人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

飯守泰次郎 ✕ 新交響楽団でR.シュトラウス「死と変容」、ブラームス「交響曲第4番」他を聴く~第257回演奏会

2022年04月30日 07時15分33秒 | 日記

30日(土)。4月も月末を迎えたので、恒例により3つの目標の達成状況についてご報告します 今月は①クラシックコンサート=12回、②映画=4本、③読書=9冊でした ①については中止が1公演ありました。②についてはNetflixで「ビッグ・バグ」「バーブラ・ストライザンド ミュージック・メモリー・マジックツアー」(ブログアップせず)を観ました ③については千葉雅也『現代思想入門』はまだブログにアップしていません

ということで、わが家に来てから今日で2666日目を迎え、米ワシントンポストは28日、昨年のノーベル平和賞を受賞したロシアの独立系紙ノーバヤ・ガゼータのドミトリー・ムラトフ編集長が列車内で襲撃された事件に関し、米当局がロシアの情報機関による犯行だと結論付けたと報じた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     プーチン政権の気に入らない新聞には徹底的に嫌がらせをする バレバレの手口だ

 

         

 

昨日、山形県鶴岡市の単身赴任先から帰省した息子が、昼食に山形の「煮干し中華」を作ってくれました 煮干しだしのラーメンは初めて食べましたが、和風でとても美味しかったです

 

     

     

 

夕食は私が2週間に1度のローテにより「チキンステーキ」を作りました あとは「エノキダケの味噌汁」です。チキンステーキにはやっぱりワインですね

 

     

 

         

 

昨日、東京芸術劇場コンサートホールで新交響楽団の第257回演奏会を聴きました プログラムは①ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」序曲、②リヒャルト・シュトラウス:交響詩「死と変容」、③ブラームス「交響曲第4番ホ短調作品98」です 指揮は飯守泰次郎です

 

     

 

新響から指定された自席は1階G列24番、センターブロック7列目右通路側です。新響によると、座席はグループ間に1席空けてあります 例えば、2人で来た人は並んで座り、その隣が空席となるわけです。これは新しいソーシャルディスタンスの在り方です

楽団員が配置に着きますが、弦は左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという並び。コンミスは堀内真美さんです 弦楽奏者はマスク着用で、管楽器と同様 譜面台は1人1台使用し ソーシャルディスタンスを図ります

1曲目はウェーバー:歌劇「魔弾の射手」序曲です このオペラはマリア・フォン・ウェーバー(1786ー1826)が1817年から21年にかけて作曲、1821年6月18日にベルリンで作曲者自身の指揮により初演されました 1820年以前のオペラはイタリア語による作品が主流でしたが、ウェーバーの本作は本格的なドイツロマン派オペラの登場となりました

飯守氏が男性に付き添われてゆっくりと指揮台に進みます。81歳と高齢のため果たして最後まで振り切ることが出来るか、と心配になります

飯守氏の指揮で演奏に入ります 本作では序盤で演奏されるホルンのアンサンブルが”キモ”ですが、いかに合わせるのが難しいかが分かります プロのオケでも難しいでしょう。弦楽器のアンサンブルが美しく響きました

演奏が終わっても 飯守氏は指揮台上の椅子に座ったままで舞台袖には引き上げません オケは管・打楽器が増員されフルオーケストラ態勢になります

2曲目はR・シュトラウス:交響詩「死と変容」です この曲はリヒャルト・シュトラウス(1864ー1949)が1888年から翌89年にかけて作曲、1890年6月21日にアイゼナハで作曲者自身の指揮により初演されました

打楽器奏者・足立亮氏の「プログラムノート」によると、本作は「死の床にある病人が迫りくる死との戦いの中で、幸せな若き日を回想し生への強い執着をみせるが、ついには力尽き、追い求めた理想は実現することはなかった しかし、死して魂となった今、まさに自分の理想とする世界を見つけ、天に召される」というストーリーです

飯守氏の指揮で演奏に入りますが、この曲ではフルート、オーボエといった木管楽器の巧さが光りました また、弦楽器のアンサンブルが美しかったです

 

     

 

プログラム後半はブラームス「交響曲第4番 ホ短調 作品98」です この曲はヨハネス・ブラームス(1833ー1897)が1884年から翌85年にかけて作曲、1885年10月25日にマイニンゲンで作曲者自身の指揮により初演されました 第1楽章「アレグロ・ノン・トロッポ」、第2楽章「アンダンテ・モデラート」、第3楽章「アレグロ・ジョコーソ」、第4楽章「アレグロ・エネルジーコ・エ・パッショナート」の4楽章から成ります

飯守氏の指揮で第1楽章に入ります。冒頭のヴァイオリンによる哀愁を帯びた旋律が印象的です ティンパニの打ち込みが程よいアクセントになって心地よく響きます 第2楽章ではホルンが素晴らしい この楽章に限らず前半とは見違えるような目を見張る演奏です また、クラリネット、オーボエが冴えています 第3楽章では活気あふれる演奏が展開し、「飯守氏は大丈夫か?」という不安を吹き飛ばします 第4楽章ではフルート、オーボエ、クラリネットといった木管楽器、ホルンを中心とする金管楽器、リズム感のよいティンパニ、そして弦楽器の総力を挙げての渾身の演奏により、輝かしいフィナーレを飾りました

飯守氏は立ち上がり、聴衆の声援に応えますが、足元が覚束ないので何度もカーテンコールに応えることができません 舞台袖から早々と「終了」の合図がコンミスに伝えられ、全員で一礼してコンサートを締めくくりました 飯守氏が最後までタクトを振る姿を見ることができてつくづく良かったと思いました

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リドリー・スコット監督「最後の決闘裁判」 & キャリー・ジョージ・フクナガ監督「007 ノー・タイム・トゥ・ダイ」を観る ~ リニューアル・オープンの新文芸坐で

2022年04月29日 07時14分41秒 | 日記

29日(金・祝)。わが家に来てから今日で2665日目を迎え、ブリンケン米国務長官は27日、上院歳出委員会で証言し、ロシアによるウクライナ侵攻に関し「ロシア軍が民家の洗濯機やおもちゃの中に爆弾を仕掛けたという信頼できる情報がある」と述べ、非道な行動だと非難、残虐行為に及んだロシア兵だけでなく、行為を命じた人物の戦争犯罪の裏付けを進める考えも示した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     民間人を狙った極悪非道な犯罪行為だ ロシアは大統領から一兵士まで腐り切ってる

 

         

 

昨日、夕食に「豚肉のスタミナ焼き鳥風」「生野菜サラダ」「冷奴・ウニ醤油かけ」を作りました 「豚肉~」はロース薄切り肉に「シソの葉」と「ニンニクの微塵切り」を巻いており、タレは醤油、砂糖、日本酒で、七味唐辛子を振ってあります

 

     

 

         

 

昨日、池袋の新文芸坐で「最後の決闘裁判」と「007  ノー・タイム・トゥ・ダイ」の2本立てを観ました 新文芸坐は今年開館21周年を迎え、1月31日から4月15日まで、ロビーのレイアウト変更、映写・音響設備のリニューアルのため休館していました 幸か不幸か、ちょうどこの間、私は腰痛のため映画館通いを控えていたのでほとんど影響がありませんでした 新文芸坐で映画を観るのは昨年11月21日以来約5か月ぶりです。受付デスクとロビーがスッキリしました 実はこの日(4月28日)は「友の会」の1年間の有効期限が切れる日でしたが、休館日数分が延長されるというので7月中旬まで有効になります。ラッキーでした

 

     

 

「最後の決闘裁判」はリドリー・スコット監督による2021年製作アメリカ映画(153分)です

騎士カルージュ(マット・デイモン)の妻マルグリット(ジョディ・カマー)が、夫の旧友ル・グリ(アダム・ドライバー)に乱暴されたと訴えるが、目撃者もおらずル・グリは無実を主張する 真実の行方は、カルージュとル・グリによる生死を懸けた「決闘裁判」に委ねられる 勝者は正義と栄光を手に入れ、敗者は罪人として死罪になる。そして、もし夫が負ければ、マルグリットも偽証の罪で火あぶりの刑を受けることになる 人々はカルージュとル・グリのどちらが裁かれるべきかをめぐり真っ二つに分かれる 果たして決闘の行方はいかに

 

     

 

本作は、1386年、百年戦争のさなかに中世フランスを舞台に、実際に執り行われたフランス史上最後の「決闘裁判」を基にした物語です

本作は第1部「カルージュの真実」、第2部「ル・グリの真実」、第3部「マルグリットの真実」の3部構成になっています 3人それぞれの回想がスクリーン上に再現されますが、この手法は明らかに黒澤明監督「羅生門」を模倣しています ある武士の殺害事件の関係者の目撃証言が、語る者によって異なるという芥川龍之介の短編小説「藪の中」の世界です この手法を採らなければ、この映画は1時間もかからないと言えます

通常の裁判であれば裁判官が双方の言い分を聞いたうえで判決を言い渡し、有罪となれば被告人は刑に服すだけの話ですが、カルージュが決闘で決着をつけることを認める「決闘裁判」を選んだのは、「男としてのプライド」が許さないからです 江戸時代の武士流に言えば「武士の沽券にかかわる」ので生死を懸けた決闘で決着をつけるという考え方です

いつの時代も、自分の主張を貫き通すために武力に訴える男というものは、つくづく馬鹿な存在だと思います そういえば現代のロシアにもいましたね、独立国家に侵略して悪事の限りを尽くして世界中を大混乱に陥れている独裁者が

 

         

 

「007  ノー・タイム・トゥ・ダイ」はキャリー・ジョージ・フクナガ監督による2021年製作アメリカ映画(164分)です

現役を退きジャマイカで穏やかな生活を送っていたボンド(ダニエル・クレイグ)のものに、CIA出身の旧友フィリックス・ライターが助けを求めにやってきたことから、平穏な日常は終わりを告げる 誘拐された科学者を救出するという任務に就いたボンドは、その過酷なミッションの中で、世界に脅威をもたらす細菌兵器の最新技術を有した黒幕を追うことになる

 

     

 

本作は「007」シリーズ第25作目の作品です 相変わらず、アクションありカーチェイスあり大爆発ありの痛快な作品です

007といえば愛車「アストンマーチン」が登場します。初代アストンマーチンでは、スイッチ一つで助手席の敵が空中に投げ出されるシーンを思い出します あれは痛快でした 本作では敵に囲まれハチの巣のように銃撃されても完全防弾ガラスで守られ、スイッチ一つで左右のライトから機関銃が出現して敵を蹴散らします これも痛快でした

ボンドが現役を離れている間に、後任の007が就任していた、しかも女性だった、というのは意外でした 永久欠番ではなかったわけですね

「ノー・タイム・トゥ・ダイ」は「死ぬ時ではない」ですが、本作のラストは、ボンドは敵の要塞から逃げ遅れてしまうが、そこをめがけて英国が発射したミサイルが着弾し、要塞が爆発します これでボンドも一巻の終わりか、と思いきや、最後の最後にスクリーンに次の1行が現れます。「007 will be return 」。どうやらダニエル・クレイグは5度目の本作をもって007を引退するけれど、次回は新しいボンドが登場するということでしょうか

 

     

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ネトレプコ約2か月ぶりにオペラの舞台に~モンテカルロ歌劇場での「ルイザ・ミラー」に出演 / 西村賢太著「小銭をかぞえる」を読む ~ 貧しい男女の悲惨と不幸を描いた私小説

2022年04月28日 07時05分31秒 | 日記

28日(木)。月刊音楽祭は27日、「ネトレプコが約2か月ぶりにオペラの舞台に、4回目の声明でロシアでの出演を否定」という記事を配信しました 内容は次の通りです

「モンテカルロ歌劇場の『ルイザ・ミラー』の公演で約2か月ぶりにオペラの舞台の復帰したソプラノ歌手アンナ・ネトレプコが25日、自身の Facebook への投稿で、ロシアで出演する予定はないとする声明を出した     これまでの報道では、古巣マリインスキー劇場が5月から7月にかけて行う『白夜の星音楽祭』に出演すると見られていた 声明では、新しいマネージメントについても明らかにしている。ロシアのウクライナ侵略が始まって以来、ネトレプコが声明を出すのはこれが4度目。3月30日に出した声明では、それまでのプーチン政権との関係については曖昧だったが、3回目は一歩踏み込み、ウクライナ侵略によって生じた戦争を非難、また、大統領との関係についても否定した これに対しロシア側は、ノボシビルスクの国立オペラ・バレエ劇場が彼女の出演を取り止め、下院議長が『祖国の敵』とネトレプコを非難していた 今回の『ルイザ・ミラー』は4月24日に初日を迎えたプロダクションで、マリア・アグレスタの代役としての起用。カーテンコールでは、ステージ上にウクライナ国旗が写し出され、ネトレプコも他の出演者たちとその下に並んで拍手を浴びた ロシア側のさらなる反発も予想されるが、まだ動きはない この後、スカラ座は5月にリサイタルを予定、夏のヴェローナ音楽祭への出演も発表されている

ロシアのウクライナへの侵略戦争が終わり、ロシアが自らの過ちを認めない限り、もう二度とネトレプコがロシアの歌劇場で歌うことはないでしょう ロシアの聴衆にとっては残念なことですが、それ以外の世界のオペラ・ファンにとっては喜ばしいことです 一日も早く米メトロポリタン歌劇場で歌うことを祈るばかりです

ということで、わが家に来てから今日で2664日目を迎え、米ニューヨーク州の裁判所は25日、「トランプ・オーガニゼーション」が資産価値を不正に操作した疑惑を民事事件として調査していることに関連し、州司法長官や裁判所による書類提出命令に応じないのは法廷侮辱罪に当たるとして、トランプ前米大統領に対し、書類提出まで1日1万ドル(約128万円)の罰金を科すと決定した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     法廷侮辱罪で罰金を科せられるなんて 米国大統領史に汚点を残す 情けない事態だ

 

         

 

昨日、夕食に「赤魚の粕漬け焼き」「マグロの山掛け」「生野菜サラダ」「冷奴・ウニ醤油かけ」「舞茸の味噌汁」を作りました 「赤魚」と称して売っているけど、いったい正体はなんだ? 赤尾鯛ではないし

 

     

 

         

 

西村賢太著「小銭をかぞえる」を読み終わりました 西村賢太は1967年東京生まれ。中卒。2011年「苦役列車」で芥川賞を受賞 「どうで死ぬ身の一踊り」「二度はゆけぬ町の地図」「暗渠の宿」ほか著書多数

 

     

     

26日のブログで西村賢太の芥川賞受賞作「苦役列車」をご紹介したばかりですが、2冊目をご紹介します この本には「小銭をかぞえる」の前に「焼却炉行き赤ん坊」を収録しています

「焼却炉行き赤ん坊」

冒頭、主人公である「私」は次のように自己紹介しています

「殊更に胸を張って言える話でもないが、私はこれまで女性から、余り、と云うか、殆ど好意や愛情と云ったものをもたれたためしがなかった 無論、それにはそうなるだけの理由がこちら側にあることも確かで、それは私の場合だとまず容姿が醜いとか閨事がしつこいとか、或いは貧乏人だとか中卒だとか多汗症だとか、いろいろにかぞえあげられるのだが、加えて持って生まれた性質がひどく短気にできている上、やたらと弱い者苛めを好む癖のある点なぞも、多分に自らの野暮を増幅しているきらいがあるようだった 頭に血がのぼると、女性にも構わず手を上げてしまう悪性は、その昔、父親がよく母親を殴りつけていた光景を見慣れてきた影響なのかも知れぬ・・・

この自己分析通り、主人公の私=西村賢太は同棲している女性に対し酷い仕打ちをします 子供が出来ない女性が犬のぬいぐるみを買って大事にしているのですが、女性が不注意で「私」が大事にしていた古書を傷つけてしまった時、「私」は逆上して、ぬいぐるみをズタズタに引き裂いてゴミ袋に放り込んで、マヨネーズやケチャップをかけてしまいます この小説の最後は「もし、これで逆上して、こちらの虚を衝く行動をとってきたなら、そのときは女を連れて自滅共倒れの道をゆくまでだ、と心中で叫びながら。・・・」です。もう救いようがありません

「小銭をかぞえる」

「私」は個人的に崇拝する藤澤清造という作家の全集本を編纂するため、同棲相手の女性の実家から300万円を借り、それでも足りずに印刷所に渡す前金としてさらに50万円を女性に無心します 本当は30万円で足りるのだが、すこし贅沢気分を味わいたいと思って多めに吹っかけていたのです ところが、女性から印刷所に支払った領収書を出せと言われると、逆上して彼女を殴りつけるのです まさにDVの最先端を行く男と言ってもいいでしょう たまには外食でもしようと外出しますが、お金のことで痴話げんかになり、「私」は先に自宅に戻り寿司を3人前注文して一人で平らげ、それに逆上した女性が小銭を集めてピザを注文します。玄関口で小銭を配達人に渡す様子を見て、「私」は「薄みっともねえな。これでこの家じゃ、出前の代金を全部ジャラ銭で払ってくるとの評判が立ってしまうなあ。珍妙な格好をした若作りのおばさんがよ、十円玉抱えてでてきますってな。おまえのおかげで、ここもすっかり変わり者の巣窟扱いにされちまうよ」と言い放ちます まさに「焼却炉行き赤ん坊」の冒頭で自己紹介した「私」そのものの自己中のDV男です 同棲女性もよくそこまで耐えているな、と同情を禁じ得ません 主人公を一言で言えば「全女性の敵」です

こういう本が「芥川賞」受賞作家による作品として広く読まれているのは驚くべきことです

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METライブビューイング、リヒャルト・シュトラウス「ナクソス島のアリアドネ」を観る ~ リーゼ・ダーヴィドセン、ブレンダ・レイ、イザベル・レナードにブラボー!

2022年04月27日 07時20分04秒 | 日記

27日(火)。わが家に来てから今日で2663日目を迎え、トランプ前米大統領は25日、米起業家イーロン・マスク氏によるSNSのツイッターの買収合意を巡り、買収後にアカウントを復活しても「私はツイッターには行かず、トゥルース(新たなSNSのトゥルース・ソーシャル)に残る」と表明した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     フェイクのトランプだから信用できないけど  何がトゥルース(真実)だ 笑わせる

 

         

 

昨日、夕食に「サーロインステーキ」を焼きました あとは「卵スープ」です。サラダ用の野菜は別皿にすると場所を取るので、ワンプレートに盛り付けました ステーキにはワインです

 

     

 

         

 

昨日、新宿ピカデリーでMETライブビューイング、リヒャルト・シュトラウス「ナクソス島のアリアドネ」(休憩含め2時間55分:ドイツ語)を観ました これは今年3月12日にニューヨークのメトロポリタン歌劇場で上演されたオペラのライブ録画映像です キャストはアリアドネ=リーゼ・ダーヴィドセン、ツェルビネッタ=ブレンダ・レイ、作曲家=イザベル・レナード、バッカス=ブランドン・ジョヴァノヴィッチ、音楽教師=ヨハネス・マルティン・クレンツレ、執事長=ヴォルフガング・ブレンデル(トーマス・アレンの代役)、管弦楽=メトロポリタン歌劇場管弦楽団、指揮=マレク・ヤノフスキ、演出=エライジャ・モシンスキーです

 

     

 

オペラ「ナクソス島のアリアドネ」はリヒャルト・シュトラウス(1864ー1949)がフーゴー・フォン・ホフマンスタールの台本に基づいて1911年から翌12年にかけて作曲(第1版)、1915年から翌16年にかけて改訂(第2版)、1912年にシュトゥットガルトで初演(第1版)、1916年にウィーンで初演(第2版)されました 第1版はモリエールの「町人貴族」に続けて上演、第2版は新たに作曲した序曲を加えた形となっています

舞台は大金持ちの広間。屋敷の主人の命により、豪華な舞踏会の後、若い作曲家によるオペラ「ナクソス島のアリアドネ」の上演が予定される 作曲家の師匠・音楽教師は、その後にイタリア風の道化芝居が上演されることを知り、不安を覚える 準備が進む中、執事長が「夜9時の花火に間に合うよう、オペラと道化芝居を順番にではなく、同時に上演するように」という主人の命令を伝える 作曲家は周りに当たり散らすが、喜劇一座を率いる踊り子のツェルビネッタは「舞台では移り気な娘を演じているけど本当は寂しい」と胸の内を告白する 2人は親密な雰囲気になる 作曲家は「音楽は神聖な芸術」と一旦は気を取り直すが、傍若無人に振る舞う道化役者たちを前に再び絶望してしまう しかし、舞台の幕は上ってしまう(以上 序幕=プロローグ)。

舞台は荒れ果てたナクソス島の岩山。3人の妖精が恋人テセウスに棄てられたアリアドネの不運な身の上に同情する 4人の道化たちはアリアドネを何とか慰めようと試み、ツェルビネッタも「人生と愛なんて移りゆくもの」と歌うが、取り合ってもらえない そこへ舟が漕ぎ寄せる。アリアドネは死神がやってきたのだと思い、自分を舟に乗せてほしいと懇願する。しかしそれは若い愛の神バッカスで、「自らと我がために生きよ」と歌い、アリアドネに口づける 新たな愛を胸に宿し、甘美な歌に身を委ねる2人 この光景を眺めていたツェルビネッタも、「新しい神がやってくると、私たちは黙って身を任せてしまう」と、ことの成り行きを満足げに見つめる(以上 本編=オペラ)。

 

     

 

本編に入る前にMETのピーター・ゲルブ総裁が画面に登場し、ロシアのウクライナへの侵略について批判するとともに、犠牲になった市民への哀悼の気持ちを示し、ウクライナ支援のための公演を近々開催する旨をアナウンスしました 次いで、MET公演(合唱団の衣装から3月下旬に上演された「ドン・カルロス」の公演と思われる)の際にMET合唱団によって歌われたウクライナ国家の映像が流されました こういうところはスポンサー企業や個人寄付者をはじめとする”外圧”が厳しいMETらしい俊敏な対応だと思います 新国立劇場でこういう事象は起こりません

次いで、オーケストラの様子が写し出されますが、オケは下手にマスク着用の弦楽器奏者、上手にノーマスクの管楽器奏者が向かう形で配置されています これは言うまでもなく狭いオーケストラピット内での新型コロナ感染拡大対策です

実はこのオペラは解りにくいという評判(?)があったので、あらかじめカラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団、シュワルツコップ他によるCDで予習しておきました しかし、音としては入ってくるものの、映像が浮かんできません。これがCDの宿命です

 

     

     

 

前半の「序幕」では、執事長が「夜9時までに、オペラと道化芝居を順番にではなく、同時に上演するように」という主人の命令を伝えたことに伴う作曲家と喜劇一座の大混乱が描かれますが、ここでは、作曲家を歌ったイザベル・レナードの一人舞台でした 1982年生まれのメゾソプラノですが、凛としたたたずまいと芯のある歌唱で聴衆を魅了しました 幕間のインタビューでマシュー・ポレンザーニから「ナクソス島のアリアドネ」の作曲家の役柄について訊かれたイザベル・レナードは「とにかく物語のテンポが速いので、自分の役柄を歌い演じているので精一杯という感じです」と答えていましたが、まったくその通りで、終始慌ただしく物語が進行していき、いつの間にか終わっていたという感じでした

後半の「オペラ=ナクソス島のアリアドネ」は、悲劇と喜劇が同時に進行していくというストーリーです ここでは、アリアドネを歌ったリーゼ・ダーヴィドセンがドラマティックな歌唱で存在感を示しました 1987年ノルウェー生まれのソプラノですが、メゾソプラノからソプラノに転向したそうです。アリアドネが被るティアラ(王冠)は1962年に製作され、歴代のアリアドネ歌手が受け継いで被ってきたといいます これについてリーゼ・ダーヴィドセンはインタビューで「憧れのジェシー・ノーマンが被ったティアラを被ることができて嬉しい」と興奮気味に語っていました。METの歴史を感じます

ヒロインに負けず素晴らしかったのはツェルビネッタを歌ったブレンダ・レイです アメリカ・ウィスコンシン州出身のソプラノですが、コケティッシュな存在感が際立っているうえ、超高音部も無理なく歌っているように見せる超絶技巧の持ち主です

リーゼ・ダーヴィドセンやブレンダ・レイが息の長いアリアを歌い終わると、会場からブラボーの嵐がステージに押し寄せます コロナ禍のもと、日本では考えられない光景ですが、映像を観ると聴衆はマスクを着用しています どうやらMETではマスクをしていればブラボーを叫んでも許されるようです

指揮をとったマレク・ヤノフスキは1939年ポーランド・ワルシャワ生まれのドイツ人ですが、妥協を許さない引き締まった音楽づくりで集中力に満ちた演奏を引き出していました

演出では、後半の「オペラ」で3人の妖精が登場しますが、上の写真のように高さ3メートルくらいありそうな女性歌手です もちろん、歌手は櫓の上に乗っており、超ロングドレスの中に役者が入っていて手動で動かすわけですが、存在感は抜群です

ご一緒したKiriokaさんが、「3人の妖精って、モーツアルト『魔笛』の『3人の侍女』と同じ役割みたいですね」と鋭い指摘をしていましたが、あるいは『3人の童子』かもしれません リヒャルト・シュトラウスは「ばらの騎士」をはじめとして常にモーツアルトを意識していたので、「3人の妖精」はモーツアルト「魔笛」へのオマージュなのかもしれません

CDを聴いていただけでは内容がよく把握できませんでしたが、映像としてオペラを観て初めて理解できました やっぱりオペラは目で観て耳で聴くものだ(とくに馴染みの薄い曲は)とあらためて思いました

帰りがけに新宿ピカデリー近くのイタリアン・レストラン T で生ビールとパスタ&ピザのランチをいただきながら、オペラの話を中心に楽しく歓談しました 次はヴェルディ「ドン・カルロス」を観たいと思います

 

     

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指揮者・阿部加奈子さんと「ジャン・クリストフ」~ 生涯の一冊 / 西村賢太著「苦役列車」を読む ~ 「友ナシ、金ナシ、女ナシ。この愛すべき、ロクデナシ」を主人公とする芥川賞受賞作

2022年04月26日 07時00分08秒 | 日記

26日(火)。昨日の朝日朝刊「まなび  つながる  広場」ページの「本がくれたもの」コーナーに、フランスで20年、オランダで6年を過ごした指揮者・阿部加奈子さん(1973年、大阪出身)が読書について朝日編集委員・吉田純子さんのインタビューに答えています 阿部さんは「おおきな木」(シェル・シルヴァスタイン著:あすなろ書房)、「みどりのゆび」(モーリス・ドリュオン著:岩波少年文庫)などが印象に残ったそうです 「生涯の1冊」を選べと言われれば、迷わず「ジャン・クリストフ」(ロマン・ロラン著:新潮文庫など)と答えるとのこと 「ベートーヴェンの生涯を暗喩しているので、音楽家を志す人にとっては必読の書です 私も『作曲家になってやる!』と息巻いていた中学の頃に初めて読み、今に至るまで何度も読み返し、そのたびに人間社会のなかに宇宙の調和を模索し、共存への希望を見出す営みを諦めてはいけないと自ら奮い立たせています」と語っています

私も学生時代に「ジャン・クリストフ」を読みましたが、全10巻から成る超長編小説で、「とにかく長い」という印象しか残っていません 当時はそれほどクラシック音楽に興味を持っていなかったので、読書に対する力の入れ方が足りなかったのだと思います 阿部さんは「音楽家を志す人にとっては必読の書」と語っていますが、実際の話、どれほどの音楽家志望者がこの作品を読んでいるのか、私としては極めて疑問に思います 音楽家志望者に限らず、また この作品に限らず、今どきの若者は何でもスマホで済ませ、とにかく本を読みません    そういう人たちがプロの音楽家になっていくことが果たして良いことなのか、非常に疑問です

ということで、わが家に来てから今日で2662日目を迎え、23日に北京市内で新たに確認された新型コロナウイルスの感染者は22人だったが、北京市政府は24日、感染拡大を警戒し、PCR検査などの防疫態勢を強化すると発表したことから、ロックダウンへの懸念が広まり、市内の一部スーパーなどは食料や日用品などを買い込む市民でごった返した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     中国政府のゼロコロナ政策は どうやっても無理があるが 中央政府には逆らえない

 

         

 

昨日、夕食に「アスパラの豚肉巻き」「生野菜とツナのサラダ」「もやしの味噌汁」「冷奴・ウニ醤油かけ」を作りました 「アスパラの豚肉巻き」のタレは醤油、砂糖、味醂、生姜絞り汁、マヨネーズです カイワレ大根を添えるとさっぱりします

 

     

 

         

 

西村賢太著「苦役列車」(新潮文庫)を読み終わりました 西村賢太は1967年東京生まれ。中卒。2007年「暗渠の宿」で野間文芸新人賞、2011年「苦役列車」で芥川賞を受賞  「どうで死ぬ身の一踊り」「二度はゆけぬ町の地図」「小銭をかぞえる」ほか著書多数。2022年2月5日心疾患で死去

 

     

 

西村氏の著書はこれまで読んだことがなかったのですが、彼の死に際し、新聞に誰かの追悼文が寄せられたのを読んで興味を抱きました  まず最初に読むべきは芥川賞受賞作だろうということで「苦役列車」を買い求めました   本書には、その後の貫多を描いた「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」が収録されています

「苦役列車」

物語の時代は1986年頃。19歳の北町貫多は日雇い労働で生計を立てている    貫多が幼少の頃、父親が性犯罪を犯したことで家庭は崩壊していた    両親の離婚、数度の転校を繰り返す中で少年時代を過ごし、将来への希望を失ってしまう     中学校を卒業した彼は、母親から奪い取った金を手に家を飛び出し、港湾で荷役労働に従事しながら一人暮らしを始める。日当の5500円は即座に酒代と風俗代に消えていく。月々の家賃を確保しておくわけでもないので、家賃未払いのため部屋を追い立てられたことも何度かある こうして彼は、小学校卒業後の4年間を無為に過ごしていた。そんなある日、港湾の仕事現場にアルバイトの専門学校生・日下部正二が現れる。スポーツで鍛えた肉体と人懐こい笑顔の彼に貫太は好感を抱き仲を深める そして彼に強引に迫り女友だちを紹介してもらうことになるが、酒に酔った勢いで暴言を吐きその場の雰囲気をぶち壊し、日下部との関係も悪化してしまう さらに荷役労働先の上司的な存在の前野と些細なことから喧嘩して会社から出入り禁止となってしまう そして貫多は別の荷役会社に移りほぼ変化のない生活を送る中で藤澤清造の私小説と出会う

これが「私小説」というものなのだろう、と思いました つまり北町貫多=西村賢太であり、小説に書かれていることはほとんどノンフィクションに近いということです 父親が性犯罪で収監されたこと、自分は中卒であること、小さい頃から友だちがいなかったこと・・・それらのことが劣等感となって彼の対人関係を複雑なものにします この作品は映画化されていますが、その時の売り文句は「友ナシ、金ナシ、女ナシ。この愛すべき、ロクデナシ」だそうです。言い得て妙です 話し相手になってくれた日下部との別れのシーンが印象的です

「善人めいたことを言ってやり、それで何か表面上は至極爽やかな惜別の図のようになったが、しかし内心では日下部と云う男の小狡さと云うか、学生特有の、どこか思い上がっているあらゆる意味においてのモラトリアム気質みたいなのが不快でたまらなかった 尤も、こうしてハッキリとした絶縁を表明せずに、極めて曖昧な物腰で最後のきまりをつけにきた日下部と云う男も、根はひどく気弱で善良な、すでにして大人の態度を弁えた真っ当な常識人であることには間違いがなく、いくら貫多の目にそれらが甘で不快なものに映ろうと、世間では彼よりも日下部を正規の人生ルートを歩んでいる者として、無条件に信用することは確かである そして、むしろ貫多の方をこそ、よりモラトリアムに甘えたと云うか、いっそそれ以前の、単なる生活不能な人生の落後者と見做すに違いなかった

一度は学生である相手を誹謗中傷しながらも、次の瞬間には自分自身の置かれた立場を顧みて反省しています その後、日下部が年賀状に結婚したことや郵便局に勤め出したことを書いてきた時のことを、貫多は次のように回想します

「『さんざ泳ぎに明け暮れて、いい気に上京遊学して、小説がどうの演劇がこうのなぞ、頭の悪りい文芸評論家や編集者みてえななまっかじりのごたくをほざいていたわりには、結局大した成果はみせなかったな 所詮、郵便屋止まりか・・・』と、一人毒づき、日下部を大いに嗤ってやったものだが、しかしそうした貫多の方は、そのときやはり人足であった

ここには、自分は日下部のような常識人にはなれない、ということが告白されています その時、彼は藤澤清造の私小説と運命的な出会いを果たします。貫多に希望が見えてきます

「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」

40歳を迎えようとしている貫多は小説家となっていた 文芸誌に掲載された短編のうち2つの作品が、川端賞の候補となるなど評価と知名度が高まりつつあった 「川端賞が欲しい」という目標もでき、日々小説を書き続ける生活を送る 持病と化した腰痛の診療の帰りに立ち寄った古本屋で川端康成の「みづうみ」の古書と「嘉村磯多の思い出」を見つける。「嘉村磯多の思い出」を読みながら、小説家としての自分を見つめ直す。そして川端賞の発表の日となり受賞の連絡を待つが、電話は来なかった

本作では、冒頭から腰痛に悩まされる貫多の苦しみが活写されていて、腰痛持ちの私には他人ごととは思えませんでした 本作では、「川端賞」が欲しいという切実な気持ちが綴られています

「彼は文名を上げたかった。達観することにより、いくら自分の心に諦めを強いたところで、また何をどう言い繕ったところで、やはり川端賞受賞の栄誉だけは何としても担いたかった もって実力派の書き手として、訳知らずの編集者から、訳知らずにでよいからチヤホヤされたかった 数多の女の読者から、たとえ一過性の無意味なものでもいい、ともかく一晩は騙せるだけの人気を得たかった

これほど赤裸々な名誉欲を文章として書けるのは、やはり凄いことだと思います 恥も外聞もなく本性をさらけ出さなければこういう文章は書けません

偶然にも西村氏の死の4日前の今年2月1日に死去した石原慎太郎氏が巻末の「解説」を書いています その中で石原氏は次のように西村氏の小説の魅力を語っています

「西村賢太氏の作品の魅力はその人生の公理といおうか虚構といおうか、人々が実は密かに心得、怯え、予期もしている人生の底辺を開けっぴろげに開いて曝け出し、そこで呻吟しながらも実はしたたかに生きている人間を自分になぞらえて描いている。それこそが彼の作品のえもいえぬ力であり魅力なのだ

「人生の底辺を開けっぴろげに開いて曝け出し・・・」というのは、まさにその通りで、私小説家の赤裸々な告白を読んでいるような気分になります

それにしても・・・と思うのは、石原慎太郎氏と西村賢太氏の間には運命的な結びつきがあったのだろうか、あちら側に行った石原氏がこちら側の西村氏を呼んだのだろうか、ということです

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リオネル・ブランギエ ✕ リーズ・ドゥ・ラ・サール ✕ 東京交響楽団でラヴェル「ピアノ協奏曲」、ストラヴィンスキー「火の鳥」他を聴く

2022年04月25日 07時01分13秒 | 日記

25日(月)。わが家に来てから今日で2661日目を迎え、ウクライナへの義勇兵を派遣する団体がANNの取材に応じ、ロシアの同盟国ベラルーシの若者ら250人以上が加わっていると明らかにした  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     ベラルーシは大統領が親ロシアだが 戦争の真相を知る若者たちは反ロシアに傾く

 

         

 

昨日、ミューザ川崎で東京交響楽団の第85回川崎定期演奏会を聴きました チケットは新日本フィルの定期会員のS氏から実費で譲り受けたものです

プログラムは①サロネン「ヘリックス」、②ラヴェル「ピアノ協奏曲 ト長調」、③同「高雅で感傷的なワルツ」、④ストラヴィンスキー:バレエ組曲「火の鳥」(1919年版)です 演奏は②のピアノ独奏= リーズ・ドゥ・ラ・サール 、指揮=リオネル・ブランギエ です

ブランギエは1986年フランス・ニース生まれ。2005年ブザンソン国際指揮者コンクール優勝    2014年から3年間、チューリヒ・トーンハレ管弦楽団の音楽監督兼首席指揮者を務めました

 

     

 

譲り受けた席は2CB6列22番、2階最後列左通路側です。会場は8割程度は入っていると思われます

拍手に迎えられ東響の面々が入場し配置に着きます 弦は14型で左奥にコントラバス、前に左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンという対抗配置。コンマスはグレブ・ニキティンです

1曲目はサロネン「ヘリックス」です この曲はフィンランドの指揮者・作曲家エカ=ペッカ・サロネン(1958~)が2005年にBBCの委嘱作品として作曲した作品です 「ヘリックス」とは「螺旋」を意味するそうで、作曲家によれば「この曲全体が螺旋を上がる一つのプロセスである」とのこと

ブランギエの指揮で演奏に入ります 冒頭のピッコロとコントラ・ファゴットによる旋律が東洋風の世界観を表しますが、濱崎麻里子のピッコロが素晴らしい 管弦楽によるリズムの執拗な反復が印象的でした

 

     

 

2曲目はラヴェル「ピアノ協奏曲 ト長調」です この曲はモーリス・ラヴェル(1875ー1937)が1929年から31年にかけて「左手のためのピアノ協奏曲」とともに作曲、1932年1月14日パリでマルグリット・ロンのピアノ独奏、作曲者自身の指揮により初演されました 第1楽章「アレグラメンテ」、第2楽章「アダージョ・アッサイ」、第3楽章「プレスト」の3楽章から成ります

ピアノ独奏のリーズ・ドゥ・ラ・サールはフランス・シェルブール生まれ。ヨーロッパ各地のピアノコンクールで1位を獲得、2004年にはニューヨークのヤング・コンサート・アーティスツ国際オーディションで優勝しています

オケは8型に縮小します 上下 黒の機能的な衣装を身にまとったリーズ・ドゥ・ラ・サールがピアノに向かい、ブランギエの指揮で第1楽章がムチの一撃によって開始されます   ジャズのイディオムをふんだんに取り入れたリズム感に溢れた演奏が展開します    第2楽章では粒立ちのよい独奏ピアノとコーラングレとの抒情的なアンサンブルが美しく会場を満たしました     第3楽章は独奏ピアノとオケとの丁々発止のやり取りの中、快速テンポでジャズ風の音楽がスリリングに展開、圧巻のフィナーレを迎えました

満場の拍手にリーズ・ドゥ・ラ・サールは日本語で「ありがとう」と言い、ショパン「ノクターン 第20番 嬰ハ短調 ”遺作”」を抒情的に演奏、聴衆のクールダウンを図りました

 

     

 

後半の1曲目はラヴェル「高雅で感傷的なワルツ」です この曲は1911年に作曲したピアノ独奏曲を1912年に管弦楽用に編曲したもので、同年パリで初演されました 安川智子さんのプログラム・ノートによると、「高雅で感傷的なワルツ」というタイトルは、フランツ・シューベルトのピアノ曲「12の高雅なワルツ」と「34の感傷的なワルツ」を意識したものだそうです。初めて知りました 曲は8つの短いワルツから成ります

ブランギエの指揮で演奏に入ります 全体的に荒木奏美のオーボエ、フルート(氏名不明)、弦楽器群のリズム感の良い演奏が印象に残りました

最後の曲はストラヴィンスキー:バレエ組曲「火の鳥」(1919年版)です この曲はイーゴリ・ストラヴィンスキー(1882ー1971)がロシア・バレエ団の主宰者・ディアギレフの委嘱により1909年から1910年にかけて作曲、1910年パリ・オペラ座で初演されました この日の演奏は1919年に編曲した版によります

安川智子さんの解説によると、「バレエの台本はロシアの民話を組み合わせて作られている 火の鳥は黄金の羽を持つ幸せを呼ぶ鳥である。イワン王子は火の鳥の羽を得て、その力で魔王カシチェイとその手下たちを倒していく 魔法をかけられて囚われの身であった王女たちを助け出したイワン王子は、そのうちの一人とめでたく結婚式を挙げる」という内容です

第1曲「序奏」、第2曲「火の鳥とその踊り」、第3曲「火の鳥のヴァリアシオン」、第4曲「王女たちのロンド」、第5曲「カシチェイ王の魔の踊り」、第6曲「子守唄」、第7曲「終曲」から成ります

ブランギエの指揮は終始歯切れがよく、引き締まった演奏を繰り広げます 個々の奏者では、第4曲におけるオーボエ・荒木奏美の音楽性豊かな演奏、第6曲におけるファゴット・福井蔵の息の長い演奏が強く印象に残りました

本公演は前日、東京オペラシティコンサートホールで「オペラシティ・シリーズ」として同一プログラムで演奏されましたが、ツイッターを見ていたら、半分くらいの客入りだったようです それに比べ、この日の公演は前述の通り8割程度の客入りでした やはり東響の本拠地であるミューザ川崎での公演は、多くの地元の聴衆が集まるのだろうなと思いました    サッカーでもコンサートでも、「アウェイ」よりも「ホーム」の方が有利だということでしょうか

 

     

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ヨハン・シュトラウス2世:オペレッタ「こうもり」(映画)を観る~カール・ベーム指揮ウィーン・フィル、ヤノヴィッツ、ヴェヒター、クンツ他

2022年04月24日 07時18分06秒 | 日記

24日(日)。わが家に来てから今日で2660日目を迎え、ロシア国防省は22日、ウクライナ侵攻の作戦中に沈没したロシア黒海艦隊旗艦のミサイル巡洋艦「モスクワ」について、当初、乗組員は「完全に撤退した」と説明していたが、兵士1人が死亡し、乗組員27人が行方不明だと発表した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     嘘つきロシアのことだから 本当はもっと多くの犠牲者が出たに違いないと思います

 

         

 

昨日、銀座ブロッサムホールでオペレッタ「こうもり」の映画を観ました これはオットー・シェンク監督による1972年製作ドイツ映画(2時間23分)です 出演は、ロザリンデ=グンドゥラ・ヤノヴィッツ、アイゼンシュタイン=エバハルト・ヴェヒター、アデーレ=レナーテ・ホルム、ファルケ博士=ハインツ・ホレツェック、フランク=エーリッヒ・クンツ、オルロフスキー侯爵=ヴォルフガング・ヴィントガッセン、アルフレード=ヴァルデマール・クメント、フロッシュ=オットー・シェンク。管弦楽=ウィーン・フィル、合唱=ウィーン国立歌劇場合唱団、指揮=カール・ベームです

午後1時上映開始なので、ブロッサムホールの最寄り駅・地下鉄「新富町」駅改札口で午前11時半に Kirioka さんと待ち合わせして、築地1丁目のT寿司で「海鮮ばらちらし寿司」をいただいてから会場に向かいました 開場時間の12時半に会場入りしたのですが、たいして客はいないだろうと思っていたら、すでにかなりの観衆が座っていてビックリしました 新型コロナをモノともしない天下無敵の人たちです 考えてみたら自分たちもそうでした

 

     

 

「こうもり」はヨハン・シュトラウス2世(1825ー1899)が1873年に作曲、1874年にアン・デア・ウィーン劇場で初演された全3幕から成るオペレッタです

物語は、こうもりの扮装をしたままアイゼンシュタインに置き去りにされたファルケが、仕返ししようと、周囲の人々を味方に引き入れてアイゼンシュタインに恥をかかせるという喜劇です

大晦日を迎えたウィーンの街。銀行家の名士アイゼンシュタインは酒席での侮辱罪で禁錮刑を受けるというのに、友人のファルケにそそのかされてオルロフスキー公爵の仮面舞踏会に内緒で出かけてしまう 妻のロザリンデは、留置場に行くのにめかし込む夫を訝しく思いながらも、昔の恋人アルフレードから誘われて、舞踏会に行くつもりになる さらに、小間使いのアデーレも姉から舞踏会に誘われて気もそぞろになる こうして、オロフスキー公爵の舞踏会には、フランス人公爵やハンガリー伯爵夫人に扮装したアイゼンシュタイン家の面々が知らずに一堂に会することになる そこで、ファルケが周囲の者たちを仲間に引き入れアイゼンシュタインに復讐を図る

 

     

 

この上映作品は、映画のために撮影したものなので、セリフを除いて、あらかじめ歌手たちが歌った録音に合わせて本人たちが”口パク”で合わせて演技しています したがって歌と演技が若干ズレているところも散見されましたが、そこは映画と割り切って観ました

ロザリンデを歌ったグンドゥラ・ヤノヴィッツは、カラヤンが多くのオペラに起用したほどの名歌手で、ソフトで上品な歌唱が印象的です また演技も自然でわざとらしさがありません

アイゼンシュタインを歌ったエバハルト・ヴェヒターは生粋のウィーンっ子で、ウィーン・フォルクスオーパーやウィーン国立歌劇場で活躍しました 歌は申し分ありませんが、若干演技過剰のところがありました。しかし、そこは映画だからと割り切って観ました

アデーレ役のレナーテ・ホルムは歌唱力抜群です

フランクを歌ったエーリッヒ・クンツは、カラヤン ✕ ウィーン・フィル「ばらの騎士」でファー二ナルを演じた歌手ですが、喜劇的な役柄はピッタリです

オルロフスキー侯爵を歌ったヴォルフガング・ヴィントガッセンには驚きました     通常この役はメゾ・ソプラノが歌うのですが、ワーグナー歌いの厳つい顔のヴィントガッセンがオペレッタに出るとは”ミスマッチの面白さ”を狙った配役だと思います

フロッシュ(刑務所の看守)を歌ったオットー・シェンクはこの映画の監督でもあります     彼は世界中の歌劇場でオペラやオペレッタの演出を手掛けています     歌う場面はありませんが、最高の喜劇役者として酔っ払いの看守を”真面目に”演じていて、思わず笑ってしまいました

休憩なしの143分でしたが、あっという間に終わってしまいました オペレッタは楽しい そんな想いを再確認した上映でした

帰りは銀座4丁目方面に出て、歌舞伎座近くの英国風パブ「82」で生ビールを飲んで歓談しました 今観たばかりの「こうもり」の話や、ピアノ教室のお弟子さんの話や、Kiriokaさんの大好きなピアニスト、フジコ・ヘミングさんの話など、途中でビールをお代わりして、気が付いたら2時間が経っていました 音楽の話ができる友だちがいるのは幸せだと思います

 

     

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高関健 ✕ 東京シティ・フィルでブルックナー「交響曲第4番”ロマンティック”」、三善晃「交響三章」を聴く ~ 第351回定期演奏会

2022年04月23日 07時18分33秒 | 日記

23日(土)。わが家に来てから今日で2659日目を迎え、世界銀行のマルパス総裁は21日、米ワシントンでウクライナのシュミハリ首相らと円卓会議を開いたが、世銀は建物やインフラなどロシアの侵攻による直接的な被害額を概ね600臆ドル(約7.7兆円)とする評価を公表した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     当然 独立国ウクライナに侵略して殺人・略奪・破壊したロシアに弁償させるべきだ

 

         

 

昨日、夕食に「豚肉の甘酢ねぎごまだれ」「生野菜サラダ」「冷奴・ウニ醤油かけ」「舞茸の味噌汁」を作りました 豚肉の~はカイワレ大根がよく合います

 

     

 

         

 

昨夜、東京オペラシティコンサートホールで、東京シティ・フィルの第351回定期演奏会を聴きました プログラムは①三善晃「交響三章」、②ブルックナー「交響曲第4番変ホ長調”ロマンティック”」です 指揮は常任指揮者・高関健です

新シーズンを迎え、定期会員席を4列後方に移しました 前シーズンは前過ぎてステージ後方の管楽器群が全く見えないので、1シーズンだけ後方席でステージの見え方を確認することにしたのです

 

     

 

オケは14型で、左から第1ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、第2ヴァイオリン、その後ろにコントラバスという対抗配置 コンマスは特別客員コンマス・荒井英治です

1曲目は三善晃「交響三章」です この曲は三善晃(1933ー2013)が1960年に日本フィルの邦人作品委嘱企画「日本フィル・シリーズ」の第4作として作曲、同年10月14日に渡邊暁雄の指揮で初演されました また、この作品は芸術祭奨励賞やユネスコのIMC(国際音楽評議会)の第2位を獲得し、三善を代表する管弦楽作品の一つとなりました なお、高関健氏は桐朋学園大学で学びましたが、その当時の学長が三善晃氏だったそうです

高関氏の指揮で第1楽章の演奏に入ります チェロ首席・長明康郎の独奏が素晴らしい 第2楽章は実質スケルツォですが、打楽器が大活躍します 曲想としてはバーンスタイン、あるいはバルトークといったテイストを感じました 第3楽章は冒頭、瞑想的な曲想が奏でられますが、急速にテンポを上げアグレッシブな演奏に転換します 演奏を聴いていて「1960年という年はこういう曲が最先端を行っていたんだな」とつくづく思いました

 

     

 

プログラム後半はブルックナー「交響曲第4番 変ホ長調 ”ロマンティック”」です この曲はアントン・ブルックナー(1824ー1896)が1874年に作曲、その後数度にわたり改訂された作品です 今回の演奏は第2稿(1878年/80年)、新ブルックナー全集版コーストヴェット校訂(2018年)によります ブルックナーの交響曲は「改訂版」の問題が付き纏いますが、私はブルックナー・ヲタク(いわゆる「ブルオタ」)ではないので、版には全くこだわりはありません。目の前に提示された音楽を素直に受け入れます 第1楽章「動きをもって、速すぎず」、第2楽章「アンダンテ・クアジ・アレグレット」、第3楽章「スケルツォ:動きをもって」、第4楽章「フィナーレ:動きをもって、しかし速すぎずに」の4楽章から成ります

高関氏の指揮で第1楽章の演奏に入ります 冒頭、弦楽器のトレモロにホルンが加わる「ブルックナー開始」が展開します 谷あかねのホルン独奏が素晴らしい この人、現在ノンタイトルですが、実力は首席クラスだと思います ホルンに次いで演奏される松木亜希のトランペットがまた素晴らしい この人は首席です。木管ではフルートの竹山愛、オーボエの本多啓佑の演奏が冴えています。第2楽章は憂愁に満ちた曲想です 第3楽章はホルンが大活躍します。谷あかね率いるホルン・セクションの「狩のホルン」が会場に響き渡ります 中間部のレントラー風の3拍子の音楽は、ブルックナーが村の少女とダンスを踊っているようで微笑ましく聴きました 第4楽章はパイプオルガン奏者でもあったブルックナーによる音の大伽藍が築き上げられます 弦楽器群の演奏が美しく、とくに終盤におけるヴァイオリン、ヴィオラの研ぎ澄まされたキザミが強く印象に残りました

高関氏の指揮は速すぎもせず、遅すぎもせず、中庸を心得たテンポ設定で、ブルックナーのオルガン的な豊かで美しい響きを十全に醸し出していました

 

     

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チャイコフスキー国際コンクールを世界連盟が除名 ~ 朝日の記事から / 長田弘著「私の好きな孤独」を読む ~ モーツアルト頌、ビゼー「交響曲第1番 ハ長調」を中心に

2022年04月22日 07時08分14秒 | 日記

22日(金)。昨日の朝日朝刊 社会面に「チャイコフスキー国際コンを除名 連盟、ロシアを非難」という見出しの記事が載っていました 超略すると次の通りです

「『国際音楽コンクール世界連盟』(スイス・ジュネーブ)が、チャイコフスキー国際コンクールを除名した 連盟は、ロシアによるウクライナ侵攻を非難し、『ロシア政府が資金提供し、宣伝ツールとしているコンクールを、支援したり、(連盟の)メンバーに入れたりすることはできない』としている 同連盟は除名の一方で『全てのロシア人に対する全面的な制裁や、国籍を理由に個々のアーティストを差別し、排除することに反対する』とも言及している。チャイコフスキー国際コンクールは旧ソ連で1958年に創設され、4年に一度モスクワで開催。エリザベート王妃国際音楽コンクール、ショパン国際ピアノコンクールとともに世界3大音楽コンクールとされる。チェロや金管、木管などの部門がある

この記事を読んで、初めて「国際音楽コンクール世界連盟」という組織があることを知りました 世界の国際団体からロシアが排除されていく傾向は今後強まっていくのでしょうか

ところで1958年に開かれた第1回「チャイコフスキー国際コンクール」は、ソ連の文化的優位を誇示する目的がありましたが、優勝したのはアメリカのヴァン・クライバーンでした 米ソ冷戦の最中に敵国ソ連のコンクールで優勝したことから、クライバーンはアメリカの国民的英雄として賞賛され、世界中の話題になりました

これを機に、「チャイコフスキー国際コンクール」の1980年以降の主な日本人入賞者を調べてみました

第7回(1982年)ピアノ部門 第3位:小山実稚恵

第9回(1990年)ヴァイオリン部門 第1位:諏訪内晶子

第11回(1998年)声楽部門 第1位:佐藤美枝子

第12回(2002年)ピアノ部門 第1位:上原彩子

           ヴァイオリン部門 第2位:川久保賜紀

第13回(2007年)ヴァイオリン部門 第1位:神尾真由子

第16回(2019年)ピアノ部門 第2位:藤田真央

見ての通り、入賞者はソプラノの佐藤美枝子さんを除き、ヴァイオリン部門とピアノ部門に偏っていますが、いずれも第一線で活躍しているアーティストばかりです

順調にいけば次回の第17回コンクールは2023年、つまり来年です ウクライナ情勢が来年どうなっているか まったく読めませんが、ロシア軍によるウクライナの民間人の大量虐殺や、プーチン・ロシアが世界経済を大混乱に陥れたことに対し、世界はロシアを絶対に許さないであろうことを考えると、来年のコンクール開催は難しいのではないかと思います もし開催するとしても、ロシア、ベラルーシ、中国くらいしか参加が期待できない可能性が大きいと思います

ということで、わが家に来てから今日で2658日目を迎え、中国の習近平国家主席は21日、アジアを中心に政財界の要人が集まるフォーラムで講演し、「冷戦思想を排除し、単独主義に反対すべきだ。冷戦思想は世界平和の枠組みを壊し、覇権主義と強権政治は危害を加えるだけだろう」と述べ、米欧などがウクライナに侵攻したロシアへの制裁を強化していることを批判した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     何をほざいているか! "覇権主義" と "強権政治" は習近平政権の専売特許だろうが

 

         

 

昨日、夕食に2週間に一度のローテにより「鶏の唐揚げ」を作りました いつもは金曜日に作るのですが、コンサートの関係で木曜に切り上げました。唐揚げにはビールです

 

     

 

         

 

昨年末に新日本フィルから3000円の「クーポン券」が送付されてきていたことをすっかり忘れていました 4月から9月までの7公演で使用可能です すぐに予約しないとまた忘れてしまうので、さっそく新日本チケットボックスに電話して、案内状にある公演の中から7月11日(月)のクリスティアン・アルミンク指揮による①バルトーク「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」、②オルフ「カルミナ・ブラーナ」のコンサート(サントリーホール)のS席を選びました    アルミンクは久しぶりです

 

     

 

         

 

長田弘著「私の好きな孤独」(潮文庫)を読み終わりました 長田弘氏は1939年福島市生まれ。詩人。1963年早稲田大学第一文学部卒業。65年に詩集『われら新鮮な旅人』でデビュー。82年「私の二十世紀書店」で毎日出版文化賞、98年「記憶のつくり方」で桑原武夫学芸賞受賞したのをはじめ受賞多数 2015年5月死去

 

     

 

本書は1999年6月に初版単行本が刊行、2013年5月に新装版として刊行されたものを 今回文庫化したものです

ジャーナリスト・評論家の大井浩一氏が巻末の「解説」の中で次のように指摘しています

「長田弘のキーワードを3つ挙げるとするなら、樹と旅と本ではないか。実際には、この詩人は本の森から出発し、海外への旅を経て、やがて樹という思想を感得するに至ったという順番が近いだろうが、本と旅と樹・・・それらはみな彼に言葉をもたらしてくれるものであった

その指摘の通り、本書は「言葉の樹」というタイトルのエッセーから始まり、海外への旅の経験を語り、これまで読んできた本について触れています

そもそも私がこの本を買おうと思ったのは、書店で立ち読みしていて、目次に「モーツアルトのように」「ランドフスカ夫人」「交響曲第1番」「やあ、メニューインさん」といったクラシック音楽にゆかりのタイトルを見出したからです

『モーツアルトのように』では、「なぜ口にしたら嘘になってしまう言葉が、こんなにもおおすぎるのか。うつくしい言葉が信じがたくなり、確かな言葉が苦しく、暗くなった」と思った時、著者は『モーツアルト頌』(吉田秀和・高橋英郎編)に出合います これを読んで、著者は「ほとんど忘れかけていた約束を思い出されたような気がして、おもわずギクリとした ほとんど忘れかけていた約束。それは、オマージュ(讃える言葉)こそが、もしかしたら、言葉がほんとうは夢みている最良のよろこびなのではないか、ということだ うつくしい言葉をすでに信じられなくなっていた一人にとって、それは、到底果たせそうもないような約束に思えた」と書きます そして、「モーツアルトのような音楽に対してとりうる態度は、2つに1つ。黙って聴き、じっと沈黙するか。あるいは、好きだと一言、ぽつりと呟くか。・・・つまり、オマージュとは、モーツアルトを聴くようにしか読めないし、書けないような言葉である およそどんな冗舌にも不足していないような時代に不足しているのはただ一つ、ほんとうに必要な言葉だ みずからゆたかに沈黙できるような言葉だ。ブラームスの静かな言葉を覚えている。・・・『今日のわれわれには、モーツアルトのようにうつくしく書けなくなってしまった われわれにできるのは、ただ、彼が書いたと同じくらい純潔に書くように努めることだ』」と締めくくります

この文章を読んでいて、「モォツアルト」で有名な評論家・小林秀雄がエッセーの中で、「美を前にしたら言葉が出ない。口に出したら嘘になる。ただ沈黙するしかない」という趣旨のことを書いているのを思い出しました 彼のエッセーが長田氏に影響を与えていることは間違いないのではないかと思います

『交響曲第1番』は、ジョルジュ・ビゼー(1838-1875)が1855年に作曲した「交響曲第1番 ハ長調」について書いたエッセーです 1曲しか交響曲を書かなかったのに「交響曲第1番」となっていることを揶揄して「ビゼーには第3番も第7番もない」と書きます そして次のようにこの交響曲に辿った運命を書きます

「17歳の少年の書いたただ一つの交響曲は、匿されたまま、忘れられて終わった 少年の交響曲がパリ音楽院の図書館の片隅から見出され、ビゼーの交響曲第1番として初演されたのは、死後60年目の冬、書き上げられて80年目のことである

上記の初演は1935年2月26日にバーゼルでワインガルトナーの指揮により行われました なお、「交響曲第2番」は1859年に着手されたものの破棄されたと言われています そのため、ハ長調の交響曲が第1番と呼ばれています 「交響曲第1番」について著者は次のように書きます

「それは、不思議な交響曲だ。曲は、いきなり、全オーケストラによるすばらしい和音の一撃にはじまる そしてすぐに流れるようにうつくしい第1楽章の第1主題へうつってゆくのだが、なんといってもみごとなのは、冒頭の、ただ1度だけの、短くするどい全オーケストラによる一撃だ それだけがこの交響曲のすべてだ。そういっていいぐらい、はげしくこころにひびく一撃だ。あたかも はじまったそのときに ほんとうは終わっている交響曲。それがビゼーの交響曲第1番だ    おそらく、冒頭の、ただ一度の、全オーケストラによる一撃に、17歳のパリ音楽院生は、交響曲への野心のすべてを叩き込んだのだろう。だが、その音を最初に書いてしまったあと、少年にはもう交響曲という形式で書くべきことが、きっと何もなかったのだ 聴いていると、そのことが胸に痛いように伝わってくる。完璧な敗北というものをはじめて知った少年の、悲しみの一撃。交響曲第1番はそこにはじまり、そこで終わっている。じぶんの完璧な敗北をしるした楽譜を胸の奥にしまい込んで、あざやかな悲しみをかかえて、明るい風景を横切っていったビゼー。そのたった一つきりの交響曲第1番がとても好きだ

ビゼー「交響曲第1番ハ長調」は第1楽章「アレグロ・ヴィーヴォ」、第2楽章「アダージョ」、第3楽章「アレグロ・ヴィヴァーチェ」、第4楽章「アレグロ・ヴィヴァーチェ」の4楽章から成ります あらためて、CDでこの曲を聴いてみると、確かに第1楽章冒頭の和音の一撃はものすごいインパクトがあります しかし、全体を通して聴いてみると、あまりにも著者は冒頭の一撃にこだわり過ぎているように思われます 楽章構成を見ても分かるように全4楽章のうち3つの楽章が「アレグロ」です 曲想は明るく溌溂としていて、私がタイトルをつけるとすれば「青春」です。私からみれば、冒頭の和音は、著者の言う「悲しみの一撃」ではなく、「青春の発露の一撃」です

著者はビゼーの生涯について次のように書きます

「ビゼーの時代は、オペレッタの時代だ。作曲家になるというのは、オペラの作曲家になることだった 17歳の少年はオペレッタへの道を択び、やがて輝かしい『カルメン』や『アルルの女』の作曲家ビゼーになり、日の光のなかに色彩がざわめいているような明るい音楽を書き続けて、わずか36歳で死んだ

天災は早死にします 思いつくだけでも、モーツアルト=35歳、シューベルト=31歳、メンデルスゾーン=38歳、ショパン=39歳と、天才たちは揃って30代で死去しています

著者はこの曲のエッセーを次の文章で締めくくっています

「雨の日と月曜日には、もうどうしようもないような気もちに襲われたら、わたしは、その一つしかないビゼーの交響曲を聴く

たしかに、この曲は人を前向きにさせる力があります

本書は 音楽、コーヒー、旅、酒、読書など、孤独を味わうためのエッセーが集められています 孤独のお供にいかがですか

 

     

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芸劇ブランチコンサートでモーツアルト「ヴァイオリン・ソナタK.304」「ピアノ四重奏曲第1番K.478」他を聴く ~ 周防亮介、佐々木亮、辻本玲、清水和音 / 真夏のバッハ、洗足学園チケット取る

2022年04月21日 06時46分04秒 | 日記

21日(木)。昨日、フェスタサマーミューザ参加公演「真夏のバッハ」(7/24)と「洗足学園音楽大学」(7/26)のチケットを取りました 「真夏のバッハ」はオール・バッハ・プログラムで、ジャン=フィリップ・メルカールトのパイプオルガンを中心に「ゴルトベルク変奏曲」他が演奏されます 「洗足学園音楽大学」は、オール・ラヴェル・プログラムで、「マ・メール・ロワ」「ボレロ」「ダフニスとクロエ 第2組曲」他が秋山和慶指揮洗足学園ニューフィルハーモニック管弦楽団のバックのもと、谷桃子、東京シティ、牧阿佐美の各バレエ団他によるパフォーマンスが楽しめます いずれも今から楽しみです

というわけで、わが家に来てから今日で2658日目を迎え、ロシアのプーチン大統領は20日までに、ウクライナ首都キーウ近郊ブチャで多数の民間人殺害に関与したと非難されているロシアの第64独立自動車化狙撃旅団に、「軍事紛争で祖国と国益を守るため英雄的行為と勇気を示した」として「親衛隊」の名誉称号を付与した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     ロシアでは民間人を殺害した軍隊が英雄になるが ほとんどの国民は真実を知らない

 

         

 

昨日、夕食に「真鱈のムニエル」「マグロの山掛け」「生野菜サラダ」「舞茸の味噌汁」を作りました 真鱈のムニエルは火加減が難しくて崩れてしまいましたが、味は娘から合格点をもらいました

 

     

 

         

 

昨日、東京芸術劇場コンサートホールで「芸劇ブランチコンサート 第35回 モーツアルトの憂い」を聴きました オール・モーツアルト・プログラムで①幻想曲 ニ短調 K.397、②ヴァイオリン・ソナタ  ホ短調 K.304、③ピアノ四重奏曲第1番 ト短調 K.478です 演奏はヴァイオリン=周防亮介、ヴィオラ=佐々木亮(N響首席)、チェロ=辻本玲(同)、ピアノ=清水和音です

 

     

 

会場は、1階と2階の入場可能な席がほぼ満席状態です 休憩なし約1時間で2400円という手ごろな入場料金が効いています

開演前、自席でプログラムを読んでいると、近くの席からご婦人同士の会話が聞こえてきました 「ロシアがウクライナに侵略して、国民が国外に避難してるでしょ。残った男性たちがロシア軍と戦っているけど、酷い状況よね もし、日本がウクライナのように侵略されたらどうしたらいいのかしら」「どうしたらって、闘わなくちゃならないでしょう」「それには最低限の戦力を持たないと、何の抵抗も出来ないまま占拠されちゃうよね」「そうよね。中立のスイスだって軍隊持ってるんだから」・・・この会話を聞いていて、とくに母親の場合は、自分の息子が戦場で戦わなくてはならなくなることを考えると他人事には思えないのではないか、と思いました それと同時に、ロシアの母親たちは戦場に送られた息子はネオ・ナチからウクライナを救うために戦っているのだと国営放送を通じてプーチンから洗脳されているんだろうな、と思いました 今や、ウクライナ問題は地理的に遠い日本においても日常会話のメインテーマになっています

さて本番です。1曲目はモーツアルト「幻想曲 ニ短調 K.397」です この曲はウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756ー1791)が1782年に作曲しました 柴田克彦氏の「プログラム ノート」によると、この曲は「初版では最後の10小節が欠けており、1806年のブライトコプフ版の出版の際に、ライプツィヒの学長で同社の顧問だったA.E.ミュラーが補筆したとみられている」とのことです

清水の独奏で演奏に入ります。6分程度の短い曲ですが、分散和音の序奏部の後のアダージョの部分を聴いていると「悲しい」を音にしたらこういう音楽になるのかもしれないと思いました

2曲目は「ヴァイオリン・ソナタ  ホ短調 K.304」です この曲は1778年に作曲された6曲の「ヴァイオリン伴奏付フォルテピアノのためのソナタ」の4番目の作品で、彼のヴァイオリン・ソナタの中の唯一の短調作品です。柴田氏の解説によると、この曲は母親と共にザルツブルクを後にした「マンハイム・パリ旅行」の最中の1778年7月に、パリで母親を亡くしたため、ホ短調の曲想が母親の死と結び付けられて語られていたが、最近の研究ではそれ以前に着手されていたとの見方が有力とのことです 第1楽章「アレグロ」、第2楽章「テンポ・ディ・メヌエット」の2楽章から成ります

ヴァイオリン独奏の周防亮介は2016年のヴィエニャフスキ国際ヴァイオリンコンクール入賞及び審査員特別賞を受賞 現在、江副記念リクルート財団奨学生としてメニューイン国際音楽アカデミーで研鑽を積んでいます

ロングヘアに黒の衣装がトレードマークの周防亮介が清水と共に登場、さっそく演奏に入ります 周防の演奏を聴いていて、いつも思うのは何と品のいいノーブルな演奏だろうか、ということです モーツアルトの悲しさや、それを通り越した後の喜びがストレートに伝わってきます 3月28日の東京春祭における「ショスタコーヴィチ」演奏会では激しい一面を見せましたが、この日の演奏は素直にモーツアルトに寄り添っていました

 

     

 

3曲目は「ピアノ四重奏曲第1番 ト短調 K.478」です この曲は1785年~86年に「同 第2番K.493」とともに出版者ホフマイスターとの契約に基づいて作曲した作品です ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの組み合わせによる四重奏曲は当時は稀で、その後のスタンダードになりました 第1楽章「アレグロ」、第2楽章「アンダンテ」、第3楽章「ロンド。アレグロ・モデラート」の3楽章から成ります

ヴィオラの佐々木、チェロの辻本はN響の首席コンビです 周防、清水とともに配置に着き、演奏に入ります

第1楽章冒頭の緊迫したフレーズを、音楽学者アインシュタインは「運命のモティーフ」と呼びましたが、まさに運命的なデモーニッシュな曲想が展開します ピアノと弦楽との掛け合いの形で音楽が進みます。第2楽章と第3楽章は長調ですが、それでもモーツアルトらしく短調的な陰りを感じさせるところも顔を出します

周防亮介の1678年製アマティが良く歌い、佐々木亮のヴィオラ、辻本玲のチェロの名人芸が絡みます 上質の演奏でした

この日も、演奏の合間に清水がインタビューをしましたが、例によってもごもごとしゃべるので何を話しているのかさっぱり聴き取れませんでした それとも自分だけ耳が悪いのか? かなり前から周波数の高い音域が聞こえないのは聴力検査で判っていますが、人の声は関係ないでしょう 以前から頭が悪いのは自覚していますが、聴力も悪化しているとしたら困ったものです

 

     

コメント (2)
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