲しました シューベルトの死後、1839年1月にローベルト・シューマンがシューベルトの兄フェルディナンドの家でこの曲の自筆譜を発見し、同年3月にライプツィヒでメンデルスゾーンの指揮で初演されました 第1楽章「アンダンテ ~ アレグロ・マ・ノン・トロッポ」、第2楽章「アンダンテ・コン・モート」、第3楽章「スケルツォ:アレグロ・ヴィヴァーチェ&トリオ」、第4楽章「フィナーレ:アレグロ・ヴィヴァーチェ」の4楽章から成ります

鈴木秀美の指揮で第1楽章に入ります。冒頭の谷あかねの演奏が素晴らしい かなり速いテンポでサクサクと演奏が進みます。流麗さを狙った演奏ではなく、どちらかというとスタッカート気味とでもいうようなメリハリの利いた鋭角的な演奏が展開します 第2楽章では冒頭の本多啓佑のオーボエが素晴らしい この楽章を聴いて気が付いたのは、弦楽セクションはノン・ヴィブラートの古楽奏法で演奏していることです 古楽の鈴木秀美ですから当然ですね 第3楽章は弦楽セクションを中心に歯切れのよい演奏が繰り広げられます 第4楽章は冒頭から高速テンポでアグレッシブな演奏が展開しますが、弦楽セクションのうねりが凄い そして、同じフレーズを何度も繰り返し、情熱的な鈴木の指揮のもと 圧倒的なフィナーレを飾りました

満場の拍手とブラボーが飛び交う中、カーテンコールが繰り返されました 聴き終わって思ったのは、「シューベルトってどうしてこうもしつこく同じフレーズを繰り返すんだろう?」ということです この日の鈴木秀美 ✕ 東京シティ・フィルの演奏は全体的にテンポが速かったので良かったのですが、ちんたら演奏されたら途中で寝るか帰るかどちらかになりそうです

なお、本番前にレセプショニストの女性にカーテンコール時の写真撮影の可否について訊いたところ、「ステージに演奏者が居る時の撮影はご遠慮ください」とのことでした つまりダメということです 他のほとんどの在京オーケストラは撮影OKです。定期会員を増やす意味でも、積極的に撮影OKにしてブログやSNSで発信してもらった方が効果的ではないか、と思います 肖像権の問題とかクリアすべき課題があるのかもしれませんが、他のオケが出来てシティ・フィルだけが出来ないことはないはずです 許可してくれれば、積極的にブログで紹介していきます 殿、ご英断を

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マキシム・パスカル ✕ 村治佳織 ✕ 読売日響でヴィヴァルディ「四季」から”春”、ハイドン「交響曲第22番”哲学者”」、ストラヴィンスキー「春の祭典」他を聴く

2024年06月29日 00時11分00秒 | 日記

29日(土)。わが家に来てから今日で3455日目を迎え、自民党の裏金事件で最も重い離党勧告処分を受けた世耕弘成・前党参院幹事長が27日、東京都内のホテルで政治資金パーティーを開いた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

     

     政治資金を集めても 次の選挙で当選しなきゃ意味がない 選挙区民を舐めんなよ!

         

昨日、夕食に「鮭の西京漬焼き」「生野菜とアボカドのサラダ」「ネギの味噌汁」を作り、メバチ鮪の刺身、いただきもののイクラと一緒に食べました 昨日は娘が外食で、私もコンサートだったので外食でも良かったのですが、出来るだけ一人分でも作る癖をつけようと思って作りました 「水は低い方に流れる」といいますからね

     

         

昨夜、サントリーホールで読売日響「第673回名曲シリーズ」を聴きました プログラムは①ハイドン「交響曲第22番 変ホ長調 ”哲学者”」、②ヴィヴァルディ「四季」から”春”、③武満徹「虹へ向かって、パルマ」、④ストラヴィンスキー「春の祭典」です 演奏は②③のギター独奏=村治佳織、③のオーボエ・ダモーレ独奏=北村貴子、指揮=マキシム・パスカルです

マキシム・パスカルは1985年フランスのカルカソンヌ生まれの39歳 パリ国立高等音楽院で指揮をフランソワ=グザヴィエ・ロトに師事。2014年にネスレ・ザルツブルク音楽祭のヤング・コンダクターズ・アワードを受賞したのをきっかけに欧州で活躍 今年8月からスウェーデンのヘルシンボリ響の首席指揮者に就任する。読響とは3回目の共演となる

     

1曲目はハイドン「交響曲第22番 変ホ長調 ”哲学者”」です この曲はヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)が1764年に作曲しました 第1楽章「アダージョ」、第2楽章「プレスト」、第3楽章「メヌエット ~ トリオ」、第4楽章「プレスト」の4楽章から成ります    ”哲学者”の愛称は第1楽章の落ち着いた雰囲気から付けられたものです

オケは古典派のハイドンということで10型の編成です 左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという いつもの読響の並び   コンマスは林雄介、隣は戸原直というダブルトップ態勢を敷きます    中央にはチェンバロがスタンバイします。なお、管楽器はホルンとイングリッシュ・ホルンが各2本だけですが、柴辻純子さんのプログラム・ノートによると、通常はオーボエを使用するところをイングリッシュ・ホルンを使用するのは、ハイドンの交響曲ではこの22番だけとのことです

パスカルの指揮で第1楽章に入ります 弦楽器が淡々と刻む伴奏に乗せてイングリッシュ・ホルンとホルンがゆったりと主題を演奏します 弦楽器の透明感のある音色を聴いて ちょっと気になったので、ヴァイオリンの指使いを目を凝らして見たら、ヴィブラートはかけてはいるものの極めて控えめで、ほとんどノン・ヴィブラートのピリオド(古楽)奏法に近いと思いました 第2楽章「プレスト」ではパスカルの踊るような指揮ぶりが目立ちました 身体全体を使ってアグレッシブに指揮をするのが彼の本領のようです ほとんど”蝶のように舞い、蜂のように刺す”モハメッド・アリの如しです 第3楽章のトリオは金管の豊かな響きが美しかった 第4楽章ではメリハリのある演奏が鮮やかでした いつも思うのですが、チェンバロも演奏しているのに、ほとんど聴こえないのです 楽器の特性なので仕方ないのですが、もっと狭いホールでの室内楽的な演奏ならともかく、大ホールでオケに混じって演奏するには無理があるような気がします

2曲目はヴィヴァルディ「四季」から”春”です  「四季」はアントニオ・ヴィヴァルディ(1678-1741)が1725年に出版したヴァイオリン協奏曲集「和声と創意の試み」全12曲の中の最初の4曲です  第1曲「春」は第1楽章「アレグロ」、第2楽章「ラルゴ」、第3楽章「アレグロ」の3楽章から成ります    この日の演奏はイタリアのリュート奏者ディエゴ・カンタルによるギター編曲版によるものです

ギター独奏の村治佳織はフランスに留学しアルベルト・ポンセに師事。1999年にはホアキン・ロドリーゴの前で彼の作品を演奏。パリ・エコールノルマル卒業後に帰国し、ソロ活動を展開している

主役が音の小さいギターのため、マイクで音を拾いPAで拡大します。オケは4・4・3・2・1という小編成で、チェンバロが加わります

独奏ギターとオケによりお馴染みのメロディーが演奏されます ギターで「四季」を聴くのは初めてですが、なかなかオツなものです 十分楽しみました

3曲目は武満徹「虹へ向かって、パルマ」です    この曲は武満徹(1930-1996)が1984年にバーミンガム市交響楽団の委嘱により作曲、サイモン・ラトル指揮同楽団により初演されました オーボエ・ダモーレとギターを独奏とする協奏曲で、スペインの画家ホアン・ミロへのオマージュとして書かれました

管楽器群が入場し、弦楽器は変則14型に拡大します 下手側にはハープが2台、チェレスタが控えます。指揮台の下手にギターの村治佳織が、上手にオーボエ・ダモーレの北村貴子がスタンバイします

パスカルの指揮で演奏に入りますが、村治の鮮やかな演奏に魅了されます それに勝るとも劣らない素晴らしい演奏を繰り広げたのはオーボエ・ダモーレの北村貴子です 楽器の特性を生かした深みのある演奏でした パスカル ✕ 読響の面々が2人をしっかり支えました

満場の拍手とブラボーが飛び交い、カーテンコールが繰り返されました 私は開演前にレセプショニストの女性に、休憩前のカーテンコールも終演後のカーテンコールもスマホによる撮影はOKであることを確かめておいたので、写メしておきました

     

     

この後、村治はアンコールにジョン・レノン&ポール・マッカートニー(武満徹編曲)「イエスタディ」を演奏、再び大きな拍手を浴びました

     

プログラム後半はストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」です この曲はイゴール・ストラヴィンスキー(1882-1971)がロシア・バレエ団の委嘱により1910年から13年にかけて作曲、1913年5月29日にパリのシャンゼリゼ劇場でニジンスキーの振付、ピエール・モントゥーの指揮により初演され、クラシック音楽史上最大のセンセーションを巻き起こしました

曲は2部構成で、第1部は生の世界を描いており、大地の再生を祝い、人々は喜びに満ち、恍惚として大地を踏み鳴らす。第2部は死の世界を象徴しており、一人の少女が選ばれ、いけにえに捧げられるーという内容です

第1部「大地礼賛」①序奏 ②春のきざしと乙女たちの踊り ③誘拐 ④春のロンド ⑤敵の都の人々の戯れ ⑥賢人の行列 ⑦大地への口づけ ⑧大地の踊り、第2部「いけにえ」①序奏 ②乙女たちの神秘的な集い ③いけにえの賛美 ④先祖の呼び出し ⑤先祖の儀式 ⑥いけにえの踊りーから成ります

オケは16型のフル・オーケストラ態勢に拡大します

パスカルの指揮で「序奏」がファゴットの神秘的な旋律で開始されます 井上俊次の演奏が素晴らしかった パスカルはこの曲でもバレエを踊っているような指揮ぶりを見せますが、各セクションへの指示は的確そのもので、それぞれの楽器が鋭く立ち上がります 咆哮する金管楽器、鋭角的な木管楽器、切れ味鋭い弦楽器、大地を揺るがすがごとく炸裂する打楽器・・・読響の総力を挙げての渾身の演奏が繰り広げられます 読響ならではのゴージャスなサウンドが会場いっぱい響き渡りました やっぱりクラシックは、特にストラヴィンスキーの「春の祭典」のような大曲はライブで聴かなければ本当の良さが分からないと改めて思いました

満場の拍手とブラボーが飛び交う中、カーテンコールが繰り返されました これほど多くのブラボーを聴いたのは久しぶりです 終始 集中力に満ちた 素晴らしい演奏でした

     

     

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池井戸潤著「花咲舞が黙ってない」を読む ~ 大手銀行の”闇”に立ち向かう若手女子行員の矜持を描く

2024年06月28日 00時39分33秒 | 日記

28日(金)。わが家に来てから今日で3454日目を迎え、ノーベル経済学賞を受賞した16人の著名学者は米大統領選でトランプ前大統領が再選した場合、「無責任な予算を組むことでインフレが再加速する懸念がある」と警告する書簡をまとめた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

     

     トランプは「バイデン・インフレを終わらせる」と言ってるが とても信用できない

         

昨日、夕食に「鶏の唐揚げ」を作りました 本来は隔週金曜日に作るのですが、今週はコンサートの予定があるので1日繰り上げました いつも通り美味しくできました 唐揚げなので断酒を一時中断してビールを飲みました サッポロCLASSICがないのアサヒスーパードライにしました

     

         

池井戸潤著「花咲舞が黙ってない」(中公文庫)を読み終わりました 池井戸潤は1963年岐阜県生まれ。慶應義塾大学卒業。98年「果つる底なき」で江戸川乱歩賞を受賞し作家デビュー。2010年「鉄の骨」で吉川英治文学新人賞、11年「下町ロケット」で直木賞、23年「ハヤブサ消防団」で柴田錬三郎賞を受賞。半沢直樹シリーズなど著書多数

     

本書は読売新聞朝刊に2016年1月17日から10月10日まで連載された小説を2017年に中公文庫として刊行したものです

銀行界を舞台に描く「不祥事」に続く「花咲舞シリーズ」第2作ですが、「不祥事」が刊行されたのは2004年のことです 時代設定としては「花咲舞が黙ってない」も20世紀末目前ということで、「不祥事」と連続しています その頃の銀行業界の出来事を振り返ると、1997年には北海道拓殖銀行や山一証券が破綻し、翌98年には日本長期信用銀行と日本債券信用銀行も破綻しています 生き残った銀行では、99年には第一勧業銀行と富士銀行と日本興業銀行の3行が「みずほフィナンシャルグループ」の設立に向かうなど再編が始まり、「銀行に就職すれば一生安泰」と言われていた時代は終焉を迎えようとしていました 「花咲舞は黙ってない」はそんな時代を背景にした物語です

本作は「たそがれ研修」「汚れた水に棲む魚」「湯けむりの攻防」「暴走」「神保町忌憚」「エリア51」「小さき者の戦い」の5話から成る連作短編集です

メガバンク・東京第一銀行の頭取からライバル行・産業中央銀行との合併が発表される 生き残りを懸けた交渉が進む中、事務部臨店指導グループの”跳ねっ返り”花咲舞は、ひょんなことから「組織の秘密」というパンドラの箱を開けてしまう。不祥事の隠蔽工作を目の当たりにした彼女は危機感を抱き、上司の調査役・相馬健を巻き込みながら組織の”闇”に立ち向かう

臨店指導グループとは、問題を起こした支店へ出向き、業務改善できるよう指導・支援し、問題を解決する部署です どちらかというと「事なかれ主義」の上司・相馬と、正義感溢れる猪突猛進気味の花咲舞との絶妙なコンビネーションによって、問題を解決していきます

以外だったのは、ライバル行・産業中央銀行のエリート行員として「倍返し」の半沢直樹が登場したことです。登場シーンは少ないものの、決定的な役割を果たします

本書を読んで一番印象に残ったのは、第7話「小さき者の戦い」の中で、事業目的で使うということで銀行が貸し付けた大金を、借り手側が株取引に使っていたことが判明した時に、相馬健が花咲舞に語った次の言葉です

「世の中にはカネに色はついていないなんて言葉があるけどな、銀行ってところはその色のついてないカネに色をつけて貸すところなんだよ かくかくしかじかの目的で資金が必要だという申請に基づいて、審査して貸すのが銀行融資だ。資金使途を違えるというのは、参考書を買うといって親からもらったカネでマンガを買うようなもんだぜ。心当たりがあるだろう

450ページを超える大作ですが、面白くてページをめくる手が止まりませんでした

本作は今年4月にテレビドラマ化されて放映されたようです 私は見逃しましたが、さぞかし面白かっただろうと想像します

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

METライブビューイングでプッチーニ「蝶々夫人」を観る ~ アスミック・グリゴリアン、ジョナサン・テテルマン、エリザベス・ドゥショング、ルーカス・チェムにブラボー!

2024年06月27日 00時04分52秒 | 日記

27日(木)。わが家に来てから今日で3453日目を迎え、米ニューヨークの裁判所は25日、不倫の口止め料をめぐる事件でトランプ前大統領に出していた、法廷外で証人や関係者の家族らについて言及することを禁じる「ギャグ・オーダー(かん口令)を一部解除すると発表した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

     

     トランプに自由に発言させて 大きな失言をしたら また多額の罰金を科す作戦か?

         

昨日、夕食に「メカジキの照り焼き」「生野菜とアボカドのサラダ」「ハマグリの潮汁」「冷奴」を作り、メバチマグロの刺身と一緒にいただきました ハマグリは小ぶりですが、とても美味しかったです

     

         

昨日、新宿ピカデリーでMETライブビューイング、プッチーニ「蝶々夫人」を観ました これは今年5月11日に米ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で上演されたオペラのライブ録画映像です 出演は蝶々夫人=アスミック・グリゴリアン、ピンカートン=ジョナサン・テテルマン、スズキ=エリザベス・ドゥショング、シャープレス=ルーカス・チェム。管弦楽=メトロポリタン歌劇場管弦楽団、合唱=メトロポリタン歌劇場合唱団、指揮=シャン・ジャン、演出=アンソニー・ミンゲラです

シャン・ジャンは1973年中国生まれ。北京の中央音楽院に入り、19歳の時に中央歌劇院での「フィガロの結婚」で指揮者デビューを飾りました シンシナティ大学音楽院で研鑽を積み、ロリン・マゼールに見出され、2009年から16年までミラノのジュゼッペ・ヴェルディ響音楽監督を務めました 現在 ニュージャージー交響楽団音楽監督を務めています

     

歌劇「蝶々夫人」はジャコモ・プッチーニ(1858-1924)がデヴィット・べラスコの同名戯曲を原作に、ルイージ・イリッカとジュゼッペ・ジャコーザの台本により1901年から03年にかけて作曲、1904年2月17日にミラノ・スカラ座で初演された全3幕から成るオペラです なお、2024年はプッチーニ没後100周年、「蝶々夫人」初演120周年にあたります

舞台は1890年代の長崎。アメリカの官軍士官ピンカートンは、斡旋人ゴローの仲介で海を見下ろす家を借り、15歳の蝶々さんを「現地妻」に迎えることにした ”結婚式”の日、ゴローから家の説明を受けていると、領事シャープレスが現われる ピンカートンは寄港地ごとに女性と出逢う楽しさを語るが、領事は純真な少女を悲しませないように忠告する 親族らとともに蝶々さんが丘を上がってくる。彼女の身の上が語られ、”結婚式”が進むが、彼女の伯父である僧侶ボンゾが乱入する 彼女がキリスト教に改宗していた事実を暴露すると、親族らは四散してしまう 泣き崩れる蝶々さんはピンカートンに慰められ、夕闇が迫るなか二人は愛を語り合う(以上第1幕)

3年が経過した。蝶々さんはアメリカに帰国したピンカートンを待ち続けているが、女中のスズキは貯えが尽きながら「夫」の帰りを疑わない蝶々さんに戸惑う ゴローは資産家ヤマドリとの結婚を勧めるが、蝶々さんに一蹴される 領事はピンカートンの手切れの手紙を持参するが、蝶々さんからピンカートンとの子どもを見せられ、何も伝えず引き返していく そこに港からピンカートンを乗せた軍艦リンカーン号の砲声が聴こえる 蝶々さんは喜び、婚礼衣装に身を包んで彼を待つ(以上第2幕)

蝶々さんは寝ずに待ったが一夜が明けてしまう 蝶々さんが休んでいる間にピンカートンと領事が現われるので、スズキは蝶々さんが3年間も待ち続けていたことを伝えるが、ピンカートンはアメリカ人の妻を連れていた 彼は後悔して逃げてしまう ピンカートンの妻を見た蝶々さんはすべてを理解し、彼が引き取りにくれば子どもを渡すと告げ、父の形見の短刀で自害する(以上第3幕)

     

演出のアンソニー・ミンゲラは1954年イギリス生まれ(2008年没)。大学卒業後、脚本家として活躍し、テレビ界でキャリアをスタートさせ映画監督になりました。丘からステージに下りて来るような傾斜舞台、左右にスライドする大きな障子、カラフルな衣装に加え、子役にマペット(浄瑠璃の人形のよう)を使用し3人の黒子が操り、日本的な演出に徹しています ただ一つだけ注文を付けるとすれば、女性たちのヘアスタイルです 日本髪に様々な飾りを乗せていますが、ほとんどチンドン屋さんです その点を除けば極めて凝った演出で好感が持てました

蝶々夫人役のアスミック・グリゴリアンは1981年リトアニア生まれのソプラノです リトアニアの音楽演劇アカデミーで学び、2018年にザルツブルク音楽祭で歌った「サロメ」が大成功して以来、世界の歌劇場で活躍しています 本作がMETデビューとなりますが、幕間のインタビューで「お父さんは名テノール(ゲガム・グリゴリアン)でしたが、歌手になろうと思っていましたか?」と訊かれ、「親の職業にだけは付きたくないと思いがちですが、自分ならこの世界でやっていけると思いました 父と同じMETの舞台で歌えることを嬉しく思います」と語っていました。また、蝶々さんの役作りについて問われると、「蝶々さんに限らず、これまで歌ってきたヒロインは、どれもが自分の中にありました 本人に成り切って歌うようにしています」と答えていました。第2幕で歌われる有名なアリア「ある晴れた日に」をはじめ、第1幕終盤のピンカートンとの「愛の二重唱」など、本人の言葉通りの熱唱で聴衆を魅了しました ”演技する歌手”というよりも”歌う女優”と言った方が相応しいかもしれません

ピンカートン役のジョナサン・テテルマンは1988年チリで生まれアメリカのプリンストンで育ちました マンハッタン音楽学校ではバリトンで、テノールに転向してマスネ音楽学校で学び直しました 今期METライブ、プッチーニ「つばめ」にも出演して好評を博しました 力強いく輝くテノールで演技力も十分です これからどんどん出てくると思います

スズキ役のエリザベス・ドゥショングはペンシルベニア州出身のメゾソプラノです ピアニストを目指していましたが、オバーリン音楽院で声楽を学びました 深みのある声で、安定感のある歌唱で存在感を示しました

シャープレス役のルーカス・チェムは1978年ノースカロライナ州生まれのバリトンです 2004~05年にサンフランシスコ・オペラの若手育成プログラムに参加、07年に「戦争と平和」でMETデビューしました 独特の艶のあるバリトンで、性格表現に優れており、演技力抜群でした

     

特筆に値するのはシャン・ジャン指揮メトロポリタン歌劇場管弦楽団の演奏です 歌手に寄り添いつつ、蝶々さんの喜び・悲しみ・希望・絶望を自ら表現していました

なお、幕間のインタビューで、METのピーター・ゲルブ総裁から合唱指揮者パルンボが17年間にわたるMETでの合唱指揮活動に終止符を打つことが紹介されました ピーターが「あなたは昼も夜もこの歌劇場で見かける多忙な人です」と向けると「ウィークデーは午前10時から劇場に入りレッスンやらリハーサルをこなし、夜には本番を迎えます 土日も本番が入ることが珍しくありません」と超多忙ぶりを語っていました 過去のライブビューイングのインタビューでパルンボが「METの合唱団は、イタリア語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、英語など様々な国の言葉による合唱を、しかも古典的なオペラだけでなく現代オペラもこなさなければならないので大変です」と語っていましたが、世界的な歌劇場の合唱団を統率する苦労は並大抵ではないな、と思ったものです

METライブビューイング「蝶々夫人」は休憩、歌手へのインタビュー等を含めて約3時間18分の上映です 「METライブビューイング2023-2024」は本公演を持って終了します

     

「METライブビューイング2024-2025」は今年の11月8日(金)から来年の7月17日まで全8作が上映されます ラインナップは下のチラシの通りですが、ここ2年間ほど新制作による現代オペラを積極的に取り上げてきたのに比べ、1作を除き極めて保守的な王道を行くプログラムになっています 注目は「アイーダ」と「サロメ」が新演出になっていることです とくに「METのアイーダ」といえばフランコ・ゼフィレッリによる絢爛豪華な演出が定番ですが、マイケル・メイヤーによる演出はどういう方向性にあるのか、興味が尽きません いずれにしても、どれもが楽しみなオペラです

     

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「新交響楽団」維持会継続手続きをする / 五木寛之著「こころの散歩」を読む ~ 「風呂が趣味とはなさけない」「トゥゲザー・アンド・アローン」ほか:人生の大先輩によるエッセイ集

2024年06月26日 00時01分50秒 | 日記

26日(水)。昨日は、あまりの暑さに今年初めてリビングのクーラーを点けました 自分だけならよいのですが、モコタロがいるので熱中症になったら大変なので英断しました

新交響楽団の回数券が無くなったので、郵便振替で維持会費10,000円を送金しました 維持会員になると2年間有効の5枚綴りの回数券(1度に何枚でも使用可:S席優先確保)が送られてきます 取りあえず7月28日(日)14時から東京芸術劇場で開かれる「第266回演奏会」を聴く予定です プログラムは下のチラシの通りですが、アマチュアオーケストラにしてはチャレンジングなプログラムです

     

ということで、わが家に来てから今日で3452日目を迎え、韓国軍合同参謀本部は24日、北朝鮮が風船と推定される物体を再び飛ばしたと発表したが、履きつぶされた靴下や、人糞由来とみられる寄生虫が検出されるなど、北朝鮮の劣悪な経済状況を示すゴミが多く含まれていた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

     

     核ミサイルを飛ばすよりはマシだけど 貧しい物品類を見ると 逆効果なんじゃね?

         

昨日、夕食に「タンドリーチキン」「生野菜サラダ」「野菜とエノキダケの中華スープ」「冷奴」を作りました タンドリーチキンで使ったヨーグルトが大量に余ったので、朝食時のキウイにかけて食べることにします

     

         

 五木寛之著「こころの散歩」(新潮文庫)を読み終わりました 五木寛之は1932年 福岡市生まれ。1947年に北朝鮮から引き揚げ、早稲田大学文学部ロシア文学科に学ぶ 66年「さらばモスクワ愚連隊」で小説現代新人賞、67年「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞、76年「青春の門」で吉川英治文学賞を受賞 「朱鷺の墓」「戒厳令の夜」「風に吹かれて」「大河の一滴」ほか著書多数

     

本書は「週刊新潮」に連載したエッセイを2021年3月に新潮社から単行本として刊行したものを、2024年1月に文庫化したエッセイ集です

著者は「昼と夜のあいだに ー まえがきに代えて」の中で、次のように書いています

「新型コロナの世界的流行は、私個人の生活にも大きな変化をもたらした これまで50年以上も夜型人間として生きてきた私が、なんと突然、昼型人間に変貌してしまったのだ 原稿は夜中に書き、深夜に食事をし、明けがた風呂に入って寝る。そういう規則正しい生活を半世紀以上も続けてきたのである それが新型コロナの蔓延が騒がれるようになった頃から、突然、思いがけない変化がおきた。去年の暮ごろから、どういうわけか夜の11時過ぎになると自然にあくびがでるようになったのである ある日、ちょっと仮眠するつもりで横になったら、そのまま眠り込んでしまって、目を覚ましたら朝だった。その日以来、ずっとそんな思いがけない日が続き、いまなお続いている

確かに新型コロナは人々の生活様式を大きく変えましたね 私にとって一番辛かったのはコンサートの相次ぐ中止、映画館の封鎖、大型書店の時短・一時閉店でした 当時のブログを振り返ってみると、「〇〇楽団から、〇月〇日開催の定期演奏会は、新型コロナウイルス拡大防止のため中止とする旨のメールが届いた」という話題ばかりが続いていました

本書には全43篇のエッセイが収録されていますが、便宜的に次の3章に分けられています

第1章「夜に口笛を吹く」

第2章「ノスタルジーの力」

第3章「こころの深呼吸」

第1章の中の「風呂が趣味とはなさけない」というエッセイには次のようなことが書かれています

「1日に何回となく湯につかる 目を覚ましては、風呂にはいる。ひと仕事終えると風呂。外出して帰ってくると風呂。寝る前にも風呂。夜中に目が覚めては風呂。というわけで、一日のうちどれだけの時間、湯につかっているかわからない。まるで水棲、いや湯棲動物だ

これを読んで、「あれっ」と思いました。と言うのは、一昔読んだ彼のエッセイには、たしか「風呂に入って頭を洗ったことがない」と書かれていて、きったねー小説家だなー  と思った記憶があるからです しかし、それは第2章の「長髪の季節」というエッセイを読んで氷解しました そこには次のように書かれています

「思えば当時は長髪の季節だった。フォーク・ソングのグループをはじめ、俳優も、編集者も、みな肩まである長髪を揺らして議論しあっていたものである 当時の写真を見ると、私もむさ苦しい長髪だ。しかもほとんど洗うことがなかったから、臭気芬々たる新人作家であったにちがいない

さすがの直木賞作家も、歳をとるにつれて洗髪するようになったようですが、そりゃそうだろうと思います エッセイ「長髪の季節」には続きがあります

「晩年の石坂洋次郎さんは、かなりおつむがソフトになっておられた 私の顔さえ見れば、『やあ、五木ひろしくん』と言われる 『五木ヒロユキです』と訂正すると、『やあ、失敬、失敬』と苦笑なさるのだが、またしばらくすると『五木ひろしくん』と声をかけてこられる

「青い山脈」は「青春の門」を「横浜たそがれ」と間違えてはいけませんよね

第2章「ノスタルジーの力」の中の「トゥゲザー・アンド・アローン」というエッセイには概要次のようなことが書かれています

「最近インタビューで訊かれるのは『老いについて』が多い 東京オリンピックが終わって数年すれば、団塊の世代600数十万人が75歳超えの後期高齢者と化す たぶん、その頃は『老い』などという主題は時代遅れで、次の目標は『死』が、その後は『死後』が時代の話題の中心になるだろう 「老い・死・死後」の3点セットは人生後半の最大テーマと言ってよい。政治も経済も、この3つを避けては成立しないのだから。この3点セットに一貫して流れる主題が『孤独』である 私の考える『孤独』とは、ただ一人で『孤立』することではない。いつもインタビューされるときに強調するのは、そのことである 故・西部邁さんがある文章に中で『トゥゲザー・アンド・アローン』というオルテガの言葉を引用していた 西部さんは『人は一緒に一人でいるしかない』と書いている。『トゥゲザー・アンド・アローン』・・いい言葉だ 『和して同ぜず』というよりも、さらにわかりやすい

たとえ群衆の中にいても「一人一人は孤独である」というのはその通りです しかし、孤立しているわけではない

有名人の学歴詐称が話題になっていますが、「卒業・中退・抹籍・除籍」など、自身の経験を基にした面白いエピソードが満載です

90歳を超えた人生の大ベテランが日常思ったことを率直に綴ったエッセイ集です 気軽に読める本としてお薦めします

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チョン・ミョンフン ✕ 務川慧悟 ✕ 原田節 ✕ 東京フィルでメシアン「トゥランガリーラ交響曲」を聴く ~ 終始弛緩することのない集中力に満ちた演奏に拍手鳴り止まず

2024年06月25日 00時03分22秒 | 日記

25日(火)。わが家に来てから今日で3451日目を迎え、北朝鮮は、ロシアが侵攻を続けるウクライナに対してアメリカが軍事支援を継続していることについて、「ロシアとの全面的な軍事衝突、新たな世界大戦につながる」とし、アメリカの支援継続を牽制した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

     

     新たに世界大戦につながるのは 核・ミサイル開発を止めない北朝鮮の悪い根性だよ

         

昨日夕食に「豚バラ甘酢ネギ胡麻だれ」「生野菜サラダ」「エノキダケの味噌汁」を作りました 「豚バラ~」にはカイワレ大根がよく合います

     

         

昨夜サントリーホールで東京フィル「第1001回サントリー定期シリーズ」公演を聴きました プログラムはメシアン「トゥランガリーラ交響曲」です 演奏はピアノ独奏=務川慧悟、オンド・マルトノ=原田節、指揮=東京フィル名誉音楽監督チョン・ミョンフンです

務川慧悟(むかわ けいご)は東京藝術大学、パリ国立高等音楽院で学ぶ 2019年ロン=ティボー=クレスパン国際コンクール第2位、2021年エリザベート王妃国際音楽コンクール第3位入賞

原田節(はらだ たかし)は慶應義塾大学経済学部卒業後、パリ国立高等音楽院オンド・マルトノ科を首席で卒業 「トゥランガリーラ交響曲」では世界20か国330回以上にわたりオーケストラと共演

     

「トゥランガリーラ交響曲」はオリヴィエ・メシアン(1908-1992)がセルゲイ・クーセヴィツキー財団の依頼により、ボストン交響楽団のために1946年から48年にかけて作曲、1949年12月2日ボストンでレナード・バーンスタイン指揮ボストン交響楽団により初演されました メシアンは、「サンスクリット語で『トゥランガ』は経過する時間、『リーラ』は神々による創造と破壊であり、『トゥランガリーラ』は愛の歌、喜び、時間、動き、リズムなどを意味する」と語っています

チョン・ミョンフンは1990年にパリ・オペラ座バスティーユ管弦楽団とこの曲をドイツグラモフォンに録音していますが、その際メシアン自身が立ち合って大絶賛し、「今後の基準となる」と語ったと言われています 東京フィルとは2007年以来となる本作の共演とのことで、期待が高まります

この曲は第1楽章「序奏」、第2楽章「愛の歌1」、第3楽章「トゥランガリーラ1」、第4楽章「愛の歌2」、第5楽章「星々の血の喜び」、第6楽章「愛の眠りの庭」、第7楽章「トゥランガリーラ2」、第8楽章「愛の展開」、第9楽章「トゥランガリーラ3」、第10楽章「終曲」の全10楽章から成ります

     

オケは16型で、左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスといういつもの東京フィルの並び。コンマスは依田真宣です 指揮台の手前にグランド・ピアノが置かれ、下手にチェレスタ、グロッケンシュピールが、上手にオンド・マルトノが配置されます オケ後方にスタンバイする打楽器奏者を含め総勢100人を超えるフルオーケストラ態勢は壮観です

この曲はLPもCDも持っていないので予習が出来ませんでした 私の乏しい記憶では これまで2度ほどライブで聴いたことがありますが、指揮者もオケも思い出せません   しかし、オンド・マルトノだけは原田節さんでした。この人を置いて誰もいませんから   ちなみに「オンド・マルトノ」とは、フランス人電気技師モーリス・マルトノによって1928年に発明された電子楽器の一種です    鍵盤とその下に付けられたリボンを用いて音高を指定し、強弱を表現する特殊なスイッチを押し込むことによって音を発する楽器です    下の写真のようなユニットから構成されています この日の演奏では、スピーカーに当たる機器が1つ多かったです

     

チョン・ミョンフンが指揮台に上がり第1楽章「序奏」が開始されます 最初の楽章から務川慧悟のピアノが素晴らしい やがてオンド・マルトノが加わりますが、ヒューという音を聴いて、この楽器の音と音色を思い出しました 電子楽器なのでかなり音が大きく、他の楽器を圧倒します 第2楽章「愛の歌1」ではオンド・マルトノの音色の美しさが際立ちました 全曲の前半の終わりに当たる第5楽章「星々の血の喜び」では高速テンポで演奏が展開しますが、コーダでクレッシェンドしフォルテッシモに達する音楽が印象的でした そして、次の第6楽章「愛の眠りの庭」では務川のピアノがナイチンゲールなどの”鳥の歌”をポエティックに奏で、オンド・マルトノとオケが穏やかなテンポにより「愛の主題」を奏でますが、このアンサンブルがとても美しく響きました そして、印象的だったのは最後の第10楽章「終曲」です ファンファーレのような輝かしい音楽が繰り広げられ、オンド・マルトノとオケが「愛の主題」を歌い上げます そして、第5楽章のコーダと同じように、オケの総力によりクレッシェンドしフォルテッシモに達する輝かしいフィナーレを飾りました

満場の拍手とブラボーが飛び交い、カーテンコールが繰り返されました 演奏時間にして約80分。東京フィル ✕ 務川慧悟  ✕  原田節は、チョン・ミョンフンの卓越した統率力のもと、終始弛緩することなく集中力に満ちた演奏を繰り広げました

この曲でチョン・ミョンフンを超えることが出来るのは、チョン・ミョンフンしかいないように思います

     

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐藤愛子著「人生は美しいことだけ憶えていればいい」を読む ~ 2度の結婚と別離を通して培った人生の大先輩による人生訓

2024年06月24日 00時45分37秒 | 日記

24日(月)。わが家に来てから今日で3450日目を迎え、東京都知事選のポスター掲示板をめぐり、警視庁が23日、NHKから国民を守る党(N国党)の立花孝志党首に対し、掲示板に女性専用風俗の広告ポスター24枚を貼り出していたことが風営法に違反する可能性があると警告した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

     

     金儲け目的の掲示板ジャックの結果がこれだ  これからも次々と警告が出されるぞ!

         

佐藤愛子著「人生は美しいことだけ憶えていればいい」(PHP文庫)を読み終わりました 佐藤愛子は1923年、大阪生まれ。甲南高等女学校卒業。1969年「戦いすんで日が暮れて」で直木賞、1979年「幸福の絵」で女流文学賞、2000年「血脈」で菊池寛賞を受賞 2016年「九十歳、何がめでたい」が大ベストセラーとなる

     

本書は2019年4月にPHP研究所から刊行された作品(内容は半世紀にわたる)に、「犬たちへの詫び状」(PHP研究所)から「タロウの過去」を加えたエッセイ集です

本書は便宜的に次の3項目に分けられ、それぞれ複数のエッセイと『私の座右の言葉』が収録されています

「打たれ強くなるには」

「私が思ういい女、いい男」

「人生は美しいことだけ憶えていればいい」

巻末には「今の幸せ 昔の幸せ」と題する作家・遠藤周作氏との対談(当時66歳同士)が収録されています

恥ずかしながら、私はこれまで佐藤愛子さんの作品を読んだことがありませんでした したがって、彼女がどういう人でどういう文章を書く人なのか知りませんでした 本書の一番最初に掲載されているエッセイ「私の場合」を読むと、2度の結婚を通して波乱万丈の人生を送ってこられたことが分かります 最初の結婚は戦時中の20歳の時で、終戦になって帰還した夫は薬物中毒になっていて、それがもとで死亡したのでマトモな結婚生活は5か月くらいだった、と書いています 結婚生活の思い出が麻薬との戦いの断片以外に何ひとつ残っていない、と書いているので相当苦労されたのだと思います 2度目の結婚は31歳の時で、相手は文学同人誌の同人だった5歳年下のSという男だったが、「私が夫に腹を立てるのは、度を過ぎたお人好しの点だった。Sは絶えず文学仲間から金を借りられていた 生活費よりも他人に貸した金の方が多い月もある。貸した金は返ってきたためしがない」という状況だった。その上、「Sは事業に手を出して失敗し多大な借金を作った 妻である彼女はSの会社の借金の一部を肩代わりした。『次の会社を作って立ち直る』というSを信じて、借金を支払うため必死で働いている間に、Sは2度目の会社で同じ失敗を繰り返し再起不能になった挙句、水商売の女性のもとへ走ってしまった

こういう辛い思いをしながらも、彼女は「Sと結婚してよかったと確信している。Sによって与えられた苦労は、私を強くしてくれた Sから影響を受けた人生観が今、私の人生を支えてくれている。結婚は、どうしてもしなければならないというものではない。しかし、しないよりはした方がいいと私は考えている」と書いています その上で、「私の座右の言葉①」としてフランスの思想家・哲学者アランの次の言葉を紹介しています

「少しは生きる苦労があったほうがいい。われわれも自分自身に対して目ざめさせるような、なんらかの不安、なんらかの情念、なんらかの苦しみがなくては幸福は生まれてこない」

ちなみに次の「逃げ場のない生き方」というエッセイの後には、佐藤さんが通っていて信頼している整体院のU先生の「私の座右の言葉②」が紹介されています

「苦しいことがきた時、逃げようとすればもっと苦しくなりますよ。苦難は逃げないで受け止める方がらくなんです」

本書は、このようにまずエッセイが何篇か紹介され、その後にそれらのエッセイのテーマに関する「私の座右の言葉」が掲げられるというスタイルを採っています

すべてをご紹介するわけにもいかないので、本書のタイトルになっている「人生は美しいことだけ憶えていればいい」についてご紹介します

その言葉の主は沢田美喜です 彼女は華族に生まれながら、「祖先の栄光と地位を、それにふさわしくない子孫たちがかさにきて、そっくり返っているのがたまらなく嫌だった」として反発していたが、現実の生活は祖父の力で築き上げられた富と権力によって守られていた やがて外交官・沢田廉三と結婚するが、日本の敗戦によりアメリカ兵と日本女性との間に生まれた混血児を収容する施設「エリザベス・サンダース・ホーム」を開設し、寄附金集めのためにアメリカ全土を回り、米軍総司令部に赴いては要求を突き付けたーという行動力溢れる豪快な女性です

佐藤さんは、エリザベス・サンダース・ホームを卒園して成人した混血児たちの姿を追った「子供たちは7つの海を越えた」というテレビ番組を観た時のことを書いています

「一人の黒人の混血青年が、アメリカのある町の公園のベンチでカメラに向かって昔を語っている そこへ沢田美喜が向こうから悠然と歩いてくる。混血青年は驚いて立ち上がり、澤田美喜に駆け寄って抱き合い、そうしてこらえきれず泣き出す。青年を抱いた沢田美喜の表情は動かない。堂々として動かない表情のまま、彼女は笑顔で青年に言った。『悲しいことは忘れなさい。人生は美しいことだけ憶えていればいい』。その時、私は沢田美喜のその動かぬ表情の下に、積み重なっている苦闘の歳月を見た思いがした そして彼女の驀進力は、かつて彼女の欠点とされていたものから出ていたことを思った。ある環境の中では欠点とされるものが、ある環境では美点に働く エリザベス・サンダース・ホームによって沢田美喜は大いなる欠点を美点に切り替えた。それが出来る人、出来る人生を私は素晴らしいと思う

これを読んで疑問に思ったのは、なぜ沢田美喜は「悲しいことは忘れなさい」の後に「”楽しい”ことだけ憶えていればいい」と言わず「”美しい”ことだけを憶えていればいい」と言ったのか、ということです 「悲しい」の反対語は「楽しい」ではないのか、と思ったからです 空っぽの頭をフル稼働させて考えてみると、「悲しい」と「美しい」という対比ではなく、「忘れる」と「憶えている」に焦点を当てて考えれば答えが出てくるのではないか、と思いました 過去の悲しい思い出は「これから生きていく上で邪魔になるもの」なので「忘れた方がいい」だろう 一方、「美しいこと」には忘れがたい思い出や、美しいと感じたもの(音楽、映画、絵画、風景等)が含まれ、単なる「楽しいこと」とは異なり「これから生きていく上で大切に守りたくなるもの」なので「憶えていればいい」となるのではないか、と思いました

「私の座右の言葉」は、上記のほかに「変人は変人と、常識人は常識人と、それぞれ気質に合ったつき合いが楽しい」「人には負けるとわかっていても、闘わねばならない時がある」など示唆に富む言葉が紹介されています 

人生の大先輩による有益な人生訓が収録されているエッセイ集として、広くお薦めします

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松岡圭祐著「ウクライナにいたら戦争が始まった」を読む ~ 短期留学中の女子高生が見たウクライナ・ブチャにおけるロシア軍の蛮行:ノンフィクション仕立ての小説

2024年06月23日 00時11分35秒 | 日記

23日(日)。今住んでいる豊島区に隣接する北区の王子駅近くに「北とぴあ」というビルがあります ここにはコンサートホール(さくらホール)が入居しているので何度かクラシック公演を聴きに行ったことがあります その広報誌「北とぴあタイムス」に次の告知が掲載されていました

「大規模改修のため、令和7年4月から令和9年3月まで北とぴあを一時休館することとしておりましたが、近年の物価・資材の価格高騰の影響などにより、工事経費の大幅な増加が懸念されることなどから、改修内容の見直し及び手法の再検討等を行うことになりました それに従い、令和7年度からの2年間は、通常どおり北とぴあを開館することにしました

一方、6月20日付toraブログでご紹介した通り、豊島区の池袋駅近くにある「東京芸術劇場」は設備更新工事のため2024(令和6)年9月30日から2025年7月中まで休館します

「近年の物価・資材の価格高騰の影響」というのは、どちらにも共通する問題点だと思いますが、片や予定通り工事を行い、片や工事を一時中止するというように対応が分かれました 「北とぴあ」は工事期間が2年間なので、建物の全面的な大規模改修を行うのだろうと想像が出来ます 一方、「東京芸術劇場」は6か月の工事期間なので、それほど大規模な工事ではないことが予測できます

ところで、私は今住んでいるマンションの管理組合の副理事長を務めていますが、今年築31年目を迎えた14階建て建物の2回目の大規模修繕計画を今月末開催の「管理組合定期総会」に上程します これまで1年以上かけて検討してきましたが、やはり「物価・資材の価格高騰の影響」は避けられません 「これ以上先延ばししたら、管理費を値上げしないと修繕が出来なくなる」というギリギリの段階で決断するに至ったわけです 「物価の高騰」の中には「職人不足に伴う人件費の高騰」も含まれています 公共機関の建物も民間の建物も、経費面を中心に大規模修繕には苦労が絶えませんね

ということで、わが家に来てから今日で3449日目を迎え、20日に告示された都知事選は、予告通り掲載枠を候補者以外に提供し掲示板の一部を”ジャック”したり、「表現の自由」を盾に女性の裸体を掲示する候補者が出たりなど、早くもカオス状態を迎えており、首都の首長を決める神聖なイベントが、実質的にビジネスや売名に利用される異常事態になっている  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

     

     お前らの破廉恥な行動が 自由な選挙の規制に繋がるんだよ! ノータリンどもめが!

         

コンサートのない日は読書です 昨日、松岡圭祐著「ウクライナにいたら戦争が始まった」(角川文庫)を読み終わりました 松岡圭祐は1968年 愛知県生まれ。デビュー作「催眠」がミリオンセラーとなる   大藪春彦賞候補作「千里眼」シリーズは累計628万部を超える人気作となった   「ジェームズ・ボンドは来ない」「高校事変」など著書多数

     

福島県南相馬市に住む高校生の琉唯(るい)は3か月の短期留学のため、母、妹・梨央奈と共に単身赴任中の父を訪ねるためウクライナに赴く ブチャの家では、初日の夜から両親は口論を始め、琉唯は見知らぬ国で不安を抱えていた やがてロシアによる進攻が近いと退避勧告が出され、一家は慌ただしく帰国の準備を進める しかし、新型コロナウイルスの影響で飛行機に乗ることが出来ず、一家はブチャに取り残されてしまう すると、遠くから爆発音が聞こえてきて、それはだんだん近づいてくる ブチャの街は一瞬にして戦場と化し、琉唯は現実の戦争を目の当たりにし、一家は親子バラバラになってロシア兵から逃げ惑うことを余儀なくされる

本書は2022年8月にKADOKAWAから刊行された単行本に、加筆修正のうえ2024年5月に文庫化したものです

著者は、まえがきに当たる部分で「状況と日時、各事態の発生場所に関し、単行本執筆当時の情報を可能な限り網羅し、また帰国者の証言などを併せ、できるだけ正確を期した」と書いています 本書がノンフィクションにように書かれているのは、そうした背景があることが分かります

「まさか21世紀の現代に、ロシアが隣国ウクライナに戦争を仕掛けてくるはずがない」という希望的観測の状況から、ロシアの侵攻が現実になり、慌てて帰国の準備を進めるが、敵はすぐそこまで到達しており、否が応でも戦争に巻き込まれていくーという恐ろしさが描かれています まさにブチャの街はそういう状況だったのだろうと想像できます ブチャにおけるロシア兵の容赦ない蛮行に一般市民は為すすべがなく虐殺されていきます その残虐な描写を読むのは辛いものがあります 「なぜ何の罪のない一般市民が無慈悲に殺されなければならないのか」という問いに答えるべき人物はロシアのプーチン大統領しかいません しかし、彼は「ロシアとウクライナは一体である」という一方的で偏狭的な歴史観に固執して「正義は我にあり」という態度を崩していません 2年前の2022年2月24日にロシアのウクライナ侵攻が始まってから2年以上が経過しましたが、いまだに侵攻は続いています 東部を中心にインフラや建物が破壊され、ミサイル攻撃により国民が殺され、子どもたちがロシアに誘拐され、多くの国民が国内外に避難せざるを得ない状況に追い込まれています

ウクライナから遠い日本に住んでいるわれわれですが、「一旦戦争が始まったら こういう状況になるのだ」ということを認識する意味でも、今読むべき本としてお薦めします

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヤデル・ビニャミー二 ✕ 小曽根真 ✕ 新日本フィルでガーシュイン「ラプソディ・イン・ブルー」、「パリのアメリカ人」他を聴く ~ クラシックへの扉シリーズ

2024年06月22日 00時05分26秒 | 日記

22日(土)。わが家に来てから今日で3448日目を迎え、東京都知事選の選挙ポスターに同じ人物やデザインのポスターが多数貼られ、有権者に困惑が広がっているが、政治団体「NHKから国民を守る党」は、団体に寄付した人の作ったポスターを掲示版に貼っているとしており、制度の隙間を衝いた掲示板の目的外使用との声も上がっている  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

      

      N国党の目的は金儲け その候補者の目的は売名行為だろうから 無視することにした 

          

昨日の夕食は焼肉にしました たまにはいいでしょう 隔週金曜日の「鶏の唐揚げ」の時にだけ飲むサッポロCLASSICですが、たまにはいいでしょう いつもながら なし崩しの人生やってます

     

         

昨日、すみだトリフォニーホールで新日本フィル「第24回すみだクラシックへの扉」公演を聴きました プログラムは①ガーシュイン(ベネット編):交響的絵画「ポーギーとべス」より抜粋、②同「ラプソディ・イン・ブルー」、③マルケス「ダンソン・ヌメロ・ドス(ダンソン第2番)」、④ガーシュイン「子守歌」、⑤同「パリのアメリカ人」です 演奏は②のピアノ独奏=小曽根真、指揮=ヤデル・ビニャミー二 です

ヤデル・ビニャミー二はイタリア・クレーマ生まれ。ピアチェンツァ音楽院で学ぶ。現在、デトロイト交響楽団音楽監督を務める

     

この日も会場は満員御礼です 新日本フィルは新シーズンに入って、定期演奏会も扉シリーズも満員御礼が続いています。素晴らしいですね

     

オケは14型で、左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという いつもの新日本フィルの並び コンマスは西江王子、隣はアシスタント・コンマスの立上舞です

1曲目はガーシュイン(ベネット編):交響的絵画「ポーギーとべス」より抜粋です この曲はジョージ・ガーシュイン(1898-1937)が1934年から35年にかけて作曲した同名オペラから、ガーシュインの仕事仲間ロバート・ラッセル・ベネットが11曲抜粋した作品です

オペラ「ポーギーとべス」は1920年代初頭のアメリカ南部を舞台に、ギャンブルで生計を立てる 足の不自由なポーギーと、彼に匿われたことをきっかけに愛し合うようになった情婦ベスを軸に、貧しい黒人たちの生活を描いています 本公演に先立って開かれた小室敬幸氏の「60分ワンコイン講座」によると、この作品は、アメリカを代表するオペラであるが、同じ貧困をテーマとするアルバン・ベルクのオペラ「ヴォツェック」の影響を受けているとのことです これは意外でした

ビニャミー二の指揮で演奏に入りますが、冒頭から弦楽器のキラキラした演奏を中心にゴージャスなサウンドが展開します とくに、このオペラの代名詞的な「サマータイム」は、最初に弦楽器によりソフトに演奏され、続いて神農広樹のオーボエにより抒情的に演奏されますが、この演奏が素晴らしかった 全体的にジャズのビッグバンドのオーケストラ版といったスケール感のある演奏でした

2曲目はガーシュイン「ラプソディ・イン・ブルー」です この曲は1924年に作曲したジャズのイディオムとクラシックの協奏曲形式が融合した異色の作品で、実質的にピアノ協奏曲です ガーシュインは18日間で2台ピアノのスコアを完成させ、ファーディ・グローフェが管弦楽へ編曲しました この曲は当初「アメリカン・ラプソディ―」という題名を予定していましたが、兄アイラのアイディアによって「ラプソディ・イン・ブルー」に変更されました

小曾根真がピアノに向かい、ビニャミー二の指揮で演奏に入ります 冒頭は独奏クラリネットが低音から高音まで一気に駆け上がるグリッサンドで”ガーシュイン節”を奏でますが、客演の中氏のグルーブ感溢れる演奏が素晴らしい また、山川永太郎のトランペットも冴えています 小曽根のピアノとオケとの丁々発止のやり取りが続きますが、お約束のカデンツァに入ります さて、ここからが分からなくなりました いったいどこまでが楽譜通りで どこからがカデンツァなのか? そして、いったいカデンツァはいくつあるのか?・・・それほど、小曽根の演奏は自由奔放・変幻自在で、ほとんど全曲がアドリブのカデンツァではないか、とまで思ってしまいます 個人的には”最長不倒”のラプソディ・イン・ブルーで、まさに”インプロビゼーションが命”の「小曽根ワールド」全開でした

文字通り満場の拍手とブラボーの嵐にカーテンコールが繰り返されますが、小曽根はいつも通り 客席から管楽器のメンバーが見えるようにピアノの蓋を閉じます   これは小曽根ならではの気遣いです 演奏後の小曽根の配慮を「あ、蓋ーサービス」と名付けることにします

小曽根はクラリネットの中氏をステージ前方に呼んで、オーケストラをバックに、自身の作曲による ”モーツアルトが父親の夢を見ている” という内容の曲「M’s Dream」(だったと思う)をファンタジックに演奏、再び大きな拍手を浴びました どこまでも”リスナー・ファースト”のエンターテイナー小曽根真でした

     

プログラム後半の1曲目はマルケス「ダンソン・ヌメロ・ドス(ダンソン第2番)」です この曲はメキシコ生まれのアルトゥロ・マルケス(1950~)が、メキシコ先住民たちが白人中心の価値観に抗おうとした1994年1月の「サバティスタの乱」に共感して作曲した作品です 「ダンソン」とは「コントルダンスとその派生であるハバネラから発展したキューバやメキシコのダンス」を指します この曲は、ベネズエラの指揮者グスターボ・ドゥダメルが2006年に発売したCDに収録したことをきっかけに一躍有名になりました

演奏は、拍子木のような打楽器クラベスによって繰り返されるリズムに乗せて進んでいきます 管楽器も弦楽器もノリノリの演奏を繰り広げますが、打楽器陣が大活躍し、圧倒的なフィナーレを飾りました

2曲目はガーシュイン「子守歌」です この曲はガーシュインが1919年に作曲した弦楽四重奏曲の一部を弦楽オーケストラ用に編曲したものです

穏やかで優しさを感じる曲想で、西江王子のヴァイオリン、長谷川彰子のチェロが抒情的で素晴らしい また、この2人に第2ヴァイオリン首席のビルマン聡平とヴィオラ首席の瀧本麻衣子を加えた弦楽四重奏も心に沁みる演奏でした

最後の曲はガーシュイン「パリのアメリカ人」です この曲はパリ滞在中の1928年に作曲、同年ニューヨークで初演されました ガーシュインはこの曲について、「パリを訪れたアメリカ人が街を散策し、様々な街のノイズに耳を傾け、フランスの雰囲気に魅せられていく印象を描写する」のが目的だったと語っています 彼はパリからタクシーのクラクションを持ち帰っており、曲の前半に登場させています

ビニャミー二 の指揮で演奏に入りますが、軽快な足取りが目に見えるようです やがてタクシーのクラクションがけたたましく鳴らされ、アメリカ人が右往左往する様子が描かれます クラリネットの中、オーボエの神農、フルートの清水(客演)、イングリッシュホルンの森といった木管楽器群が素晴らしい演奏を繰り広げ、金管楽器もトランペットの山川をはじめ、バストロンボーンの鈴木、テューバの佐藤が冴えていました

満場の拍手とブラボーが飛び交うなか、カーテンコールが繰り返されました ビニャミー二 ✕ 新日本フィルはアンコールに ポンキエッリの歌劇「ラ・ジョコンダ」より「時の踊り」をノリノリで演奏、再び満場の拍手を浴び、会場の温度を上昇させました

     

     

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鈴木優人 ✕ イザベル・ファウスト ✕ N響でシェーンベルク「ヴァイオリン協奏曲」、ウェーベルン「パッサカリア」、シューベルト「交響曲第5番」他を聴く / 楽章間の咳について

2024年06月21日 00時05分48秒 | 日記

21日(金)。わが家に来てから今日で3447日目を迎え、東京都の小池百合子知事の任期満了に伴う都知事選が20日告示され、過去最多の56人が立候補を届け出た  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

     

     売名行為と金儲けのために 多数の立候補者を立ててる団体があるから 気をつけて!

 

         

昨日、夕食に「豚肉の山賊焼き」と「シメジの味噌汁」を作りました 山賊焼きは鶏肉でもできますが、今回は豚肉にしました。今回も洗い物を少なくするため、野菜類はお皿に乗せました

     

         

昨夜、サントリーホールでNHK交響楽団6月度Bプロ定期演奏会を聴きました プログラムは①ウェーベルン「パッサカリア 作品1」、②シェーンベルク「ヴァイオリン協奏曲 作品36」、③バッハ(ウェーベルン編)「リチェルカータ」、④シューベルト「交響曲第5番 変ロ長調 D.485」です 作曲家からも分かる通り、共通項はウィーンです 演奏は②のヴァイオリン独奏=イザベル・ファウスト、指揮=鈴木優人です

鈴木優人(すずき まさと)は東京藝大・大学院、ハーグ王立音楽院修士課程修了。指揮者、ピアニスト、オルガン奏者、チェンバロ奏者、作曲家としてマルチタレントぶりを発揮している 指揮者としてはバッハ・コレギウム・ジャパン首席指揮者、読売日響指揮者兼クリエイティブ・パートナー、関西フィル首席客演指揮者として活躍中

     

オケは14型で、左奥にコントラバス、前に左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンという対抗配置をとります コンマスはマインツ州立管弦楽団第1コンサートマスター西村尚也です

1曲目はウェーベルン「パッサカリア 作品1」です この曲はアントン・ウェーベルン(1883-1945)が1908年に作曲、同年11月4日にウィーンでウェーベルン自身の指揮で初演されました

作曲者が24歳の時の作品番号=1番という記念すべき曲で、まだ無調音楽に毒され、もとい、影響されていない作品です したがって、どちらかと言うと色彩感に溢れるロマンに満ちた曲で、とても聴きやすかったです

2曲目はシェーンベルク「ヴァイオリン協奏曲 作品36」です この曲はアルノルト・シェーンベルク(1874-1951)が1936年9月に作曲、1940年12月6日にルイス・クラスナーのヴァイオリン独奏、レオポルド・ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団により初演されました 第1楽章「ポーコ・アレグロ」、第2楽章「アンダンテ・グラチオーソ」、第3楽章「アレグロ」の3楽章から成ります

独奏のイザベル・ファウストはドイツ出身のヴァイオリニストで、1987年の第1回レオポルト・モーツアルト国際ヴァイオリン・コンクール、1993年のパガニーニ国際ヴァイオリン・コンクールで優勝 幅広いレパートリーで世界的に活躍しています

沼野雄司氏のプログラム・ノートによると、この作品は「十二音技法の見本のように語られる協奏曲」とのことで、思わず身構えてしまいます もちろん初めて聴く曲です

鈴木優人の指揮で第1楽章に入りますが、シャープでクリアな独奏ヴァイオリンが超絶技巧で奏でられます カデンツァは研ぎ澄まされたヴァイオリンが無音の会場に響き渡ります 第2楽章、第3楽章も同様に技巧を凝らした独奏ヴァイオリンが空間を翔け巡り、聴衆はただただ圧倒されるばかりです 曲自体はチンプンカンプンでよく分かりませんでしたが、演奏はもの凄いことが分かりました

満場の拍手とブラボーにファウストは、ルイ=ガヴリエル・ギュマン「無伴奏ヴァイオリンのためのアミュズマン 作品18 Ⅻ Altro」を軽快に演奏、再び大きな拍手を浴びました

     

プログラム後半の1曲目はバッハ(ウェーベルン編)「リチェルカータ」です この曲はヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750)が1747年に作曲した「音楽の捧げもの」に含まれる「リチェルカータ」をもとに、ウェーベルンが1935年に管弦楽版に編曲したものです

弦は10型に縮小し、演奏に入ります 冒頭はトロンボーン ⇒ ホルン ⇒ トランペットという順に主題が受け継がれていき、その後、木管もフルート ⇒ クラリネット ⇒ オーボエという順に主題が受け継がれていきます まるで、バッハ/ウェーベルン版「ボレロ」といった感じで、色彩感が豊かでした

最後はシューベルト「交響曲第5番 変ロ長調 D.485」です この曲はフランツ・シューベルト(1797-1828)が1816年10月に作曲、同年秋にハトヴィヒ邸で私的演奏された後、シューベルト死後の1841年10月17日にウィーンで公開初演されました 第1楽章「アレグロ」、第2楽章「アレグロ・コン・モート」、第3楽章「メヌエット:アレグロ・モルト」、第4楽章「アレグロ・ヴィヴァーチェ」の4楽章から成ります

弦は12型に戻り、第1楽章に入りますが、冒頭の演奏で一気に会場の雰囲気が変わります それまでの現代音楽の暗雲から明るい光が差し込んだようです 聴衆のホッとした様子が窺えるような気がします 鈴木の指揮はシューベルト特有の旋律を歌わせるようなスタイルというよりも、19歳の青年の作品らしいメリハリのある溌溂とした演奏を目指しているように思いました 甲斐雅之のフルートが終始冴え、弦楽セクションのアンサンブルが美しかったです

満場の拍手のなかカーテンコールが繰り返され、楽員から鈴木に花束が贈呈されました

     

     

ところで、この日もそうだったのですが、最近、楽章間になると、会場のそこかしこで急に咳をする人を見かけるようになりました コンサートでは もともとそのような傾向があったのですが、コロナ禍となり、マスク着用が義務付けられてから、全くと言って良いほど楽章間に咳をする人が見られなくなりました ところが、新型コロナウイルスが第5類に移行した昨年5月あたりから、ボチボチと咳が復活してきたように思います あの咳はいったい何なのでしょうね?  楽章間ということは、息を殺すように演奏を聴いていて、前の楽章が終わった途端に、息を吐き出す代わりに咳をするのでしょうかね? そうだとすれば、何も咳をする必要はなく、息を吐けば良いだけの話だと思います 「海外の演奏家が日本で演奏し、楽章間の咳に遭遇したとき、彼らは首をかしげていた」と どこかで聞いた覚えがあります 私にも全く理解できません

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする